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あぐらぐち物語 1997年05月分





1997年5月31日

カイロプラテイックに、行ってきた。必殺仕事人の様に、ボキッボキッとやってもらった。首もまるでエクソシストの映画の様に、グルリングルリンと回された。
先のレントゲン写真でも、明らかに背骨がアッチコッチを向いていたので、だいぶ揃ってきた。今日は、コルセットも外していいと言われたので、今は何もしていない。
朝から、今度の青年塾での読書感想の発表の材料の仕入れと、練習に費やして、全然仕事をしていない。やはり、練習しないと、まったくお話にならない。どうして、普通に話が出来なくなるのだろう
みんなに、普通に話せと、ボロクソに言われ原稿の修正の嵐だった。あと、発表の題目が二つもある。どうしよう。


1997年5月30日

除草剤の散布終了。昔は、この薬も3倍の重さがあって、散布も重労働だったが、今はだいぶ軽くなった。写真のように、20メートルの穴あきビニルホースを、田んぼの両側で引っ張って散布する。
この散布作業には、絶対に身内とペアを組んではならないという掟がある。まず、エンジン音がうるさくて、声が届かないので、身振り手振りになるのだが、どうしても身内だと、伝わらないと、すぐに腹が立ってくる。おまけに、重いし、臭いしで、結局、田んぼで怒鳴り合いになる。昔は、良くそんな風景を、見たものだ。
他人だと、あきらめがついて、落ち着いて作業が出来る。最近は、ほとんど薬を撒かないが、昔は、のべつまくなし散布していた。田植え後に、肥料、虫の薬、除草剤、病気の予防剤、殺菌剤、殺虫剤、倒伏防止剤、etc。除草剤も、3種類ぐらいあったし、その他の薬も、2回から3回は散布を義務付けられていた。
やはり、化学肥料の大量投入は、薬漬けになってしまうのだろう。それに、その事になんの疑問も持たなかった、農家の無知も原因だった。かつて、何も農薬がなかった頃は、「おしん」の様に、嫁をこき使って草取りをさせた時代があった。虫の大群に襲われて、なすすべもなく、稲を枯らした事もあった。その、恐怖感が、過剰な薬の散布につながったのだと思う。
右の写真は、我社の動力散布機だが、すでに10年近く使用。フレームは一度折れて、二つ目だ。





1997年5月29日

1回目の田植えの分の除草剤散布が終了した。はたして体が言うことをきくか心配だったが、なんとかなった。
1年に1回あるかないかの、無風の日で、薬の散布には最適の日だった。


1997年5月28日

田植え終了。ようやく、今年の田植えが終わって、ホッとしている。栄光と挫折の日々だったような気がする。相変わらず、腰が痛いが、今日、医者に見せたら、折れた背骨は全然痛くなくて、腰が痛い事が判明した。
レントゲンを見ても、背骨が、アッチコッチ向いているような気がする。また、リハビリの日々が続くと思うと、少しブルーである。
今年は、少し低温傾向にあるので、作柄が心配である。特に、直撒きが全然、芽が出てない。大丈夫だろうか。


1997年5月27日

田植え再開。今日は、人手が少ないので、一人で田植え機の下仕事をしたが、きつかった。あと、9枚だが、宅地造成された変形田である。変形田は、後で除草剤を散布するのが難しいので、今回、「田植え同時除草剤散布装置」その名も「まきちゃん」をテストする。
これだけ、田んぼが多いと、田植え後どうしても除草剤の散布が遅れる。遅れると、散布量が多くなる。このジレンマを一気に解決しようというものだ。ただ、苗も一緒に枯れないかが心配。今年は、田んぼでは殺菌殺虫剤は散布しない予定なので、あとはこの除草をなんとかすれば、もっと地球に優しい農業が出来る。
しかし、年配の方は、さんざん夏の暑い時に草取りをさせられたので、除草剤を減らすというのは、非常に抵抗がある。私からすれば、そこまでしなくてもいいのにと思う位、除草剤を撒いている。ほとんど、草を憎んでいると言う感じだ。
毎日、いい方法はないか、レーダーを張り巡らしている。アイガモ作戦は、失敗したが、紙を田んぼにしいて、苗を植えたり、直撒きをしたりというのが、最近注目している。これだと、完全無農薬も可能だ。しかし、紙も結局は紙パルプから作られるから、果たして資源の節約になるのだろうか。悩みは尽きない。


1997年5月26日

善光寺行きの、母の分も水回りをしたので朝晩、結構時間がかかって、あまり休息と言うわけにはいかなかったが、まったく何もしない休日であった。
昨晩、日曜返上で来てくれた、ボーイズの為に、ラーメン食い放題に行った。死ぬほど食っても、そんなに腹に入るものでないが、やはり感謝の気持ちを表わしたかった。
食べて、帰ってきた後の、たわいもない会話が楽しいのが、林農産の特徴で、昨晩も結局全員帰ったのは、9時近かったと思う。一見、無駄な様で、無駄でない時間で、普段仕事で効率ばかり追求しているのでバランスが必要だ。
ちなみに、ラーメンに関しては、無制限である。


1997年5月25日

2回目の、田植えコシヒカリが終了。あとは、カグラモチを3ヘクタール程である。明日は、スーパーレデイースの皆様が、善光寺参りで会社も、お休みにした。
さすがに、田植え機に乗るのは、きついので中村君に全てを託した。任せるというのも、結構大変だが、経験を一つ一つ積み上げないと、いつまで経っても一人前にならないので、ここはあえて任せてしまう。もちろん、責任は私にある。
田んぼでは、別に多少ミスをしようが良いが、一旦、道路に出ると、ミスは許されないので、その点だけが注意だ。


1997年5月23日

直撒きをした。ギャラリーも結構いる中、まずゴルフボールの登場である。なぜ、ゴルフボールかというと、1メートルの高さから、落としてめり込みかたで、播種に適当か判断するのである。これぐらいだと、「やや柔らかい」である。
今回、使用球は、ダンロップDDHだが、ダブルデインプルも良さそうである。サンドウエッジで、脇を締めて畦から、打つ。まず、ゴルフの練習からしなくてはならない。
撒きかたは、溝を付けた所に、種を落とすだけ。そこに、微妙に土砂崩れ状に、土がかぶるのであるが、その土のかぶり具合が、勝負の分かれ目である。1ミリから5ミリ、出来るだけ薄い方がいい。雑草との競争と、鴨との戦いに勝つには、出来るだけ早く育たなくてならないが、厚く土がかぶると、致命的である。
芽が出た時には、回りが雑草だらけでは、あとが大変なのである。





1997年5月22日

今日も、雨。雨が降ると、最近は田んぼが減って、降った雨が全部、用水に流れ込む。すると、すぐに溢れるので、小さな水門は閉めてしまう。最近は、上流の宅地化が進んで顕著である。
代掻きをしていると、何処からともなく、野鳥が集まって、浮いた虫を食べはじめる。ウミネコ、トンビ、カラス、ツバメ、ムクドリ、コサギ、それも大群で来て至近距離を飛ぶので、見ていてあきない。


1997年5月21日

天気が、悪いが、代掻きをした。我々は、基本的には、地域外の人間なので色々、気を使っている。ところが、雨が降ると、農道がぬかるんで、大型のトラクターや、軽トラックで、傷ましてしまうのである。
なるべく、車を入れないようにしてはいるのだが、どうしても傷んでしまう。結構、こういうところで、会社の評価が決まるので、気を付けたい点である。
あと、雨が降って、寒いと水を田んぼに張って、苗を守ってやるのだが、雨が降ると、逆に用水が停水してしまう。晴れると、水が来て、雨が降ると止まるという、逆の現象が起きて困っている。
なぜ、そうなるかは、また明日。


1997年5月20日

今日は、雷雨のひどい天気だったが、代掻きを強行した。それと、今度の直撒き用の種の下準備に近くの、県立農業短大に出かけた。
直撒きと言っても、種をそのまま撒いても、うまく発芽しない。少し、発芽した種に、過酸化カルシュウムつまり、石灰みたいな物を、種の倍くらいまぶしてあげなければならない。
通称、「カルパー」というこの粉は、種に酸素を供給して発芽を助けるらしい。このカルパーを水を撒きながら、ミキサーでまぶしていく。この、ミキサーが高いので、短大の先生にお願いして、やってもらっている。私のわがままに、付き合ってくれる優しい方である。おまけに、この作業中、私のおしゃべりにも付き合うので大変である。
左が、カルパーの粉を入れているところ、右が種もみと、出来上がった直撒き用種。大きさが、だいぶ違うのが、分かるだろう。今度は、これを撒くのが微妙な技がいるのである。





1997年5月19日

骨折していた。今日、ついに整形外科でCTスキャンで見てもらったら、背骨が骨折していた。病名は骨折だが、実は「ヒビ」である。
4年前の、アバラ骨折の際に傷めた背骨の突起の裏側だったので、そこだけ衝撃が逃げずに、ヒビが入ったのだと思う。
しかし、骨折と聞いて、心はハレバレである。なんだか、痛いけど、どっか神経を傷めたのでは、いや、筋肉の断裂ではと、疑心暗鬼になりつつあったところである。
骨折なら、治る。確実に治すことが出来る。しかし、、今日から代かき作業が始まって、トラクターに乗っている。今晩から、あのCTの写真をイメージして、「気」を送って、治そうと思っている。
明日、直撒(じかまき)と言って、種を直接撒く、田植えの準備をデジカメで撮るのに、先日の筑波の写真を出した。左が、私のピットクルー、北林君(左)横山君である。今回の転倒で一番心配して苦労をかけたのも彼らである。
右が、スタート1分前の集中力を高めている所。明日は、直撒きの種の準備の写真の予定。





1997年5月18日

朝、体を「痛くないモード」に設定して、久々に水回りに出かけた。帰って来たら、「半泣きモード」に変更されていた。
しかし、私のせいで仕事が遅れているので、中村君や、弟には済まないが、休日出勤である。「半泣きモード」のまま、トラクターに乗った。
まあ、なんとか乗れるが、半分は中村君と交代でやった。歩くのは、支障がないが、座ると痛い。
寝ているだけなので結構、本を読んだ。世の中、へんな人も増えたが、世直しの人も増えてきていると感じる。バブルの時は、金もうけの本ばかりだったが、今は、違う本も多い。
そして、その本の多数は、妻からの推薦図書である。自分で選ぶと、好みに走るので、逆に、客観的に読めて非常にいい。それに、会話の足しにもなる。その本も、最近は通販物が増えて来た。田舎の本屋では、いい本を探すのは大変だ。


1997年5月17日

まだ、腰が痛いがそうも言ってられない状況になってきた。整体に行って、ボキボキしてきて、少し楽になった。
1週間も、ボーとするのは滅多なことがない限りないので、読書に励んでいる。それと、回りの人が、心配してくれるので、つくづく、私の回りの人間は優しい人が多いと気付いた。
毎日、痛いところに、「気」を送って、「治るんだ!」と言い聞かせている。脳みその方も、ペンテイアム200まで上げて、体の各オプションのドライバーも、再インストールしつつある。
あとは、チェックデイスクをかけて、修復していくのみである。


1997年5月15日

ここ3日ほど、無理をしたら、痛くなってしまった。本当は、事務所に来るのも良くないのだが、HPだけはと思い来ている。
春作業の請求をかけようとしたら、消費税の変更に、もたもたしている。プログラム一括変更も、いいのだが、結局手作業でやることになった。


1997年5月14日

昨晩、東京から帰ってきたが、一つだけ心の整理がついた気がする。あんまり、ブルーな事をHPに載せることには迷いもあったが、やはり本当の日記でないと、意味がないと思い載せました。
体の方は、ちょっと無理をしたので痛い。しかし、情け容赦無い、ファックスの山と電話の嵐で、なんとか机に向かっている。
現在、2回目の田植えに向けて、荒起こしをやっているが、今日はひどい天気なので、機械整備を、男達はやっている。スーパースーパーレデイースは、全天候型なので、関係なく補埴に出かけてくれている。
みんな、仕方ない社長だと思っているが、口に出さずにかんばってくれている、というのは嘘で、ガンガン言われている。その方が、こっちは楽でいい。


1997年5月12日

昨日のレースで転倒した。全身打撲で、体中が痛いが、けがはしていない。
さらに、この転倒に関連して、一人のライダーが亡くなられた。明日、東京までお葬式に行くことにした。
レーサーの宿命とは言え、あまりにハードな結末だった。何気なく毎日生きていることの、幸せを感じざるをえない


1997年5月10日

朝から、PTAのバザー用のさつまいも植えがあった。つい、見栄を張ってがんばってしまう。腰にまだ違和感がある。
その後、すぐに着替えて、マシンの最終チェックに手取りダムまで、走った。とりあえず、異常なしで、保安部品を外し、オイルのキャッチタンク等を取り付けて、最後にゼッケンをつけて完成である。今回は18番。
新車のデビュー戦なので、軽くいきたいが、必ずトラブルが起きるので、覚悟している。本当は、サーキットでマシンチェックをすると、色々な事が分かるのだが、長い人生慌てても仕方ない。1回1回の集中力が勝負だ。
「もう一人の、私が目覚める。」という感じだ。


1997年5月9日

田植え終了。この開放感がたまらない。起承転結、ハッキリしている。残った苗を、補植と言って、機械で植えれなかった所を手で植える為に少しづつ田んぼに配った。さらに残った苗を、あぜの壊れた所の補修に使ったりしてハウスの中を空にした。
明日から、2連休だが、私は公私共、予定が詰まっている。なんと、明日の晩からレースに行くのだがテレビクルーもついてくるそうだ。


1997年5月8日

春の嵐が昨晩から吹き荒れて、苗箱が飛び散って、作業場の回りが大変だった。結局、午前中ビニルハウスの回りを片付けて、午後からお休み。
ところが、お店に玄米の袋(30キロ)を運んでいたら、腰が少し「ギクッ」となってしまった。いつも、かなり気を付けていたが、またやってしまった。
8年前に、ひどいギックリ腰をして以来、毎年、何回か腰痛になってしまう。3年前にカイロプラテックに通ってだいぶ良くなって、以前ほど、ひどいのは最近はなっていない。
しかし、基本は正しい作業姿勢と、毎日のストレッチ。骨は、9ヶ月でまったく入れ替わるので、その場限りの、整体ではだめなのである。
バイクの方は、ようやく詰めに入った。左が、改造後だが、今回はカラーリングが目立つ位。この、黄色いマシンカラーは私のレースカラーで、もう14年前から使っている。
14年も、続けるともう伝説になってくる。





1997年5月7日

暑い日だった。30度くらいあったのではないか。もう、夕方にはバテバテ。中村君に運転を代わってもらったが、芸術的に、植えられてしまった。
そのうち、まっすぐに植えれるようになるだろう。頭の、メモリがすでに50%がレース向けに使われはじめている。細かい、詰めがまだなのと、なによりバイクに乗りたい。
いきなり、田植え機から200キロの世界はさすがにキツイものがある。今晩もPTAの役員会でつぶれて何も出来ない。少し焦って来た。


1997年5月6日

やはり「スーパースーパーレデイース」の皆さんは違った。1800箱の苗をハウスに入れるのに今日の人数だと半日は覚悟していたが、2時間ほどで終了してしまった。感謝感激である。
おかげで、今度の土日を休める目途がついた。今度の日曜は、筑波でレースなので連休は助かる。みんなも、昨日の取材が効いたのか、今日グッタリ気味で、追い討ちをかけるように、フェーン現象で朝8時で27度もあった。


1997年5月5日

今日から、田んぼの水管理を私も始めた。今までは、母がやっていたが、ハウスの苗が無くなると、シンクロして私の受け持ち地区が増える。
大体、3人で200筆ほど受け持つ。残り150筆は、田んぼの持ち主にお願いしている。夕方、水が暖かいうちに入水、早朝、止水という日々が稲刈り直前まで続く。
午後から、テレビ局の取材があり、昨日の練習どうり最速の苗補給の技を披露した。明日から、バイトさんがまったくいなくなり、代わりにスーパーレデイースと呼ばれる、農家の奥様方が来る。
その中でも、我々がSSと呼ぶ、「スーパースーパーレデイース」の方々である。文字どうり最強である。何が、最強かは、想像にまかせます。


1997年5月4日

昨晩の焼き肉パワーで、田植えのみのお客様の分が終了。あとは、当社が全部管理している田んぼのみになった。やはり、田植えだけにお邪魔するのは気を使う。その家々の流儀もあって、それに合わさなくてはならない。
どうも、私のこの日記は、誤字脱字が多いらしい。これでも校正しているのだが、仕事の後はさすがに集中力が落ちてるみたいだ。
昨日から、当社の女性デザイナーが、田植えをしたいと言って、泊り込みで来ている。やはり、パンフレットを造るにも体験が必要だ。「口で言って分からない奴は、体で分からせろ」が社訓の一つである。
明日、テレビ局が来るので、苗補給の練習をした。最速の技を撮ってもらおう。


1997年5月3日

今日は、なんと電線を切ってしまった。中村君にフォークリフトを運転してもらったら、上に気が付かず切ってしまった。火花が散って綺麗だった。しかし、200ボルトの大きい方もあったが、それは切れなくて良かった。
そんな、かんやで種まきをしたが、なんとか終了。中締めということで、今夜はバイト君達を連れて焼き肉を食べに行く。総勢12名と子供2人の大所帯である。
林農産の掟で、内臓系それも胃袋から下と決まっている。筋肉系は禁止である。ビールはのみ放題である。


1997年5月2日

昨日で、切れてしまって今日はのんびりやった。弟が携帯電話を落として、それがちゃんと拾われて戻ったという事件以外は、なんとかなった。
我社は、兄弟の経営であるが、私と弟はまったく性格が逆で、経営者診断をしても性格診断をしてもまったく逆になる。主に、機械の担当だが、もし彼がメンテナンスしてなかったら、おそらく仕事が前に進まないだろう。
明日は、2回目の田植えの種まきである。昔は、考えられなかったが、常識と思われてきたことが、単なる思い込みであったことの一つであろう。
それと、今日は浜松から手伝いに来てくれた物好きがいた。舞鶴にもいるし、去年は東京から二人来た。有り難いことである。


1997年5月1日

今日は、散々な日だった。田植えのお客様の所をまわって植えているのだが、弟の田植え機のベルトが切れてストップ、と同時に私のチームの苗を積んだトラックがパンク。おまけに、私が受け持った田んぼへの移動が実に危険な所で神経をすり減らしてしまった。
大体、「あー、今日は、ダメな日だな。」というのは、年に何回かある。こういう時に、もがくとさらにキズを深めるので、サッとトラブルモードに切り替える。ペースを落として、早く切り上げる。長い間の知恵である。
明日になれば、また別の風が吹くのである。所で、田植え機のベルトはなんと7日でないと手に入らないと言われて、それでは困ると頼んだら、農協の他の方のベルトを外して直してくれた。こんな、農協あんまりないだろうと思う。ベルトも完全に切れるとまったく立ち往生なので、その前に気付く事が肝心。
目、耳、鼻、そして第六感を研ぎ澄ましていないと、農業機械は扱えない。





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