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日記を、日付順に、読みたいので、1番下へ行く

あぐらぐち物語 2001年4月分





2001年4月30日


 魔のゴールデンウィークだ。世間では、連休でイベントが目白押しだが、うちは田植え前半で、まだ調子が出ない。昨晩も野球の打上げ、今度の本誓寺のライブの打上げがあって、今日も野球の試合の後、バーベキューがあった。さすがに、今日は田植えをサボれず野球の方は、昼少し顔を出しただけだ。 しかも今日は、月末。にも関わらず子供達からの要望も多く参った。田植えだけなら、なんとかなるが、こう重なると厳しい。宿命とは言え、バーベキューで、ビールを飲むお父さん方を、うらめしそうに見て帰るのは、実に寂しかった。明日は平日、少しホッとしている。


2001年4月29日


 勝った!大事な試合を二つ。これで、県大会を含め大きな大会二つに出場出来る権利を得た。それにしても、すさまじいシーソーゲームで疲れ果ててしまった。ここでの厳しい戦いを制した事は、今後に生きてくるだろう。それにしても良かった。
 という事で、今日は田植え初日。なんとか、トラブルもなく植えたが、どうにも苗が良くない。去年は完璧だったのに、今年はなぜこうなるのかは、まだ原因不明である。種子消毒復活論が、急激に浮上して来た。やはり、リスクが多過ぎたかもしれない。とにかく、なんとか植えるしかない。


2001年4月28日


 朝、いつもの様に起きて、Aコープ納品、農協へ精米引取りと積極的に動いて、予定通り「いしかわ動物園」へ。結構広い事に驚きながら2時間歩いてなんとか一周。昼食を食べ一休みして、ジャスコへ、PTAでもらった記念品代りの商品券で買い物をしようと出かけた。ところが、消防の知り合いが、血相を変えて走っていくのにすれ違った。あれ?と思い遠くを見ると黒煙が派手に上がっていた.結局、Uターンして出動。でも、少し待ったが3人目が来ない。ちょっと厳しいが、この二人ならなんとかなると踏んで出た。現場では、バッチリ最短距離にポジションを決め、水利を確保後、ホースを背中に3本、手に1本、もう片手に放水ノズルを持って走った。何かの資材置き場だが、真っ赤な炎で、鉄の塀が熱い。2番手くらいで、放水を開始、さすがに疲れて来たら、ようやく応援が来て助かった。なにはともあれ、二人だけで、放水したのは初めてだが、うまく行って良かった。
 その後、予定通り、学童野球の練習に行った。明日は、大事な大事な試合がある。これに勝たないと、県大会に出れないのだ。もう十分、今まで悔しい思いをして来た。明日は、一気に晴らしてくれる事を信じている。


2001年4月27日


 今日も順調に代掻き。そしてなんと明日、林農産はお休み。田植え前に休むのは、林農産の歴史上、前代未聞だが、本来そうでなくてはいけないのだと思い今回決断した。昔は、本当に代掻きから田植え終了までつらい日々だった。よほどひどい雨にならない限り休まなかった。今は、機械の運転手が3名いるので、田植え機を2台動かしても、トラクター作業が出来るので、余裕をもって作業が出来る。したがって29日からは、田植えしながらトラクターも動く事になる。
 かつてこの代掻き時に、無理やり休んだ事で、思い出がある。もう6年以上前だが、あまりにも作業が続きしんどいので、作業が遅れると渋るレディースを社長の決断で休んだことがある。私は、全然かまってやれなかった子供達を連れて映画を、見に行ったりしていた。その頃、家で休んでいた母親が、たまたま胸に違和感がある事に気付いたのである。病院で診てもらったら乳ガンであった。かなり末期であったが、なんとか手術も成功し現在に至っている。もし、あの時休まなかったら、母親は、死んでいただろう。だから、この時期の休日には特別な思いがあるのだ。


2001年4月26日


 代掻きだが、今年は例年になく天気がいい。おかげで順調に進んでいるが、田植えで降らないことを祈りたい。先日、私の青年塾の同期で、いつもお米を買ってくれている有り難い友人から、注文したのに来ないと言うメールが来て、原因はまだ分からないが、とにかく急いで送った。その後、メールが来てお米がないので、仕方なくコンビニで魚沼産コシヒカリを買ったが、これがまずくてまずくて。炊き方が悪いのかと思ってやってもどうしてまずい。いつも林さんちのお米を食べているが、これがいかに美味しいか再認識したとあった。そして、彼はお酒の卸業の社長さんだが、最期に「酒は作り手を映す」という、良い言葉を添えてあった。まさしくわが社のお米を表現するにピッタリの言葉だとおおいに感じるところがあった。特別な栽培法をしてるわけでなく普通に作っているが、皆さんに美味しいと言われる原因は唯一そこにあるのかもしれない。映った味が濁らないように精進せねば。ちなみに、魚沼産コシヒカリも素晴らしい作り手が沢山いる事を、魚沼の名誉の為に付け加えておきます。


2001年4月25日


 昨晩、腹が立って仕方ないので、ヤケ酒を飲もうと思っていたら、妻が地球村のミーティングで、不在。結局、子供と一緒に寝てしまった。一晩、寝て頭もスッキリ。今日は、表示修正のシールの原稿を作った。考えてみれば、貼っておけばOKなんだから。しかも、うちのお店で、その表示を見て買う方は皆無である。その筋の方しか見ないシールなのでわが社にとっては無駄だが、悪法も法なりと納得して貼る事にした。私も大人になったものだ。


2001年4月24日


 今日、ついにJAS法の表示で指導を受けました。うちのお米は、私が作って私が売るんだから何も表示が必要でないと思っていたが、法律で決ったから表示をしなくてはならない。お米の名前には、品種名と銘柄名の二つがあるのである。品種名は、農協でコシヒカリの種を買った時点の品種名。今度は、このコシヒカリが、石川県の奨励品種になっていて、さらに検査したら銘柄米として確定する。この銘柄米コシヒカリで初めて、「平成13年石川県産コシヒカリ」として、表示して販売出来るのである。それ以外つまり店舗販売分は、食糧事務所の検査をしていないので、「その他国内産複数ブレンド米100%」という表示になる。と言う事は、イセヒカリは品種名としても、どこにも登録されていないし、まして石川県の奨励品種ではないので、なぁ〜んにも書けない事になる。自分の子供なのに、林と名乗らせられないような感覚で、現場とは大きなズレがある。ただ、このJAS法のおかげで、魚沼産コシヒカリのようなブランドは守られる事になる。直売農家は、トバッチリを受けたような形だが、なにはともあれ、林さんちは、立派なヤミ米屋になってしまったのだ。さあ、表示のシールを作ろうかな、トホホホ、、、、。


2001年4月23日


 一昨日のB型オフ会は、ひじょうに楽しかった。HPドクターことふゆさんのお土産攻撃に、全員撃沈されてしまった。しかも本多農場のタマゴとお米を使ったなんとも贅沢な、しかもあまり高くない「アサヒ軒」の料理の数々と、賑やかな美人ママ。最期は、石川県でも有数の美味いラーメンを食べて大満足の夜でした。ちなみに、ふゆさんの私へのお土産は、モアイ像のティッシュケース。鼻から出てくるので、鼻水のようで笑える。今度は、ピンクのティッシュにしよう。
 そして、朝6時に起きて、ビュールで久しぶりに激走して帰宅。学童野球の試合に行ったが、なんとまた一点差で敗退。さすがに、ガックリ来たが、応援する我々が力を落としてはいけない。次の試合こそ、勝つと信じている。


2001年4月21日


 PTA総会に出席。今回は、3年間のPTA会長ご苦労様の感謝状の授与とPTAサポート隊の募集で出かけた。このサポート隊は、いわゆるオヤジの会の発展型だ。今日も、学校で駐車場係りで初仕事をした。PTAとは、別組織でオヤジの会があるような学校は、やはり良い雰囲気がある。だから、無理を言って、子供が5年生で会長を辞めさせてもらい、サポート隊を結成したのだ。今後は、隊員をもう少し増やして次なる活動に向け、集まりを持ちたい。というか飲み会をバーーンとやりたいね。
 夕方、HPドクターを中心に結成したB型グループの、オフ会がある。この報告はまた明日。


2001年4月20日


 終わり無き戦い。それは、小学生の用水へのいたずらである。とにかく多勢に無勢、通学路周辺はことごとく触られる。お約束の学校への苦情と対策のお願いで、大方の子供は、止めるのだが、数人偏執的にいたずらする子供がいると、その箇所だけ徹底的にやられる。今日は、江戸時代みたいに、立て札を立てて来たが効果があるか楽しみである。偏執的ないたずらは、子供が精神的に病んでいる兆候だとPTA会長生活で感じる事が出来た。そうなると、早急に犯人を特定した方が、別の意味でも解決する道が出来る。
 用水をいたずらされると、水が入らず乾いてしまい、せっかく代掻きしても除草効果がなくなり、除草剤を沢山使用するはめになる。特に、田植え後、わずかの除草剤が流れてしまうと、後々絶大な被害が出る。そこまでいかずとも、小さな苗は水加減が難しく生育に大きな影響が出る。最期は、林農産の収益に影響が出る。これは冗談ではない。事の重大さに、先生も親も気付いて欲しいなぁー。さあ、また立て札立てて来よっと。


2001年4月19日


 相変わらず天気が良く作業が進んでいる。今日は、番外編で、私のバイクと我が家の猫を紹介する。このカウルを取った状態のバイクが、テージ1と言って世界で500台ほど、しかもこれはスペシャルで50台しかないというレアバイクである。何がレアかと言って、前タイヤにハンドルが付いていないのである。どうやって走るか謎のバイクである。10年前発売時バブル真っ盛りで、550万円したものを、友人価格で50万円で譲ってもらった。とにかく、ミステリアスな走りをするバイクでB型の私向きである。それにしても、これもデフレかな。
 この猫は、3年前に次男が拾って来た猫で「チョミ吉」と呼ばれている。愛想が良くてだれでもOKな点が、林農産向きである。ただ、オス猫でケンカの怪我が多く、一体今まで何十万円かかったか分からない。一度は、耳がもげそうで大変だったし、最近は脳梗塞で半身不随になりかけたし、とにかくお金のかかる猫である。



   


2001年4月18日


 今年は、人材が豊富である。田植えの時は、バイトのキャンセル待ちが出そうだ。まったくいない年もあったのだが、巡り巡ってこんな年もある。幸い、私も学童野球の役員になっているため、なるべく日曜日はキッチリ休みたい。そんな時は、人数がいると、作業が分散して出来るので、この時期にしては、確実に休んでいる。去年から、専務からの要望で「農繁期も日曜日は、休もう、だめなら代休を」となった。つまり、今までは、ずーーっと、春先は仕事をしていたわけである。せいぜい雨が降れば休む程度だったが、さすがに余り豊かな生活とは言えなかった。かわいそうなのは、やはり子供達。特に次男は、私が一番忙しい時期(青年塾、PTA会長、etc)に、幼少期をへ経てきたので、少し愛情に飢えている気がする。有り難い事に、銀行口座にもお金がまだあるようなので、今年は、そんなツケを一気に返すチャンスだ。


2001年4月17日


 母親が具合が悪く、ハウス管理の仕事も始めたので、ただでも最近めっきりトラクターに乗る事が少なくなったのに、さらに管理作業が多くなってしまった。偶然、研修生あんちが来て助かっているが、スタッフも新陳代謝して行く時期が来たのかもしれない。まあ、少し休めば元気になると言っているので大丈夫とは思うが、私に代りが務まるか不安である。これも修行である。
 青年塾の入塾式でいつも思うのは、入った当初の塾生は、ある方に言わすと「ただのアンチャン達」となる。さすがに、研修中は真面目だが、道を歩く時や、研修を終えて駅で待つ時が、普通の人に戻ってしまう。これが、1年経つと、普段もかなりシッカリしてくるのだから不思議である。私も時が経つにつれ「生涯塾生」「万事研修」と言う言葉が、段々と身染みている。それも、どっちかと言うと、反省する事が段々多くなるのは、あんまり成長していないんだろうなあ。


2001年4月16日


 青年塾の入塾式に行って来た。すでに5期生を迎えるというのは、私が入った当時から考えると、夢のような出来事である。今日は、妻がPTA実行委員会に出席のため早く帰らないといけないので、やっぱり短くなってしまった。ただ、昨日、富陽学童野球の町の大会の初戦で敗退してしまった。ガッカリして、帰りは走行がゆっくりだった。勝負は、水モノ、ここが踏ん張りところだろう。22日は決勝戦で空けてあったのに、、、。


2001年4月14日


 午前中、入水作業。そして今から、岐阜県大正村へ、青年塾5期生入塾式に出かける。準備もそこそこでの出発だが、なんとかなるだろう。今日は、昨日より短い。


2001年4月13日


 入水作業再開。まず、私がバイクで回って、用水の水門を開けて行く。地域で一番最初に、水門を開けるのは、いつも私だが、昔は水争いで良くケンカしたと聞く。今は、私が開けないと誰も開けないくらいである。夕方、新PTA会長との打ち合わせがあって、遅くなったなったので、今日はこの辺で。最近、日記が短いなあと中村君に言ったら、その方が読み易いと言われてしまった。明日は、沢山書いてやるー。


2001年4月12日


 雨が降ってお休み。しかし、スーパーレディースは、自主出社して、カキモチを揚げてAコープへ納品。私も、配達や苗の管理、農業新聞の取材で、一日動いていた。明日は、入水作業再開、今日の雨で水も染み込みやすくなるだろう。


2001年4月11日


 5回目の苗出しをした。催芽(種まき前に予め芽を少し出す事)が、うまくいかなかったので心配したが、祈りが通じたかなんとかなった。
 入水作業を開始したが、小学校や幼稚園から、一斉に田んぼの事で電話がかかって来た。もう、そんな時期になったんだなあと思うが、私の志にとって大事な部分なので、今年も頑張りたい。継続は力なりだ。今日は、押野小学校の先生が来られて話を聞いて行かれた。市内の学校は田んぼが無いので、稲作りは、少々難しいかもしれないが、なんとかアイデアを絞って、有意義な一年にしたいものだ。


2001年4月10日


 田んぼに水を入れる準備を始めた。本当は、朝から開始するつもりだったが、ここ10年にたまったゴミの中に沢山の塩ビパイプ類があり、業者さんから分別してくれと言われたが、長くて始末におえない。そこで、入水作業用に準備した電動ノコギリで細かく切ってフレコンに入れる作業を行った。かつての、キウイフルーツ畑に使用した散水パイプ、モミガラ排出用の直径30センチ近いパイプ、工場前の道路開通に伴う育苗ハウス移転の際の潅水パイプ。結局、午前中一杯かかって切ったが、1トンフレコンで4袋になった。注意していても、人の営みと言うのは、どうしてもゴミが出る。特に、8年前に止めたキウイフルーツ栽培は、失敗だった。やめるにしても、多くの時間と経費を費やしている。今だにその残骸が出てくると暗たんたる気分になる。経営者の判断が、いかに大切かを分からせてくれた貴重な教訓の一つとして、私の脳裏に刻まれている。


2001年4月9日


 腰が痛いので、今日は一日事務作業。一気に雑務も伝票も済まし、これからに備えた。明日は、いよいよ入水作業にかかる。今年は、新しい田んぼが多いので、時間がかかりそうである。
 私のギックリ腰歴は長くて、かれこれ12年以上になる。当時、稲のモミ殻を、袋に詰めて売っていた。しかし、なかなか運送屋さんが来てくれないので、風雨にさらされるうちに、子供らが傘で突いたりした穴から水が入り、軽いモミ殻袋が何十キロになるものが出てくる。そして、ある晩秋の寒い朝、突然運送屋さんがやって来たので、積み込みを手伝っていたら、その悪魔のような重い袋が一つあった事に気付かず、無警戒で持ち上げようとしたら「ギクッ!」となった。本当に、音がしたほどで、その場でうずくまってしまったが、その時は、事の重大さに気付かず、さらに積み込みを手伝ったのだから、始末が悪い。すると、昼からまったく動けなくなってしまい、その後長い戦いが今でも続いているわけである。カイロプラテックに通ってから、ずいぶん良くなったが、今でもストレッチを良くやるようにして予防はしている。今回も、少しギクッと来たら、無理をしない事が、すぐに治る早道なので、天気も良いが我慢の子である。


2001年4月8日


 ギクッと腰に来てしまった。今年はずいぶん調子が良いと思っていたが、苗箱を少し運んだら来てしまった。朝、学童野球の練習試合の準備でサッカーゴールを持ったのが良くなかったのかも。でも、まだ完全には、いかれていないので、養生して治さねば。


2001年4月8日


 ギクッと腰に来てしまった。今年はずいぶん調子が良いと思っていたが、苗箱を少し運んだら来てしまった。朝、学童野球の練習試合の準備でサッカーゴールを持ったのが良くなかったのかも。でも、まだ完全には、いかれていないので、養生して治さねば。


2001年4月7日


 昨晩、PTA会長3年間御苦労様会が、役員OB現役有志で催された。大変有り難い事で、とても楽しくアッと言う間に午前様。不覚にも、朝起きれず、仕事が出来なかった、反省、、、。でも、このような、利害関係を超えた人的繋がりは、一生の財産だなと感じた。「他人は変えられない、自分が変わるしかない」と言う事を言い続けて3年、ほんの少し変わったかも。


2001年4月6日


 好天が続き、急ピッチで田んぼの作業も進んでいる。ただ、トラクターは2台しかないので、作業量は限られる。今度の代掻きまでは、荒起こしを終了させるには、スケジュール的には、ギリギリかな。
 平成7年に、今の店舗加工場を建てて営業を始めた時、前の道路は開通前だし看板は無いしと、まったくお客様が来る雰囲気でなかった時。ある福井県の同業者の発砲スチロールのお鏡餅をヒントに、直径2メートルの巨大お鏡を発砲スチロールで製作して、看板代りに置いた。おかげで、ずいぶん道案内も楽になったし、中には記念撮影していくお客様も後を断たず、以来、我が社の御神体?として、我々の成長を見守って来た。しかし、5年も経つと痛みも激しくなっていて、そろそろ修理しなくては思っていた矢先、春一番の風で、真っ二つに割れて飛んでしまった。今日は、専務が修理を開始、また復活の日も近い。きっと、我々の何かの災禍を一身に受けて割れたんだろうなぁ。


2001年4月5日


 今日は、がんばった。種まきと同時に、荒起こし。夕方、少し早く終わったので、私もトラクターに乗車。今晩、本誓寺ライブコンサートの打ち合わせがある。
 このライブは、「そいんじゃ」というパーカッションのバンド、「ねきねき」と呼ばれるピアニカ奏者が組んでのコンサートを5月26日、近くのお寺で計画している。田んぼのフェスが大きくなったと考えているが、こんどはチケットを販売するので、少し様相が違う。実行委員長は、田んぼのフェスで火が点いてしまった音楽愛好家の一人なので、責任をとって私も、副実行委員長をしている。なんで、私がライブをプロデュースする事になるのかは、永遠の謎である。


2001年4月4日


 久しぶりに、普通の日に晴れた。したがって、私もトラクターに乗って、スタッフをなるべく多くの作業に分配しての一日だった。おかげで、雑務が夜に回ってしまい帰宅が遅くなったが、仕事は進んだ。明日は、早くも4回目の種まき。しかし天気が良さそうなので、また私が先発フル参戦でがんばって、中村君にトラクターに乗ってもらうつもり。がんばらにゃー!


2001年4月3日


 雨で仕事にならないので、メールマガジンを作成した。この通称メルマガというものは、一番書くのが難しい。商品と一緒に送る田んぼ便りは、割と作りなれたニュースという趣だが、メルマガは、アドレスをリンクしておくと、HPにも飛べるし、私は日記も書いているので、ネタがかぶらないようにするのは、結構大変。
 今回、地元Aコープの生産者直売コーナーのニュースを書いたら、HPには無い商品で、写真をリンク出来ない。そこで、日記に載せてリンクしようと考えた。一番左が「ガンコ揚げ」と言って、白のし切餅の「ミミ」を干して油で揚げたものである。日保ちしないので、イベント等で販売していた。直売コーナーは、地元の農家が気楽に自分で寝付け陳列して売れるので、試しに出品して見たら、良く売れるので最近は、「揚げカキモチ」と並びヒット商品になっている。その他、赤飯や山菜オコワ等々、季節の家庭の味を、我が社のレディースがアイデアを絞って出品している。農家が普段、味わう豊かさをそのまま表現した商品が多く、一般のお客様も、まずこのコーナーを見てから買い物されているようである。
 もう一枚は、餅の焼けた雰囲気を撮ろうと試みているところ。バックが暗いので、使い物にならないかもしれないので、ここで披露。伸びる感じは良く出ていると思うのだが。



   


2001年4月2日


 2回目の苗搬出と3回目の種まきをした。今日は、スタッフが豊富にいたので、中村君にはトラクターに乗ってもらった。おかげで、3回目も先発完投で種まきに参戦。ところが、今日の苗箱は、なかなか真っ直ぐに積めないタイプで苦労した。たったそれだけで、2、520箱積んだ後の疲労度は、通常の倍以上で、ぐったりしてしまった。でも、天気が良いので、少しでも荒起こしを進める事が先決。疲れただけの価値はあろう。
 今日の写真は、フジカラーさんの普通の写真をCD−ROMに焼いてくれるサービスの物である。下手な鉄砲も数打ちゃ当るで、最近、思い付けば撮るようにしている。というのは、次男の宿題で、生まれてからの年代別の写真と思い出を書くことがあったのだが、ほとんど、まともな写真がないのである。ご多聞にもれず長男の写真は沢山あるが、これには訳がある。昔は茶の間に、カメラが普段置いてあり、私も農作業の写真を頻繁に撮っていたのだ。デジカメもあるが、やはりプリントで、残しておいてあげたいとの親心である。今は、専務のAPSカメラをもらって、茶の間に置いている。すごく小さいので、いつでも私の御供である。この写真も、偶然、富陽学童野球チームの集合写真を撮る時に、カメラを持っていたので、便乗してパチリ。目指せ全国大会!



 


2001年4月1日


 今日は、朝から消防の点検日に出動。地域の自警団の訓練も合わせて行った。毎月、消防車のポンプの作動を確認して整備する日である。新人には、基本操作を教える場でもある。しかし、ここのところ、学童野球で欠席が多かったので、ホース干し場に吊るされるかと思ったが、無断欠席ではなく正直に言ってあったので許された、ホッ、、。
 最近、天気が悪くて仕事が出来ない日が多いので、今日のような好天は非常にもったいないと思うのだが、基本的に日曜日は休む事にしている。このように休むようになったのは、ごく最近中村君が来てからだ。晴耕雨読が基本だが、社会的活動をする上で、定休日がないと苦しいのも事実。それでも、もったいなかった、何度もトラクターに乗る衝動に駆られた。


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