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日記を、日付順に、読みたいので、1番下へ行く

あぐらぐち物語 2000年2月分


2000年2月29日


餅工場の、現在、配送室に使用している部屋の天井をぶち抜き、シャッターを付けて、お米の倉庫に改造するのに、工務店の社長さんに見積もりをお願いした。お米用の倉庫を建てるのがベストだが、そんなお金もないし、どうしたものかと思案していたら、なんも専務が、普段遊んでいる、配送室に、パレットを置いたらどうだとなり、それならいっそ、天井を抜けば、3段も置けるとなった。考えてみたら天井なんぞ必要のない部屋であった。しかし、当時は、まさかここまで米が売れるとも考えてもみなかったし、大体販売が自由化されるなんて考えもつかない時代の話である。これで、安くしかも手近に米を置くことが出来、一石二鳥である。
ついでに、子供部屋も作る話があるので、見積もりをお願いした。こんな小さな仕事でも、我が社が懇意にさせてもらっている丸吾建設の社長さんは、いやな顔一つせずにやってくれる。私は、志高い会社だと、尊敬している。以前、暴風雨で水漏れがした時があり、専務と「こりゃ困ったなあ」と電話をかけようと後を降り向いたら、その社長さんが、立っていたことがあった。テレパシーではあるまいし、本当にビックリして、聞いたら、徹夜で、自分が手がけた建物を、見て回っていたそうである。そして、たまたま朝、我が社に立ち寄って、水漏れに遭遇したのである。一事が万事で、これまでも、細かいケアで、工場は進化を続けている。


2000年2月28日


日曜日は、それこそ、ボーとしていた。こんなに弛緩状態で良いのだろうかと思うぐらいである。いつも言っているが、自分はバビル2世タイプなので、超能力を使った後は、十分休む必要がある。
今日は、さすがに、農作業の申し込みをパソコンに打ち込んだが、雪がまだある状態では、申し込み状況も、かんばしくない。そこへ、我が社のハードリピーターのHNKディレクターさんから、米が無くなったので、配達してくれと言われたので、ホイホイと出かけて、一日が終わった感じだ。自分自身の志が、農業をみんなに知ってもらう事なので、共通の悩みがある。そんな中で、お互い日々葛藤しているので、抹茶ミルクをご馳走になりながら、泡を飛ばして語って帰ってきた。
しかし、うるう年というのは、一日得した感じがする。しかも、明日は、400年に一度の特別な日らしい。3月1日から、連続で毎日会合が続くので、明日も、ゆっくりさせてもらおーっと。


2000年2月26日


今日は、藤井嬢が休みなので、久しぶりに店番。すると、面白いお客様が、来店されるので楽しい。まず、「みのもんた」の番組で、発芽米を見たが無いのかというお客様。聞いた事はあるが、見た事が無いので、説明に困った。玄米を炊く時に、水の代わりに、氷を入れて炊くと柔らかくなっていいというお客様もおいでた。特に土曜日は、いつも前の道路を通りながら、不思議な店だなあと、思っている方の来店が多い。ほとんどの方が、普通のお米屋さんと勘違いしていて、自分ちで作ったお米ですよと説明するとビックリされる。「この林さんちって、何?」と聞かれて、「私が林です」と言うと、さらにビックリされる。やはり、レアな店なのかなあ。
今日から、苗用の土を搬入している。トラックを雪の中から、出すのに除雪するのは、しんどかったが、なんとか、トラクターで引っ張り出した。来週には、干してあるカキモチも、降ろし苗箱を、準備せねばならない。最近、ボーとしているので、春が待ち遠しい。


2000年2月25日


朝から、母親の同級生達を近くのCCZ温泉に連れて行った。雪が降って危ないので、私が出向いたが、おそらくこの世代が一番元気だろう。
雪が、降り続くので、苗用の土を取りに行けない。そろそろ、エンジンをかけないとまずいのだが、ノンビリ構えている。先日の日記で、農業関係の学校の就農率がどうのこうのと書いたら、掲示板で盛り上がってしまった。確かに、数字だけを見ての判断は、公正な判断とは言えないと感じた。今日の新聞でも、富山県の東大入学が石川県に抜かれたと言って記事になっていたが、それで、学力低下と判断するのは、間違っている。その点に関しても記事の中には注釈として書いてあった。まあ、問題提起として見れば、良いキッカケだったかもしれないが、文章というのは、本当に難しい。ただ、そうやって、私の文章を読んで反応してくれる人達が沢山いるのが嬉しかった。
我が富陽小学校が、米づくりの研究学校に選ばれた。数ある、小学校から数校だけ選ばれたが、事業主体に、農政課や農協中央会等々が、あったので、行政の農業関係者も多く読んでいるらしいから、そのおかげだと、勝手に感謝している。くだらない補助金より、こんな事業は大歓迎である。


2000年2月24日


会議室の整理を少しして、一日が終了。現在、整理しているの所は、過去の借入金の書類等、土地の名義変更の書類なので、一体どう処理していいのものか迷う場合が多くて時間がかかる。こうやってみると、ここ10年位は、借金返済で苦労したのが、分かる。現在は、スーパーL資金のみなので、スッキリしているが、かつては、常時5本以上は抱えていたので、大変だった。
昨日の農業者大学校で、農業がなぜ儲からないのかという質問で、儲からない構造的な職業なのか、儲からないような経営をしているのか、どちらですか?と聞かれた。理由は、両方だが、そもそも儲かるというレベルが、今のグロバールスタンダードを基準にしたら無理だと思う。でも、心の豊かさの利益なら他を凌駕できると思う。そして、本気で、儲けようと思うと思えば、儲けられるが、儲け話には、乗ってはいけないと言う点が、難しいのだと思う。この禅問答を解いた経営が、儲かるのである。


2000年2月23日


昨日は、農業者大学校の最寄の駅に、午後7時くらいに着いたが、そのまま板垣君達と、飲みに行き、結局夜中まで飲んでいた。おかげで、今日の講義は、ボーとしていて余り良い出来とはいかなかった。反省である。ここの所、漆カブレで禁酒していたものだから、かなり効いた。
この農業者大学校は、農林水産省が、唯一成功している事業の一つと言えるくらいの代物で、私の周りにいる、優秀な農業者の多くが、ここの出身である。近所の農業短大は、就農率が、2%前後という惨憺たる状態だが、ここは、80%以上のはず。しかも、ここは農場を持たない珍しい農業学校なのである。つまり、農業の考え方を学ぶ学校なのである。技術を学んでも、卒業と同時に古くなるが、考え方や思想は、いつまで経っても陳腐化しないのである。東京というまったくの都会で学ぶという点も気に入っている。百姓は、田舎で勉強するのがいいというのは、大間違いだと思う。多くの生活者の生の姿を見ることが大切だと感じた。
今晩のPTAの役員会に間に合わすために、とにかく12時に講義を終えてから、ギリギリで電車を乗り継いできたので、くたびれてしまった。いつも、トンボ帰りなので、たまには、ユックリ東京見物でもしたいなあ。無理か。


2000年2月22日


東京の農業者大学校で、明日講義をするので、東京へ出張だ。資料のOHPを作るのに四苦八苦している。OHPのシートをうまくプリンターが、飲みこんでくれないので、1枚づつ入れている。しかも、遅い。いつもは、MOに落し、プロジェクターで見せるのだが、これは、時間も金(シートが高額)もかかる。手間暇かけた分いい話が出来ればいいが。


2000年2月21日


ほとんどを、農作業申し込み書を作るのに費やした。ワードにエクセルを貼り付けて作ろうとするが、なかなかうまくいかない。最初はいつもこんな調子だが、根性でなんとか作った。パソコンに根性が通用するかは疑問だが、とにかく、なんとか出来た。
今日、会計士さんとの打ち合わせで、社員に決算賞与を1ヶ月分支給することになった。法人税自体は、これで、200万円から300万円の支払いで済むだろうとの予測だ。それにしても、賞与を支払えるなんて夢のような話しだ。これからも、決して楽観できる経営状態ではないが、一時だけでも、夢を見させて欲しい。もちろん、社長の賞与は無しである。今でも十分だし、まだまだ、社長がもらえるほどの黒字額ではない。


2000年2月20日


一年でも、珍しい何も予定のない日曜日。しかし、漆かぶれの薬で、眠くて、起きたのは11時近く。それから、長男は、少年野球の練習に出かけているので、もっぱら次男の相手をしていた。余りにも暇なので、米ヌカが、一杯になっているので、タンクから抜こうと考えた。しかし、フォークリフトを出すにも、タンクから抜くにも、沢山除雪をしなくてはならず、どうしようかと迷ったが、暇に任せて、結局一人で除雪をし、米ヌカを抜いた。
おかげ様で、今日のような日曜日は、引きも引かない精米のお客様がいらっしゃる。月15〜20万円のペースでお金が入るので、我が社で一番、回転率の良い機械ではないかと思う。だから、チャンスを見て、米ヌカを抜かないと、タンクから噴出すると、大変なことになる。今まで、3回噴いたことがあるが、その後の掃除が大仕事で、しかも、こんな冬の時期の、愚図ついた天候の中、周り中米ヌカだらけになると思うとゾッとする。


2000年2月19日


昨晩の坂田道信先生の、講演は面白かった。まず、私と中村君が最前列にいたら、いきなり発表用の壇を指差し、「これじゃ、私が見えないだろう」と言って、壇を下げたところまでは、分かるが、次に、我々の机を引き寄せ、なんとその上に正座!されたのである。結局、そのまま1時間半講演された。のっけから、この調子だから、とても素晴らしい話しであった。まず、世間の人は、満員電車に乗っているようなものだ。つまり、「儲けよう儲けよう」「自分だけは自分だけは」と思う人間ばかりが、ギュウギュウの満員電車で、づーっと立ったまま走り続けている。先生は、「儲けは、考えずに、他人を思いやる生き方をしよう」という人間の乗る、空いた電車に乗って座って楽に走り続けているとおっしゃった。確かに、私も、補助金はモルヒネだの、法人税払おうなどと、一見儲け話とは、反対の事をしているのに、なぜ気持ちが楽なのか、この話しを聞いてハッと気付いた。
今の、世の中のシステムは、白人が作り上げたもので、日本人には合わないとも、おっしゃていたが、常々、グローバルスタンダードに疑問を持っている私は、強く同感した。早起きの話しでは、無理に起きようとしても続かない。「朝が、早く来ないかな」と待ち遠しくなるような事を考えると、自然に起きるようになる。ともおっしゃった。そして、人がやっている事の、反対をすればいい。例えば、子供に「勉強しなさい」とか、嫁さんにあーしろこうしろとは、言わないようにすれば幸せになれると言われた。確かに、そうだ。
早速、昨日から今日にかけて10通ほどハガキを書いた。やはり、手間暇をかけねばネットワークは出来ないということだ。
今日は、私の人間力が試される特別の日であった。初めてPTAの役員と教師達で、学校行事の見なおしについて、話し合いを持ったのである。どうしても、役員会の決定は、密室化してしまうし、教師の方々も、多くの事を感じていても、その決定に従わざるを得ない状態を作ってしまっていたと感じる。しかし、いざ、このような場を設けるとなると、教師の間では、また何か要求されるのではという、不安が伴い開催が難しかったのだが、校長先生の尽力もありなんとか開催にこぎつけた。そして、話し合った結果は、教師も一保護者に過ぎないと言う事。そして、PTAは、今までそれを忘れて、自分達だけの事を考えて活動してきたのではないだろうかと反省をした。そして、チャーミングさを心掛けながら、聞いていくと、実に素晴らしい意見が多く出て、今後の活動に参考になる点が多々あった。それは、教師の皆さんは、違う学校の保護者であり、客観的に我が校を見れるのが、最大の利点なのである。こんな宝の山を見過ごして来たのは不覚だった。ようやく、コミニュケーションの糸口を掴んだに過ぎないかもしれないが、有意義な会であったと信じています。


2000年2月18日


野々市町稲作受託組合の役員会に出席した。私は、組合長の立場に、あるが、かねてから思っていたことを、提案した。それは、補助金のカットと、剰余金の返還。まず、会計の現状を述べると、組合自体は、小作料の決定などに携わるほかは、研修会等は実際には行ってない。それは、組合員の減少もあるが野々市町だけで、研修活動が、中核農家連絡協議会、富奥農業振興会、キウイ部会、ナス部会、ハス部会、農業後継者グループ、その他多数の団体で行われていてさらに、県レベルの、研修も多い。だから、とてもじゃないが、出来る状態ではない。今は、中核農家と合同で行っているのが現状である。
すると、年間40万円の補助金をもらっても、剰余金が、少しづつたまって今では70万円以上ある。これを、無理やり、温泉に行ったりして消化しているのが現状である。しかし、今の世の中、無駄を省いて、予算を削るのに、四苦八苦しているご時世に、こんなに状態は、いかにも不自然。しかし、行政の方からは、削りにくいのが、現状で、結局一律カットになっていく。でも、PTAの予算など、全然足りなくて、テレフォンカードを集めてそれを売ってまでお金を捻出しているのに、さらに削られたんじゃ元も子もない。学校給食だって、補助金カットになっているのに、農林水産省は、コメ食べようと呼びかけている。このまったくのチグハグさ加減。
これを打破するには、補助金を使っている我々から、ノロシを上げて、不必要な経費はカット、余った金は返還していく運動を展開していくことが一番と考えた。これを、今度の総会と、その前の「野々市町づくり21協議会」で、提案しようと考えている。
私を協議委員にしたことを、きっと、事務局は後悔するだろうなあ。
漆カブレの方は、小康状態だが、以前ほどは、ひどくはない。以前は、痒くて痒くて死にそうだった。ただし、飲み薬は、眠くなるので、集中力が落ちてしんどい。夕方、ハガキ道の坂田道信先生の講演を聞きに行く。私も、複写ハガキを使用しているが、真髄を聞くのは初めてで楽しみ。


2000年2月17日


退職金積立を、中村君以下、まだ未加入の社員用に、加入した。以前、厚生年金、社会保険が完備されていなかった頃に、入った民間の生命保険会社の積立だ。当時から、大多数の農業者が加入している、農業者年金には、加入するつもりがなかったので、民間を選んだが、結果的に、正解だった。農業者年金や、国民年金のような、国が大きく関わる年金制度は、どうにも気に食わない。なんら、収入の目途が立たないのに、ジャンジャン国債を使って運用している。そして最後は、にっちもさっちもいかなくなるのが目に見えている。ただし、民間の年金や保険も危ないのは事実だが、これは、自己責任だから、仕方がないことだ。
石川松任学校保健研究協議会で、「心が生きる性教育をめざして」という研修会に参加してきた。昔の性教育は、純潔教育、下半身教育、建前主義、禁欲主義、児童の心理無視型だった。しかし、最近は、「自立で出きる人間を目指す」「科学的理解を中心に」「人権教育の一環として」「共生できる人間づくりをめざして」というように、なってきたそうだ。正しい知識で、将来「人」として、社会で自立するための教育をしなくてはいけないのだろう。それにしても、講師の小阪先生は、上手に話されて感心した。結構デリケートな内容だけど、スッと心に入った感じがする。
なんと、「漆カブレ」になってしまった。出発式中から、局部が痒いので、風呂に入らなかったせいかなと思っていたが、昨日二の腕に出た吹出物は、今から25年前に見たことのある、あの漆カブレそのものだった。中学2年の時、ボーイスカウトの世界ジャンボリーで、北海道千歳原でキャンプをした時に、漆カブレになってしまった。しかも、「インキンタムシ」も併発。感受性の高い年頃なので、我慢していたが、どうにもこうにも痒くて、医者に行った覚えがある。今回は、中谷さんの工房で、カブレたのだと思う。今回は、すかさず医者に行ったので、当時のように、お岩さんにはならないだろう。
久しぶりの映像は、先日の、出発式での交流会での、ハシゴ演技。場所は、なんと箱根プリンス!



 


2000年2月16日


午前中は、メールと掲示板の書きこみで終了してしまった。午後は、来客があり、熱く語っていたら、もう夕方。一日、何もしない日だった。まあ、こんな日もいいか。


2000年2月15日


案の定、午前中はダウンしていた。午後は、妻が農業試験場へ会合に行ったので、次男の授業参観と学級懇談に出かけた。1年生には、やはり「多動児」的な子もいて、授業が成立しにくい状態だった。しかし、担任の先生は、あえて、その状態が、一番出易い授業を選択されていたようである。いつもの、姿が一番出るものを見せないと、参観の意味がないので、正しい選択だと感じた。
出発式を終えて、ホッとしているが、雪がジャンジャン降り積もっている。もし、これが2、3日前だったら、大変だっと思う。自分の時は、横浜ベイブリッジの下を船でくぐって式典をしてもらったが、なんと、大雪で大変だったのを覚えている。今回は、箱根なので、雪が降るとシャレにならないほど、積るし、表日本側からの参加者の車は、雪には弱いので、進行上問題がでるのは、目に見えている。実際、下見の時、3期生の車が一台事故を起こし破損している。しかし、私としては、雪が積もると、なんとなく、ノンビリした気分になってありがたい。


2000年2月14日


11日の5時出発で、山中塗りの職人の中谷さんと一路、富士市へ。中谷さんは、漆職人だが、新しい感覚と幅広い知識持ち主で、楽しい会話をしているうちに、あっと言う間に出発式会場イエローハット富士営業所に到着。関東組が、大渋滞で到着が大幅に遅れ、結局二人で、60個余りの盾を日本地図の形に並べた。去年は、志の字で、盾を授与した後に、残った台が、志を表した。中谷さんは、自分の盾の、そのような晴れ姿に涙が出たそうだ。そして、夜、修了発表会場兼宿舎の箱根キャンプ村到着。明日の「どうする日本」の討論会の準備をして、就寝。
12日。朝6時集合で、朝食準備、掃除、会場設営を手分けして開始。一日、国政レベル、地方レベルでの現状報告と変革、そしてディベイトを展開した。その地方からの部で、常光利恵さんが、パネラーになっていたが、彼女が、昼に小田原駅に到着で、いつもなら十分間に合う距離なのだが、この日は、3連休中で、とにかく箱根周辺は、大渋滞。結局、私が、箱根登山鉄道の終点まで迎えに行く事に。それでも、時間との戦いだったが、ギリギリで会場に到着。打ち合わせもそこそこに、常光さんの発表が、あったが、私にとっては、いつもの調子だが、参加者は彼女の歯切れの良さにみんなビックリされていた。かなりの、インパクトを与えたのを見て、苦労して迎えに行って良かったと、胸をなでおろした。
150名参加の大交流会では、気品の高い隠し芸が、披露され盛り上がった。私のハシゴも、大受けで終了した。食事や、ビールも、3期のスタッフが各テーブルに張り付き、ビンに中身残ったりしないように、順番についだり、して気配り。最後は、きっちり皿別に、並べて帰った。さすがだ。
13日。昨晩、1時半就寝だったが、朝5時集合!会場の後片付けをして、6時には、式典会場まで出発。朝日が富士山に当たって、「赤富士」を初めて見た、綺麗!その後は、志のエリートとしてふさわしい、会を1期2期で、演出。3期を送り出した。特に、食事は、山中塗りの志の食器を使用し、一切、ゴミを出ないようにした。我々スタッフは、司会進行係り、各テーブル係り、外回りと分かれ、完璧を期した。終了と同時に、食器洗い、会場撤収を、流れるようにして、感動の出発式を終えた。自分、が関わる会としては、これが最高レベルのものと位置付けている。それだけに、今回は予想以上に上手く運んで、良かった。
余談だが、グルメでもある中谷さんが、浜松に美味しいトンカツの店があるというので、高速を降りた。おかげで、到着が、午前1時になったが、「死んでもいいから、食べたいトンべえのトンカツ」と書いてあったが、確かに美味しかった。
14日の今日は、なんとか起きて、メールチェックや、残務連絡をしていたら、あっと言う間に、過ぎた。本当は、眠いのだが、今回も心の琴線がまだまだ、震えていて、眠れない。
あっ、そうそう、チョミ吉のタマタマの抜糸に行った。予定の土曜日に、脱走して出来なかったそうだ。今日も、病院から帰ってすぐに、どこかへ、飛んで行った。元気なヤツだ。


2000年2月10日


ようやく12月の仕訳けを、会計士さんに渡した。今回、販売管理システムが変わったので、時間がかかってしまった。12月分をすれば、1月分は、予想で入れても、そう誤差はない。そして、優秀な経営者は、来年度の予想決算書を、この時点で作る。去年は、出来たが、今年は出来るかどうか。
昨日から、事務所にたまった、保険の証書を整理したが、どれもこれも、ビニル袋に、窓付封筒、証書のほかに、契約内容の冊子が、同じように入っている。最初、ポイポイと捨てていたが、妻に、ホッチキスを取って、窓付封筒は、ビニルを取って、古紙で出しなさい、と言われた。最近のJISでは、事務所のゴミは全て分別されるとは、聞いていたが、いざ、やるとなると大変。結局3時間ほどかかった。要するに、分別する前に、袋や、同じような冊子をもらわないようにすればいいのだ。スーパーでも、極力スーパーバックではなくて、テープを貼ってもらっているような事をすればいい。大体、分別は、時間がかかり過ぎるので、入り口で減らさないと、切りがない。
明日5時に、青年塾の出発式に出かける。途中、山中塗りの卒塾の盾と、その作者を乗せて、静岡県富士市に寄ってから、箱根に行く。その報告は、また帰って来てから。


2000年2月9日


青年塾の出発式、つまり卒塾式の時に、塾のこれからについて、私が発表する原稿を一日書いていた。この手の原稿も、デリケートな問題が多いので、時間がかかる。朝から、塾長の添削、校正を受けながらの作成だから、ありがたいことである。とても、勉強になる。PTA同様、まったく利害関係も上下関係もない集まりを、動かすのは、骨がいる。もっとも、実力が問われる場面である。
我が家の、「チョミ吉」君が、去勢手術を受けて来た。いわゆる、「タマタマ」を、取ってしまったのだが、オスは、手術が簡単なのか、あまり悩んでいる様子もない。こんなことなら、早くしてしまえば、エイズの蔓延が防げたのと後悔した。しかも、町から、助成金が出るのだ!それでも、1万4千円ほど、かかった。そして、今日も、チョミ吉は、ナワバリの巡回に出かけていく。


2000年2月8日


午前中、PTA便りの「パパママ先生news」を書いていたら、それで終わってしまった。物書きのスピードには、自信があるが、PTAの書き物となると、全神経を集中するので、どうしても時間がかかる。そう、毎日、出せるもので無いし、一回一回が勝負になる。今回の便りも、役員選考委員会の方々に、PTA役員会で決まる事が見えないと言われたので、ホームページの日記のように、かなりの頻度で、発行しようと思ったので、作った。本当は、毎日書けるといいのだけどね。
夕方5時から、無農薬栽培のある方が、料理を作ってくれる集まりがあると聞き、専務、中村君と出かけてくる。津幡なので、3時半には、もう出発だ。一体、どうなるかは、まったく不明で、ワクワクだ。


2000年2月7日


会議室の整理をしているが、月曜日は、来客や電話が多くて前に進まない。しかも、午後は、野々市町水田農業推進協議会があり、ほぼ潰れてしまった。これから5年間の水田農業のあり方についての、話し合いだが、基本的には、米と同時に、転作に大豆も作って下さいというものだ。それらについては、「とも補償」「稲作経営安定対策」で所得を補填しますよという事だ。しかし、我が社は、国の意向とは、関係なしに、大豆を作り続けて、20年。今さら、大豆、大豆と言うのもおかしい気がするが、積極的に、生産するというのなら、期待したい。身土不二で、米の次に、重要な作物が大豆だと考えるからだ。


2000年2月6日


滋賀県での、交流会は、非常に盛り上がって楽しかった。そして、今回の集まりの目的の一つである、杉江さんという女性の一年間のドイツ研修の壮行会として、農業青年の女子部の面々のがんばりには、感動した。会場には、種々の鍋が用意され、色々な企画や、かくし芸が披露された。しかも、全国から、40名以上の農業青年が集まるのも、感動的だった。掲示板での、ハンドルネームしか、知らない方も多かったが、今回、本人と会えて面白かった。私のかくし芸は、もちろん、ハシゴお座敷バージョンをやった。


2000年2月5日


昨晩「野々市まちづくり21」という会合に出た。これからの、町づくりをみんなで、考えようと48人の委員さんが集まって話しをする。私自身は、言いたいことは、沢山あるので良いが、メンバーが、いつも良く見る顔ぶれなのは、閉口する。人口が4万人以上もいるんだから、もう少しバラエティーがあってもよいのではないかと思った。究極は、私と同じ分科会に、我がJA組合長と、藤井嬢が、いるのは、いくらなんでも、片寄り過ぎではないかと思う。いきなり挨拶で、「私は、23世紀型なので、突拍子もない意見をいうかもしれないので、よろしく」とやった。委員になったからには、創造的な意見をドンドン言うつもりだ。
午前中は、野々市中学で、職業講話ということで、1年生に話しをした。思春期で、恥ずかしいやら、はにかむやらで、妙な間合いで、話しをしなくてはいけないので、いつもと違い冷や汗をかいた。でも、結構、何も分からないように見えて、鋭く感じている場合が多いのが、この年代である。一挙手一投足に気を配った。
午後から、滋賀県へ、農業青年のスポーツ交流会に、行く。良く考えたら、いいおっさんが、参加すべきだったのかとも思ったが、前回のお礼も含めて行くとにした。今晩、一体どうなることやら想像がつかない。


2000年2月4日


昨晩、PTA次期役員の選考委員会に顔を出してきた。最初は、ちょっと、挨拶をして帰るつもりが結局は、最後までいてしまった。メンバーは、各学年の学級委員長さんと地区委員の代表だが、このようなPTA活動を通じて色々な問題点に気付いたようで、多くの提言があった。選考のシステム自体も、委員に任せっきりではなくて、全体の盛り上がりの中で選んでいかないと、負担が大きいように感じるし、密室で決まったような印象を与えるようだ。女性陣の熱い意見にタジタジの私であったが、非常に参考になった。来年度は、役員会便りのような、この日記のようなものを定期的に出して、PTAの透明性を上げて行ったらどうかと思いついた。
会議室で、一番困ったものが、コンピュータ関係のフロッピーや、マニュアル、箱である。どれもこれも、形が一定で無いし、プラスチックゴミが多いので、どうして良いか途方にくれる場面が多い。世の中で、最も環境に留意していない業界が、コンピュータ業界ではないかと感じるくらいである。しかし、精密機械を運ぶとなると、良い方策はないのかもしれない。まあ、以前に比べ、ソフトは、インターネットでダウンロードしたり、マニュアルもずいぶん薄くなった。それにしても、ここ10年位のゴミは、凄い量だ!


2000年2月3日


一日予定のない珍しい日なので、朝から会議室の整理に取りかかった。ここに、一番物が突っ込まれているので、大変だ。しかも、こんな時に限って来客も多く。その度に、大掃除中ですと言い訳をしながら、バタバタの状態の中での応対になってしまう。結局、棚一つも、終了しなかった。
現場では、「ひしもち」の生産にとりかかっている。なんやかんやと言って、根強い需要がある。ただし、形が形だけに、袋詰めやラベルに一工夫が必要で、結局、ラベルをパソコンで作ることになったが、これがなかなかうまく行かない。ビジュアル系は、時間がかかる。


2000年2月2日


中村君が、農業青年の総会で不在のため、久しぶりにもちつきをした。なんだか、知らないが今日は、もちつきデイーで、注文や配達が多い。おかげで、ほとんど自分の仕事が進まなかった。電話も無茶苦茶かかる日で、おちおちパソコンも打っていられない。
最近、我が家のチョミ吉君が、前足を噛まれて怪我をして引きずっているので、医者に連れて行ったら、関節が膿んでいるとのこと、下手をすると切断しなくてはいけないと言われ、薬をもらってきた。しかも、去勢する前に、どうも各地で子孫を作っているようで、そっくりのスケールダウン化したチョミ吉をよく見るようになった。年末、忙しくて手術出来なかった飼い主の私のせいだ。ネコエイズの蔓延を助長してしまったのは、まずかった。後3日様子を見て再度連れてきなさいと言われたので、今度は、情け容赦なく、ちょん切ることになる。妻には、雌ネコの避妊手術はすぐにしたのに、雄ネコだと、すぐに切らないのは、不公平だと言われた。おっしゃるとおりです。


2000年2月1日


昨日が決算日なので、銀行へ残高証明をもらいに回った。近隣の農協にも行くのだが、まだ、挨拶が出来なかったり、通帳を出して残高証明をお願いしても、さっぱり返事がなかったり、風邪でも引いて調子が悪いのかなあと、こっちが心配になってしまう。
昨日、バングラディシュから妙な手紙が来た。差出人は、確かに、我々が行った、フェニーニ県からで、どうもそこで、ディベイトをしていた、学生からのようだった。そこの何人かに、私は名刺を渡したのは、覚えている。英語文で書かれた内容は、どうも、私に、金銭的援助とビザ申請の保証人になって欲しいらしい。困ってしまった私は、窓口の国際エンゼル協会へ相談したら、それは、ハッキリ断った方が良いと忠告された。私に出きる事ならと思ったが、全責任を取る事は不可能と言われた。日本人は、全員、彼らから見ると、大金持ちで、そんな彼らに、簡単に名刺を配って、期待を持たした私にも責任があった。確か「手紙を書くよ」とまで、日本人のいつも調子で言った覚えもあるが、彼らは、何年も覚えていて、待っているそうである。そこで、協会に頼んで、英文の断りの文章を書いてもらい、それをうつして手紙を書いた。傷つかないような内容にしてもらったが、日本の学生と違い、向学心に燃える彼に水を差すようで、心が痛む。しかし、「もし、乞食に施すなら、広場全員の人に施さねばならない。それが出来ないのなら、施すな」という戒めもある。ボランティアって、本当に難しいと痛感した出来事だった。





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