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日記を、日付順に、読みたいので、1番下へ行く

あぐらぐち物語 1998年7月分



1998年7月30日

久しぶりに、見学の方々が来た。いわゆる視察旅行というものだが、我が社は数年前から、一回2万円 をいただいている。以前は、無料だったが、どうも農業者というのは情報はタダと思っている人が多い ので、情報はお金がかかるということを認識して欲しいという狙いがある。こちらも、それに見合う話 を一生懸命するのだが、やはり目的意識の差はどうしても出る。質問が相次ぐとこちらも乗り乗りで行 ける。でも基本的には、会いたい人がいれば個人的に会いに行くのが一番勉強になる。そういう経験を ぜひしてほしいと思う。
明日、滋賀県のフクハラファームへ全国農業会議所青年部のバーベキューに出かける。未だに、バイク で行こうか、車で行こうか、電車で行こうか迷っている。とりあえずバイクの整備をしているが、天気 がやばそうだし、どうしよう。
そして今度の一日の町の祭りでハシゴ演技があるので毎晩、分団で練習をしているが、その後のミーテ イングが長いので眠い。今日こそ、早く帰ろう。


1998年7月29日

もちつきを汗をしぼってした。前回作ったもちにかなりのカビが出てしまったので今回は、ありとあら ゆる可能性を考えて対策を講じた。今度こそ、バッチリのはずだ。
昨日今日は、藤井嬢が休みなので、妻と交代で店番をしたが、米が売れる売れる。おそらく去年の秋に とっておいた飯米が底をついたのだと思う。昔は、次の新米がとれても、まだ余るほど持っていたのが 、最近は足りないくらいに持っているようである。どこでも売っているということなのかもしれないが 、平成5年の不作からまだ5年。もうすでに危機意識は低下しているのかもしれない。売れるのはいい が少し複雑な気持である。


1998年7月28日

昨晩は、地元農協の50周年記念誌のための対談があって、農業に未来はあるかないかを話し合った。 未来があると思ってやっている我々に対しては、少し失礼な質問だとは思ったが、人間がロボットにで もならない限り農業はなくなりませんよと、言っておいた。
そのあと、急いでハシゴの練習に駆けつけたが、予想通り、もち手が新人ばかりなので、あまりうまく 立たなかったようである。結局、その後のミーテイングが深夜まであった。やはり、もち手と登り手の の両方を経験している私になんとかしろと言うことになった。特に、3人ハシゴの技は、限界に近い技 なので、みんなの息が合わないと無理である。最近、みんな慣れてきて気合が抜けているように思う。 初心を思い出してがんばりたい。
久しぶりに雨が降った。日曜日に、コイン精米機の米ヌカタンクがあふれてしまい、近辺が米ヌカだら けになったので強烈な雨を期待したい。


1998年7月27日

一日中カグラモチに肥料を散布した。去年は、特殊な肥料を使用したら収量が極端に減ったので今年は 、ごくごくスタンダードな肥料を使用した。土日でエネルギーを使い果たしているので、疲れたがかつ てに比べれば全然散布量は、少ない。その分、違うことでエネルギーを消費しているので同じか。
今日、子供達がまたまたパソコンをハングアップさせてしまい、ついにオヤジの雷が落ちて事務所の出 入り禁止になってしまった。代わりに、昔の古いパソコンにゲームを入れて渡すことになった。やれや れ、夏休みなんだから外で遊べよと言いたい。


1998年7月26日

昨日、日記を書こうとしたら、子供達がどこを探したのか、パソコンでロールプレインゲームをしてい て、思いっきりハングアップさせてしまっていて更新が出来なかった。困ったものだ。
昨日は午前中、真面目に草刈り。午後は、白峰村までバイクで郡PTAの理事会。その後、ついに保育 園でハシゴデビューを果たした。若妻達をキャーキャー言わせたのはいいが、本当に言わせ過ぎるほど 恐いハシゴだった。今回、どこもかしこも、夕涼み会やバーベキューで団員が集まらず、最小メンバー の8人。そのうち半分位は初めてという布陣だったので、その時点で不安感を持ってしまって揺れが増 幅したように思う。しかも、よせばいいのに一日動き回っていたので、体力が思ったより消耗していた 。でも、ここは晴れ舞台、気合でフルセットすることが出来た。最後は、足がプルプル震えたが、見る 方も初めてなので、こんなもんだと思って見てくれるので、救いだった。しかし、妻にどうだったと聞 くと案の定「まだまだ、格好が悪い!」と言われてしまった。諸先輩方の奥様は「惚れ直した」とか「 もう危ないからヤメテ」とか言うのに、さすがに目が肥えている一味違うコメントであった。
その後、内灘の海までバイククラブのキャンプに出かけて、夜中まで騒いで、朝から子供達と海に入っ てクタクタになって帰って来た。そして、今から海辺のコンサートの打ち合わせである。
それにしても、沢山の観客の前でやるのは気持ち良かった。上から見る、盆踊りの舞台や、屋台、そし て人々。そして目を上げると綺麗な夜空が、微妙なコントラストで、自分の存在を浮かび上がらせて、 生きてる!という実感がした。


1998年7月24日

久しぶりに、青年農業会議所の経営コンサルタントを受けた。前年のコンサルテイングで販売数量及び 金額の詳細な計画と実績表、借入返済計画の策定、来期決算計画の策定をすることをコッテリやられた ので今回は、その数字もあって大した事はないだろうと思っていた。しかし、今度は違う視点から攻め 込まれてしまった。その名も付加価値計算。一つ一つのお米の品種について、どのような仕入れ単価設 定をしているかというものだが、自分ちで作って自分で売るのだから、仕入れ単価なぞ存在しないと思 っていたので、またまたコッテリとやられてしまった。すると、どの品種が付加価値がないかが、浮き 彫りになってくる。そして、やはりここでも去年の収穫減が大きく響いていることが読み取れた。先生 は、高付加価値を付けてドンドン売らないと、利益が上がらないぞとおっしゃって行った。つくづく、 金もうけはヘタな自分だと感じた今日一日であった。


1998年7月23日

中村君が、夏風邪でダウン。虫送りや富山に行ったり、暑い中草刈り、歯を抜かれてから農業青年の会 合に出たりで、疲れがたまったのだと思う。くれぐれもこき使ったのではないことは、ここでハッキリ 言っとこう。まあ、ゆっくり休めとは言ったが、肥料を一人でやるのはやはりしんどい。
しかし、半分以上は、今度の海辺のコンサートの準備やらなにやらで、過ごした。そんな時、店にいる 藤井嬢に、お知らせの発送等をお願いすることになるのだが、結構な数になるので大変である。まあ、 物好きな社長と思ってあきらめてもらうしかなさそうである。
最近、子供達の遊びで「ポケモンカード」がはやっている。ご多聞にもれず我が子も沢山買って来ては、 なにやら遊んでいる。しかし、お金にも限界があるし、そのような与えられたおもちゃは工夫がなくて 知恵が付かないと言ったら、紙を切って自分でオリジナルカードを作り始めた。そのうち、事務所に来 てパソコンで出力して欲しいと言ってきたので、普段工夫しろと言っている手前、かなり時間をかけて カードの元を印刷してあげた。これで、オリジナルカードを作るのだが、面白いのが、ヒットポイント という強さの値や、技を書き込む時に、適当な値を書かないと、友達に相手にしてもらえないというこ と。すると、子供達は、色々考えて書き込んでいるようである。社会性が出てきたということかな。し かし、見せてもらうと結構大きい値が書いてあり、勝ちたいという本音も出ていて面白い。しかし、通 信簿に後片付けが出来ていないと書かれてあったが、工作のあとの悲惨さは、父親似か。


1998年7月22日

またまた一日中草刈り。色々考え事をするには最適な仕事である。最近、我が家の猫「チョミ吉」君が この辺りを制圧したようである。最近の体の充実ぶりは、高級エサを使用しただけはある。しかし、そ れにともない、御近所の方々から、縄張りの匂いつけのオシッコをしていって臭いとの苦情が舞い込ん できた。そして、さっそく「虚勢」つまりチンチンを切れと言われた。養豚農家では、ニッパーでパチ ンと切るそうだが、前の猫の時は避妊手術をしたが、まさかオス猫にもそんな手術があるとは考えてい なかった。妻達女性軍に、メスだけでは不公平と言われてしまった。しかし、私はたくましく育ったチ ョミ吉には、野生的に生きて欲しいし、どうも同性のよしみか、なんとなく痛みが分かって悩んでしま う。子どもが出来るというのと、臭いから切れというのも、どっちも人間の都合のような気がする。臭 いのは、なんとか対策がありそうと思うのだが。とにかく、チョミ吉、しばらくほとぼりをさましてく れ。でないと切られるぞ!と言い聞かすことにした。


1998年7月21日

朝から草刈りをした。午後に、我が社の「普通じゃないコシヒカリ」に使用している、カルス菌が入っ ている「アイデンカルス」を製造しているメーカーの社長さんとお会いした。星の数ほどある農業資材 の中から、これっ!と決めて使っているものだが、さすが製造している方の、熱い思いを聞いていると なんだか、米もおいしくなるような気がしてくるから不思議である。
本当に、毎日山のようなDMが送られて来るが、いかに情報をカットするかが命題である。最後は、「 人」そのものが、キーポイントであろう。しかし、逆も真だから、こちらもカットされないように人を 磨く必要がある。


1998年7月20日

昨晩の虫送りの祭りの前に、本番用ハシゴの練習をしたが、なんとレギュラーメンバーが、地域の宴会 で飲んで来ていて、私に急きょ演技のおはちが回ってきた。私のような控え選手は、いつでも登板出来 るように、一応装備は持って来ていたので、気合を入れてのぞんだ。そして、虫送りの大タイマツの横 で、6メートルのハシゴで演技したが、やっぱり高い。しかし、「八双」という膝頭だけでハシゴの頂 上に乗る演技に続き、問題の「灰吹き」逆立ちのあと、「二本背亀」「一本背亀」をするのだが、やは りちゅうちょしてしまった。止めようと一瞬思ったが、フッと下を見ると、「今日、背亀をするつもりで す」と話した先輩と目が合ってしまった。その次には、もう逆立ちをしていた。人間、一度逃げると、 癖になるものある。逃げなくて良かった。6メートルでも1メートルでも、裏返しになったら空しか見 えないので同じである。飛行機雲が、あるなあと悠長なことを考えているうちに、終わって我に返った 。その後は、集中力が途切れて、あんまり良い演技は出来なかったが、降りてからのビールは最高だっ た。
その後、虫送りの警備と後片付けをしてからの打ち上げも、ビールがうまかった。しかし、虫送り会場 にいた人達からは、「林さんは何でも出来るのねえ」と言われてしまったが、何でも出来るというのは 明らかに間違いである。どちらかと言うと、出来ない事の方が多い。ただ、派手なことが多いので目立 つのだが、ハシゴにしてもPTAにしても、やろうと思うか思わないかなのであるが、その辺で誤解が 生じるのは困ったことだなあと最近思っている。みんな、自分の可能性を自分で制限していることに気 づいてほしいものである。
と言うことで、今日は2軒ほどの配達の他は、何もしない一日だった。


1998年7月19日

久しぶりに、盆踊りをした。まあ昔取った杵柄でなんとかなるもんである。
朝から、小学校で清掃作業と交通安全教室をした。交通安全は、警察が忙しいので、役員で考えること になり、7月4日の3年生学年行事でやった、人形をはねるものをさらにバージョンアップしたものを した。やはり、効果抜群。キューというブレーキ音とともに今回は、ドンッという音も飛んでいく様も リアリテイーがあった。その後、シーンという中、はねられるということと、シートベルトをしていな いということを、分かり易くボードも交えて説明した。例えば、シートベルトをしていなければ例え、 エアバックがあっても、3回の衝突がある。まず車のボデイ。2回目は体の外部損傷。骨や皮膚が壊れ る。そして3回目の衝突が致命的なのであるが、そのあばら骨に内臓がすごい勢いで衝突して破裂する 。さらに頭蓋骨に脳が衝突して脳漿が泡立って致命的な後遺症が出てしまうという恐い話をした。警察 の話より効果があったと思うくらいである。自画自賛か
そして、午後はバイクに少し乗って留守番をして、夕方これから「虫送り」という、この地域の祭りが ある。大太鼓とタイマツをかざして、それぞれの集落から中心部の大タイマツに向け歩き、最後は、大 タイマツの回りで乱れ打つというものだが、ほとんど最後は、先を争ってケンカである。その、警備に 消防で出動しなくてはならない。昔は、青年団が取り仕切っていて、私も団長の時実行委員長を何回か した。十数人の太鼓を持つ集団を止めるのは、至難の技で良く怪我人が出る。コツは頭を下げて、太鼓 の下の方を持って地面に付けてやると、後ろから押しているのでもんどりうって返る。そして、一目散 に逃げて次の獲物を止めるという具合である。その青年団も数が本当に少なくなって、その仕事がまた 消防の我々に回ってきたのだが、紳士的に止めたいものである。あまり野生の血を騒がせないようにし よう。


1998年7月18日

昨晩、海辺のコンサートの打ち合わせをした。今年のテーマは「この海を二度と汚すまい 海辺のコン サ−ト」である。そして、御陣乗太鼓とのジョイントをすることになった。去年は5回以上集まって話 しをしたが、一度やったのと2回目では天と地ほどの差がある。あとは、天気次第。
日中は、草刈りを真面目にした。二巡目に入ったのは今年が初めてである。今までは、除草剤を散布し て終わらせていたのだが、春先から、田植え施肥除草剤同時散布をしたりして工夫した結果、ようやく 余裕が出来たようだ。でも、刈っていて夕方になって腰が痛くてしかたがなくなった。おそらく、日本 一体力の無い百姓だと思ってしまう。
そしてこれから、近所の養護学校の盆踊りに、子供会で参加してくる。なにやら、色々夜店も作られて いるようだし、本当に感心する。学ぶべきものが多いような気がする。


1998年7月17日

背亀成功。まだまだ完璧とは言えないが、3メートルのハシゴで逆立ちから、てっぺんで裏返しになる ことが出来た。スキーのジャンプのようにハシゴの上で、長いこと考えて後の事だった。ジャンパーの 気持が良く分かる。けがしたらどうしよう、なんでこんなことをしなくてはいけないの?と走馬灯の様 に考えが巡って、意を決して、「ハイッ!」と気合を入れて逆立ちした瞬間、頭は真っ白になっていつ の間にか裏返しになっていた。その後、もう一回したが、一度くぐりぬければもう大丈夫だ。それにし ても成功して良かったあー
日中は、肥料散布。中村君と弟は草刈り、レデイースは草取り。消毒をしないというのは、実にそう快 である。この時分、毎日あの臭い匂いと、うるさいエンジン音、そして周囲の嫌悪感丸出しの目から開 放されるだけでも助かる。大体、肥料散布していても消毒と勘違いして洗濯物を取り込んだり、窓を閉 めたりと住民感情の悪化は見ていても分かる。
そんな努力?もあってか、普通のコシヒカリも売り切れてしまった。そこで、一度売った先の冷蔵庫に 忍び込んで取ってきた。というのはウソで、お願いして返してもらった。その分早く新米を渡して上げ たいと思う。でも、本当に助かった。玉がないというのは、さみしいものである。


1998年7月16日

昨晩、カメハメ波を打ち過ぎて午前中は、雨音とともに休んでいた。気功というのは、体、感性、知性 という3つが育って始めて背骨が真っ直ぐになるというもので、7歳までに体、8歳から14歳までに 感性、それからが知性が育つ。だから、体が不完全なうちに感性や知性をくっつけると歪むよという話 だった。それから、実技ではいかに自然体であるかをしたが、難しかった。自分はワカメと思って波に 揺られるのだが、どうしてもどっかに力が入ってしまう。自然体とはかくも難しいものである。
午後は、先日の地区懇談会のまとめを書いていたが、3時間以上かかった。なんとか、短い中にも、相 手の琴線に触れるような文章をと思うと、なかなかキーボードが動かない。何度も打ち直してようやく 仕上げた。その名も「PTA会長の挨拶は短いが、文章は長い地区懇談会報告。果たして何人、最後ま で読めるか!」という題名で書いた。きっと、最後まで読んでくれるだろう。校長先生も、良くこんな ふざけた文章を学校で出してくれるものだ。感謝感激である。
今晩、ハシゴの練習があるが、公約通り「背亀」という大技に挑戦しようと思う。高いハシゴでは初め てだが、出来るかどうか。


1998年7月15日

アキヒカリに、一人でシコシコ肥料を散布している。中村君と弟は、農業試験場へお勉強だ。たまには 、一人でやるのも楽しい。
昨晩、ラジオの収録が久しぶりにあった。消防で1ヶ月以上さぼっていたので、3週分のまとめどりで、 半分以上に出演した。まさに獅子奮迅の活躍だったが、エネルギー充填バッチリで、攻めのトークが出 来た。それに、今回は我が消防団のハシゴチームの先輩が出演してくれた。まったくの職人さん達なの で、緊張したようだが、うまく行ったと思う。
そして、今晩は小学校で気功の教室が催される。子供たちと参加するつもりである。気功って、そもそ もあまり理解していない。カメハメ波かな?


1998年7月14日

昨晩の役員会は11時までかかった。地区懇談会の話がつきないのである。来年も、やった方がいいと いう意見が大半だった。
今日は、「普通じゃないコシヒカリ」に有機肥料を散布した。肥料の散布の基準は、チッソ量を良く使 うが、我が社は10アール当たり6キロを基準にしている。普通は8キロか9キロ散布するのが一般だ が少ない設定にしてある。だから、チッソ含有量6%のこの有機肥料だと10アール当たり100キロ 散布しなくてはならない。田植え前に50キロ入れてあるので、今回の穂肥は50キロ散布である。簡 単に50キロと言っても、動力散布機という機械を背負ってまくが、有機肥料はカサが多くあまりタン クに入らない。だから、田んぼを行ったり来たりして散布するので大変である。
その後、アキヒカリという加工用米(お酒の原料になる)に肥料を散布した。昨日の巡回で、少しおと なしい感じなのと、こちらは良食味はあまりこだわらないので、チッソ量1.5キロを追加することに した。でも、こちらは尿素肥料を散布。これは化学肥料なので、チッソ含有量がなんと46%。わずか 3キロ散布で済む。有機肥料の8分の一で済むわけである。このギャップの大きさは、さすがに半日で 経験すると、すごいと感じる。化学肥料が、出始めた頃の農家の喜びは、どれほどだったか想像がつく 。でも、宮沢賢治の本を読んでいると分かるが、そこは百姓の悲しさで、でたらめにやってしまい結局 病気や、害虫、倒伏を招いたようである。化学肥料、農薬はまさしくスーパーウェポン、コントロール に気を付けないと、痛い目に会う。ちなみに、我が社は、痛い目に良く会っているので、チッソ含有量 が6キロなのである。


1998年7月13日

イワナ釣りはボウズだった。釣り堀と言っても、腕の差は歴然であなどれなかった。今度は、勉強して いかねばなるまい。それに、子供たちは、下の子にいたっては5分ももたず結局、親が竿を持つはめに なってしまった。そのあとバーベキューにバードハミング鳥越という所に行ったが、立錐の余地もない 位に、ジュージュー焼いている様は、異様な感じがした。ここもそうだが、最近は貸し鉄板、網に炭、 そして食材と準備してくれるので、すごく楽になった。各人持つより、エコロジーだしロスもないので 私はいいと思う。良くあるのが、炭も食材も思いっきり余らすパターン。案外、そんなに食べられない ものである。そのあと、そこの温泉に入って帰ってきた。久しぶりに、ノンビリだった。
今日は、有機肥料を使用している田に肥料を散布した。そして午後に農業改良普及センターの方と我々 で圃場を見て回った。毎年、特別に見てもらっている。一般の方々とは、どうも格好が違うのでとまど いながらの診断だが、去年、栽培で大きく失敗したので今年こそはと力んでいる。
夕方、夏の海辺のコンサートの打ち合わせで、滝沢氏と会った。今年は、御陣乗太鼓とのジョイントを 考えている。とにかく、天気次第である。
そしてこれから、PTAの役員会。暇すぎるー!


1998年7月12日

昨日は、新大阪駅を地下鉄乗り換えで急いで歩いていて、フッと何気なく横を向いたら、上甲 晃塾長 が立っておられた。お互いビックリしたが、奥様と待ち合わせているとのことで、これ幸いと同行して 打ち合わせ会場に向かった。待ち合わせても、なかなかあの広い駅構内では会えるものではない、縁が あるのかな。そうこうしながら打ち合わせも盛り上がった。そしてなんと地元の方がホテルの23階の 中華レストランを予約してあり、大阪の夜景を見ながらの楽しい歓談になった。その時点で、今日中に 金沢に帰るという目論見はもろくも崩れた。でも、思いがけないラッキーな出来事に比べれば小さな事 だった。
今日は、少し眠い目をこすって、町内の清掃作業。今、これが終了し長田君ファミリーと釣り堀とバー ベキューに出かける準備をする。イワナの釣り堀らしいが、一体どんなエサで釣るのであろうか。まさ か、アオムシみたいな奴を使うのか、今から心配している。


1998年7月11日

苗箱も、だいぶ片付きライスセンター周りもスッキリしてきた。そして、午後から大阪へ青年塾サマー セミナーの打ち合わせに行ってくる。自分でも、そこまでしなくてもと思うが、最近は成り行きで、と いうか何か違う大きな力で引っ張られているような気がする。「ここに来れば、あなたにとって本当に 素晴らしい出会いがありますよ」と誰かが耳元でささやいている感じなのである。
とにかく土日は、スケジュールが詰まってしまう。今夜、最終で帰って来て、明日朝、町内の清掃作業 、それから子ども達と釣り堀とバーベキュー、温泉と盛りだくさんだ。まあ、ここ二日ボーとしていた から、いいか。


1998年7月10日

雨が、ひどいので「晴耕雨読」でお休み。所得税を支払ったり、雑用をしたりした。午後は、NHKの デイレクターさんの取材を受けた。なにやら、教育関係の企画を考えているようで、私の長い話に良く 耐えて聞いて行った。海辺のコンサートの宣伝も、ちゃっかりお願いしておいた。マスコミは両刃の刃 というのは、十分理解しているが、志の高い人も多いことが最近分かってきた。
昨晩のハシゴの練習の取材は、あんまり出来なかったようだが、練習は目一杯出来た。おかげで、今日 は、体中痛いし、アザだらけだが、一ヶ月ぶりというほどではなく、一通り出来たのは嬉しかった。今 度は、いよいよ練習ハシゴ(4m)での背亀に挑戦だ。ハシゴの竹一本に背中で裏返しになって乗る技 だが、一番恐怖感がともなう技である。これが出来なければ、一人前とは言えない。でも、恐いなあ。


1998年7月9日

苗箱を全部しばり終えたので、納屋の2階に片付け始めた。2階の屋根までのスペースをいかに有効に 使って詰め込むかで勝負が決まる作業で、特に上の方は、柱がごちゃごちゃしているので、アイデアが 要求される。本当は、すっきり入る倉庫があればいいのだが、あるものを使って経営しないと、一気に 経営難に陥ってしまう。
今晩から毎週木曜日にハシゴの練習が再開される。そして、今日は我々のFMの番組のための取材があ る。8月1日の野々市じょんからまつりでの出場に向け、いい宣伝になるので、がんばって取り上げた い。しかし、1ヶ月間以上は練習していないので、はたしてうまくいくのだろうか。


1998年7月8日

一万二千箱の苗箱があともう少しで、片付く。今日は、弟と中村君は、農業試験場へアグリ塾という研 修に出かけて不在。レデイースと昨日と同様のんびり作業が出来た。たまに、このような日がないとね。
昨晩、ラジオの打ち合わせとともに、海辺のコンサートの日が8月14日(金)に決定した。去年のコ ンサートで演奏者の滝沢氏がエクスタシーを感じてしまい、再度「窓岩」に乗って演奏してもらう予定 。さらに、今回は和太鼓も上げちゃおうかと相談している。昨年の感動をもう一度。


1998年7月7日

一日のんびり苗箱を片付けていた。3種類を10箱ごとに、しばりパレットに240箱積んでいく単純 作業であるが、最近30度を越える暑さで、結構修行に近いが、中村君や弟とゆっくり話せるいい機会 でもある。ところが、中村君を良く見ると結び目が変なのである。どうも、いわゆる本結びが出来ずに 結び目が逆になっている。自称釣りキチのはずだが、20数年間間違いに気づかず生活してきたようだ 。ちなみに、米の袋を結ぶのはシッカリ教えたので間違いがない。しかし、デジタリアンの中村君に、 このような3次元のイメージを教えるのは骨が折れる。ちょっと、油断すると、やはり間違えているよ うだ。まあ、私自身この歳でもハシの持ち方が間違っているようなもので、なかなか治らないだろうな。
今晩、久しぶりにラジオの打ち合わせに行く。ネタが切れ始めたこれからが、勝負なのだ。


1998年7月6日

もう平日の方が暇である。コイン精米機を掃除したり、苗箱を片付けたり、見学の方のために会社概要 を送ったりでのんびり時間が過ぎていった。この時期、コイン精米機や玄米に虫がわいてくる。一体ど こに卵があるのかは分からないが、通称「ハムシ」と言った成虫になって飛んでいる。殺虫剤をぶっ掛 ければ問題解決だが、どうみてもさわやかな行為には思えないので、掃除して追い払っている。我が社 の精米機は米ヌカが外部タンクに出るタイプにしたので、原因となる米ヌカが内部に出ないので、まだ 大した事がない。ちなみに、白米を米びつに入れている場合は、色々な薬も売っているし、にんにくや 鷹の爪(唐辛子)を入れる手もあるが、使いきって必ず洗わないと虫カゴ状態になる。タッパーウエア ーに入れて冷蔵庫に入れるのが、一番良い。早く、おコメ中心蔵の冷蔵庫を出せばいいのに。


1998年7月5日

シロギスを19匹釣った。朝、4時に起きて能登島周辺で釣ったが、今までで一番天候が良くて最高の 釣り日和だった。しかし、前の晩午前1時近くまで飲んでいたので、最後の方は疲れてしまった。なに せアオムシやイソゴカイという超気持ち悪いエサをハサミで切っては、やっと付けるのだから手間がか かる。それでも、晩飯分はとれたのでオヤジとして面子は立った。さらに、キスをさばくのが大変で、 以前妻にやってもらったら、今度はアンタがしなさいとなったが、やはり出来ないので、いつも行って いる居酒屋の大将に無理を言ってテンプラ用に開いてもらった。やれやれ。


1998年7月4日

3年生の学年行事の司会で朝から学校に行った。今回は、救急法を親子で勉強するものだが、会長の挨 拶代わりに、車で子どもの人形をはねる、デモンストレーションを行った。ホイールスピンをしてスタ ート、30キロほどでバーンとはね、キャーとブレーキ音とブラックマークと煙を残すという完璧な演 出だった。子どもも親も口で言ってもなかなか分からないので、体で分かってもらおうと企画したら、 担当の学級委員さん達もおお乗り気で人形をわざわざ作ってくれた。これがまた素晴らしくリアルで、 はねた自分もゾーとした。その後、救急法の講義と、ゲームをして来年度の学級委員候補を決めて終わ ったが、もうクタクタになった。このあと、能登島へ操法大会の打ち上げで釣りに行く。大体、えさの ムシを触れないのだから、もう大変である。釣果はどうなることやら。


1998年7月3日

午前中、田植えをした藤陰幼稚園の年長さんが、田んぼを見に来た。というより、オタマジャクシを取 りに来た。しかし、もうオタマはカエルになってしまい数が少なく、結局私と弟で取って上げたが、3 0年ぶりのオタマジャクシ取りは、仕事より疲れた。思っていたより、動きが素早くなかなか捕まえら れない。それでも、子供たちは、泥遊びで満足したようだ。帰りに、なんと「はやしさんへ」とお手紙 を70通いただいた。中を見ると、田んぼや、オタマジャクシの絵、さらには、パソコンを打つ姿や、 子どもなりの感性で描かれた絵と言葉が添えられていて感動した。若い時は、ラブレターなどもらった ことがないが、この歳で大量にもらうとは思ってもみなかった。


1998年7月2日

午前中は、たまった農作業日誌の処理と、各種データのバックアップ、源泉徴収税のための給与表作成 と真面目に机に向かっていたが、何本か林農産のホームページが開けないという電話がかかってきた。 自分のところのパソコンでは、問題なく、かえって動きが速くなっているのでおかしいと思って、プロ バイダーさんに問い合わせたところ、1日になにやらIPアドレスやらドメイン名の変更があったのだ が、その変更情報が、インターネットの大元締めにはあるのだが、各プロバイダーさんにはまだ行って ないらしいとのこと。各プロバイダーは3日から1週間の設定で時々その大元締めにデータの更新に行 っているので、そのうちうまく接続できるだろうとのことだった。フーム、我々の知らない所で色々や っているのだなと感心した。と同時に、結構毎日見ていただいている方がいると分かってありがたかっ た。
午後は、ハナエチゼンに穂肥を散布した。穂肥とは、まさしく穂の赤ちゃんに与える、一発必中の肥料 です。まだ、何も起きていないように見える稲も。実は根元の方に穂の赤ちゃん「幼穂(ようすい)」 が出来ていて、これが品種や肥料によって違うが数ミリから1センチ位になった時に、肥料を与えると 、おいしい米が、沢山とれるのである。これが、まさしく教育的にもあてはまるのだが、早すぎると伸 び過ぎて稲が倒れて、品質が悪くなる。遅いと、収量が上がらないと同時に食味が下がるという現象が 起きる。子供たちに、物や愛情を与えるのもタイミングと量は、穂肥のように一発必中でなくてはなら ない。その分、良く観察することが必要なのである。
しかし、林農産の多くの米は、一発肥料と言って、この穂肥も最初に入ったものを田植え時に同時散布 している。上記のこととは、矛盾するが、散布タイミングは一日か二日しかない。しかし、25ヘクタ ール全部を完璧に散布するのは不可能に近い、そこで積算温度で溶け出す一発肥料を使ってタイミング を合わせている。だが、量は一般の7割ほどにしてあるので、少なすぎる年は足すことも出来る。だが 、土作り資材の投入でここ数年は足したことがない。したがって、ブクブク太らないので、病気にも虫 にも強いので殺虫殺菌剤は使用しなくて済む寸法だ。下手は、下手なりに考えているのがお分かりいた だけただろうか。


1998年7月1日

昨晩の地区懇談会は、まあまあだった。しかし、これが毎晩続くのは、ツライ。強烈にエネルギーを消 耗している。ここ4ヶ月程の疲れがドッと出ている感じがする。そんな時は、みんなには悪いが、仕事 をサボッて昼寝をしている。行動パターンがバビル2世タイプなので、超能力が回復するまでは、休養 が必要だ。さて、今晩は地区懇談会最終日、超能力は使えるだろうか。





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