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あぐらぐち物語 1998年5月



1998年5月31日

午前中、ぶらぶらしていて、午後から消防の操法訓練大会に向け講習会があった。この大会は、今年は 6月28日にあるが、毎年この時期になるとあるもので、5人一チームを各消防分団から出して、消火 までの一連の操作を色々な点で競うものである。あと、全員の行進や放水があって全てが審査の対象に なるもので、団を揚げて一ヶ月間練習をする。したがって明日から、毎晩7時から練習がある。私は、 いわゆる指揮者というポジションだが、やはりこの一ヶ月は正直しんどい。ところが、我々の百姓の仲 間のかなりのメンバーが消防団に所属している。日中家にいるというのもあるが、地域で仕事をするう えで、消防をしていないとなかなかやりにくい面もある。私などは目立つので、もし消防団をして各地 域の人と交わっていなかったら、うわべだけで判断されていてだろうと思う。団員は、各集落ごとに来 るので、ほぼ全域を一気にカバーできるし、結構飲んで親交を深めるので、7年も経つと役に立つこと が多い。問題は、上層部が今年は、良い成績を目指している点だ。みんな、怪我をしなけりゃいいが。


1998年5月30日

午前中、雨が少し残っていたので、草取りチームと大豆の種子消毒チームに別れて仕事をした。この時 期は、色々田んぼの細かい管理が多いので、一日の段取りがややこしい。午後からは、トラクターで大 豆播種の為に田んぼを起こした。私はと言えば午前中は、ほぼ4ヶ月分たまった事務の仕事をようやく やり始めたところだ。簿記やら、税金やら、とりあえずこなしてきたが、フィニッシュにはいたってな いので、これからが勝負。でも、苦手な仕事なのでペースが上がらないのも事実だし、みんなからする と、そんなのは仕事として認められていないので、天気が良いと作業に出なくてはいけないので、ます ます遅れる。仕事というのは、草取りしたり田植えしたりと目に見えるものでないと、百姓の世界では 通用しない。良い点でもあるし、悪い点でもある。
午後は、県PTAの総会に、小学校の役員さん数名と50キロ離れた白峰村の会場まで行ってきた。行 っても、賛成の拍手するだけだが、この世に無駄なものはないと信じているので、一生懸命拍手をして きた。もちろん、行く時に車の中でしゃべりまくっていたのは言うまでもない。


1998年5月29日

昨日は、東京の半蔵門で農業法人協会の代議員総会に出席の後に、塾の仲間と横浜の上甲 晃塾長の新 事務所を訪ねた。塾長は不在だったが、奥さんの美代子さんと、久しぶりに懇談した。時間の都合で1 時間半しかいられなかったが、アッと言う間に時間が過ぎてしまった。美代子さんは、生活者としては 、超一級の考えをお持ちで、ずいぶん前からプラスチックの危険や、ゴミ問題等に実際に取り組んでお られ、なにしろ電気ポットのプラスチックが危ないというので、一切使わない。したがって、ぜんぶ鉄 のヤカンで沸かして使っている。子供の弁当箱も、すべて「わっぱ」という木製だったり、漆器だった りと徹底している。ゴミにしても、分別がすごくて、収拾時に混ぜられても、分けて持っていく。食品 の安全にしても、色んな情報をお持ちで、私に鋭い質問をあびせてこられ、タジタジになることも、し ばしばだ。しかし、塾長の厳しさと、奥さんの優しさが実にいい感じで、バランスが取れていて、良く あるリーダーの独裁的な所が、青年塾にはない。
その後、また東京に戻り、新宿で青年塾一期生、二期生との懇親会があった。志ネットワークの方の飛 び込み参加もあって、盛り上がった。なかなか、研修時はスケジュールが詰まっていて、込み入った話 も出来ないが、良い機会だった。そして、今日の午前中の飛行機で帰ってきたが、離陸したのは覚えて いないし着陸時のショックで目が覚めた。途中ずいぶん揺れたようだが、かえって良く寝れたようだ。


1998年5月27日

昨日に続き、小学校5年生の田植えをした。100名以上で3クラスで42メートル×20メートルの 田んぼに植えたが、クラスでも児童でも、同じ教え方をしたのにすごく個性が出ていて面白かった。1 組は、元気がいいがタイマツのように苗を太く植えてしまった子がいたり、2組は農家の子がいるのだ が、こんなのカッタルくてやってられないと言う感じで、サッサッと済ましてしまったが、他の子もつ られて行くのはいいのだが、植えていない所が多く後でバックして植えたので、苗を踏んでしまった。 3組は、とにかく「えー!気持ち悪い」と言ってなかなか入らない。結局一番最後までかかってしまっ た。ところが、このクラスで我々プロでも目を引く子が二人いて、みんながもう飽きて上がってしまっ た後でも、一生懸命植えているのである。さっそく、スカウトに行って、名を聞くと確か交通事故で足 が不自由な、お母さんを持つ子であった。そして特筆すべきは、みんなが無茶苦茶に植えた苗を直して いるのである。しかも、他のクラスの所も直しているのである。きっと、家でも思いやりのある子に 違いない。子供を見ていると、その家が見えるようだ。来年はぜひ我が社で働かないかと聞くと時給は いくら?と聞いてきた。ウーン、重ね重ねやる奴だ。中村と大型トレードか。
そして、ようやく本当の仕事?で大豆は種の準備にかかった。でも、明日はもう東京で全国農業法人代 議員大会のため出張だ。ついでに、新しい上甲 晃塾長宅をお邪魔して、青年塾の東京のメンバーと新 宿で会合を開くことになっている。しかし、枠回しで肩が痛い。自分で、自分のことを本当に百姓かと 疑う時がある。


1997年5月26日

午前中、藤陰幼稚園の田植えがあった。それに先立ち「枠回し」と言って、目印の四角ますをつける作 業をした。もちろん生まれて始めての作業であるが、先輩達に聞きながらやってみたが、これがなかな か難しいし、ツライ作業だった。今は、機械のおかげで百姓も豊かな仕事と、私は簡単に言っているが 、昔のお百姓は、本当に大変だったと私が勉強になった。明日は小学校5年生の田植えだが、枠回しを 中村君にも体験してもらおう。肝心の田植えのほうは、思ったほど混乱もなく楽しく植えれた。子供よ り親の方が楽しんだのではないかと思う。また、それで良いと思うし、我々も楽しかった。しかし、新 聞各紙とテレビカメラまで来たのはびっくりした。おかあさん達も、それならそれでもっとオシャレを したのに、残念だった。来年は、しっかり打ち合わせをしてもらいたい。でも、来年も凝りずにするの かなあ。
午後は、県のPTAの会長研修会があって、金沢のホテルまで行ってきた。文部省の女性が講演したが 、話自体は堅いし、あんまり上手でなかったが、言っていることはすごく大事なことが多く含まれて、 私は真剣に聞けた。その中で、「地獄への道は、善意が敷き詰められている」ということわざを紹介し ていたが、まさしく今の家庭教育も「何をしないか」が問われている。お金も、食べ物も、おもちゃも なんでもある中、それが一番難しいそうである。そして、子供に良かれと思って与えることが実は、悪 い方向に行くと言うことであった。





1998年5月25日

予定どおり、強い雨が降って仕事はお休み。もう、私は午前中少し事務をしたが、午後は死んだように 寝ていた。ここで、あんまりテンションを落すと、体の具合が悪くなるので、これからは仕事をしなが ら疲れを取って行く。それに、今日から毎晩、消防の操法大会の練習がある。これをいかに乗り切るか が問題である。


1998年5月24日

やったー!ついに田植え終了。早朝に加賀屋を出て帰ってきて植えたのだが、雨が降ったり止んだりで 何度も止めようとし、一度は本当に田植え機も撤収したくらいだったが、さすが30アール以上もある 田んぼがラスト8枚だったが広い分早かった。我が社の平均の田んぼだと35枚以上になるが、楽に終 えることが出来た。終了と同時に激しい雨になり、明日も雨模様らしいので、今日終える意味は大きい 。26日27日と、子供たちの田植えがあるし28日は東京に出張だから、本当に眠いのに早朝、能登 から帰ってきた甲斐があった。
能登と言えば、昨日はさあ出発と思って、富山の妻に連絡していたら、「キー!ドッカン!}という聞 き慣れた?交通事故の音。駆け付けたら、車同士の事故で、軽自動車の方が2名怪我をしていた。11 9番をしたらしいが、携帯でしたので消防本部から管轄の消防署に連絡が行くのでタイムラグがあって なかなか来ない。そこで、私が直接管轄の消防署に電話連絡したら、すぐに来てくれた。去年の馬のお じさんの事故以来、地元の消防と警察、さらに火災情報の電話番号は携帯に登録している。「藤平に林 浩陽です。」と言ったら、「第2分団の方ですね」と言われてしまった。面は割れていたようである。
おかげで、ギリギリセーフで富山に到着。法事の後に和倉温泉まで、94歳のおじいちゃんと親戚一同 12名で出発した。出発と言っても、おじいちゃんは耳が聞こえず、足も弱っているので、乗車は並大 抵の苦労ではない。2時間で到着したら、びっくりするほどの歓迎ぶりで、アッと言う間におじいちゃ んは車椅子で、部屋までご案内であった。その後、私を含め男が3人がかりで夕日の能登の海が絶景の 風呂に部屋風呂に入ってもらったが、親戚の方で奥さんを長く介護されていた方がいて、本当に上手だ ったのは勉強になった。そしてここがミソなのだが、しっかり浴衣を着てもらい、宴会も食事もしっか り普通の人の待遇以上をしてもらった。するとおじいちゃんも、すごく生き生きとした表情になった。 幹事役の妻も苦労した甲斐があったと思う。
ところが、なにやら手品師のサービスや、ヒラメの生け造り、最後はショーの入場券までいただいてし まった。副支配人の方の厚意だと思うがありがたいことである。どうも、複数の方から「林が行くから 、よろしく頼む」と電話があったようである。こちらも重ねてありがたいことである。しかし、どこか ら情報が漏れたのだろうと考えたら、思いっきり日記で書いているからだと気づいた。今回はおじいち ゃんのことがあったので、ありがたく厚意は頂戴するが、自分の利益になりそうなことは今度からは、 事後報告にしよう。しかし、加賀屋が日本一なのは、幹部の皆様を含め、良く勉強していられる。副支 配人の方の話が、実に歴史や文化について造けいが深く、そんなバックボーンがあってこそのサービス なんだなあと感じた。儲けに直結することばかりを勉強していないところが、最強たるゆえんであろう。
今日は田植え終了記念で長くした。


1998年5月23日

現在カグラモチを田植えしているのだが、昨日から田植え機がハマリまくっている。住宅地での農業の 宿命でコンクリートの「ようへき」と呼ばれる壁で田んぼが囲まれているのだが、最近この「ようへき」 が法律の改正か何かで巨大なものになった。したがって工事の時、かなり大きな穴を掘る。この穴に田 植え機やトラクターがはまるのだが、なにしろ相手は泥の中、さっぱり分からない。はまると、仕方な いのでトラクターを持って来てロープで引っ張るしかないが、田植え機は精密機械なので、植え付け部 を泥で引きずって壊す可能性もあるし、引っ張れる場所ならまだしも、ど真ん中ではお手上げである。 この辺は、もう経験と集中力の世界で、素人さんとの差でもある。
そして、これから加賀屋に行くのだが、薦めてくれた常光利惠さんに一応一報を入れておいた。今彼女 は市議会議員なので、政治家を使って、特別待遇をしてもらうことは、厳に慎みたいので、ギリギリに なって報告したのだが、加賀屋の知り合いの副支配人の方に電話をしてくれたそうである。ところが、 なんと、その方が先日の石川の森づくりの会の方で私のパネラーの話を聞いていたそうである。その時 の印象が、「この人は、このような今の世の中では生きにくい人だなあ」というもので、続いて、常光 利惠さんのことを「あの人もそうだなあ」と思い出して、いたら本人から突然電話がかかってきたそう である。最近は、波動もここまでくると波動砲並みである。


1998年5月22日

今日から、30日まで殺人的スケジュールが入っている。どれもギリギリの選択なのだが、明日の消防 の水防訓練は堪忍してもらった。今から、PTAの懇親会に出て、明日は1時半に富山で妻の家で法事 がある。その後、その親戚方々を和倉温泉の加賀屋までお連れして、次ぎの日早朝に帰宅して田植えと なっているので、とても消防は出来ないと判断した。許してもらうために昨晩はハシゴの練習のあと飲 みに行ったのは言うまでもない。
しかし、なぜ加賀屋というと、92歳のおじいちゃんが富山においでるのだが、一度でいいから温泉に 連れて行きたいと言う妻の要求に答えられそうなところが、やはり日本一の温泉「加賀屋」になったわ けである。しかし、伊達に日本一ではない。すでに細かい打ち合わせの電話がかかって来ている。すで この時点で良い結果は見えている気がする。


1998年5月21日

朝、コシヒカリ直まき、つまり苗でなく種を直接田んぼにまいた。その名も「そのまんま直播」という 嘘のような機械を田植え機に取り付ける。(97年5月参照)去年は、まいた後天気も悪く、カルパー 時に芽が出過ぎ、それが切れてしまい発芽不良だったが、今年こそは、色々改善したし天気も良かった ので大丈夫だろう。
その後、大急ぎで、藤陰幼稚園という今度田植えをする幼稚園で、母親に話をしに行った。一時間だっ たが、実は30分ほどでネタが切れてしまった。なにしろ子供や赤ちゃんまでいるので、ゴジラが吠え る様に話すので、脳に酸素が欠乏して普段、パッパッと出る話が出ない。そこで途中で質疑応答にして なんとか和やかに出来た。しかし、ここが蓮如さんのお寺(西本願寺の別院)の幼稚園とは、蓮如さん のお導きに他ならない。
幼稚園の先生との楽しい昼食の後、後ろ髪引かれる思いで今度は、石川県地場産業センターで「石川の 森づくり推進委員会」のパネルデイスカッションにパネラーで参加した。漁業、林業そして農業代表が 私だが、午前中、幼稚園で午後は経営者達の集まりでの話は、ギャップがあり過ぎる。地域を変えるの は「よそ者、若者、ばか者」ですよとか、今は「人、物、金」でなく「人、人、人」です。農業も色ん な人が、色んな価値観で就職されています。林業も、どうかがんばってほしいと言ったら、突然パネラ ーの澁谷工業の会長さんが、手を叩いて賞賛してくれた。どこがどうだったかは知らないが、何か琴線 に触れたのかもしれない。


1998年5月20日

代かき終了。最後の2ヘクタールほどは、今年初めて稲作りをする、基盤整備田である。大きさも、普 通の田の4倍から5倍もあり、林農産にとっては数少ない大きな田んぼであるが、でかいだけでなく、 デコボコもデカイので修正にすごく時間がかかった。おそらく数年はかかるだろう。高いところから、 トラクターで、オッチラコッチラ土を引っ張って行くのだが、なんせ長さ100メートル以上もある ので、大きなトラクターだが、蟻が砂粒を運ぶようなものである。
午後には、近くの石川県立農業短大で、明日の直まき用の種のコーテイング(通称カルパー)をして きた。種の回りに過酸化カルシウム(だったと思う)を付けて水田で酸素を供給して発芽を良くする ものである。
そして、夕方から町のPTAの総会がある。


1998年5月19日

午前中に、今度田植えをする幼稚園児が70名、田んぼと苗を見に来た。「どうして、田んぼの水は もれないの?」という鋭い質問をする子がいたり、ほとんど関係なしにカエルを追っかけていたりで、 非常ににぎやかだ。今度の21日にまず、保護者に話をして26日に田植えだ。果たして、どうなる ことやら。


1998年5月18日

結局、昨晩公開討論会を今度の参議院選挙ですることになった。代表者は、加賀市の方になったが発起 人で私も名を連ねることになる。実際の活動がどの程度労力を費やすのかは不明だが、今の選挙に一石 を投じられるだけでも良いのではと考えている。
昨日、BSアンテナを取り付けた。もちろんワールドカップのためである。しかし、買ったのではなく 弟のをもらっただけだが、見ないのにずいぶん前から受信料は払っていたので、元を取る意味でもチャ ンと見なくてはならない。しかも、ワールドカップだけでなく、バイクのワールドグランプリも放送し ているのは、うれしい。何と言っても、中村君が社長の私に先駆けてBSを受信し始めたのは許せない 。しかも、うれしそうに、「今日は何々の試合ですよー」と見れないのに言ってくる。ただ、見る時間 がないのが、別の意味でビハインドになる。今度、こっそり行って少しアンテナをずらしに行こう。


1998年5月17日

超久しぶりのお休み。今日は、雨の予報だったが、すごく天気も良く、少しもったいないくらいである 。熱帯魚のフィルターを掃除して、「蓮如」のアニメ映画を見に行き、次男 亜久里の6歳の誕生日プ レゼントを買いに行き、夜は選挙の公開討論会の話で加賀市まで出かける。
蓮如は今見てきたが、我々浄土真宗の思想的原点であるので、非常に興味深かった。百姓からすると一 向宗と呼ぶほうが適切かもしれないが、蓮如自信は嫌っていたようで、特に一向一揆によって加賀の富 樫一族を倒した時には、お叱りの御文(おふみ)が出ている。御文は、蓮如の布教活動の特徴だが、口 で語るのには限界がありそれを、個人や団体に向け手紙を書いている。青年塾塾長の上甲 晃氏は毎日 千文字メッセージを我々に送られているのも、それに当たるように思う。500年を経ても人は基本的 に全然変わっていない。PTAでも農業関係でも、口と文を併用しながらバリバリやりたい。昨日の保 護者との話し合いではさすがに、迷いが生じたが、蓮如でも吉田松陰にしても、馬鹿がつくほど一途だ ったことを思い出し、ここは馬鹿に徹しようと決めた。
それと、最近私達夫婦で問題になるのが、子供のおもちゃ。今も買いに行くのは「ビーストウオーズ」 というキャラクターもののロボットなのだが、妻はこのようなプラスチックのすぐに飽きるおもちゃは 大反対なのである。私も反対だが、子供と話し合いながら、結局買うことになった。ジョンレノンは、 子供に好きなだけおもちゃを買い与え、自分で作り上げないおもちゃ、遊びがいかに陳腐なものかを教 えたそうだが、とてもそんな金もないし、周りの普通の子供が悪影響を受けるのが必至なのである。そ の悪影響はすでに我が家に及んでいる。結局、自分で考えてもらうしかないのである。


1998年5月16日

代かきを開始したが、午前と午後に1時間ほどづつPTAで出た。午前は、5年生の学年行事でその時 に来年の学級委員候補を決めるというので、話に行った。とにかく、高学年に行くほどなり手がなくて 困るのである。本来、先頭に立って欲しい6年生の学級委員の腰が引け気味なのは、非常にマイナスな のである。だから、子供の教育を学ぶ最大のチャンスだとか、やってみれば楽しいとか説明したが、議 論百出で、まあ色んな方がいるもんだと感心してしまった。ようするに、一度やった人達はなぜしない のとカサにかかって責めるし、やらない人にもそれなりの理由がある。最大の理由は、一体何をするか 分からないからだと思うが、一から十まで手取り足取りも結局その親にとっては良くないとも言われて 「うーーん、それもそうだなあ」となる。私の考えでは、この指とまれ方式が良いのだが、日本では金 が基本の教育が親の骨の髄まで染みていて、このようなボランテイアは損と思っているように思う。し かし案外やっていただくと日本人特有の勤勉さで真面目にしてくれるギャップがすごい。ところが、真 面目過ぎると、その活動の意味を考えずにやってしまう状態にもなりやすい。帰って来てさすがに私で も頭痛がした。
午後は、バザー用のサツマイモ植え。これも、教育的見地から言うと親がすべきでないという意見もあ る。ここで、役員の方ともサツマイモそっちのけで激しい議論であった。まあ、そうやって議論するこ とが大切なのだろう。夕方、去年の研修生「タニヤン」が苗箱用の車載用棚を取りに来た。明日から、 本格的に田植えだそうだ。一人で大したもんである。


1998年5月15日

荒起こしが終了。代かきの為の入水作業をして、明日から代かきだ。昨晩は、色々な電話があって大変 だった。まず、一本目は、松下政経塾の卒業生の方で小田全宏さんという方が、選挙の時に公開討論会 を開く活動をしておられ、出発式に時に講演を聞いたのだが、その石川での討論会をいきなり私にやっ てくれないかという電話だった。これは、今の選挙では立会演説会が禁止になって政策を論じ合う場が ない。そこで、立ち会い演説会のだめな点を改善し、より中立な立場での討論をする会なのである。と ころが石川県を含めた2,3の県で開催が予定されていないらしく、今度の18日までに決めたいとい うものだった。しかも、開催予定日が今度の参議院選挙だと6月20日前後になる。青年塾の縁で非常 に光栄なことだったが、胃液がドッと出た。スケジュールがどう見ても空かないのである。色んな人に 相談し、代わりの方も聞いたが、だめだった。あまりにも、急な申し出だが人生での決断とは、このよ うな時に訪れるのは常識である。結論は、現在やっていることが、中途半端になってしまうのと、やは りしっかり準備したいということで、お断りした。でも、止めたいというのではなく、選挙はまだまだ あるはずだから、その時に私に必要な試練であれば、することになるであろう。
あとは、保護者からの通学路変更の問題。最近近辺が、異常なスピードで開発され以前の通学路があぶ なくなったのである。ところが、簡単に信号もつかないし、通学路も最近の変質者の横行で別の意味で 安全を考えねばならない。結局、早朝現場へ校長先生と行ってきて通学路変更で解決してきた。このよ うに気軽に電話してくれれば、ドンドン改善していくつもりだ。
あと母親の親友が突然亡くなってしまった。死にそうな人は生き残り、死にそうでない人が最近死んで いる。うちの、お米やおもちも沢山買ってくれたし、周りにも薦めてくれた方であった。冥福を祈りた い。死ぬのも人生と、フォレストガンプでのセリフがあったが、まさしくそのとおりだ。
そのあと、10時過ぎにハシゴの練習にやっと行ったが、絶不調だったのはいうまでもない。


1998年5月14日

ようやく、フルに荒起こしが出来た。あと一日で代かきにかかれる。昨日の日記で嫌気性菌と、好気性 菌について書いたが、これはどうも専門的過ぎたなと反省している。嫌気性菌は、空気がない状態が好 ましい菌で、我が社の「普通じゃないコシヒカリ」に使用しているカルス菌がこれにあたる。だから、 散布後ただちにトラクターですき込んでいる。好気性菌は、EM菌が有名だが、空気が必要だから堆肥 を作ったりする時に時々かくはんして、空気を入れてやらねばならない。それぞれ特徴があるから、二 つの菌が同時に存在する土が良いということになる。ちなみに、マニアは神社の落ち葉に付いている菌 を堆肥に使用している。その土地の菌、いわゆる土着菌がやはりその土地の米に合うそうである。奥が 深い。
話は変わるが、我が社に研修に来ていた通称タニヤン谷口さんが、さっき脱サラ農業者としてテレビに 大々的に出ていた。私の教えを良く守りハッタリ8割ウソ2割を実行しているようだ。


1998年5月13日

雨が良く降ったおかげで、2回目の田植えの荒起こしが、田んぼが軟弱でトラクターの操作がキツイ。 ほとんど、真っ直ぐ走ってくれなし、後ろの耕す機械のロータリーを一定の深さで固定できない。我々 の地域は、そもそも「乾田」なので、このような軟弱な田んぼは苦手なのである。ところが、全国的に は田んぼは、「湿田」と呼ばれる軟弱な田んぼが多い。湿田は、水が漏れないので肥料の持ちが良く、 除草剤も良く効く。ところが、乾田は、水が漏れるので毎日、水周りをしなくてはならないし、肥料も 多く必要で、除草剤も効きが悪い。ところが、乾田は、機械が深くめり込まないので、作業性は抜群で ある。そして、食味という点では、乾田が良いとされる。お米は、夜と昼の寒暖差が大きいとおいしく なる。だから、毎日水を入れ替える乾田は、必然的に良くなる。あと、嫌気性菌と、好気性菌が、同時 に生息できる点も見逃せない。良く、団粒状というが、そのような粒粒の土が良いらしい。そうやって 考えると、魚沼の地域がなぜおいしいかが分かる。ようするに、波瀾万丈の人生を送った人は、味わい 深さがあるのと同じである。ドップリと、ぬるま湯につかっているのは、おいしくないのである。誤解 がないように、言っておくが、湿田地域の優秀な農家は、暗渠排水と言って排水路を地中に巡らし排水 を助けているので、やっぱり、どこそこの米というよりは、誰が作ったかが重要だろう。
ちなみに、今日、無農薬栽培のコシヒカリを植えた。苗も、わざわざ知り合いから、何年も無農薬で栽 培した種から作ったものをもらった。どうも、いきなり、化学肥料栽培、有農薬の種でやっても、弱い らしい。最近、どうも、米が人の一生に見えて仕方ないのは、考え過ぎか。


1998年5月12日

朝から、雨音がしていて、体はもう自動的に電源が切れた状態になってしまった。昨晩、ラジオの収録 をしたが、まったくテンションが上がらず、相棒の長田君も疲れて、全然間合いが合わない。それなり にやったが、不満が残る内容である。だから今日は、もうとにかく何もしないと決めて寝ていた。しか し、私の生活パターンを知る、つわもの達は、ここぞとばかりに電話をかけてくるので、全然ゆっくり 出来ない。
最近、(株)イエロハットの鍵山秀三郎社長から、いただいた「福沢山脈」を読んでいる。まさしく明 治の志士達の群像だが、学問を通じ黎明期の日本を創り上げた福沢諭吉は、1万円札に刷ってあるだけ のことはあると感動している。しかも、みんな若い、ほとんどが30代で要職についている。一体、年 配者は何をしていたのかが気になるところである。よほど、度量が大きい人が多くいたに違いない。今 の政治家のように、一度首相になったからと言っていつまでも、首をつっこむ輩がいるのとは雲泥の差 である。本は、心の栄養で、最近良く本をいただいたり、紹介されるがありがたいことである。余計な ことかもしれないが、今度のPTAの役員会で北海道の家庭教育学校の谷校長が書かれた「教育力の原 点」を役員全員に贈ろうかと思っている。いただいた方々への恩返しは、別の形でしなくてはならない。
こんなデータがある。少年少女の非行群の親と非行しない群の親を比べたら、非行群の親は、なぜか辞 書が一冊も家にないそうである。今から、でも遅くない、辞書がない家庭の人は本屋に行こう。


1998年5月11日

午前中で田植えを終了して、午後からカグラモチの田んぼの荒起こしを始めたが、夕方に雨が降って来 たので中止した。そこで、口座にお金もなくなって、固定資産税やら自動車税がわんさかと来ているの で、春作業の請求書を送る準備を始めた。ところが、肝心のことをする前に、机の上のエベレスト状に なった書類の山を崩しにかかった。今はようやく鳥取砂丘くらいにはなったが、まだまだである。
これから、FMの収録がある。私のコーナーのテーマは自動販売機だが、この手のネタも結構あって、 いい番組が出来そうである。しかし、体は楽だが、雨が降り続くと田植えが遅れるなあ。今回は、小学 校と幼稚園の田植えを頼まれているので、早めに済ましてしてあげたいのだが、ずれこみそう。


1998年5月10日

せっかくの日曜日だが、水周りと法事で終わってしまった。まあ、何もしないのが一番かもしれないが、 バイクに乗りたかったなあ。あの去年のレースの事故以来1年たったが、しみじみ生きていることの喜 びを感じる。この生きる意味を問い続けた去年一年だったように感じる。
今度、PTAの学級委員さんとの懇親会があるが、その募集も含めて私の手紙を書こうと思う。この前 から、派手なパフォーマンスも含めてしゃべり続けているが、口では伝わる範囲が限定されるし、うる さいと思われるので文章にすることを思い付いた。学級委員をいやいや引き受けた人もいるだろうが、 本当は子供たちの教育について知る一番のチャンスということを認識して欲しい。青年塾での勉強をい かす時が来たのである。


1998年5月9日

数枚、田植えが出来なかった。残念だが、あまりギリギリまで仕事をして焼肉を食べに行っても、おい しくないからまた来週に植えることにした。今日は、ギャラリーが多く、きれいな奥さんがしゃがんで、 ジッと見つめるので「緊張します」と思わず言ったら大受けした。結構、人が見ていると高速苗補給を してみたり、ブラインドキャッチと言って苗を見ずに手だけ出して補給してみたりとプロの技を見せる ことも忘れてはいない。でも、そんな時に限って失敗して苗を落したりするのだが。


1998年5月8日

朝から、すごい雨で田植えは中止。昨日の時点で雨を予想して田植え機をライスセンターへ戻して整備 点検する予定だったので、段取りは完璧だった。しかし、今日少しでも植えておかないと明日中に終了 しないので、降り過ぎた。明日、終了して打ち上げの予定なので、朝から飛ばしていかねばならないが、 現在の能力ギリギリの41枚を果たして終えることが出来るか、しかも出来ても打ち上げの余力があ るかどうかが問題だ。明日にこだわるのは、ボーイズがそろう日が明日なのである。我が社は打ち上げ に、かなりの集中力をかけて楽しんでもらっているのが、続けて来てもらえる要因になっている。ボーイズも 数ヶ月、がんばった結果の打ち上げは何度やっても充実感が他のものとは比較にならないようである。
今の田植え機は、肥料と除草剤を同時に散布しているので、雨に非常に弱く、詰まりの原因になる。特 に除草剤は少しでもぬれると、ガム状にになってトラブルが発生する。明日、天気の良いことを祈るだ けだ。ちなみに、林農産最大のライバルぶった農産(私が勝手に思っている)は、この雨の中、田植え をしていた。さすがだ。


1998年5月7日

もうあと少しだが、人車ともに疲労がたまってきた。そこへ、午後から雨という天気予報でみんな色め き立った。私も、午後から休んで、あれとこれとして、いや昼寝して休む方が良いかもと考えをめぐら していたが、いざ午後になっても降るには降っているが、スーパーレデイースが休むというには程遠い 小雨で結局フルタイム仕事をした。もう60兆の細胞が休む体勢に入った状態での作業はキツイ。
私も、実は町のPTA会議とハシゴ練習が重なっていたので、ハシゴを一持間早めてもらったので、今 から急いで行かねばならない。先週4月30日をウッカリ忘れていたので、2週間もさぼるとカンが鈍 るのでどうしても今日はやっておきたかった。


1998年5月6日

除草剤の田植え同時散布機が調子が悪い。なにせ、除草剤はこれのみなのでヤバイ。散布し直しの所も かなり出来てしまった。原因は、部品の消耗だが、普通こんなに多くの面積に使わないのだろう。大体 我が社で使用している田植え機もプロ用ではなくて、一般向けいわゆる素人向けの機種で、一年で耐用 面積を軽く突破している。プロ用はオーバークオリテイーで高価すぎて使えないし、大きくてこの辺の 田んぼでは道路も走れない。
明日、今来ている女子大生のバイトの取材にNHKの方が来る。なにやら、野菜の栄養を調べていて以 前に比べ激減していることがキッカケで農業に興味を持ったらしく、妙な縁で中村のHPの日記にだま されて?うちに1週間来ている。そんな情報がどこからもれたのか明日取材にくる。コメントは「素晴 らしい社長のもとで、気づきと感動の毎日です!」と言いなさいと言っておいた。


1998年5月5日

今日は、ついに「バルバエキス」を投入した(小さい子供に聞くと分かる)。いや、違ったユンケルを 飲んだ。このようなドリンク剤は人間本来の回復力を弱めるので、あまり飲まないようにしているが、 それでも、「ここぞ!」と言う時は飲むと非常に効く。ちなみに、切り花の水にほんの少し入れて上げ ても効くそうだ。
コシヒカリの苗が不足してしまって、発芽がムラになったものも大丈夫な部分を切ってまで使っている がまだ足りず、品種をほほほの穂に変更したり、よそからもらってきたがまだ60枚ほど足りない。苗 を思い切って使えないというのは、ストレスだ。どんなに、パソコンで計算しても、これだけはなかな かうまくいかない。原因は、例年なら長い苗を選りすぐって皆さんとっていくのだが、今年は短いもの から無くなってしまい、結局長すぎて使い物にならなくなってしまったせいだ。過ぎたるは及ばざるが ごとしだ。


1998年5月4日

体調が最悪である。風邪が日に日に悪くなってきている。唯一の救いは好天とスタッフに恵まれている 点だ。今日は、何もせず寝よう。
最近、我が社の休憩所、つまり納屋の天井で二組のツバメが制空権争いを繰り広げている。ツバメが来 る家は安泰と言われるが、よほど安心な場所なのであろう。人の出入りが多いとヘビなどの天敵に襲わ れる心配がない。しかし、そのツバメを我が家の猫「チョミ吉」が虎視耽々と狙っているのは言うまで もない。


1998年5月3日

今日は、昨日と打って変わってどしゃ降り。しかし、種まきの日なのでのんびり、みんなでカグラモチ の種まきをした。あと、赤峰勝人さんにいただいた無農薬栽培米の種「イセヒカリ」もまいた。ずーと 休みなしで働いていたので、いい休養になる。はずだったが、午前中にフォークリフトで上げていた床 土用のバケットで頭を強打してしまい。血こそ出なかったが大きなたんこぶが出来てすごく痛い。もう 集中力がガックリ低下してしまい、早めに作業を切り上げてボーイズでラーメンを食べに行くことに した。しかし、服装というのは大切で、しっかり帽子もかぶっていたので流血はまぬがれたと思う。昔 、田植え機の修理に来た人が、ぞうり履きで来て田んぼのあぜから手を伸ばして直していたのを見た時 には、子供ながらに仕事をする格好でないなと思ったことがある。最近も、機械メーカーの人がスーツ と革靴でくるのも場違いな感じがした。どう見てもシロウトに見える。人を外見で判断してはいけない が、なにごとも、形からというのも大切なことである。


1998年5月2日

今日は、春の嵐でさらに暑かった。ドライヤーの中で仕事をしているようなものである。これは、やは り異常だ。中で仕事をしている人には実感がないかもしれないが、植物は敏感で苗は非常に長いし、タ ケノコも4月に沢山いただいて、これは5月になったら毎日タケノコづくしだと思っていたが、5月を 待たずして、パタッと姿を消してしまった。みんながゴールデンウイークと浮かれているのを横目に色 々考えさせられることが起きている。
そんな中、帰ってきたらビールが一ケース届けてあった。今日の、田植えのお客様からだったが、最近 買いに行く暇もなく、どうしようかと思っていたところへタイムリーである。さっそく、冷やそうとし たらなんと、すでに冷やしてあった。わずかな面積の田植えにも関わらず、大きな心使いに感謝である。


1998年5月1日

もう、疲れでめまいがする。おまけに、朝突然ボーイズが風邪で一人減ってしまった。しかし、不思議 なものでそんな時には、必ず助っ人が現われる。日ごろの人徳か。





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