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日記を、日付順に、読みたいので、1番下へ行く

あぐらぐち物語 1999年7月分



1999年7月31日


ようやく発表関係は終了。午後は、納屋の2階に、苗箱の残りを全部上げた。明日は、野々市じょんから祭りでハシゴ演技の後、バーベキューと釣り。海辺のコンサート前には、色々とイベントも多く、あっという間にお盆になる気がする。
後は、プレゼンの練習だ。しっかり練習していかないと、シドロモドロになってしまうのである。いつものように、話すには、相当段取りを考えておかねばならない。問題は、その時間があるかだ。


1999年7月30日


ようやく北陸農業試験場分は出来た、次は、海辺のコンサートの段取りと、この前の富陽小5年生の感想文にコメントを入れた。まだ、10月の農業経営学会の分がまだであるが、だいぶ追いついたぞ。
海辺のコンサートの宿泊の段取りは、民宿に分宿なので、グループ分けが難しい。まったく面識のない人もいるし、今までも、このグループ分けがうまく行って、みんな好印象を持ってくれたのである。当日、私がする仕事はほとんどなくて、優秀なスタッフ(冗談抜きで)がすべてやってくれる。だからこそ、この段取りは重要である。問題は、お盆なので、泊めてくれる民宿が限定されるのである。観光協会の方は、それだから衰退して行くんだと憤っていたが、お盆に家族と水入らずで過ごしたい気持ちも分かるし、少し複雑な気持ちである。そう言えば、去年泊まった宿も都会から帰ってきた、息子さん夫婦と子供が世話をしてくれた。その辺を理解しながら謙虚に行こう。


1999年7月29日


一日、パワーポイントと格闘して、今度の北陸農業試験場でのプレゼンの準備をしていた。しかし、地図情報を組み込むのに時間がかかって、まだ未完成である。取りあえず、今日締め切りなので、未完成でも送付したが、明日仕上げよう。それにしても、我が社の経営を言葉で表現するのは難しい。「23世紀型農業」となってしまうのである。分かるかなー。


1999年7月28日


夏休み特別企画「富陽小に貞子はいるか」は、大成功!おかげで、打ち上げを終えて帰ったら、朝の3時で、不良PTAになってしまった。肝試し自体はあまり怖くなったようだが、やはり子供との触れ合いが出来たのが良かったようだ。来年は、視聴覚教室で「リング2」を上映してからやろうか。きっと、怖くてリタイヤが出るはずだ。
今日、金沢市兼六中学の2年生二人が職場体験で、肥料散布を手伝った。20キロの袋には四苦八苦していたが、暑い中がんばってやってくれた。このうちの一人は、私が中学2年生の時、模型飛行機の雑誌の投稿を通じ、文通を始めた友人の子供である。めぐりめぐる人生の不思議さを感じずにはいられない。しかも、そいつが、バイクを私に知らしめて現在に至っている。たった、1通の手紙で人生が、変わる典型的例だ。


1999年7月27日


油断してしまった。カグラモチの幼穂が、もう2センチくらいになっていた。明らかに、肥料散布の時期を逃してしまっている。前の、田んぼ巡回の時は、26日に一度見てみて判断しようと言うことになったのだが、ここのところの高温で、成長が早まったのだろう。22日か23日が適期だったのかもしれない。とにかく、大慌てで、肥料散布を開始したが、あいにく今日は、中村君も研修生の板垣君もいないので、レデイースと行った。しかし、あまりの暑さで、3ヘクタールがやっとだった。明日は、板垣君がフォークリフトの研修終了なので、もっとやらねば。それと、明日は中学生が、農作業体験にも来る。どんな風になるか楽しみである。
そして、今から夏休み特別企画「富陽小に貞子はいるか」に出かける。昨晩も準備は、みんなノリノリで楽しかった。後は、細かい修正をして会場の準備だけである。果たしてうまくいくのだろうか。リングのように、スタート会場と校長室には、「砂の嵐」(ザーと映像映らない状態)のテレビを用意する予定。子供達や若い保護者はこれだけでも、怖い、、、。


1999年7月26日


午前中、魚津市の農家方々の見学があった。その中に、偶然、私の美大時代の親友のお姉さんがいてビックリ。向こうもビックリしていたが、最近の波動攻撃は、常識の領域を越えていることが多くて、かえってそれも当然に思えてくる。
午後は、事務所で、「富陽小に貞子はいるか」肝試し大会の準備、海辺のコンサート準備、さらに8月のプレゼンの準備と大急ぎでやっているが、なかなかプレゼンが完成しない。ちょっと、やばくなってきた。しかも、若い衆は、フォークリフトの作業免許取得に出かけていないので、草刈りもせねばならない。明日は、半日づつ分けてかかろう。


1999年7月25日


司会のギャグで滑ってしまった。まあ、それはいいが、夜、塾長と一夜を過ごして濃いお話を聞けたのが良かった。青年塾に対して人生を賭けていらっしゃる本気さがビンビン伝わってきた。幸せな一夜であった。
本番の掃除の会は、最近トイレ掃除はやってないのに、いきなりリーダーで大変だったがなんとか終了。青年塾では、単なる日常の研修なので、ことさら意識しないが、この「掃除の会」のトイレ掃除にかける集中力はすごい。圧倒されて帰ってきた。妻も子供達も元気に参加。はっきり言えば、お父さんの変な趣味に付き合わされた格好だが、良くがんばってくれたと思う。帰りは、山中温泉の元湯に入ってスッキリした。


1999年7月24日


今から、「かがやまなか掃除に学ぶ会」に出かける。いつに間にか、講演会の司会者になっていて、緊張している。しかも、講演者が上甲晃塾長なので、なにやら身内の司会なので、さらにやりにくい。口をすべらせて失敗しないようにせねば。


1999年7月23日


一日、パソコンの前で、あーだこーだ考えているが、筆?が進まない。そんなところへ、この前授業をした富陽小学校5年生の感想文が来た。まったくクラスによって感じが違うのには、驚いたが、それでいいと思うし、楽しく読ませてもらった。一人一人に、コメントとサインを入れて返そうと思いがんばった結果、プレゼンの方は、また後回しになってしまった。どうしよう。
昨晩、ハシゴの練習があったが、なぜか調子が良くて、今までどうしても出来なかった、横大の字、こいのぼりみたいな技が、突然出来た。ついでに、逆もしたが、こっちも出来た。出来るときはこんなものだ。おかげで、今日は肩が痛い。


1999年7月22日


免許を再交付してきた。案外、簡単だったが、皆さん知っているだろうか、再交付は免許番号の末尾に1が付く事。無くした数だけ番号が増えて行く仕組みである。だから、おまわりさんに、お世話になる際、ここの番号が多いと、物を良く無くす人物とばれてしまう。
8月と10月にある発表の準備をせねばならないが、机の上のエベレストを崩してからでないと、悲惨な状況でとてもやる気が起きない。24日に、「掃除に学ぶ会」へ行くにしても、これではあまりにも恥ずかしい。しかし、結局半日では、終了しなかった。中村君が草刈りで倒れる前に、完了してプレゼンも仕上げよう。


1999年7月21日


飛び石連休で、ゆっくり休めるかと思いきや、暑い暑い。グッタリしてしまった。昨日の午後、山中まで土日に行われる「掃除に学ぶ会」の打ち合わせに出かけて来た。予定表を見ると、しっかり塾長の講演会の司会に名前が印刷されていた。名だたる、経営者の前での司会である。一気に緊張感が高まってしまった。
月曜日に、普通じゃないコシヒカリ用の日本たばこ産業の肥料JT666を散布しようとしたら、なんと発注ミスで別のものが来ていて全部散布できなかった。穂肥のタイミングは、わずか1日しかないので、致命的なミスである。仕方なので、手持ちの分で量を半分にして散布した。担当者も平謝りだったが、どうしようもない。ところが、今日の朝、農協へ取りに行ったら、丁度宅配のトラックが来て、肥料が届いた。見てビックリだが、20キロ袋ひとつひとつに宅配伝票を張って16袋送ってきた。普通の送り方と違い宅配でこのように送ると、利益がなくなるはずである。ミスはいけないが、このような姿勢は、経営者の一人としてうれしく思った。宅配のお兄さんも、お中元にしては、変わった品物に驚いていた。
昨晩、子供とビデオを借りに行ったら、なんと免許証がなくて身分を証明出来ず、断られてしまった。ショック。明日、免許証の再交付に出かけることにしよう。


1999年7月19日


虫送り祭りも無事終了。8時点火で、太鼓の打ち手と少し小競り合いがあって、ヘルメットのヒモが切れたが、これぐらいないと、盛り上がらないだろう。研修生の板垣君は、青年団へ手伝いに行ったきり帰って来なかった。よほど、馬が合ったのだろう。
夕方から、再度子供たちと釣りに出かけた。今度は、ボーイズの先生にお願いして連れて行ってもらった。さすが、釣り師は違う、いわゆる「玄人の店」に行ってエサ等を購入するのだが、私のような素人には、さっぱり分からないエサがバラ売りされているし、氷もコンビニに売ってあるような体裁のいいブロックアイスではないし、なによりも、店の雰囲気が昔の「よろずや」風で、オバチャンも適度に愛想が悪い。そこで買ったエサは、サビキ用のアミエビ、キス用のイソゴカイ、ここまでは、分かったが、セイゴ用の「ユ虫」(と汚いマジックで書いてあった)は、ちょうどネズミの胎児をミミズにしたような得体の知れない、地球上の生物とは思えない代物であった。釣り師が言うには、これでないとだめだそうだ。
そして、金石の堤防で釣ったが、なんと子供たちのサビキに、ジャンジャンとサバ、アジがかかり大喜び。すると、気がつくと周りに釣り人が集まってきて密集してしまった。そうなると、まだ投げ釣りのヘタな私は、隣のコワイお兄さんの糸にからまったりで散々だった。結局、キスもソコソコ釣れて子供たちも大満足の一日だった。セイゴは無理だったが、釣り師はさすがだった。


1999年7月17日


朝、チョミ吉がまた脱走。今回はひもを付けてあったにも関わらず逃げた。ゆっくりごろ寝しているとばかり思っていたのに、、、。奴の方が上手だ。そもそも、ある事件があって大騒ぎしていたからなのだが。実は、ツバメの雛がヘビに食べられてしまったのである。数年前にもあったのだが、ちょっとした、とっかかりで、ヘビは天井の巣に入り込んでしまうのである。その時は、奇跡的に1羽、落ちていているのを発見、そうっと巣へ戻したら無事育った。今回も、第一発見者は私だが、猫にエサをやりに行ったら、いつもならニャーニャーうるさいのに、一点を見つめて動かない。その視線の先に、腹を大きくしたヘビがいた。やられた!と思って上を見るともう静か。とりあえず、ヘビを外へ出したが、全滅のように見えた。しかし、相当経ってから、1羽か2羽生き残っていることが判明。あまり大きいヘビでなかったのが幸いしたのだろう。まさしく、自然のドラマである。
今晩、この地域の「虫送り」と言って、太鼓と松明の火祭りがある。当然、消防団も出動で、ついでに本バシゴを立てて練習する。実に、8ヶ月ぶりである。今回は2番手で、演技数は少ないが、正規の位置でなく逆ポジションなので、結構怖い。見てる方は、単なる逆と思うだろうが、まったく感覚が違うし、持つ位置が遠くなる場合が多く、あんまり気持ちいいとは言えない。高くなれば気合も入るだろうから、大丈夫だろう。いやきっと大丈夫。
一日中、今日は店番。藤井嬢も、研修生の板垣君も青年団で虫送りの準備に行っている。その間、8月の北陸農業試験場での研究集会、10月に行われる、経営学会用のプレゼン原稿を書いていた。久しぶりに、脳みそを使って疲れた。気軽に受けてしまったが、これは大変なことになった。


1999年7月16日


昨晩、ハシゴ練習のあと、一杯飲んで帰って来たら、猫ケージの中が、糞だらけだった。やれやれと思って、猫を出して片付けていた。最初のうちは、呼べば返事をして、近くをウロウロしていたので、少し安心していたら、ダッシュして逃げてしまった。まさしく「猫をかぶる」とは、この事である。今朝、母親にボロクソに言われているのを見て、妻が「胸のすく思い」をしたのは、言うでもない。
普通じゃないコシヒカリに、有機質肥料を散布した。ペレット状と言って、機械で散布し易いとは、言え、かさがあって、量も沢山散布するので、我が社の、昭和60年式の背負い式散布機のタンクでは、ろくに入らないので、田んぼを行ったり来たりして、ようやく、2,7ヘクタールの3分の2散布した。
我が社の方針として、あまり複雑な体系、つまりあれやこれやを散布しない。多くの農家の、有機栽培の方法を聞いても、複数の資材を組み合わせて、さらに、複数の方式の田んぼがあって、私の勉強不足もあるが、サッパリ分からない。それも、良く聞くと、毎年変わっているし、何を目指しているのか良く分からないのが、本音である。
我が社の研修生にも、口を酸っぱくして言うのは、生産者なら、良質米を目指すのは分かるが、経営者なら、マーケテイングをしなくてはならないと言う事。つまり、ターゲットは、この層、エリアは、この範囲、すると、価格はこれぐらい、品種はどれが適当で、栽培方法はこれと決めるのが合っている。そして、すべてに渡って、会社の経営基本理念に合っていなくてはならない。どうも、農業生産者は、この逆が多いように思うのは、私だけであろうか。


1999年7月15日


チョミ吉帰宅。昨晩、9時頃、びしょぬれになって、帰ってきた。エサを入れると自らケージに入ってきた。やれやれ、手のかかることである。
今日、農業改良普及センターの方に来ていただき、圃場巡回をした。最近は、一発肥料と言って、田植え時に入れて、終わりの田んぼが多いが、普通じゃないコシヒカリ、イセヒカリ、カグラモチは、これから肥料を入れるので、タイミングを計るために見てもらった。幼穂と言って、今の時分から、稲の根元の方に、数ミリから数センチの小さな小さな穂が出来てくる。これを見て、品種によっての肥料散布時期を探るのである。10ミリで肥料を入れると丁度とすると、散布のタイミングはわずかに、1日か2日。あっと言う間に、数センチになってしまう。かと言って、早く散布すると、量はとれる可能性はあるが、稲の体ばかり大きくなって、倒れる危険性が増す。でも、遅れると、倒れないけど、穂に栄養が吸収されず、量が取れない。こんなそんなで、我が社のように、ヘタクソで面積が多い所は、温度スイッチで、肥料がある一定の積算温度に達した時点で溶け出す、一発肥料が結局、安定して収穫できるのである。明日から、いよいよ普通じゃないコシヒカリに有機肥料を散布する。有機肥料の散布タイミングは、2ミリから5ミリ。化学肥料よりマイルドなので、5日から7日早めのタイミングである。おいしいお米が出来るように「気」を込めて散布だあ!


1999年7月14日


チョミ吉脱走。妻があんまり鳴くので、散歩していたら、チャンスをうかがっていたようにダッシュ。どこかに行ってしまった。しかも、雨がひどくなってきた。早く帰って来てくれないかな。良くなったら、去勢される話を聞いて、やばいと思ったのかもしれない。
昨晩、海辺のコンサートの打ち合わせをしたが、もう3年目となれば、まったく決めることもなく、すぐに終わってしまった。もっぱら、来年は一体どこでやろうかという話で盛り上がっていた。初年度は、重油被害の後のボランテイアで、モチベーションが高かったが、今回はそれがあまり感じられない。何か事を起こすというのは、なかなか難しい。それに比べ、富陽小学校の夏休み特別企画「富陽小に花子さんはいるか?」の方が、盛り上がっている。お父さんに、学校のことを知って欲しくて、肝試しを企画したが、もう役員を始め先生方もノリノリ。定員をはるかに、超えて申し込みがあったようだ。しかし、ここで難しいのは、「オヤジの会とすると、お父さんがいない子はどうなるんだ」という人権問題。結局、お母さんとも参加OKになったが、やっぱり、父親がいないばっかりに参加資格がないというのは、かわいそうなので、それで良かったと今は思っている。うちの若い衆を貸そうかな。


1999年7月13日


チョミ吉は、エイズだった。FIV猫免疫不全症。まだ、発症しているかは、分からないが、取りあえず、下痢と腹膜炎の薬をもらってきた。1週間様子を見て、治れば良し、もし良くならなかったら、発症しているので、違う治療法となるらしい。しかし、薬といってもHIV用つまり人間用のものしかないので、大変高価らしい。すでに、今日だけでも、治療費、そしてケージ代で何万円も使ってしまった。しかし、放っておくわけにもいかず、困ってしまった。なによりも、ケージでニャーニャー泣いてかわいそうである。不治の病とはなんとも、いかんともしがたい。しかし、FIVのキャリアは、へたをすると、50%もいると言われているらしい。一体、どこでどうなってそんな世の中になってしまったのだろう。とにかく、治るように気を送っている。


1999年7月12日


午前中、地元の富陽小学校で、5年生の農業の授業をした。彼らは、普段、色々な所で、私を知っている親近感からか、とにかく質問が多かった。くだらない質問も多かったが、全部答えていたので、こっちで言おうと思ったことも少し、言えなかった部分もあった。多かったのが、バイクの値段は?とか、ヘルメットはいくら?という、個人的な質問。でも、そんな質問、くだらないと言うなかれ、子供たちにとっては、一つ一つ大事な質問なのである。そして、お約束どおり、疲れ果てて帰ってきた。さて、どんな感想を持ったか楽しみである。
我が家の猫「チョミ吉」が入院してしまった。梅雨に入り、時々下痢をし始め、元気がなく、昨日は、私の食卓のいすに血便をするにいたり、これは病院で一度診てもらわねばとなって、連れて行った。チョミ吉を触ってなりに、お医者さんの顔色が変わったのが分かった。レントゲンを見ると、小腸がパンパンに腫れて、腹水で一杯になっているというのである。結局、検査入院となった。大事に至らねばいいが。
ここのお医者は、以前うちのシェパード「クロ」、猫の「ゾウキン」と診てもらっているかかり付けである。クロも、ゾウキンちゃんも老衰で亡くなるまで長生きだった。最後に行ってから、何年も経つのにゾウキンちゃんの名前を覚えていてビックリした。よほど、印象深かったのであろう。今回も、大の大人が、「ちょみきちです」というのは、少し恥ずかしかった。


1999年7月11日


10日11日と連休にした。最近、子供たちとも、嫁さんとも、ゆっくり過ごせなかったので、事務所に居る時間も惜しんで、日記更新もさぼった。インターネットも、経営基本理念「農業を通じて豊かな生活を創造する」に基づいてしているわけで、もしそれが豊かに通じなければ、アッサリやめることも必要だと思う。
昨日は、子供とプール、午後は家族で投げ釣りに行った。投げ釣りは、子供たちのかねてからのリクエストではあったが、私も初体験。電話で知っているボーイズに聞きまくって、お店の人に尋ねては、道具から揃えた。おかげで、結構お金も使ったが、結果は、4時間やって、フグが3匹だけ。まあ、それで、家族は大満足なんだから、良しとしよう。でも、今度こそは、、、。そうやって、はまって行くのだろう。
今日は、朝から、町内一斉清掃と、生産組合の田んぼ巡回、そして「虫送り」という祭りの準備が午前中に全部あった。そして、午後は、のんびり過ごす予定である。


1999年7月8日


今日は、藤陰幼稚園の遠足がてらの、草取り。去年は、オタマジャクシを追っかけていたが、今年は、なぜだかしっかりヒエ取りをしてくれた。板垣君と中村君は、子供たちに捕まってしまい、人間遊園地状態であった。自分一人だと、そうなるので、彼らを連れて行ったのだが、草刈りより楽だと思っていたらしい。しかし、こっちの方が大変だったと音を上げていた。保母さんの大変さが身に染みる。
午後は、年金の算定基準説明会があったり、火事が近所であったりで、一日が過ぎた。草刈りも、いよいよ、2周目に入った。去年よりがんばっているので、早いペースである。去年は、1周半で、レデイースの除草剤攻撃にあってしまったので、今年こそは、除草剤散布を1回は減らしたい。


1999年7月7日


子供たちに農業の授業をした。今回は、ハナエチゼンの幼穂(穂の赤ちゃん、現在20ミリ位)を見せるのに持って行ったり、研修生の板垣君を連れて行ったりと少し工夫して行った。しかし、前回と違い人数が100人で、なにやら教室の外では工事中で、さすがに、かなりエネルギーを消耗してしまった。それに、質問が多いのと、鋭かったので、こちらもタジタジであった。担任の先生の努力のたまものであろう。板垣君も、なぜ農業をするようになったのか、上手に説明していた。彼が話し始めると、200個の目が一斉に注がれるのが、分かった。おー、こんな風にみんな注目してくれているんだと感動した。まさしく、スポンジに吸収されるような感じだった。ちなみに、私は、オーラをすべて放出してしまった。
そして、今晩、PTAの役員会。夏休み特別企画「富陽小に花子さんはいるか?」と「心肺蘇生法講習」の段取りがあるので、早めに行かねばならない。花子さんは、学校での肝試し。企画していても、ワクワクドキドキである。


1999年7月6日


朝から、無農薬の田んぼの草取り。もう、この草取りは、レデイースとの、バドルワールドである。つまり、草を敵とする派と、草を味方とする派のバトルである。とにかく、無農薬で草ボウボウの田んぼが気に食わなくて仕方がないようで、文句ダラダラ、取った草は、全部外へ排除する始末。この、無農薬田のイセヒカリは、九州の赤峰勝人さんからいただいた貴重な種から作っている。そして、基本的に、田んぼに生えるものは、その土にとって必要なものであるという考えなので、ヒエやその他の草も、その場に入れてくる。何年もかかって結果の分かることなので、一般の農業者に説明するのは、非常に難しい。そこで、実験田としてわずかに、20アール作っているのだが、どうにもならないので、2枚のうち一枚は、レデイースの言うとおりの草取りにした。それでも、もう一枚も、あぜ際は、全部放り出されてしまった。明日は、辰口の小学校へ、農業の授業に行くので、今日残った部分も危ない。草との戦いは、すなわち農家の固定観念との戦いでもある。


1999年7月5日


今日から、東京の農業者大学校から、研修生が来た。板垣君と言って、新潟県の農家の息子だ。何度も言っているが、農業技術で彼に教えることは何も無い。マーケテイングや経営基本理念の部分で伝えれれば良しと思っている。しかし、明日から、研修生と一緒に、早起きしなくてはならないのが、大変だ。出来るかな。
昨晩、深夜に車両火災で、出動があったが、不覚にも、サイレンがまったく聞こえないほど、爆睡していた。おかげ、遅刻して、まったく消防車にも乗らずに鎮火。そのせいで、今日は体調がすぐれない。一番、α波が出た時に、起きたのであろう。今日こそ、熟睡だ。


1999年7月4日


昨日から、能登島へ消防の打ち上げで、釣りに行ってきた。今回、あまり成績が良くなく、気が重かったが、行ってきた。でも、それなりに楽しかった。しかし、釣果は良くなくて、キスが5匹。ほとんど睡眠せずに、早起きして海に出たのに、ガッカリ。でも、かなり大きいキスだったので、今晩、塩焼きの予定だ。そもそも、釣りは苦手で、あのイソゴカイとか、アオムシというニョロニョロした餌が嫌いである。そんな、引き気味の姿勢が、釣果に現れている。でも、子供たちは、興味津々で、今度連れて行けとうるさい。だけど、一体、どこへ行けばいいんだあ。


1999年7月2日


昨晩は、こじんまりとした地区だったので、適度に黙っていて、保護者の方もいろいろ話されて良かった。しかし、こんな時に水を差すのが、年配者の「昔は良かった攻撃」。「昔は良かった攻撃」は、結構やっていると、楽しいので分かるが、今を良くするために、懇談を持ってる訳で、昔のように良かったのは、なぜで、一体どうしたら良いかを、具体的に話してくれないと、貴重な時間が、ドンドン過ぎてしまう。しまいには、今の先生は、権威が無いとか言い出す。昔の権威は、叩いたり怒鳴ったりが出来たという権威も含まれると思うが、今の子供たちは、そんな権威には、まったく動じない。現場と世間のギャップを垣間見るようで、あった。
午前中、小学校の2年生のお父さんが、亡くなってしまい、告別式に行ってきた。最近、保護者が亡くなることに良く出くわす。特に40歳前後の私と同年代である。無邪気に、笑顔の子供と、涙に暮れる母親は、見ていて悲し過ぎた。ご冥福を祈る。そして、残されたお子さんお母さんの少しでも救いとなるPTAにせねばと思い帰ってきた。


1999年7月1日


昨晩の地区懇談会は、私がしゃべり過ぎた。会場の座る席が、上座の中心に据えられていたので、いやな予感はしたが、やっぱりでしゃばり過ぎた。あくまで、地区の方々が、中心で進めねばならないと思うが、つい、話が盛り上がらないと、やってしまう。今晩もあるが、今度は、適度にだまっておこう。無理か。





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