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あぐらぐち物語 1997年03月分





1997年4月1日

やっと、種まきの写真が撮れた。午前中、苗を芽出したパレットをそのままハウス内に運んで並べる。しかし、この後しっかりフォークリフトがはまってしまった。
大体、普通の農家は一輪車に積んで運ぶパターンが、多いのだが、「日本一仕事をしない農家」を自負する我社は、フォークリフトをハウス内に入れるという暴挙に出ているので当然といえば当然か。
午後から、種まきをしたが午前中のロスが効いて、遅くまでかかってしまった。
今日から、我社にも新入社員が入ったので、こき使える。





1997年3月31日

珍しく、一日外でトラクターに乗っていた。いよいよ、市街地に入ってきて、緊張度も高まってきた。市街地の一般道路をトラクターで走行するのは、かなりリスキーである。
それも、手伝って最近、肩こりがひどくなってきた。昨日も、4日にいく研修に使うプレゼン用の原稿作りで日曜日半日キーボードを叩いていたので、かなりキツイ。
しかも、今日は世の中、年度変わりで、月曜日で、月末。最悪の条件が重なって、私のバイオリズムも下降気味である。
明日は、3回目の種まき。今度こそ、デジカメでいい写真を、撮って皆さんにお見せします。


1997年3月29日

2回目の種まきの日で、今日こそハウスに苗を並べているシーンと、種まきのシーンをデジカメに収めようとしたが、朝みたら電池が切れていた。
結局、充電したが夕方になってしまい、イマイチの出来だったので、今度の三回目に賭けることにした。
種まきと言ったら、田んぼで、花咲かじいさんの様にまくと思っている人がいるが、実は播種機という機械で、箱の上にまいていくので、実際の作業は部屋の中で行われる。
それと、いつのまにか、アクセス数が1000人を超えた。やっぱりうれしい。今度は1万人だけど、林農産ではなく、H農産とすれば簡単だと誰か言っていたなあ。


1997年3月27日

昨日は、種まきの日だった。合計6回まくうちの第一回目だった。初日にしては上手行ったと思う。写真は、合計2604枚ある苗の箱をビニルで包んで、温度をかけているところ。
北陸は寒いので、色々手助けしてあげないと、芽が揃わない。上手な人は、温度をかけずに、ハウス内だけで発芽させる方もいるが、危険なのでやっていない。
もう一枚は、荒起こしと言って、田起こし作業。昨日撒いた、たい肥が臭くて苦情の出る前に起こしているところ。
昨日も会合があって、今日もPTAがある。さすがに疲れてきたが、なんとか一次会で帰るようにしている。





1997年3月25日

今日は、例の「ウンコ撒き機」正式名「マニアスプレッタ」で、たい肥をまいた。昨日の会合で、「一度もたい肥なんか、撒かなかったおまえが、撒くもんだから雪が降った」と言われてしまった。
確かにそうである。しかし、これは大変な仕事だ。よく、有機栽培というけれど、みんな良くやっていると思う。さらに、我社は都市部なので、もっと大変。たい肥を積んだトラックが、目的の田んぼまで、道が細くて来れないのである。
しかも、道路はアスファルトで「ウンコ」を移動の度に掃除をしなくてならない。結局、全部出来なかった。しかし、明日は種まきの日なので出来るだろうか。
左の写真が、建設機械で積んでいるところ。すでに、ドロドロ状態なので返す時洗うのが大変そう。右が、ブワーと撒きながら走っている。積むのは大変だけど撒くのは楽しい。





1997年3月24日

昨日は、椿祭りもあって、会社は動いていたが、私は朝から「春の火災予防訓練」で出動していた。そして、隣町の消防団との交流会もあって晴天にもかかわらず一日が終わってしまった。
そして、今日の朝、なんと雪が降っていて大変な寒さだった。たい肥を撒こうと思っていたので、雪の中一輪車で運んだが、はっきり言って相手は「ウンコ」である。なかなか撒けない。
結局、知り合いの農家を回って機械を借りた。この「ウンコ」いや「たい肥」を粉々にしながらブワーと撒き散らす機械である。私は「ウンコ撒き機」と名づけた。
つくづく、有機栽培は大変だなと思った。近くの小学生が「この臭いものはなんですか?」と聞かれるくらいだから、あと、7倍の面積を撒くのだが、反響が楽しみである。
ちなみに、子供たちは「動物園の匂いや。」と表現していた。


1997年3月22日

椿まつりという野々市町の催しがあって、我社も「かきもち」や「焼きかきもち」を売った。
油で、揚げた「頑固揚げ」という、お餅の耳の部分を乾燥して揚げたものも出したが、自分で言うのもなんだが、メチャうまい。
それと、我社もついに、たい肥を入れる事になって、畜産農家の方に来て頂いたが、やっぱり「あんちゃん、こりゃ、たい肥どうやってまくの?」
てな、感じで、たんぼが狭すぎて、ダンプが入れず、適当に置いてもらった。来週みんなでまいてみようと思うがうまくいくかどうか。


1997年3月21日

ようやく、苗用の箱に土が詰まった。全部で1万3千箱詰めたことになる。そして、いよいよ種まきだが、左の写真が5キロづつの袋に入れて水につけてあるもの。
品種別に、色分けしているが、ここで間違えると悲惨なことになる。苗を、見た目で判別するのは不可能。間違えると、シマシマ模様の芸術的なたんぼになり、世間の嘲笑をずーと浴びることになる。
右の、写真は、芽を出す機械で、この泡風呂みたいな機械で芽を少し出して、種まきをする。





1997年3月20日

午前中から、夕方にかけて、利用権設定の書類と軽油免税の書類に必要なハンコをもらいに回っていた。
この前から、役場と農協さんから矢のような催促で、結構ナーバスになっていた代物で、やっと出来た。つくづく思うがこういう書類関係の仕事をしている人は本当に凄い。
私など、見ただけで血圧が上がる気がする。この軽油免税というのは、本来道路を走らないトラクタやコンバインに使う軽油から税金分をひいてもらうものであるが、敵もさる者毎年、条件が厳しくなってきた。
これで、うちだと10万円くらい違うかもしれないので、社長の仕事だと思って、祭日にもかかわらずがんばってみた。


1997年3月19日

ようやく、大変なあぜ塗りも終了した。明日は、村の用水の泥あげである。毎年、用水にたまった泥をあげるのであるが、最近は農家数も減ってこれも大変な作業になってしまった。
農業で、一番大切な仕事は実はこういう地味な仕事が多く、この作業で何千年も米を作ることが出来たのである。
しかし、3月は天気が良くて仕事がはかどった。この調子で4月も頼みたい。


1997年3月17日

昼に、地元のFMに出演した。毎週、誰かを紹介しながら進む番組で、今回はバイクレースの話しで呼ばれた。
何回も出演しているので、だいぶ慣れてきたが、毎回気合を入れて話しをしている。この歳でバイクレースをしているというのは病気としか言いようがないが、最近は宮本武蔵の心境になってきている。
経営者として、必要なことがレースの中には散りばめられている。一番のポイントは「自分を信じる事」「相手を信じる事」が出来るかにかかっている。もしこれが出来ないと、レースは危なくて出来ない。
昨晩、アグリネットワークの役員会で、ホームページの開設が決定した。近日中に立ち上げる事が出来るだろう。乞うご期待。


1997年3月16日

朝から、利用権設定の書類にハンコをもらいに、走りまわっていた。これは、昔で言う小作の権利を、法律によって現代的にしたもので、一定期間の契約に基づいて地主さんから田んぼを借りる事が出来る。
しかし、これもいわゆる「農業振興区域」という所でしか使えず、「市街化区域」では契約が出来ず、「ヤミ小作」ということになる。
どうも、農林水産省と建設省は仲が悪く、国民の利益とはまったく反対の行動しているように見える。都市部でも、水田は存在するし、農村地域でも建物は存在する。
まあ、それはさておき、この利用権を設定する事によって、農地を合法的に借りる事が出来、色々なメリットがある。
あと、朝、もう一台のPC486の方を立ち上げたら、モニターが壊れていた。ショック!結局、修理に持っていった。これがないと、販売伝票が出ない。


1997年3月15日

一日中、机の前でエベレストのような書類の山を、ひたすら崩していた。ここの所、天気が良かったので、色々な物が溜まってしまった。
ほとんど、ごみ箱行きだが、どうしても提出しなくてはならない書類を書いていたりで、今晩も遅くなりそう。
せっかくの土曜の晩で、子供も何処かへ連れてってと暴れていたが、そうもいかない。
そうそう、昨日は、厚生年金、社会保険に入った、我社にとっては記念すべき日だった。恥ずかしいが、今まで入れなかったが、思い切って切り替えてしまった。
「年金なんか、自分達が歳をとったらもらえないよ。」と言う方もいるが、もらおうと思ってかけるのではなく、今の方々に与える為にかけると思っています。


1997年3月13日

今日も、ハウスのビニル張りをしたが、10年に一度位の穏やかな日の作業になった。おかげで、日焼けで顔が痛い。ハウスのビニルの照り返しで両面焼きになってしまう。
昨晩、PTAの会合があり出かけた。今年から、副会長だが、うちの子はまだ一年生、来年がやっと2年生である。小学校が当社の前にあるので、暇そうに作業をしているのが見えるので白羽の矢が刺さってしまった。
だいたい、専業農家は、地域の消防、PTA、町会役員、とボランテアが多い。私も、多いが最近は断らないようにしている。断っても無理な場合は、断るというマイナスのエネルギーを使うのが無駄だと思うからである。
自分の回りをプラスのエネルギーで満たしていると、不思議と人生は楽しくなると思っています。


1997年3月12日

今日は、天気が良かったのでビニルハウスを張った。当社には、5、4m×40mが7棟、32mが7棟がある。今日は、40mを7棟張ったが、風が強くて四苦八苦した。
春先は風の強い日が多く、たいがいみんなで、「あっちがまくれた。こっちがまくれた。」と大騒ぎで張る事になる。左の写真は、「ラクハリ君」というジュラルミン製のそりを付けて、引っ張っているところ。「ラクハリ(楽張り)君」というふざけた名前にしては重宝している。ビニルの張るスピードが全然違う。
ビニルを張ったままの農家も多いが、台風シーズン、積雪時に気を使うのがいやで、面倒だけど外している。それと、ビニルハウスと言っているが、実はPOと言ってポリの一種で、燃やしても有毒な塩化ガスが出ないものを使用している。





1997年3月11日

昨晩、遅く帰ったが、さっそく朝から、農業法人協会の役員会というのがあって、農業試験場まで出かけた。
まあ、この時期は忙しいのは仕方がない。今日、種もみを袋に入れて水に浸けた。芽を出す前に2週間ほど水を吸わせてあげる必要があるからだ。5キロの網の袋に入れてビニル製のプールに入れる。
全部で300袋位。この時、種子消毒と言って農薬を使う。かなり、農薬の使用量は減ったが、種から苗の段階の消毒は、やはり恐くて省いていない。
全部で15000箱の苗のうち、10000箱位が、予約のお客様用なので失敗は許されない。でも何かエコロジーな方法はないものか模索している。


1997年3月10日

夜中ですが、今、勉強会から帰ってきた。毎月、経営コンサルタントの先生を囲んで色々な勉強をしている。みんなの、色々な経営計画に対して容赦ない攻撃があって楽しい。
毎回、みんなで色々な物を持ち寄るが、私は今回8年前にありがたくも頂いた?「不渡り手形」を持参した。合計4枚で1500万円分ある。
当時は、それでお金になると思っていたのだから、メデタイ。あの時は、ほんとに危なかった。でも、まだバブル前でなんとかなったが、今やられると一たまりもない。
そこで、みんなに恥じを忍んで見せたが、やはり本物は違うようで、くぎ付けになって見ていた。これで、少しは手形の怖さを認識してもらっただろうから、少なくとも我々の中からはミスをする人はでないだろう。


1997年3月8日

あぐらぐちのバックナンバーを作ったので、少しは見やすくなったと思います。毎日の、あぜ塗りで非常に疲れてきた。明日は、一応日曜日なのだが見学の方の予定や、子供がドラエモンを見たいと暴れているので結局は休めないだろう。
実は、ここ北陸は田植えが早く、5月初めには終わってしまうので、3月、4月が農繁期になります。全国的には、6月田植えの地区も多く、3月はまだまだ暇な月のようです。
このズレが結構、3月に色々な予定が入って忙しさを倍増している原因でもあると思っています。
話しは、まったく変わるが、今来ているバイト君達は、自動車教習所に通っているのだが、28万円もかかるようで、自分の子供の時は私が教えた方が安くなりそう。ちなみに、私の時は10万7000円、おまけに学割も効いて安かった。


1997年3月6日

昨日から、あぜ塗りをしている。農作業の中でも一位、二位を争うつらい仕事である。日本一、楽な農作業をしている農業法人と自負しているが、さすがにこれはしんどい。
しかし、全部が手でするわけでなくトラクタにあぜ塗機を付けてある程度は出来る。しかし、トラクタの長さ分は必ず残るし、機械では出来ない所もある。しかも、当社の水田は400区画程あるので掛ける4で1600の角の処理が必要になる。
しかも、このあぜ塗りで田起こしでトラクタの刃が届かない所もついでに耕すので、ますます大変なのである。
しかし、このあぜ塗り作業で水漏れ防止、高低差の補正、用水の補修と色々な効果がある。しかし、今日はちょっと腰が痛い、、、。





1997年3月4日

これが、土詰め機。一時間に1100箱詰めることが出来る。改造して、約3倍以上はスピードを上げてある。ほとんどの、農機具がなんらかの改造が施されている。
改造しないと、プロのスピードにならないのと、本当のプロ用と銘打った農機具は高いのと、過剰装備でうまくない。結局、自分で改造する事になる。
ほとんどの改造は、私の弟がやっており、はっきりと経営と設備で私と分担を分けている。私が、触ると壊すので「触るな」と言われている。
今日、突然あのサカタニ農産の御一行様が店にお出でて、びっくりした。別の用事で近くを通ったそうだが、光栄なことである。





1997年3月3日

今日は、忙しい日だった。かきもちの配達、あぜ塗り、苗箱に土入れ、そして、社会保険事務所で厚生年金と社会保険の手続きがあった。
当社は、恥ずかしながら長い間、国民年金と国民健康保険で、厚生年金はずーと懸案だったが、ついに今年たっと、念願の切替えをした。
経費的には、つらいが今年新しい社員が入るのをキッカケに思い切ってみた。裏を返せば、補助金なしの経営がいかに難しいかという事になるが、それも言い訳に過ぎない。
これで、言い訳が一つ減ってスッキリした。


1997年3月1日

かきもちの配達を、2チームで120軒程した。宅配便の方の苦労が良く分かる。
呼鈴を鳴らしても出てこられないお客さん、注文したのを忘れているお客さん、しかし、自分で配達をするからこそ得られる情報も多く、次の販売戦略に生かす事が出来る。
それと案外、町内の道も知っているようで知らない。意外なお店を発見したり、抜け道を見つけたり。そして、消防の出動の時もすごく役にたつことが多い。
みなさんも、たまには違う道を通って、会社に通うのもいいかもしれない。





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