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日記を、日付順に、読みたいので、1番下へ行く

あぐらぐち物語 1998年11月分



1998年11月30日

昨日は、もちの配達の後、久しぶりにバイクに乗ってバイク屋さんへ、注文してあった新しいヘルメッ トを取りに行った。夏ぐらいから調子が悪かったバイクだが、なんと昨年転んだ時に、キャブレターの ボデイにひびが入っていて、少しづつ大きくなったせいと分かり、キャブ交換して修理した。しかし、 その後乗っていなかったのだが、やっぱり自分のバイクはいい。ガッツウンと加速して行くのは、ハー レーエンジンとフラットキャブならではである。おかげで、今日は首が痛い。
その後、中村君達のアグリ塾の仲間で豆腐を作るというので、子供達と見に行ったら、もう鍋やらお酒 やらで宴会になっていて、結局お昼ごろ行って、帰ったのは夜になってしまった。でも、豆腐ってのは、 案外簡単に出来るので、感動した。それに、おいしい。これを、商売にするのは難しいだろうが、家庭 や学校で作る事の意義は大いにあると、ホストの西田君も言っていたが、その通りである。本物を知る 事によって、賢い生活者になっていくのである。
そして今日は、PTAの今度のゲームセンター反対署名運動と、田んぼの契約やらで、あっと言う間に 夜になって、今もちつきをして、やれやれと思っていたら、ラジオ収録に来てくれと突然電話があった 。とにかく行かねば。
それと、今日から研修生の三宅君が岡山県から来た。明日から、もちつき修行だ。


1998年11月28日

午前中ほぼ一杯、初老の配達があって、午後は寝ていた。もうこんな生活をしていると持たない。本当 は事務作業があったが、なにも出来なかった。そして、今からまたもちつきである。でも、不景気で、 金が回らない話も農業関係では良く聞くので、この疲れも感謝である。
今晩、我が社の普通じゃないコシヒカリの先生の講演があるが、これも行けそうにないので、お米と、 お餅を持って行くつもりである。


1998年11月27日

午前中、初老のセット用の餅の袋詰めをした。天気が良いので、本来なら暮れ起こしに行きたいところ だが、あんまり放っておくと、乾燥し過ぎで、反り返ってひびまではいると困るので、詰める事になっ た。工場にいると、なにやら来客やセールス、電話があって、そろそろ暮れ起こしをしながら瞑想にふ けりたい気分である。
土日は、ありがたい事に、結構注文があって、今晩明晩ともちつきがある。この夜ついて朝配達は、非 常に効率は良いのだが、イベントも土日に多くあり、疲労がボデイブローのように段々こたえてくる。 しかも、近年注文が年末にずれるという傾向があり、さらに正月のもちつきが早まる傾向とあいまって 途切れ無しに、仕事がある。この分で、ドンドンずれていくと、年越しで仕事が増えるのではないかと 心配である。


1998年11月26日

午前中、もちの配達の後、藤陰幼稚園のもちつきに出かけた。園児が100人以上で保護者も含めて、 すごい大人数で、セイロが16で、臼が4つ用意してあった。それを、子供達でつくのだから大騒ぎで ある。一つの杵に4人が連なってつくのだが、持ち上げるのを手伝うので、普通につくより筋肉痛にな った。そのあと、お寺に入って食べたが、難民キャンプ状態で、餅の数も足りない状態であった。でも 、子供達は楽しそうで、ようやくここまで、こぎつけたという実感がみんなであって良かった。また、 来年もやりたい。
その後、パスポートの手続きに県の窓口に行った。綺麗なおねえさんに、一対一で面談があって照れた 。しかし、バイクで行ったので、鼻水が出ていて恥ずかしかった。


1998年11月25日

午前中は、報恩講と初老の配達と、事務作業で終了。みんなは、大豆の選別作業。午後は、もちつきを して、夕方から中村君と、弟は農業青年の忘年会に温泉にお出かけ。私は、一時中断して、ゲームセン ター中止の要望書を、テナントの会社に提出する会に参加してきた。そして、また帰って来て、初老の もちつき、そして今から、PTAの町連合の役員会に行く。綱渡りのスーパースケジュールをなんとか こなしている。
要望書を受け取った、社長さんは、温厚そうな方であったが、なかなか簡単には事は済みそうに無いと 感じた。ゲームセンター=悪ではないという話もやはり出て、中村君が言った事と同じであった。これ では、デベイトと同じで、ゲームセンター=悪は是か否かという議論になりそうな気配もある。私も、 経営者のはしくれとして、社長さんの苦しい立場は、理解できるが、楽な方向は必ず未来に遺恨を残す のは、農業界ではいやっというほど見て来ている。だから、歯を食いしばって志高い生き方を目指して いるのである。しばらく猶予をということであったが、ぜひ英断を望みたいところである。


1998年11月24日

昨晩は、川北温泉に行ってきたが、込んでいてびっくり。御風呂も、尻で尻を洗う状態で、洗い場もさ ながら込んでいるトイレ状態で前を押えたオヤジで順番だった。我々は、部屋を借りているので、時間 をずらして入ったので、たいしたことはなかったが大変だった。
今日は、大豆の選別と報恩講のもちつき。通称「ほんこさん」と言われる、浄土真宗の大切な行事で、 御坊さんが家々の仏壇でお参りをして、「宿」と呼ばれる当番の家でお経をみんなであげて、蓮如様の 御文を読むのである。その時、お供えするのが「ほんこさんの餅」である。数もバラバラだし、サイズ も小さいし、日時もバラバラで面倒くさいものがあるが、私も浄土真宗のはしくれ、ありがたく作らさ せて頂いている。
そして、その他は、ほとんど青年塾OB会準備会の報告書と、PTAの文章を作っていた。本当に最近 農作業をしていないなあ。トラクターに乗りたい気分である。


1998年11月23日

昨日は、スーパースーパースケジュールだった。早朝餅の配達をした後、小松駅まで車を飛ばし、しら さぎに飛び乗り、名古屋駅へ青年塾OB会世話人会のために行った。本当は、もう一便早く行かねばな らなかったが、とても配達が間に合わず、10分ほど名古屋駅集合に遅刻してしまった。その後、春日 井市の、会場で夕方まで、OB会設立のために議論を重ね、ようやく骨子が固まった。北は仙台、南は 広島までの塾生が12名集まったが、たったこれだけのために集まるエネルギーには感謝する。そして 、名古屋駅付近で、食事と歓談をして別れたが、私はすでにその日に帰る便は乗り遅れてしまい、結局 小松駅着が0時26分の最終になってしまった。家に着いて寝たのが2時。そして今日も、6時には起 きて、初老の配達をしてようやく確か、11月10日位から続いたスーパースケジュールに終止符を打 った。
今日、嫁さんが農協婦人部の温泉で出かけていないので、子供のお守りで家にいて、のんびりしていた 。今から、友人の日本酒の会が、川北温泉でやっているので、子供達と出かけてくる。


1998年11月21日

学校に朝早く行って、収穫感謝祭のもちつきの準備をした。開始予定は、10時だったが、とにかく湯 を沸かさないとだめなので、オカマ二つに火を付けて準備を開始した。その後、役員や学級委員さんが やって来て順調に準備が終了。子供達も来て開始したが、当初予定していた「もちっ子」による初期つ きが、何やら部品がとれてうまく行かず、結局ほとんど手でついた。各クラスで杵と臼、アンコとキナ 粉を準備したので、みんなでつく人、丸める人、アンを付ける人食べる人と、チームワーク良く出来て 良かった。去年は、全部我が社で、ついて行ったので、子供達に自分達のもちつきという意識が希薄で 食べるだけ食べて、体育館で遊びまわっていたが、今年はセイロからやったので、匂いも朝からプンプ ン漂って、雰囲気もバッチリ。最後まで、楽しく出来たと思う。やっぱり、教育は無駄が良いのである 。大人の論理の効率は、子供をだめにするということである。まあ、自分を含め、準備は大変だったが 、子供達の喜んだ顔で良しとしよう。
その後、すぐに白峰村まで郡PTAの理事会に出席。やっぱり、もう雪が積もっていた。今年は冬がや はり、早いのか。まだ、暮れ起こし全部済んでいないので、困るが、餅は売れる。どっちが、いいのだ ろうか、迷う所である。


1998年11月20日

昨晩のハシゴ練習は最悪で、ここの所の不摂生で体重が増え、おまけに同じ日に開催されていた、小学 校の「親子でクッキング」に顔を出したら、強制的にカレーライスを食べさせられて、もう腹パンパン の状態で、全然精彩がなかった。出番を控えた本番練習とでは、こうもだれてしまうのかと反省しきり である。
朝から、銀行回りや、車にスノータイヤをイエロハットで交換したりした。ここ野々市では、、まだ雪 が積もると言うほどもないが、明日と12月5日に白峰村でPTAの会合があるので、替えざるを得な かった。白峰では、すでに除雪車が出動しているようである。そして、普段お世話になっている鍵山相 談役に少しでも恩返しと思い、イエローハットに行ってきた。午後は、22日の青年塾OB会の準備会 のレジメ作りで全部つぶれてしまった。多くの意見を集約してまとめるという事務作業は、ほとほと向 いてない性分だなと思った。自分で新たに書くのは得意なのだが。
そして、夕方からは、明日の小学校の収穫祭もちつきの準備で、プロパンやオカマ、セイロ等を運んだ 。つくのは、わずか6うすだから、段取り9分というところか。


1998年11月19日

昨晩、緊急にののいちっ子を育てる会で、ゲームセンター開店についての、話し合いがあった。湯布院 から帰ったばかりで、さすがに堪忍して下さいモードだったが、どうしても行かねばならないと思い出 席した。各方面の話を聞いていると、想像以上に、ゲームセンターが、非行の温床になっているのには 、驚いた。現在、学校の非行に対する対応は限界に来ており、小学校から110メートルしか離れてい ない、さらに中学からは500mくらい、各高校の通学路上にある所に、大型のこのような施設が出 来るというのは、非行少年に、肥料をやるような物である。まず、アピール文の配布と、署名運動と、 やっていく事になった。湯布院の中谷氏がやってきたことに、似ているなと感じたが、町の風情が、地 域の力を決定付けるのだと思う。
午前中、小作料支払いとパスポート申請の書類等の為に、銀行や役場を回った。パスポートは、一月に、 バングラデッシュに行くので、13年ぶりに作る。午後は、近くの四十万小学校の先生が、もちつきを 依頼してきたので、相談を受けた。なんと、授業の一環で、代かきや、田植え、草取り、水周り、刈り 取り、乾燥、脱穀を全部、子供達とやったというのだから、ビックリした。聞くと、大変な思いをした ようだが、これこそ「命の教育」にふさわしいと感動した。そこで、もちつき当日、5年生を除く、す べてのクラスで、おすそ分けのつきたて餅を届けるという難しい注文を引き受けてしまった。当日は、 先生にピストン運送をしてもらわねばならないが、なんとかがんばってみよう。
さらに、今晩、学校給食問題検討委員会がある。そろそろ、決着を付けなくてはならないので、これも 、どうしても行かねばならない。とどめは、そのまま、ハジゴの練習がある。どうしようなあ


1998年11月18日

湯布院の報告を我々のファックス通信でしたので、載せます。写真は、中谷健太郎氏(左)と湯布院の 馬車です。

湯布院と山代 リフレッシュ型と歓楽型

11月16日に、アグリファンド「味人めぐり」のメンバーで、由布院へ研修に行ってきました。本ぶどう 園の本社長が、ぜひ会って話をしてみたらいいよという、強い薦めで、スーパースケジュールを縫って、妻 と行ってきました。行った先は、「亀の井 別荘」という温泉宿ですが、一泊3万5千円から5万円という 高級宿でした。最初は、躊躇したのですが、妻の強い要望と、当日が誕生日だったということもあって夫婦 同伴となったのですが、なるほど、由布院は大型観光バスで大量に泊めるのスタイルではなく、ゆっくりと 小人数で泊まるのに向いているなあと感じました。ここも、離れがいくつもあって、泊まると言うなんとも 贅沢なワビ、サビの世界でした。
そして、その湯布院の雰囲気は、一朝一夕で出来たのではなく、亀の井の社長の中谷健太郎氏を始め、多く の方の長年の努力の末に、出来た物でした。湯布院という田舎を楽しむ、農村を楽しむ風情が、最大の財産 と早くから、見抜き、バブル時のリゾート開発、土地の乱開発に、損得を抜いて反対をし、新しい企画を考 えて来たからです。例えば、4階建て以上は作らないとか、1000uを超える建物は、町作り条例で、委 員会にかけられるとかを、必死に作り上げてきたのです。そこには、反面教師として、別府温泉があり、典 型的な箱型温泉で、地域が見る影もなくさびれていく様は、対照的です。
そして、その風情を守るために、一生懸命農業者にアプローチをして、一緒にやろうとする姿勢が感じられ ました。そして、温泉経営者自身が、自分も昔は百姓でしたよと言ってはばからない謙虚も意外な面でした 。しかし、企画を持っていっても、農林関係では、なかなか動いてくれず、事務局が現在の観光協会になる までに3年もかかったという話は、さもありなんという話でした。だから、グリーンツーリズムの グリーンを外して、初めて自由な活動が展開できたとおっしゃっていました。さらに、ツーリズムも外し、 今は「親戚くらぶ」と名付け活動を展開しています。
その後、くじ引きで決めた部屋割りで、竹本夫妻が、最高級の部屋をゲットし、さすが普段苦労されている 方には、こんな所でご褒美が出るのだなと思いました。ちなみに私は、洋室の一番質素な部屋でしたし、長 田君は、男同士のタコ部屋でした。それでも、私達にとっては、超超高級な部屋で、大感激でした。という のも、田舎者の我々は、夜中に、みんなでドカドカ見て回ったので分かったのでした。部屋ごとに、全然違 う雰囲気で、それもびっくりでした。
翌日、午前中一杯、自由時間の予定でしたが、温泉街でそんなに時間をつぶせるのかと思っていましたが、 見るところや、買い物で、我々は、露天風呂まで入って楽しんで、とても時間が足りず、最低一日必要でし た。何度も来るリピーターのお客様が、多いと聞きましたが、なるほどでした。 アイデンテイーがしっかりしている、地域の力とは、こんなにも違うのかと驚きの由布院でした。 その後、目茶目茶揺れる飛行機で小松空港に着くやいなや、山代温泉へ直行。前日の、異業種交流をさぼっ ている、我々は福田先生が出席されていると聞き、ブルーな気持で到着しました。まったく180度違う温 泉で続けて泊まるのは、さすがに精神的にハードで、特に二次会のホールの喧騒にはウンザリでした。こっ ちが先なら、まだ良かったのにと、思いましたが、部屋は仲居さんが言っていたように、一番雰囲気のいい 部屋で、3次会は楽しく懇親ができました。
箱型の、大型バスと代理店方式の温泉、それは、多くの宿泊は望めるが、増改築を常に続け、その経費を払 いながら、しかも代理店経費も払わねばならないという方法だと思います。小人数で、個人客を相手にし、 宿の箱ではなく、地域の力でやっていく、それは経営という労力より、町作りという一件関係ない労力が、 非常に大きい方法だと思います。私はもちろん、湯布院も後者の方法なのですが、これから皆さんはどっち を選択してやっていきますか?





1998年11月16日

今から、由布院へ行く。こんな日に限って天気は快晴。しかし、ここ1週間ハードスケジュールだった ので、かえって用心して昨日は、下の子と9時には床に就いたので、子供の遠足のように早く目が覚め てしまった。湯布院温泉を、盛り上げている「亀の井」の社長さんの話を聞きに行くのであるが、石川 県の温泉もご多聞にもれず、衰退しているところもあり、倒産の記事が新聞の一面を、飾ることがある。 しかし、地域興しで成功している湯布のこの社長さんの話はぜひ聞いて欲しいという、アグリファンド 会長、本氏の強い要望で実現した。しかし、一泊4万5千円は、少し考えたが、今回は会から補助が半分 出るという甘い誘惑に負けたのと、妻の誕生日でもあるので、奮発することにした。非常に、物でプレ ゼントをもらうことを嫌うので、丁度良かった。それでは、行ってきます。


1998年11月15日

初老の配達の後、遅刻して秋の防火訓練に出動。消火栓の点検をしたが、これは担当地域の消火栓の、 鉄ブタの回りに塗ってある黄色いペンキを補修する作業である。年2回するが、剥がれたり、うすく なったりもあるが、一番の目的は場所を覚える事だと思う。一度でも、作業をすると、大体の位置は 覚えるのである。ペンキを塗った上に、石灰をまぶせば、乾く前に車が通っても、タイヤに色が移ら ないというのは、案外知られてない事だと思う。おかげで、真っ白になってしまった。
その後、3時間半、みっちり救急法の講義と実技があって、みんなでカモ鍋を食べて帰ってきた。なん と、この鴨、団員の人が朝、解禁日なので撃って来たもので、散弾が出てきたのには、びっくりした。 ところが、明日、九州の湯布院へ夫婦で研修に行くので、早く帰ってきたら、下の子が熱を出していた 。今回の研修は、味人めぐりの本の一環で行くのだが、すでにドタキャンが、何件か出ていてとても、 いまさら断れない。今晩中に、なんとか治さないと。
しかも、あさって帰ってきても、小松空港で、拉致されて、別の会合で山代温泉に、直行である。信じ られないスケジュールを組まれている。人気者はつらい。


1998年11月14日

昨晩の懇親会は、さすがに疲れていて精彩がなかった。なんとか二次会までやって帰った。午前中、遠 方に配達があって、帰ってきたら、初老の問い合わせと注文でお店がテンヤワンヤになっていた。さす がに、皆さん焦ってきたかのかな。
その後、昼食もそこそこに、金沢市の日航ホテルで、石川県PTA50周年記念式典とパーテイーに出 席した。さすがに昨日の懇親会の後なので、堪忍して頂戴という感じだったが、これも大事な会長の職 務と思い出かけた。相も変わらぬ、各種表彰と挨拶、そして講演会。今回は、タケカワユキヒロさんの 一男四女の子育ての話だった。一律なコミニュケーションではなく、1対1でコミニュケーションが必 要だと、5人の子育てを通じて語っておられた。その後、見渡すほどの大広間で550人以上の大パー テイーがあったが、夜、初老のもちつきが沢山あったので、途中で退座してきた。
帰りすがら、もしゲームセンターひとつ、どうにか出来ないようなら、こんなイベントは無意味だなと 、思った。逆に言えば、こんなにエネルギーがあるのなら、なんとかなるのかなとも思った。それにし ても、PTAの歌と言うのがあって、これにはマイッタ。時代の変化に対応しなければならないと言っ ているのに、すごく時代錯誤な歌で、びっくりした。いい歌なのだが、合わないのである。
さすがに、天気の良い土曜日をつぶしたので、愚痴っぽくなってしまった。明日は、早朝の配達の後、 消防の秋の防火訓練と心肺蘇生法講習会で一日が終わる。


1998年11月13日

午前中、さー清算書印刷だと思って、プリンターを動かしていたら、突然停止。あれっと見ると、なん と用紙切れ、在庫も無し、特殊な物なので仕方なく、小松の農家の仲間の家まで分けてもらいに行って 、午前中は終わってしまった。午後は、富山県から見学の方が来て、夕方から教育委員会へ、PTAの 要望書を提出に行って来て、今からPTAの懇親会である。ほとんど、農作業をしていない毎日が続い ている。
要望書の提出と言っても難しく、なんでも見たもの乞食のように、クレクレと言っていてもラチがあか ない。我が校は、もう既に保護者の方が、ずいぶん努力しているが、あと一層の協力をもらえれば実現 しそうな案件を提出した。やはり、保護者が汗をかいてこその、要望書であると感じた。


1998年11月1日

昨晩、野々市町農業後継者グループの懇親会があって、若い農業者 の、嫁さんへの要望というか愚痴で、大激論になってしまった。ようするに、男は疲れて帰って来てい るのに子供の世話をさせるなとか、家事は仕事のうちに入らないとか、自分の親は両方やっていたとか 、いう話だが、女性陣と、結婚して年期が経った男性陣とケンケンガクガクだった。まあ、本気でそん な事ばかり言っているのではなく、普段がんばってやっている連中なので、どっちかと言えば聞く会に 最終的にはなった。お互い価値観の違うもの同士が結婚するのだから、当然の悩み葛藤で私も散々暴れ たものである。そうして勉強していくのだろう。しかし基本は、絶対に妻の味方であるべきという点は 、外してはならないと思う。同居を嫌う若い女性の気持が分かる気がした晩であった。
ようやく、小作料の計算が出来た。後は清算書を出して終わりだ。そんな中、農業共済の冊子の正月号 の表紙にすると言って、写真を撮りに来た。普段、仲が悪い?のに、兄弟くっついてニッコリというの は苦手だ。綺麗な、女性と並んでニッコリなら自然に出来るだろうが、つくづくモデル向きではないな と思った。
「味人めぐり」を読んだ方からハガキが来た。どんな小さな反響でも、すごくうれしかった。沢山載っ ている農業者の中から我が社を選んでくれた事自体感謝である。


1998年11月11日

午前中、もちつきがあったが、私は事務所で作業をした。ややこしい、小作料の計算も半分終了した。 午後は、大豆の選別機がセットされて、明日から大豆の選別作業である。今年は、品質が悪いので、ど れだけの製品率になるか、心配だ。基本的方法は、大豆を緩やかに坂になったベルトコンベアの上をコ ロコロ転がして行くと、いびつな豆は、回転し難いので、上に上がり落ちるし、球に近い物は、引っか からずに下に落ちる。だから、変色したり、わずかに虫に食べられている豆は、良品として選別されて しまう。根性のある農家は、ここでさらに、雨どいで流しソウメンのように転がし、目で見て選別する という気の遠くなるような作業をするのである。ちなみに、我が社は、日本一根性のない農業法人なの で絶対にしない。一度、やってみたけど、本当に気絶しそうだった。
良く、経営者の勉強会で会社で日本一番、地域一番を持なさいと言われるが、我が社は、「日本一根性 のない」「日本一朝が弱い」「日本一休憩時間が長い」といくつもある。これってすごい?


1998年11月10日

朝、青年塾のメンバーで、ギョーザの王将のフランチャイズに勤めている仲辻君が、スタッフと我が社 に見学に来た。ギョーザの王将と言えば、全国チェーンで、近くの温泉で全国会議があったので寄って くれた。私の固定観念では、食べた後、味の素の味が何日も舌に残っているというイメージだった。 農協が全部が全部、だめな所でないように、仲辻君のフランチャイズ、株ダイショウは、各店、行列が 出来るような店で、経営者が志ネットワークの会員でもあるという、私の固定観念をぶち破るには十分 なインパクトがあった。10月にお邪魔した時は、スタッフがとにかく活き活きとしていて、サービズ も痒い所に手が届くような事をしているのが見て取れた。そんな彼らが、早起きして見に来てくれたの で嬉しかった。
その後、大急ぎで給食問題検討委員会の高松町給食センター見学に出かけた。往復2時間以上かかって 行っただけの事はあった。2400食余りを、15名のスタッフで作っているのだが、とにかく意欲が 感じられて好感が持てた。施設自体は、平成6年から設計が始まっているの、すでにO−157や、食 器の環境ホルモン問題の対策からは、遅れをとっているが、これはもう切りがない話である。だから、 いつも思うが、最終的には、箱ではなくて、中で働く人間の質が問われる。試食も、大変おいしくいた だき、こんな真心給食なら、良いかなと思いながら帰ってきた。


1998年11月9日

午前中は、トラクターで暮れ起こしをして、藤陰幼稚園に、カグラモチ精米の配達に行った。子供達が 植えて、刈って脱穀した米である。きっと、おいしいお餅になるだろう。もちつきは、26日だが参加 する予定でいる。
午後は、青年塾OB会の準備で通知を製作していた。22日に、名古屋で世話人会を開催する予定であ る。やっぱり、何かと名古屋は日本の中心で、どこからでもアクセスが出来て便利である。青年塾は、 便利さをあえて避けて、いつもとんでもない所に行くので、本当に楽な気がする。しかし、その会議の ためだけに全国から集まるという手間暇は大変なものである。果たして何人来るのだろうか。


1998年11月8日

昨晩のマイズル男君の快気祝(8月に靭帯損傷していた)は、ぶった農産社員との交流も含めて、盛り 上がった。林農産がやばくなった時の、吸収合併への布石になるだろうと、言うことで、肉やアルコー ルを大量に注入したことは言うまでもない。特に、二次会で食べた「どじょうのから揚げ」は、普段食 べ物に執着しない彼らを、虜にするに十分な威力があったようで、どじょうの水槽が空になってしまっ た。成仏を祈る。
朝、ゆっくり起きて、妻の実家に子供達と行った。もう、富山に行くと、何も出来ないので、ただただ ボーとして過ごした。久しぶりに鋭気を養えた。青年塾OB会へ向けての塾長からの手紙も届き、よう やく動けそうである。なんと行っても、今週は目白押しで、予定表が PTA関連、給食問題関連、農 業団体関連、消防関連と真っ黒である。この勢いで、年末まで、ややこしいものは解決しておかねばな らない。


1998年11月7日

朝、少しもちつきをして、小作料の計算をしている。ともかく、400筆以上あって、小作料の現物、 さらに水回りを委託している地主さんもあって、ややこしい。そして、私にとって、この事務作業が 一番苦手なので、遅遅として進まない。普通、土曜日は初老のもちつきで、忙しいはずだが、今日に 限っては、まったく注文がない。久しぶりに、静かな土曜の夜を味わえると思えば良いのか、困ったと 言うべきか。それと言うのも、年々注文のタイミングが年末にずれているのも原因だが、おそらく、 皆さん悩みまくっているのだろうなと想像できる。2升で4.300円を20箱も注文すれば、86. 000円の出費になるのだから、今の御時世では厳しいと思う。
現在、舞鶴に在住の、我が社のスーパーボーイズ通称「マイズル男」君が遊びに来たので、みんなで焼 肉を食べに行くことにした。ついでに、ぶった農産の若い社員も誘っていくことにした。まあ、久しぶ りに、ゆっくり行けそう。


1998年11月6日

中村君と弟で、暮れ起こしをしている。暮れ起こしというのは、収穫が終わった田んぼを春の前に耕す 事で、ワラや稲株をすき込んで腐蝕を促す。この作業が出来るようになったのも、ごく最近で昔は、麦 を播いたり、キウイフルーツの剪定作業で時間がなかった。おかげで、田植え前に水を入れると大量の ワラが浮いて来て、田植えの邪魔になったものだ。おまけに草も、多いので除草剤は大量に使用するは で、暮れ起こしが出来ないだけで、悪いことだらけだった。今は、ケイカルまで散布しているので、バ ッチリである。でも、不耕起と言ってまったく耕やさず、稲を植えていくという方法もある。これだと 、土の環境を崩さないので、実に多様な環境が出来て良い稲が出来るのであるが、残念なことに、この 辺は、水の浸透が早く、耕さないと水は、田んぼの入水口から三分の一位の地点で、消えてなくなって しまう。
午後は、PTAの研究発表というのが、近くの小学校であって出かけた。どうも、PTAにしては、パ ンフレット等が洗練されていて、デザイナーの存在が感じられていたのですが、行って見てびっくり。 美大時代の同級生夫婦がいて、奥さんが副会長で司会までやっていた。うーん、これからはPTAもデ ザインの時代なのかもしれない。コンセプトやアイデア、工夫、そして手法が、新しい教育を考えて行 くには、非常に重要になってくるだろうと感じた。


1998年11月5日

朝から、昨晩のPTA役員会を受けての、保護者への文章や、締め切りが近付いている食品加工総覧原 稿を書いていて、ほとんどワープロばかり叩いていた。それに、来客が多くて、今日は全然農作業は出 来なかった。一番の懸案は、野々市町の中心地にあるショッピングセンターの2階の全フロアに24時 間営業も含めたゲームセンターが出来る話が持ち上がっているということである。内々には、聞いてい たが、2階半分が深夜12時までの風俗ゲーム機、残り半分が、24時間営業の普通ゲーム機数百台、 カラオケボックス数十室、ビリヤード数十台というもので、既に、法律上はクリアして営業準備に入っ ているというのです。せっかく環境浄化にがんばってきたのに、これでは「非行少年養成センター」を 作るようなもので、非常に憤りを感じてしまいました。ゲーマーの中村君いわくなぜ、ゲームセンター イコール非行少年というのは、おかしいと言うのも、一見正論だが、現実問題、多くの非行の舞台にな っていることは、否定できない。これは、相当中村君と議論していかねばならない。


1998年11月4日

カルス菌を散布しながらトラクター作業と、小学校と幼稚園、そして無農薬栽培のイセヒカリの脱穀を して、ようやく秋作業は終了した。バザー熱はまだ続いていて、調子が悪い。調子の波は、デジタルに 日記に反映するようで、読んでいる人も頭が痛くなるのではないかという、出来なので、この辺で止め とこう。ちなみに、これからPTAの役員会だ。


1998年11月3日

ラジオ収録は、自分としてはあまり良い出来でなかった。弟と、中村の個性を引き出すにはいかないう ちに終わってしまった。これを教訓に、次回のスポンサー特集では、もう少し良くしたい。出来不出来 は、他人から見ると余り分からないが、本人は一番分かっているので、昨晩は寝付きが悪かった。
早朝から、初老の配達。どの配達先も、家族総出で出迎えてくれるので、いかに本人にとっては大きな イベントかうかがえる。その分、我々も責任重大である。今回、一軒、もち米の持ち込みでついたもの があったが、味が良くなかった。持ち込みであっても、いただく人にとっては、「林農産のもち」とな ってしまうので、リスクがある。虫が混じっていたり、色が汚かったりと極端な例は、電話して我が社 のもちと入れ替えるのであるが、今回は「味」という見えない要素なので、困ってしまった。性格の悪 い美人を見分けるようなもので、最初は、こちらのもちを持っていって、食べ比べしてもらい判断を仰 ごうかと思ったりもしたが、せっかくの初老の祝いにケチを付けるには忍びなく、そのまま置いてきた 。精一杯、造ったので、きっと味も良くなるだろう。
その後は、自分のバイクを車検と修理に、バイク屋さんに持って行って、町民文化祭の青年団のもちつ きに顔を出して、家に帰ったら、もう風邪でだるくて夕方まで寝ていた。本当は、事務作業が沢山ある のだが、出来なかった。今度は、バザー熱なのだろうか。


1998年11月2日

風邪で、ボーとしながらもなんとか仕事をしている。今日は、有機肥料を入れる田んぼにカルス菌商品 名「アイデンカルス」を散布してトラクターで耕した。これは、嫌気性菌なので、速やかに土の中に入 れてやらないと死んでしまうので、散布しているすぐ後を追っかけるように耕す。ちなみに、EM菌は 、好気性菌なので、空気がないとだめらしい。
そして、今年第一弾の初老のもちつき。いわゆる四十二の厄落とし用のもちだが、この辺は紅白で、2 升前後を配ることが多い。その後、さらにFMの収録に出かけるが今回は、スポンサー特集で林農産の スタッフの弟と中村君が登場することになっている。果たして、うまく話せるのだろうか。ちなみに、 林農産の今週の要らないものコーナーは、「社長」である。


1998年11月1日

バザー終了。なんとか、去年並みの収益を上げることが出来てホッとしている。しかも、残る品物も減 って来ているので良い傾向である。細かいトラブルもあったが、今回は小型無線機を使用し連携良く、 こなして行った。しかし、この前からの風邪が、気を抜いたのかひどくなってきた。これから、消防の 点検があるのだが、行こうか迷っている。





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