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あぐらぐち物語 1998年2月分


1998年2月28日

NECでの講演は、少し最後息切れしたけどうまくいったと思う。とにかく、本社ビルスーパータワー は、その名のとおりスッゴイスーパーで、43階建てで入り口に受付嬢が8人もいてメチャメチャ警備 員がいて、吹き抜けで十なん階もあって、完全に圧倒されてしまった。しかし、愛用の黄緑色のツナギ に着替えて、警備員の冷たい目にさらされながら1階から27階の会場までその格好で歩いた。
その後、皆さんと飲んだがどうも調子が悪い。そうこうしているうちに、ホテルに帰ったがシンドクて 寝れず、結局朝方吐きまくってしまった。なんとか家にたどり着いたが、そのままダウン。ところが、 例のラジオの話し合いが今からあるので、起きてきた。まあ、知恵熱だと思うが、やはり東京の巨大ビ ルは「気」を異常に消耗したのだと思う。でも、いい人ばかりで良かった。そんな中でも、みんながん ばっているんだろうなあ。


1998年2月26日

ようやく、エクセルのファイルが役場でも開けたが、もっとややこしい問題が山ほど噴出した。ここで 書くには難し過ぎるが、要するに今までのシステムは歪んでいたが、なんとか機能していた。新しい システムが出来たので当てはめてみると、バグだらけだったということか。私は転作をしたいと言って いるのに、切り刻まれている感じである。少し、ため息が出る事態である。救いは、役場も農協も担当 者が誠心誠意、なんとかしようとしている点だけである。
そして午前中、新潟から見学の方々がお出でたが、なかなか熱心に聞いてくれて良かった。やはり、相 づちを打ってくれると話しやすい。しかし、最近スランプである。30分も話せばネタが切れるのであ る。質疑応答形式で逃げてはいるが、明日のNECの講演はそうも行かないので、午後はネタ帳を作っ た。これで、うまく行くはずである。


1998年2月25日

朝、少し苗の箱に土を詰めてからは、今年の作付け計画をパソコンでやっていた。何といっても転作を 100%達成するためには、綿密な計算が必要である。我が社で預かる田んぼの多くは、市街地にあり、 本来受けれる農政の恩典からは外れている。恩典の一つに利用権設定というものがあり、お客様とそれ で契約すると、その田んぼの管理が転作も含めて一括して出来る。それだと、単純に転作率分だけ大豆 を作ればいいが、それが出来ないので、一人一人の転作割り当て面積を調べ、さらに畑等で転作をすで にしている分を引いて、始めて林農産の転作すべき面積が割り出される。しかし、そんなお客様も70 名を超しさらに、ややこしい問題、例えば転作割り当ては所有者の市町村に割り当てられるので、不在 地主の場合は、お手上げになってしまう。さらに、大豆の作付けの適不適や、稲の品種の構成等々、脳 みそが、沸騰しそうである。
しかし、世の中進んで来て、役場にWindows95が導入されデータだけを持っていって、そこで 調整が出来るようになった。ルンルンと役場に行って、開くと、なんとエラーメッセージ。そう、バー ジョンが古いエクセルだったのである。やむなく、明日もう一度やり直しである。世の中、そう甘くな い。


1998年2月24日

昨晩の会合は案の定欠席者が多かった。しかし、基本構想案は、だれが考えたのかよく出来ていた。最 初から、これを書いた優秀な方が議論に入るべきだったように思う。広い層から集めたといえば聞こえ はいいが、あまり社会的に口を鍛えてない方もおられるのでは、ちゃんとした見識を持った人は来なく なる。とにかく、あと一回。私にとっては行くこと自体が修行なので、それはそれでいいと最近思って いる。
午前中、米の在庫をライスセンターから移動して、苗の作業が出来るように段取りした。まだまだ、米 の在庫は多い。特に、ほほほの穂という品種が余ってしまった。やはり、おいしいかおいしくないかは、 デジタルに表れる。午後は、岡山県のノートルダム誠心女学院(間違っていたらゴメン)の女子大生が 、カキモチの調査に来た。なんでも、ゼミで金沢のイリ菓子を研究していて、カキモチも調査するそう である。色々な方が調査に来たが、今回は異色だった。そしてこれから、スパークという異業種交流会 と懇親会がある。実は、その前にぶった農産でラジオの打ち合わせがあるのだが、とても行けそうにな い。ちょっと、活躍過ぎだな。こりゃ。


1998年2月23日

昨日は、珍しく家族サービスで白峰温泉スキー場に行った。ここには、去年からUターンでデザイナー をしている友人がいるので、彼とその家族に会いに行くのも目的だった。子供たちは、オリンピックの 影響で、ウインタースポーツをしたがっていたので、スキー場でのソリ遊びは本当に楽しそうだった。 我々夫婦も久しぶりに童心に帰って遊んだ。極めつけは、リフトで上まで上がって長男とソリで直滑 降するものだった。必死にブレーキを掛けるが全然スピードが落ちず雪が顔にかかって痛かった。大笑 いしていたら、なんと妻と下の子がリフトで上がっていくではないか。ヤメロといって手を振ったら、 あっちも勘違いして手を振り返してきた。そして、滑り降りたが、案の定途中でコケタ。本当に恐いも の知らずとはこの事だ。ちなみに、スキー場はすいていて、プライベートゲレンデ状態だった。
今日は、朝からカキモチの干したのを降ろした。昼食時に会議が役場であって午後に全国農業新聞の記 者の方の農産加工についての取材があった。最近の農産加工は、米が売れないからするという傾向があ るが、それは危険だよと話した。農産加工品の方が売るのは難しいのである。あとは、志高い新聞 記者とは?という関係ない話をしていた。さらに、これから新庁舎構想委員会というのがあるけど、あん まり最近行きたいとは思えないので、どうしようかと思っている。なんだか、ただ集めて「やりました 」という為だけの委員会のように思えて仕方がない。


1998年2月21日

川北町で「ふるさと石川21世紀フォーラム」というので「農山村の風土を生かした地域づくり」とい うテーマで、パネルデイスカッションをした。今回は、あまりバタフライナイフを振り回さずに済んだ かなと思う。助言者の東大農学部の進士先生という方が、色々フォローの意見を言っていただき助かっ た。こう言っては失礼だが、大学教授には珍しく農業について本質のところが分かっていただいている と感じた。おまけに、「味人めぐり」を称して、「このような物を作ることが、農村を変えるのですよ」 とまで言ってくれて、涙ものであった。


1998年2月20日

お昼に、野々市町の農業委員会の幹部と昼食しながらの、田んぼの賃借料金について協議した。今年 は、とも補償や、なんとか安定化事業やらなんやらで複雑すぎてサッパリ分からないので、現行通りで お願いした。最近は、このような昼食時の会議をお願いしている。そうすれば、仕事にも差し支えない し一食浮く?ので助かる。
そうまでして夜を空けたのは、実は今日が我が夫婦の10年目の結婚記念日なのである。スイートダイ アモンドは買えないが、花束と語らいがあればいいと思い、おとなしく家にいることにした。もうひと つに、妻が昨日から風邪で寝ているのでそうぜざるを得ない。今度、東京で講演があるので久しぶり に二人で行こうと思う。それをもって、プレゼントにかえさせてもらうつもりだ。ダイアモンドの方が 安かったかも。


1998年2月19日

昨晩の青年団への講演は、やはり身内だったのでやりにくかったが、質疑応答形式にしたので、なんと か盛り上がった。そのあと、補習と称してもらった謝礼で、みんなと飲んだ。そちらの方が盛り上がっ たのは当然だろう。
今日の午前中は、富山から20名ほどの、農産加工をされている女性達が見学に来たが、話も良く聞い てくれるし、よく笑うし、おまけに我が社の商品も沢山買ってもらったので、すごく良かった。やはり 、女性と男性とではこうも違うものか。午後は、苗箱を倉庫から出したり、もちつきがあったりで走り 回っていた。しかも、夜は消防のハシゴ練習と、「味人めぐり」の緊急役員会がある。どうも、増刷に なりそうだが、返本もコワイ気がする。まあ、腐るものでないので、なんとかなるか。


1998年2月18日

脳みその筋肉痛状態が、続いている。声も枯れたままだし100%には、程遠い。おまけに、転作の問 題でややこしい作業が山と控えているが、集中力が出ない。その上、昨晩遅くまで、なんと我々石川県 青年農業会議所で、FMの30分番組を1年間持とうという話合いがあった。問題は電波が野々市町に 限定されている点、50回の番組編成をしなくてはならない点、費用が150万円をどうするかの点。 で、激しい議論があったが、やはり問題は継続力だろうと私は思う。この日記などでその難しさを知っ ているだけに、厳しい事を言わざるを得ない。しかし、前回のガットウルグアイラウンドのマスコミ報 道を見ても分かるが、正確に通じているとは思わない。農業者自身が発信する訓練が必要だ。
今晩は、地元の青年団で講演会がある。普段、会っている人に話すのはなんとなく妙な気がする。


1998年2月17日

今日から、床土を取りに行き始めたが、このような日に限って雪が降った。今日は塾生に出発式のあと の手紙を全員に書いているうちに夜になってしまった。明日から、真面目に仕事をしよう。


1998年2月16日

昨日は、なんと雪が横殴りの中、マリーンルージュという船で出発式をした。本当は、ベイブリッジの 下を通っているはずだが、さっぱり分からなかった。我々の前途を、物語るような、すごい大荒れの出 発式だったが、素晴らしい会になった。卒業証書は、なんと山中塗りの盾をいただいた。この一年、素 晴らしい「志」の地図を描く勉強が出来た。高い志は、まず足元からということを、現地、現場、現物 、本人を通して実感した。
ようやく、夢のような世界から現実に戻ったような生活が、また始まる。今年は、転作が厳しく、さら に春先は、田んぼの移動変更が多く、頭を悩ますことになる。もう精も根も尽き果てているので、今日 は、良く寝て明日から、データ作りに入ろう。床土といって苗用の土も、トラックで運び込まねばなら ない。仕事は、もう春モードだ。


1998年2月14日

卒業発表が今日あったが,責任者が担当だったので非常に楽しい一日だった. とにかく会場がセキュリテイー上時間が決まっていたので痺れた.しかし自分の発表はともかく, 寸劇も,その他もうまくいって最高だった.いよいよ明日が卒業と思うと感慨深い.


1998年2月13日

もう,死にそうな位充実していて,今,深夜1時過ぎだが,デイベイトを含め全ての段取りが終了. 志ネットワークの方々が,100名程お迎えし,開始した.相変わらずすごい人達だ.明日が勝負.


1998年2月12日

早朝の電車で新横浜につき,成り行きで上甲氏のお宅におじゃました.ある種の感動があった. その後,会場へ行き準備をした.すごい設備のところで,発表が楽しみ.


1998年2月11日

朝からインターネットで死刑の検索をしている。私のデイベートの立論は、死刑によって生きる意味を 見出すことが出来るという観点から入ろうとしているが、その資料がない。いわゆる、死刑囚の手記や 手紙を探しているのだが、もう何時間もやっているが見つからない。もう、死刑や、絞首刑、法務省、 思い付く限りのワードで検索するが出てこない。大体検索ワードが、あまり爽やかでないので、やって いても気が滅入る。明日から、4日間青年塾の卒業式なのにテンションの下がる作業である。ともかく 、現場で真っ白になるのはいやだから、違う検索エンジンであたってみよう。


1998年2月10日

なにやら、今日はせわしない一日で、朝から出来るだけ青年塾や、留守中の準備をした。工場の方でも ひしもちを作ったので、その段取りもあって、あっという間に夜になった。そして集落座談会と言って 今年の転作や、農協事業についての説明会があった。予想どおり、とも補償制度はややこしくて、一度 には、分からないが初めてかなりのことが分かった。ようするに、個々の経営でよく計算しないと、こ の制度は一律にメリットはないということ。転作100%達成が大前提であることである。転作に関し ては、私は賛成派なので良いのだが、制度がややこしく、この管理に一体どれだけの税金が使われてい るか考えると気が遠くなる。売れなきゃ、生産調整するでしょう、普通。例えば、車なんか、売れなき ゃ、すぐに調整するが、米の場合はどうも他人事である。農家自身で、「それじゃあ今年は30%転作 にしようぜ」と決めれれば、その分使わなかった税金を返してもらった方が、実は得なのに、人間って 馬鹿な生き物だ。まあ、馬鹿だから面白いとも言えるが。


1998年2月9日

午前中に農業会議へ、出かけて卒論発表を練習した。局長さんまで聞いてくれて、かなり鋭い意見が出 て、変更も少しせざるを得ないだろう。去年の入塾式のプレゼンも、ここで練習してとっても上手く行 ったので、今回も真摯に意見を聞いて反映する。特に、「自分の言葉」で話してないというのが、一番 問題だろう。どうしても、原稿が気になって、棒読みになってしまう。ところが、いつもの調子で話す と時間がオーバーしてしまう。なんとか、当日まで、目星を付けたい。
今年の、稲作請負及び農作業申し込み書の送付を始めた。今年は、転作面積増加、とも保障等の新しい ことも多いので、早めに仕掛けることにした。大豆の作付けは、かなり増えそう。


1998年2月8日

一日、事務所にこもって、卒論発表の準備と練習、塾生でやる寸劇の準備をした。とにかく、人生の節 目というものがあるとすれば、今回の出発式はそうだろう。気合を入れている。
昨晩は、「みたき」というこだわりの、そば屋さんに行ってきた。総勢12名だが、そこのオヤジさんが 事細かに、年齢性別を聞いてきたそうである。時間もかなり計算していて、完璧な状態で出そうと苦労 されていた。そばも、私は知らなかったが、冷えたものが本来の味が一番でるそうである。なんだか、 大吟醸の冷やを飲むような感覚である。したがって、そばはザルそばであった。あと、そば団子、そば がき、鍋と、そばずくしだったが、どれもこれも、おいしくて最近の会合続きの私にはとってもありが たいメニューだった。しかし、子供たちも行ったので、騒がしくて集中して食べれなかったので、今度 は、こっそりと行こう。


1998年2月7日

一日、青年塾の卒論や、「味人めぐり」を知り合いの方に送ったり、今度の講演用の資料を作ったりで 、すぐに夕方になってしまった。今から、社員一同で鳥越村の「みたき」というおいしい、そば専門店 に行く。そば道楽というらしい。道楽度では、私も勝負できるかも。


1998年2月6日

昨日は、朝からアグリファンド石川の20周年記念大会があって、結局帰ったら深夜だった。司会もし たので、結構疲れた。その時に「味人めぐり」という農業情報誌の発表もあったが、これは20周年記 念誌として製作したのもで、よくある過去を振り返る記念誌ではなく、未来に向けた情報誌になってい る。37人の農家が出資してカラー2ページにわたり特徴を出して載っている。全国の書店で販売する 予定だから、ぜひ見たら買って下さい。このHPでも販売します。1冊1000円(税抜き送料別)で す。
今日は、朝からその時にお呼びした、農林漁業金融公庫総裁様と懇談会があった。WTOや農業基本法 について興味深い話をお聞きした。うーん勉強なったなあ。


1998年2月4日

昨日は、やはり帰ったら2時だった。おかげで今日は疲れて仕事にならない。午前中、健康保険証の書 き換えに行って、青年塾の卒業式の準備をして終わってしまった。
もうPTAの役員会に行かねばならないので、あんまり書けないが、中村君を強引にパソコンの前から 引きずり降ろして今書いている。明日は、借金友の会と私が呼ぶアグリファンドの総会で一日つぶれる 予定だ。


1998年2月3日

結局、ほぼ徹夜で、現場検証まで現場保存した。昼ごろ帰って来てから、すぐに県農政課長と懇談があ った。すごく勉強熱心で、びっくりした。初めてのパターンの課長さんで楽しかった。
それにしても、眠いのに、ややこしい電話が多くてまいった。少し仮眠してから、夕方から博報堂さん と懇談があるので、今急いで書いている。それにしても、一日があっという間に過ぎてしまった。今晩 は、早く帰るぞー。


1998年2月2日

昨日は、午前中少し下の子と、自転車の練習をした。面白いもので、上の子は運動神経がにぶい割には 早くから乗れたが、下の子は運動神経は良いのに、なかなか乗れない。
午後から、消防の点検日で、月に一度ポンプ車の点検放水をする。そのあと、みんなで一杯飲むのだが ハシゴの練習もして疲れて、HPの更新も出来ずに寝てしまった。ところが、今日の午後に火災出動が あり、ポンプ車を運転して現場に急行した。今回の現場は地元で、延焼の恐れありというものであった。 駆けつけると、すごい勢いで燃えている。ベストポジションに止めたはいいが、用水の水位が低くなか なか水があがらない。さらに、昼火事だと団員も少なく今回のメンバーは初心者が多かったので、胃が 痛くなった。もう火の粉が消防車に降り注ぐ状態で、ようやく放水開始。ところが、その後、水を確保 出来たのが、我々のほかあまりいなかったので、消防署のホースやらなにやら、すべての放水口にホー スが取り付けられていた。消化栓は、多くのポンプ車で使用すると出なくなるのである。消化は、あく まで自然水利で、が鉄則である。でも、水が上がって良かった。
しかし、残念ながら、現場で焼死体が発見された。冥福を祈りたい。





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