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日記を、日付順に、読みたいので、1番下へ行く

あぐらぐち物語 2001年1月分


2001年1月31日


 昨日の話し合いで、石川県青年農業会議は、存続する事になった。コンセプトは「脱はやし&ぶった」だそうだ。これで、私も、晴れてOB会員になった。素晴らしい活動を展開されると信じていると、発言したら、いつそんなに柔らかくなったんだとの、お褒め?の言葉があり、上機嫌で、夜飲んだら、今日は、お約束の二日酔いだった。
 しかも今日は、林農産の期末日である。今日は、ありとあらゆる来客があって大変だった。チョミ吉君も帰っていたが、どうにも真っ直ぐ立てない歩けないで、重症である。心配だなあ


2001年1月30日


 最近、真空精米の匂いのクレームがあり、昨日一日調査した結果、分かった。去年の異常気象で、糠層の脂質が変質して匂いになっていたのだ。しかも、真空パックにすると、旨みも封じこめるが、匂いも封じこめてしまう。だから、割と強く精米するコイン精米機で紙袋に入れると、匂いはしないのだ。袋や、真空ポンプを疑ったが、これで、今までの全ての事象が納得行く。対応策として、精米率を少し上げてもらい、袋を一般の袋に変える。米自体は、とても美味しいとお墨付きだから、これで、安心して売れる。
 午後から、石川県青年農業会議所の存続について、お泊りで、会議をする。新しい21世紀型の、農業グループにしたいものだ。


2001年1月29日


 日曜日、久しぶりに学童野球の練習に参加した。子供も、6年生になるので、今年一年は、メインで活動しなくていけないし、体がなまったせいもある。おけげで、今日は体が痛い。それにしても、スポ根のような鍛え方でなく、頭脳方面でのハイレベルの練習である。さっぱり分からないので、子供に聞く始末である。この日の夕方、ナイキ製マイグローブを買った。林家は形から入るのが基本である。
 午後は、先日青年塾に入りたいと来た青年の牧場へ、アイスクリームを食べに出かけた。moo moo牧場というお店だが、絶品! 牛乳も、我が家で取っている「おまっと牛乳」も結構イケテいるが、それを凌駕する味である。そして、牛舎見学をしたが、平松社長夫婦ともお会い出来て、ますます美味しい話しが出来た。なんと、パンフレットのイラストは、奥さんが描かれたとの事。感動してしまった。ここは、アベックのラブスポット?でもあるので、ぜひ来て下さい。加賀市の分校町(ぶんぎょう)と言うところです。
 アイス食べた後は、川北温泉でお風呂。滅茶苦茶、混んでいて、ケツをケツで洗う状態(失礼!)で、やっと入浴。食事は、「川北わくわくファーム」で、「豚肉&餅シャブ」とビールをいただいた。ここは、地元の材料で、ビールや食材を揃えているので、かなり美味しい、しかも、ボリューム満点。しかし、冬は、どうもバーベキュー主流というイメージか、空いていた。お風呂は、あんなに混んでいるのに。ここも、お薦めのグルメスポットですよ。あーシャブシャブは、美味かったー。
 今日は、朝から、最近真空精米のお米に匂いがつくクレームの原因究明に走り回っている。今は、袋に特定して調査中で、とにかく他社製に変えてみて精米する予定。それでも出るようだと、他に原因がある。ただ持っていっても、分からないとおっしゃる方も多く、案外、鼻が弱い方が多いと感じる。私は、犬並に利くのでこんな時は便利だ。


2001年1月27日


 チョミ吉君が、入院してしまった。昨日から、ぐったりして動けない。眼が振れる「眼振」も出て、斜頚して歩けないし、吐いたりもするので、朝、病院に行ったら、腫瘍か、血栓か、脳の障害らしい。どうにも、病院に縁がある猫である。治って欲しいものだ。
 昨日、我が社に、見学に来られた方に、色々話しをしたら、どうも、今までの研修内容を覆す事ばかり言ったみたいだ。「法人税を払え」「補助金はもらうな」「借金は、元金均等で据置はするな」「原価償却は、定率法でやれ」等々だが、普通は、逆を勧めるんだろうなあ。


2001年1月26日


 昨晩、とても懐かしい方に会った。学生時代入り浸っていた、喫茶店「ハックルベリー」で働いていた、おねーさんの実家の方に会ったのだ。富山で、山藤ぶどう園というのだが、一度、バイクで訪ねた事がある。当時は、ぶどう園しか無かったし、家の前は砂利道だった。ところが、今では、ワイン販売やレストランまでやっていられるとの事。彼女の近況も聞けてなんだか、ほのぼのとしてしまった。
 今日、またまた青年塾入塾希望者が、来られて話しを聞いて行かれた。イトウ紙工さんという、箱を作っている会社の若い社長さんだ。とても、勉強熱心な方と、お見受けしたので、ぜひ入塾していただければ嬉しい。訳の分からない事をやっている自分だが、仲間が増えると言うのは、嬉しい気分である。


2001年1月25日


 緊急告知!ブックマークの更新をお願いします。

http://www.hayashisanchi.co.jp/agura.htmlが、新しいアドレスです。古いアドレスは、htmlが、htmに、なっていますが、なぜか文章は、更新されますが、あとは古いままです。なんも専務、中村君の日記も同様です。皆さ〜ん、たまには、トップページ見てね。結構変更したんだから。

 午前中、田んぼの利用権更新の書類を地主さんに配って回った。今年は、10件程あって、時間がかかった。この利用権は、いわゆる、小作させてもらう契約書だが、今のものは、昔と違い、解除も自由だ。昔の小作人は、耕作権と言うものがあり、地主は、田んぼを返してもらう際は、お金を払わねばならないとの事。その権利が、大昔から生きている田んぼも、実際今も存在していて、結構その対応は大変のようだ。この利用権を設定すると、転作等のややこしい手続きが、全て私の方へ集約されるので、地主は、とても便利なのだ。ただ、この契約は市街地では、適用されないので、我が社のような都市部の農業法人にとっては、少しツライ。でも、我が志高い野々市役場は、その辺、柔軟に対応してくれるので助かる。
 午後から、農林金融公庫の異業種交流会。借入れ先の、行事には参加しなくては(冗談)。でも、申し込んでから、後から後から、同じような事業のお知らせが来て、困惑してしまった。事業が重複して補助金を使うだけなら、返還すべきと思うのは、私だけかな。しかも、異業種交流会とは、A社の製品を、B社の技術で、より良い物へ変換する会である。これは、異業種顔合わせ会、または、名刺交換会と言うのが正確ではないだろうか。と、口説きつつ、出かけるが、もちろん、バスで行く。


2001年1月24日


 夕方、青年塾に入塾希望の農業青年が訪ねて来た。加賀市で、畜産をしている、平松君だ。ここの、平松牧場では、23頭と言う、最近では少ない頭数にも関わらず、こだわりの牛乳配達と、アイスクリーム、ソフトクリームのお店で、経営されている。しかも、ここのお父さんは、以前訪ねた事がある、私立愛農高校の1期生で、何かの縁を感じずにはいられない。自分自身、他人に、あまり積極的に、青年塾を奨めた事はなく、背中を見て、感じてくれればと考えていたが、入塾して、全国の志高い方と交流を持ってくれればこんな嬉しい事はない。


2001年1月23日


 授業参観で、1年間の農業の授業の発表が、あった。一年の作業を、詩にして全員が発表したのが、短い言葉に、本音が含まれていてとても良かった。最後は、花束を贈呈されてとても嬉しかった。
 あとここで、書くのは、関係者も見ているので、迷いがあるが、あるクラスで、いじめがあって、学級懇談会で、話合いをした。もう3学期と言うのに、もっと早く手を打てなかったかと、残念で仕方がない。いじめの構造は、いじめられる子、いじめる子、そして観客グループ、傍観者グループの、4つのグループに分けられる。そしてこの4つのグループの親が、顔を会わせて話合うのは、ハードな状況ではあったが、今回の解決のキーワードは、観客グループ、傍観者グループの子供達と保護者だと感じた。全員が、自分達の問題として、感じる事が出来れば、きっと、解決の糸口が見えてくると信じている。少なくとも、表面に出てきてくれて本当に良かった。


2001年1月22日


 昨晩は、久しぶりに楽しい一時を過ごさせていただいた。私のファンだと言われるのは、こそばゆいが、素直にお受けした。しかし、ハッと気付くと、もう月末。しかも、年度末。机の上の伝票をこなさねば。
 今、PTAの次年度役員選考が、行われている。毎年、生みの苦しみが、あるが、年度初めには、なんとか、メンバーをそろえている。我が校は、教頭先生が、先頭に立ち、各学年委員長と、地区委員代表の11名で構成された選考委員会だ。しかし、去年、たった11人では、コネクションを取れる人が、限られるという意見があり、今年は、私の出している富陽パパママ先生newsで、募集をかける事にしようと考えている。確かに、他人の世話をすると言う事は、大変な事だけど、せめて、我が富陽小学校では、やる気のある志高い保護者がいる事を信じている。しかも我が校においては、文句ばかり言って、最後は、役員は、持ち回り制なんて事になる事は、断じて許さない考えである。


2001年1月21日


 午前中、PTAで、除雪を呼びかけたら、多くの方の参加で、通学路の確保が、出来た。特に、友人の黒橋君が、重機を出して、やってくれたのは大きかった。もし、これが無かったら、終わらなかったかもしれない。
 夕方、東京から、懇意にしている知人が、石川県に来られたので、合流。この方達は、ジャーナリスト、マーケッターだが、農業応援団と称して、色々貴重な話をしてくれるので、とても刺激を受けることが多い。


2001年1月20日


 お客様から、切餅が硬くて歯が欠けたとの連絡があった。青くなって、飛んで行った。年末、テレビを見てから大ファンになっていただいたハードリピーターの方だったので、なおさら、一体何事が起きたのかと思った。いつもの様に、売っている餅が硬いとなると、全商品に影響がある。ところが、その餅を見て、すぐに分かった。封を開いてから、冷凍庫に入れた餅だったのだ。外気と接する状態で、冷凍庫に入れると、フリーズドライ状態になり、焼くとミルフィーユのような硬い層がいくつもある餅になってしまうのだ。ちなみに、つきたて餅は、そのまま袋ごと冷凍庫に入れて、解凍すると、柔らかく戻る。その方は、つきたてと同じ扱いを切餅でやってしまったようだ。冷凍庫でなく、冷蔵庫に入れてくださいと、お願いして来た。もちろん、治療費と新しい商品は、置いてきた。クレームの対応は、やはり、誠意と敏速が基本。今回は、上手く行ったと思う。とても、感じの良いお客様だったので、気分を害されずホッとしている。
 それと、なぜか、私の携帯電話が壊れた。電源は入るのだが、音声関係がサッパリだめになってしまった。だから、男の携帯を開発してくれと、言っているのだ。象が踏んでも、壊れない携帯が良いのだ。仕方なく、電話帳代わりに持って歩いているが、困っている。皆さん、しばらくは、連絡はメールでね。


2001年1月19日


 朝、小学校で、校長先生や役員と、通学路を見て回った。多くの箇所は、町や近隣の方々が除雪してあるが、何ヶ所か、通学路として使えない状態の所があり、緊急に日曜日、県の除雪デーに合わせて、PTA会員を集めて除雪をする事を決定した。雪は、もう小康状態になったかも知れないが、地域住民が力を合わせて、何かをする良い機会ともとらえている。
 その足で、役場で行われた生産調整会議に出席してみてビックリ。3%の一律青田刈りが、県からお願いが来ているというのだ。でも、これって、百姓には受入れ難い内容である事は、明白。そこで、「石川松任地区で、肥料3割減を行ったらどうか」と提案した。まさしく、我が社が行っている方法だが、収量は減るが、品質も上がり、農薬も減らせる。しかも、商品の競争力にもなるし、農家のコンセンサスも得られやすいと思う。委員の皆さんも、興味を示してくれたが、果たして実現に行くかは、難しいだろうなあ。でも、やって欲しいなあ。


2001年1月18日


 やっと、年賀状を書きあげた。これで、ようやく21世紀を迎えられる。
 昨晩、阪神淡路大震災遺児のテレビ番組を見ていて、先日行った、田んぼやさんの近辺の様子が浮かんで仕方がなかった。「ここは、焼け野原だった」「この建物は倒れていた」と、淡々と説明されていたが、自分自身、消防団で、火災出動をして、水が無く消火活動が出来ないほど、情け無い事はないと経験しているので、目に浮かぶのである。例え他人でも、火事場の後片付けをしていて、何もかもが瓦礫になっているものを見るのは、つらいものである。ましてや、それが自宅、そして身内が亡くなったとなると、どれほどのものか想像もつかない。田んぼやも、まだ仮設だったし、まだまだ傷跡が癒えているとは言い難い。せめて、田んぼやの周りの方々にエネルギーを送れればと考えている。今回の訪問で、我が社の「なめたお米」も置いてもらうようお願いした。他店にお米を置くと言うのは、林農産初の試みであるが、田んぼやさんの人柄に惚れたのが、決心に至った最大の原因である。今後、我がバカーズが総力をあげて、波状攻撃を行う予定である。田んぼやの、素晴らしい雰囲気を壊さないか心配だが、神戸のお客様の口に合えばいいなあ。


2001年1月17日


 今日は、年賀状!を書いていた。例年、年明けとともに、書き始めるのだが、最近は、年始もバタバタしているので、ドンドン遅れる傾向にある。もはや、年賀状と言える代物でないが、せっかく、印刷したし引くに引けない状態である。さすがに、この時期出すと目立つという利点もあるが、もう限界。明日には、終える事が出来るだろうか。
 お店の藤井さんが、風邪でお休みなので、店番と久しぶりに「雪どかし」もした。除雪は、「雪さらい」、「雪すかし」とも言うが、こうなると「雪どかし」が、似合う。プロは、エスキモーの氷の家を作るように、ブロック状に切ってから、スコップですくい投げる。素人は、バラバラにしてしまうので、効率が悪い。昔、金沢美大の校舎が、大雪で、ビビが入った事があり、あわてて、みんなで屋上の除雪をしたが、ヘタクソなのには、驚いた。学生が全国から来ていて、とにかく雪が珍しく、遊ぶのに忙しくて、作業が進まなかったせいもあるが。


2001年1月16日


 全国あぐらぐちファンの皆様、無事帰ってまいりました。以下は、その報告です。長文です。
 13日、PTA役員新年会で、飲んだが、ドンドン体調が思わしくなくなって来た。どうも、風邪をひいたようである。結局、不完全燃焼のまま、早めに解散、就寝。
 14日朝5時起床で、大阪府堺市の、上甲塾長宅へ向かう。特急雷鳥が、ブリザード状態の中、一向にスピードが上がらず、大阪に30分遅れで到着。結局、青年塾の代表幹事会が、開催できたのは、45分遅れだった。塾の考えは、組織化をせずに、それぞれの、能動的な志で、動いていこうというもの。しかし、例えば青年塾ニュースの発行のための会費集めとなると、一気に、組織の問題が噴出してしまう。私のような、「出せる人が出せばいいんじゃないの」という考えだと、真剣味に欠けるし、欲しくないのに、送られる人の身になってやらないといけないしで、沢山意見が出た。結論は、みんなが納得の行く、会計報告と発行見込み、そして、青年塾OBとして今後継続していくか問うと言う事、そして、例え休眠塾生であっても、年1回は、新春号を送ろうと決めた。
 今回、青年塾事務局長と言われている私は、総合進行役から降ろされてしまった。ようやく、皆さん、私の能力の限界を感じたのか、少し寂しいが、正しい選択だったと思う。体調も悪かったのもあるが、自分自身が、決して志高い人間でない事が最近ハッキリした事が、キレのある発言が出来なくなっている原因だ。悪く言えば、自信喪失、良く言えば、謙虚。ただ、一つ言える事は、元気な塾生にあって、ずいぶんエネルギーをもらった事だ。これだけでも、行った甲斐がある。
 6時に幹事会が、終わり、神戸在住の塾生と一緒に、JR三宮駅まで行く事になり、出発。堺市からは、乗り継ぎが多く、彼がいなかったらお手上げだった。しかも、外は寒くて寒くて。実は、今回の大阪行きのもう一つの目的は、最近HPで知り合い交流してる神戸のお米屋さん「田んぼや」さんに会う事であった。三宮で塾生と分かれ、私は、最寄りの「新長田駅」まで行き、8時半に、田んぼや店舗に到着した。HPのイメージ通りのお店で、初めて来た感覚でなくデジャブーに陥った。その後、近くのベトナム料理店で食事の後、ホテルへ。なんと、田んぼやさんも、一緒に宿泊。体調が悪かったので、寝ながらの会話は、助かった。田んぼやさんからは、経営や販売に関するアイデアを沢山いただいた。本当に、志高いお米屋さんからの、情報は貴重である。そして有り難い事に、田んぼやさんからは、我々林さんちのネットワークは絶賛を頂いている。最近は、我が社のバカーズとの付き合いを深めていて、今回の私の訪問もその先駆けと言う意味もある。今年は、去年のお返しで、波状攻撃をかけるので、覚悟めされ。
 15日朝、快晴の神戸。今度は、田んぼやと、本拠地「かめや食品」を見学。本当は、ここで業務用のお米の販売をしていたが、2年前に長田商店街に空き店舗があり、そこに出店したそうだ。そこには、所狭しと、コイン精米機、精米機、ブレンド機、色彩選別機、シーラー機と置いてあった。これらも、最近揃えたそうで、昔は、純然たる白米仕入れだったとの事。さらに、阪神淡路大震災前は、給食販売をしていたが、工場がつぶれ止めたそうだ。ちなみに、前には、須磨水族館や、例の倒れた高速道路もあり、真っ只中にありながら、良くここは残ったなという印象だった。「田んぼや」にいたっては、まだ仮店舗状態で、まだまだ復興と言っても、表面的なんだなあと感じた。  そして、いよいよお昼になり、北陸地方は大雪なので、早めに出ますと言う事で、神戸駅まで、田んぼやさんに送っていただき、大阪駅へ。そこで、初めて事の重大さに気付いた。朝から、まったく電車が動いていないのである。途方に暮れたが、とりあえず、4時まで待ってだめなら泊まろうと腹をくくった。しかし、最近、駅で待合室なるものが無いのである。ホームレスの溜まり場になるからだろうが、風邪で、ぐったりしている身には、とにかく座る所が欲しかったが、ベンチ一つない徹底ぶり。食事をしてウロウロしていたら、1時42分発の特急雷鳥が、3時12分に出るとのアナウンス。ラッキーと思い、乗り込んだが、今庄あたりから、状況が怪しくなってきた。とにかく、ノロノロ運転で、すぐに止まるを繰り返し始めたのである。どうも、各駅ごとに、先行電車が詰まってしまい動けないようである。しまいには、福井で、普通電車の乗客を乗せて、超満員の各駅停車になってしまった。最後は、金沢駅も満杯で、入れず寸前で、立ち往生。なんとか、駅に降り立ったのは、大阪を出て6時間後であった。しかし、この後、これは超ラッキーだった事を知る。別の雷鳥が、車中泊になったそうである。とにかく、久しぶり?の我が家は、昔懐かしい雪景色であった。
 午前中、ぐったり寝ていたが、午後ようやく、出社。中村君と藤井さんが、風邪で休んでいる事を知る。みんな、年末の疲れが出てきたんだろうなあと感じた。青年塾のまとめや、田んぼやさんのアイデアの具現化もあるが、とにかく、戦士の休息が先であろう。


2001年1月13日


 今日、PTA役員の新年会がある。以前は、料理屋さんでやっていたのだが、去年、校長先生が、自宅でやってくれた。さすが、女性の校長先生は、違う。去年は、持ち寄りで、美味しいものを一杯食べれた。特に、中島の牡蠣を一斗缶いただいたのは、強烈だった。そして、校長先生宅には、これまた美味しい大吟醸酒が、あって、ここぞとばかりに、全部飲んでしまった。時間的にも余裕があり、ノンビリと、一年を振り返る事が出来る、有意義な会だ。今年も、おじゃまするが、このような手作りの新年会を、開いてくれた校長先生に大感謝である。
 しかし、明日は、早朝から、大阪で、青年塾の幹事会と言う、お堅い会合があり、前回のように、酔っ払うわけに行かず、残念である。青年塾は、21世紀型と言うか、組織や規則にとらわれない集まりなので、逆に、運営が難しい面がある。今回も、一体どうなるか、まったく読めないと言うのが本音である。私自身は、塾で、学んだ事を、家族、会社、地域、PTAと、非常に役に立っているし、感謝している。しかし、これが、会報を出そうとしたり、地域でまとめようとすると、一気に問題が噴出してしまう。そうなると、本当に、インターネットは、新しい形にピッタリ。やりたい人が、安い料金で、自分から見て参加する事が出来る。森総理は、IT革命を高らかに、唱えているが、事務局としては、真面目に、早く普及してくれないかなと切に望んでいる。


2001年1月12日


 午前中、ころころ餅を沢山作った。産み月に、入ってから、卵型の餅を配る餅だが、腹が割れないように、奇数箱詰めし、焼いたり切ったりせずに食べねばならない。我が社の、商品で、一番、技術力と気を使う商品で、田んぼの作業が始まったら、とても出来ないので、お断りしてるくらいだ。昔は、上手く作れずに、シワシワの餅を入れていたので、それでも買ってくれた当時のお客様には、感謝している。今でも、綺麗な卵型に仕上げるのは、至難の技で、必ず、みんなで、「おまえのは形が悪い」と、口バトルが始まる。ちなみに、形が長いと男の子、丸いと女の子と、言われる。私は、男型なので、女型の専務や、中村君と組み合わせて、確立を二分の一にしている。今日のお客様は、男の子と分かっていたので、その分気楽だった。最後に、私が、一番上手に作っていると思っているのは当然である。


2001年1月11日


 バーチャルショップ道場中級編の、プレゼンをした。20名の門下生のプレゼンも、あって、勉強になった。パワーポイントを使ってのプレゼンは、私だけで目立ってしまったし、プロバイダーの好意で、過去の古いHPもアクセス出来て完璧だった?11月半ばから、2ヶ月位の、研修だったが、内容の濃さでは久々だった。後は、売上げを伸ばす事だが、アクセズ数は、最近確実に伸びている。一日、200から300あるのは、驚異的である。カウンターが壊れているんじゃないかと、思ったが、どうも本当らしい。次は、上級編?でも、あるのかな


2001年1月10日


 珍しく、一日机に、かじりついていた。田んぼの利用権設定の更新の書類、年末調整の資料、明日のバーチャルショップ道場のプレゼン準備と、事務作業が山積み。その間にも、電話もかかってくるしで、結構ハードだった。この時期、新年会や会合が、多いが、最近は、農業関係を一切キャンセルさせていただいているので、以前に比べれば、随分外出が減ったように思う。それでも、作業が追い付かず、神経質になる事が多いので、今年こそはと思い、かなり飛ばして、事務作業を行っている。以前、経営者診断をしていただいた時、ほとんどの分野で、Aランクであったが、唯一、事務能力が、Fランクだった事を覚えている。仕事は遅いし、字は汚いし、なぜか、こんな作業中に限って、色んなアイデアが生まれて、横道へそれて行く。さて、横道ついでに、明日のプレゼンの練習でもしよーっと。


2001年1月9日


 年頭に当り、社長の訓示は、23世紀型の林農産では、存在しない。そんな事は、すでにテレパシーで伝達済みである。と言うのは、冗談だが、今年も、みんなが健康であって、そこそこ儲かればそれでバッチリである。この「そこそこ」が、いかに難しいか、しかし、23世紀に向け大量消費の時代の終焉を迎え、今の日本に一番必要な事である。昨晩のNHKのテレビで、アジアの稲作の危機についての番組を見たが、フィリピンの農業者が、「都会じゃ、空気(エアコン)まで金を払わないと吸えない。ここでは、野菜は植えれば育つからタダだ。」と言っていた。まさしく、私がいつも言っている事である。農業は、豊かな生活に向いているのである。今年は、「コソコソそこそこ儲けてウハウハ健康」が、目標だあ!


2001年1月8日


出初式の打ち上げの温泉の後、朝から、少年野球の新年会で、もちつきをした。昨晩は、さすがにショックで飲めなかった。しかし、容体の方は、安定しているようなので、とりあえずホッとしている。今でも、落ちる様子が鮮明に、スローモーションの様に、しかも、なぜか無音で、頭に浮かぶ。そんな中、子供達とのもちつきは、楽しかった。明日から、我が社も、遅い仕事始め、生かされている事を感謝して、励むとしよう。


2001年1月7日


 仲間が、ハシゴから、落ちた。今日の出初式の演技は、無事終了したのだが、地元のAコープで行った演技で、私の前の演技者が、落ちてしまった。幸い、持ち手とトビに、接触したので、直接ではなかったにせよ、頭を打って、入院となった。目の前で落ちて来ても何も出来なかった。技自体も、最初の方の簡単な演技で、落ちるはずがないと思ってもいた。始めて5年目、ハシゴ演技の怖さの、洗礼を初めて受けた形になった。怪我の方は、内出血が収まれば、大丈夫と言う事で、一応ホッとしている。
 絶対に落ちるような事は無いと、信じていたが、世の中、絶対と言う事はない。そして、伝統の演技を続けている所は、それをも、乗り越えて来ている事は確かだ。でも、こんな事に命を賭ける男って、つくづく、バカだなあ。


2001年1月6日


 大吉を引いた。隣の鶴来町の出初式とハシゴ登り見学ついでに、遅い初詣に行っておみくじを引いたのだ。しかし、上向きの後は、必ず下向きになるから、備えよと、あまり嬉しくないフレーズも入っていた。よっしゃー、とにかく大吉のうちに、色々手を打とう!
 他団のハシゴを見る機会は、なかなかないので、出かけたが、なんと出初式直前に火災発生、結局、3時間遅れで、始まった。少しづつやり方が違うので、「おっ!あんな技があったのか」と参考になった。今から、ポンプ格納庫で、ハシゴのロープを締めに行く、そこで、気持ちも引き締めて、明日は気合のこもった演技を見せるぜ。ハイー!ヤー!ヤー!


2001年1月5日


 昨晩、吹雪の富山から、子供達だけ連れて帰宅。妻は、11月に亡くなったおじいちゃんの、遺産相続の親族会議等で、まだ帰れそうにないので置いてきた。私は、親族でありながら、第3者であり、微妙な立場で、困ってしまった。テレビドラマであるけど、これって大変だ。
 富山のテレビで、「嫁より先に、牛(ベコ)が来た」のドラマを、見た。我が社にも、沢山の研修生が来るが、その思いは色々である。私の母親も、ドラマの様に「なんで農業なんかやるの?」と、自分でやっているのに質問する。多くの場合、質問された研修生は、困った顔をする。私なんぞは、あんまりみんなに聞かれるので、「農業もデザインもモノ造りは同じ」なんて、ハッタリをかまして答えている。すると、みんな一様に安心するのである。ただ、一つ言える事は、我が社は、あのドラマの牧場のような素晴らしい研修受入先とは、思えない事。どちらかと言えば、研修生から学ぶ事の方が多い。林農産語録でも、「研修生を講師様と呼ぶ」とある。そんな我が社だが、持ち得るネットワークを全て動員してバックアップするのが良いのかなあ。でもなんか、しみじみ考えさせられる良いドラマだった。


2001年1月2日


 昨晩、富山に行こうとしたが、体調がイマイチ。疲れが、取れないので、私と次男は、今日出発にした。年末の疲れは、その時の調子によるが、ひどい時は、高熱が出て寝込む事もあるので、要注意なのだ。ただ、あまり寝てばかりいても、気合が抜けて良くない場合もあるので、もうそろそろ行こう。


2001年1月1日


 明けましてましておめでとうございます。いよいよ21世紀ですが、林農産は23世紀を視野に入れているので、単なる通過点と言えましょうか。まだ、脳が、緊張状態にあり、朝も早めに起きてしまい、元旦初売りと言う、非人間的行為に、子供達にせがまれ行っていまいました。これから、弛緩状態に入って行く予定ですが、今晩、富山の妻の実家に行きますので、しばらく日記はお休みです。それでは、今年も林農産をよろしくお願いします。





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