あぐらぐち物語 −中村君版− 1997年10月分





1997年10月31日(金) 雨あられ

「すたあ誕生」

 眠い。昨夜はテレビ局スタッフとの打ち上げで、家に帰ったのが午前3時だった。 自分は酒はほとんど飲まない人間だから、二日酔いではない。 テレビ局の食堂でみんなで大笑いしながら見て楽しかった。 自分が60kgの米俵を持ち上げたり、100mを10秒で走ったりという、 「嫁さん募集のコーナー」は放送されなかった。(撮影もしてない。) それにしても、テレビ金沢のみなさん、ディレクターの中さん、おつかれさま。 カットされたシーンもたくさんあるのだが、撮影に来たときは、 いい場面をとろうとずーっと待っているのが気の毒だったし、 半日撮って15秒のカット、というのは本当だった。 宣伝もあちらこちらでやっていたようで、すごく手間暇お金をかけた、いい番組でした。ADも美人だし。
今日はたいした仕事はしてない。落雷で故障した通信システムの復旧作業がメインだ。 修理から帰ってくるまでの間、アナログ回線に戻したので通信速度が遅くなった。 連休あけまで写真はおあずけだ。でもそのころ自分は韓国だ。
さて、「人生最大のピークも終わったな」とからかわれているが、韓国にも行くし、 来年は農業青年の全国大会もあるし、まだまだ山はあるぞ!


1997年10月30日 (木) ピカゴロ

「この次は、テレビ金沢特別番組、見てねー」

今日は午前中、雨が降るまでケイカルをまいた。トラクターが脱輪して、30度ぐらいは 傾いただろうか。後輪が浮きかけて、どうハンドルを切って、どう駆動をかければいいのか、 しばらく身動きができなかった。横転しそうなので、結局、電話して助けにきてもらった。 放送日当日に事故で入院なんて、シャレにならない。 午後は韓国行きのあいさつに農業試験場にある石川21世紀農業育成機構へ行ってきた。 「今日テレビに出る人ですね」なんていわれてしまった。その筋の関係者や 同業者は結構知っているみたいだ。 それにしても、今日の北国新聞には驚いた。写真はあれしかないから、 かなり目立つんじゃないだろうか。
そしていよいよ視聴会。社長の発案で、テレビ金沢で本番を見て、 そのまま打ち上げへ突入、という愉快な企画である。 ここだけの話、都合の悪い場面になったらブレーカーを落とす、という 密命も受けている。ペンチやドライバーなどの工具も用意してある。 どんなことになるやら、楽しみだ。

#・・・落雷で、トラブルが発生し、更新が遅れました。なにとぞご容赦下さいませ。


1997年10月29日 (水) くもりのち雨

「雪のように白く・・・」

今日はケイカルをまいたり、大豆を選別したり、もちをついたりと、 仕事が切り替わった。もちのほうは自分から志願した。韓国から帰ってきたら たくさんもちの仕事が待っているらしいが、まだこねる要領がつかめないのだ。 つきたてのもちというのは時間とともに表面が変化しやすく、希望の形にすること以外に、 表面をきれいに均一にすることがこねる大切な目的だ。 自分の場合、なぜか大きなしわがいくつもできて、社長いわく、「ブルドック」 のような模様になってしまう。「もちの気持ちになれ」という。 女性の肌ならいいのに。なんてね。


1997年10月28日 (火) くもりのち晴れ

「最終便」

今日は大豆を分別するための段取り。分別機の設置やライスセンターの整理など、 こまごまとした作業がたくさんある。単純作業を長時間こなすより、 こんな日のほうが疲れることが多い。 ところで、石川21世紀農業育成機構の寺崎さんからのメールによると、 航空券は便の変更が可能らしい。研修が終われば、あとは勝手に観光して 自由に帰ってきてもいいらしい。最終列車に乗ることの多い自分の好きなパターンだ。 となれば、できるだけ長く滞在していたいが、14日から仕事もつまっている。 到着しだい、着の身着のままですぐ作業、ということになるかも。 韓国との時差が1週間ぐらいあればいいのに。


1997年10月27日(月) くもり時々雨

「放送3日前、出国1週間前」

今日は午前中、もちを切って袋づめ。田んぼには出れそうにない天気。 午後は大豆の選別機を農協から運び入れた。昔は共同で使っていたらしいが、 今はうちぐらいしか使っていない。そのほか、メールを書くなどしてすごした。 韓国へ行く前に、できるだけのことをやっておきたい。
「あしたも晴れ」のテレビコマーシャルや新聞広告など、あちらこちらで 宣伝を見た、という話は聞くが、まだ自分は一つも見ていない。 「奮闘する新入社員、中村君」だの「主役」だの、噂とほらが先行してるが、 はたしてどんなつくりになってるのか、当日までさっぱりわかりそうにない。 韓国語の勉強も難しいし、不安と期待が入り交じって情緒不安定だ。 (一番の原因はワールドカップサッカーかも)


1997年10月26日 (日) くもり時々雨

「日本!」

 今朝はもちの配達の仕事。昨日の日記には書かなかったが、夜にもちつきをしていたのだ。 もちをこねるのは初体験だった。自分は、未体験の作業をするときは石橋をたたくように、 ゆっくりたしかめながら行うことが多いが、つきたてのもちを運ぶときは勢いで瞬間移動させなければ ならない。こねるのも、時間がかかると表面や固さが変化してくるのでよくない。 私の性質を切り替えないといけない作業だ。
 さて、今夜のサッカーは天王山のUAE戦。これに勝てば多分11月いっぱいはプレーオフで 楽しめる。絶対勝てると信じている。そういえば昨日のサッカー大会のPK戦では「日本!」 と応援してた。いったいどっちの味方かわかりゃしないが、自分達のチームがPKをはずしても おおさわぎするノリが若者的で楽しかった。国際試合でも、戦いが終われば同じスポーツを 愛するものとして相手をたたえあう姿はいいものだ。


1997年10月25日 (土) くもり時々雨

「ジャンケン要員募集中」

 今日は、一年間待ちに待った金大祭のサッカー大会。これで私は3大会連続出場だ。 2年前はFCベルマークというチームに所属していた。Jリーグのベルマーレをもじったものだが、 鹿島あんたらーずという名前の候補もあったらしい。ちなみに自分はあんたらーずというやぼったい センスのほうが好きだ。そして去年、契約金0円で技研’Sに移籍?した。去年はいつのまにか 12人試合に出てたり、雨のおかげで3回戦まで勝ち進んだが、今回は1回戦でジャンケン負け してしまった。実力は相手のほうが上だったから仕方ないが、うちのチームはキーパーの川岸さんが 一番のスーパープレーヤーで、12分ハーフの試合は1−1の同点。3人勝負のPK合戦は 前代未聞の0−0。うちのチームは蹴るのは2本はずして1本止められたが、 キーパーが2本止めたのだ。写真ではわかりにくいが、ジャンケンではチョキに負けた。 緑色のゼッケンは相手チーム。自分はといえば、実戦は1年ぶりで相手についていけなかった。 小人数の練習で走るのと、試合の中で走るのとではわけが違う。これから鍛え直しだ。





1997年10月24日 (金) 暑い

「付け焼き刃」

 昨日の夜は石川農業青年会議のメンバーと県大会の打ち上げで、シーサイド松任に宿泊。 遅れて行くと、コンパニオンが5人ぐらいいたので驚いた。 自分はまだ入会して間もないので、あいさつの時間も取ってくれたのだが、なぜか コンパニオンの制服を着せられて自己紹介することになった。疲れていたので、もうなすがままモード だった。デジカメを持っていったのに、全然撮影しなかった。自分がその場を楽しむことと、 いいシャッターチャンスを捕らえることは両立しにくい。
 明日はいよいよ金大祭のサッカー大会一回戦がある。今年は試合形式の練習をしてないので 機敏に動けるか心配だ。今から学校へ練習に行く。一夜漬けのサッカーなんて、勉強より 効率が悪そうだ。角間グラウンドで13:00キックオフ。今度こそデジカメで撮影して、 このページにのせるつもり。だれかカメラマンいないかな。暇な人は応援に来て下さい。 技研’S(産業技術研究室だから)という、赤と黒の縦縞の、ACミランのようなユニホームを 着たチームです。


1997年10月23日 (木) 晴れ

「豆な豆取り」

 昨日、実家へ帰ったときに、「畑に超高級大豆がほったらかしになってるぞ」と言ったら、 今日、母と妹が本当に取りに来た。仕事であまり相手はできなかったけれど、 どれくらい集まっただろう。一日がんばれば30キロぐらいにはなりそうだが、まさにまめな仕事だ。 トラクターとともに、がんがんケイカルを撒いているので、体が壊れるのが先か、機械が壊れるのが 先かと思っていたら、トラクターがエンジントラブルで止まった。不純物で、燃料パイプが詰まり、 ガス欠気味になったのだ。激しい揺れで、タンク内部のさびが落ちたと思われる。 致命的な故障ではなく、しばらくしてなおしてもらった。大豆畑のでこぼこで、激しく 飛び跳ねたりしているが、じょうぶなものだ。今夜は農業青年県大会の打ち上げ。 酒が入るので、泊りがけだ。どんなことになるやら。


1997年10月22日 (水) 秋晴れ

「郷土色豊かな土産とは?」

 全国農村青少年教育振興会からいくつか資料等がとどいた。日程の変更もあり、 本当に韓国へ行けるのか心配だったが、どうやら正式決定した。 準備物として、相手側とコミニュケーションを図るための資料 (町勢要覧や写真、統計等)や、郷土色豊かな土産を5個程度用意せよとのこと。 受け入れ団体表敬や農家滞在に必要らしい。 自分はもともと自社の米やかきもちを持っていこうと思っていたが、 ほかにいいものはあるだろうか。 今日は自社特製最高級スーパースペシャルブランドの米とみそとダイコンを持って実家に帰るつもり。


1997年10月21日 (火) はれはれ

「内臓をシェイク」

 今日は風が強かったが、28℃あったらしい。昨日も今日も、明日も天気はかわりばえしなさそうだ。 一日中トラクターでケイカルをまいていた。何度か脱輪しかけた。 急勾配のスロープや用水にかかる狭い橋などでハンドルを切らねばならず、 危険がいっぱいだ。後輪が大きくて、小さなあぜぐらいは平気で乗り越えるが、 横転したらどうにもならない。それも経験だが、まだ自分は未体験。
大豆の畑にはまいった。うねをあげてあるところを結構なスピードで走るので 揺れ方がすごい。マッサージになりそうな小さい振動でもなく、かといって ロデオほど大きくて楽しい揺れでもない。機械は大丈夫だったようだが、 体が心配だ。胃と腸がからまってないか、腎臓と心臓は入れ代わってないだろうか?


1997年10月20日 (月) 風

「畑にはお金が落ちている?」

 今日で大豆の刈り取りが終了。これで今年の収穫がすべて終わってしまった。 あとはネギやダイコンなどの、自分達で食べる分の畑だけだ。 うちの大豆は農薬をほとんど使わず、国産の超高級大豆といえるかもしれないが、 このよさがわかってくれる引き取り手はないだろうか? 米が不作だった分、大豆で少しでもカバーしたいものだ。 区画整理をした一年目の畑は、草がぼさぼさに生えてしまって、刈り取りを あきらめたが、結構量があってもったいないし、時間さえあれば手で刈るのも 一つの方法。このままほうっておけばトラクターで起こしてしまう。 どなたか、欲しい人います?


1997年10月19日 (日) はれ

「ゲームセンター」

 目が覚めたら15時でびっくりした。まあ夜更かしして映画を見てたのだが。 最近はなんだかんだと日曜日も会社にきて日記を書いている。 今日は日曜大工をしたり、サッカーの自主トレをしたりしてすごした。 私の簡単にできる気分転換といえばゲームセンター。インベーダーのころから好きだったが、 今は指先だけで操作するゲームよりも、体感ゲームが好きだ。自分はここで、パイロットやレーサーや サッカー選手になる。リールを巻いて釣りもできるし、ストックを握ってスキーもできる。現実には 命にかかわるようなことにも手軽に挑戦できるのが楽しい。まさに遊園地だ。


1997年10月18日 (土) くもり

「戦う男の休息?」

 今日は午前中で仕事は終わり。午後は昼寝したり、メールの返事を書くなどしてすごした。 明日は休み。ここのところ、鹿島へ行ったり、農業祭りがあったりで、休み半分、仕事半分の 日曜日が多かったので、うれしいかぎりだ。昨日の深夜、「あしたも晴れ」のCMが15秒、 放送されたらしい。私がトラクター教習を受けている場面もあったとのこと。午前中か夜中に、 また何度か放送するはず。 今週はほとんどトラクターに乗ってケイカルを撒いていた。振動が激しく、首がこって頭が痛くなる分、 下仕事(機械の補助)より体力的には楽だ。サウナでも行って、こりをほぐそう。


1997年10月17日 (金) いい天気

「メールを3通紹介します」

 昨日の夜、2日ぶりにニフティに接続すると、メールが3通きてた。 最初は宮崎でトマトを作っている雪緒さん。この日記を書き始めて以来、もう何度かやりとりしてるが、 文面から察するに、若い女性のようだ(デレデレ)。友達のホームページに、小説を連載している。 アドレスhttp://www.click.or.jp/~nick/ の図書館に「うにゃの日記」なるものを書いているので ご覧あれ。ホームページを書いている人からのメールは「うにゃ」さんが初めてで、嬉しかった。
 次は頼れる大学院生の高橋さん。10月14日の日記に「怪しい大学院生」と書いたら 「おい、こら」というメールを送ってきた。すみませんね。あれはうそです。 高橋さんは金沢大学(http://www.kanazawa-u.ac.jp/)の博士課程で朝から深夜まで 研究にはげんでおられます。(ホント) 研究室でいろいろとお世話になり、高橋さんがいなければ、私は大学を卒業できなかったと いっていいくらい。卒業以来、近況やサッカーのことなど、頻繁にメールをやりとりしている。 ちなみに、「謎の郵便局員」は本当は「有能な郵便局員」で「林農産非常勤社員」の水渕さんです。
 最後に、小松の岡元さん。一緒に韓国へ行くのだが、自分はまだ名前しか知らなかった。 「ホームページ見ました。研修では宜しくお願いします」とのこと。うれしい!インターネットも やってたなんて。お互い、韓国では大活躍(ハットトリック?)してきましょう。


1997年10月16日(木) 晴れ

「子猫」

 自分は結構動物好きだ。犬猫はもちろん、鳥や馬なども好きだ。 林農産には「モカ」という名の犬がいる。ひとなつっこく、自分もたまにさんぽに 連れていったり、水をあげたりしたので、今では自分の顔を見ただけで尻尾を振る。 喉がかわいたときは切ない声で吠えるので、自分もついつい面倒を見てしまう。 「ぞうきんちゃん」という猫もいたが去年、老衰で死んでしまった。「ぞうきん」とは ひどい名前だが、黒い雌猫で、車にはねられていらい、居候するようになったらしい。 自分も餌付けしてよくなついていたし、彼女の晩年は自分が一番可愛がっていたと思う。
昨日、なぜか屋根から子猫が降ってきた。まだ小さい、雌の黒猫だ。ぞうきんちゃんの生まれ変わり かもしれない。夜、えさをやったり世話してたのだが、朝、突然いなくなった。親が連れて いったのかもしれない。目の可愛い猫だった。再会できるかな?


1997年10月15日(水) くもり時々晴れ

「予定変更」

 韓国行きの日程が変更になった。向こうの農業青年大会の日程が順延になったのでそれに 合わせたらしい。11月の3日か7日出発を選ばなければならない。結構ショックだ。 1日のサッカー「日韓戦」の時に、会場に入れるかどうかはともかく、まずは韓国にいたかったからだ。 これも天命なのだろう。もともとは日韓戦が縁で韓国行きの話が持ち上がったのだが、 自分は最初、日本にいないと試合をテレビで見ることもできないだろうなあ、と思ったら、 「同じ大地にいるだけでも」とそそのかされて行く気になった。その後、韓国の情報を得るなどして、 今は日韓戦がなくても行きたいと思っている。オーストラリア行きという話もあったが、 やはりアジアである韓国の農業を見てきたい。31日出発だと家賃を払っていけるか心配だったが、 これで安心。はたして、1日は仕事があるだろうか、金大祭には遊びに行けるか。 しかし、「あしたも晴れ」の放送は30日なので、次の日に高飛びするはずが、 3日間も潜伏するはめになった。これは恥ずかしいぞ。アジトに突入されねばよいが。


1997年10月14日(火) くもり時々雨

「削除・消滅、復活!」

 昨日の夜、日記を更新するときに、データ転送が重いのを軽くしようと、 10月1日から5日分まで削除して、すべての作業を終えてから、 バックアップを作ってなかったことに気が付いた。あちこちのファイルを さがしたが、どこにも残っていない。もうだめかと思ったが、たまたま プロバイダの北村さんが昼にアクセスしていて、キャッシュにテキストが 残っていたので助かった。自分がホームページを更新した後にアクセスしてたら キャッシュの内容も更新されてしまうので、すぐに電話してよかった。 毎日読んでくれる、謎の郵便局員・水渕さんや、怪しい金沢大学院生・高橋さんが いる限り、外部にいくつもバックアップがあることになるので大丈夫だとは思うが、 やはり危険は避けたいので今後は気を付けようと思う。


1997年10月13日(月) くもり

「高飛び準備OK」

 午前中、パスポートを受け取りに行ってきた。必ず本人が行かねばならず、 他にも手続きは厳重だったが、ついに手に入れた。これで北海道でも沖縄でも、 金星でも火星でも行くことができる。例の恥ずかしい番組が放送終了した次の日には 国外に身を隠すことができるのだ。
午後は我が社のパンフレットの撮影。これが意外と疲れた。じっとしてるより、 たとえ体力使っても動き回っている方が楽だと思った。
そのあとはケイカル撒き。夕方にはトラクターの変態計(9/4の日誌参照)じゃなくて水温計が Hを指していたので作業を終える。社長に電話すると、心当たりの故障があるらしい。


1997年10月12日(日) くもり一時雨

「在庫をかかえた!」

 今日は野々市町の農業祭りに出店した。ぶった農産が漬物を売っている隣で、米やもち、 かきもち、みそ、おこわなどを販売した。何を買っても、コシヒカリが3合おまけに付くのが ポイントだった。後日、お店に買いに来てくれる人がいてほしいものだ。 今回、試験的に作ったみそを5袋置いてみたら、気が付くと10時ごろには売り切れてしまい、 すぐ会社に電話して袋詰めしてもらったが、その後はあまり売れなかった。 本来、10時開店のはずだが、9時ごろ、商品を並べている時から結構お客さんが来て、 しかもお客さんは一人付くと連続してまとまって来ることが多く、応対に追われているうちに いつのまにかみそが売り切れで、「これはいける」と単純に判断して急遽、用意してもらったのだが、 搬入するころには強い雨が降ってきたり、午後には閑散としてきて、結局、20袋も 売れ残ってしまった。開店前が勝負所だった。みそだから保存はきくが、 商売の難しさを経験した日だった。





1997年10月11日(土) くもり一時雨

「NG」

 テレビ金沢の特番「あしたも晴れ」の収録が終盤に来ている。 今日は番組宣伝のためのCMを撮影した。それはいいのだが、 おとといの夕方、エンディングに使うということで、あぜに座って談笑したり、 夕日を眺めたり、汗を拭いたりと、指示通りにいろいろ動いてみたのだが、 どうもうまくいかない。NG3連発で、田んぼ1枚分の仕事時間ぐらい かかってしまった。普段は仕事が終わればはやてのように会社に戻って、 一服するならイスに座ってだし、現実的でないことをやるから動きがぎこちないのだ。 OKがでたあと、スタスタと戻って行ったら、「今の歩き方が一番自然でしたね。」 なんて言われてしまった。俳優への道は険しい?主演男優賞は誰の手に?


1997年10月10日(金) 快晴

「サッカーざんまい」

 今度の日曜日は出勤なので、今日はお休み。研究室の仲間とサッカーの練習をしたり、 ゲームセンターでもサッカーゲームで対戦したり、食事時は明日のウズベキスタン戦などの サッカー談義に花を咲かせたりと、まさに体育の日はサッカーの日だった。 そして、金大祭のサッカー大会の一回戦は25日であることを知った。 今年は韓国行きと重なって出場できないと思っていただけに、これは朗報。 25日は土曜日だから、あとは休みがとれるかだ。試合は12分ハーフぐらいなのだが、 角間キャンパスまでは往復1時間はかかる。雨が降っても、もちつきがあるのかな。


1997年10月9日(木) 快晴

「田んぼでスピンターン」

 田んぼにケイカルを撒いた。ケイカルのことは自分もよくわからないが、目的は土作りだ。 稲作の一年は、稲刈りが終わった直後がもう始まりなのだ。田起こしは暮れと春の2回行うし、 種まきなど、春は仕事が多く、田植えなんてもう中盤かもしれない。 左の写真はケイカルを補給しているところ。1袋20キロで、田んぼ1枚に7〜8袋ぐらい撒く。 ただ撒くだけだからトラクターにほとんど負荷はかからず、田んぼ1枚を終えるのに10分 かかっているだろうか?社長の運転はもっと早く、田んぼのローリング族という感じだ。 180度ターンを何度も繰り返すのだが、横転してしまう危険もあるぐらいのスピードでないと、 冬までに間に合わないかもしれないのだ。右手は、トラクターの後部を上下させるレバーを 常に握っているので、ターンのときは左手一本でハンドルをぐるぐるぐるぐるぐるぐる回す。 ケイカルの袋も1.5トンぐらい運んだ計算になるし、こりゃあしたは筋肉痛だ。





1997年10月8日(水) 雨風のちくもり

「突風」

 ライスセンターの前にビニールシートで張ってあったテントが、突風で見事に飛んでしまった。 稲刈りの時期だけ、軽トラの荷台がぬれないように紐で厳重に張ってあるのだが、 シートのつなぎ目が裂けてしまった。もちろん小さいシートとして利用する。 ちょうど今日でもみすりもすべて終了したので、かたずける手間が省けたと考えるべきか?
今年の米の収穫は終了したが、結局、ほほほの穂からカグラモチまで、すべて不作 だったということだ。有機米が一番ましだった。他の農家でも豊作という話はさっぱり聞かないが、 本当に米騒動にはならないのだろうか。古米があまっているらしく、米の値段は安いが。 韓国へ行ってる間に、会社がなくなってたらどうしよう。


1997年10月7日(火) はれ

「健康診断」

 韓国派遣研修の申し込みのため、健康診断に行ってきた。松任の保健所は、なんと農業改良普及所 (合同庁舎)の向かいにあった。保健所での健康診断は月に1回しかやっておらず、予約制なのだが、 昨日電話したら今日やるということで運がよかった。料金も病院より割安だ。 どうも、韓国行きは天命のようだ。決断にいたる経緯はまた今度書くとして、 尿検査や色覚など、健康診断は特に異常はなかったのだが、この後におよんで身長が1センチ も伸びていた。171センチ61キロ。視力は右が裸眼で0.06と、ちょっと落ちたかもしれないが、 メガネをかけると1.5あった。いままでは1.2しか見えなかったのに。気前のいい保健所だ。


1997年10月6日(月) はれ

「毎日新聞」

 自分にとって、一人暮しの魅力の一つは、好きな新聞が取れる、ということだ。 北陸中日新聞は反骨精神が旺盛な感じがして好きなのだが、全国誌を取ってみたかったので、 いくつか読んだすえ、毎日新聞にした。公正という点では、朝日もよいらしいが、 将棋の名人戦を掲載しているのが決め手になった。 石川県で購読している人は少ないだろうが、内容もいいし、自分は判官びいきなのだろう。 地方欄は小さいが、いいものはいいのだ。 日本の新聞は、世界と比べると各新聞社の個性がないといわれるが、それでも なにか大きな話題があるときに図書館で読み比べたりすると、世論操作を 感じるときがある。その人の思想や好みも影響するのだろうが。
 一人暮しだと、集金に来ても不在がちなので申訳なく思う。 だから今日、自分で払いに行こうと思っている。なんていいお客なんだろう。


1997年10月5日(日) くもり時々雨

「鹿島町見学ツアー」

 研修生の谷口さんの就農先となる鹿島町へ観光がてら、下調べに行ってきた。 谷口さんが来年、かぼちゃを作るためのわらがほしいそうなので、それを運ぶというお手伝い にかこつけて、遊びに行ったのだ。アルプラザの敷地内にはJTBやボーリング場もあり、 周辺での生活は結構便利そうだ。自然もいっぱい残っているが、谷口さんが借りれる田んぼは 草ぼうぼうだ。そして、谷口さんが借りる予定のおばけ屋敷も見てきた。かなり広く、民宿が 経営できそうな家屋敷だ。倉庫も広いが、乾燥機などを置いてライスセンターにするには天井を こわすなど、改造に手間暇がかかりそう。
自分が一番気に入ったのは、サッカー場があること。鹿島にサッカースタジアムとくれば、 アントラーズを誘致するしかあるまい。自分も行こうかな?



左は水渕、坂本の富奥青年団員がわらをおろしているところ。右は田んぼにたたずむ谷口さん。 実っているのは決してイネではなくヒエその他雑草。空を見上げて決意も新たに?「ヒエ〜」 って感じ?


1997年10月4日(土) はれ

「うちの社長はブルース・ウイルス?」

 携帯電話でも話したのだが、社長が昨日の早朝の特急に乗り遅れたらしい。 14分しかないのに、金沢駅へ向かってしまう根性がすごい。 それも、あと一歩というところだったのだから恐れいる。 自分だったらあきらめてしばし呆然とし、すぐに時刻表を開いて松任駅でつかまえたかもしれない。 社長を尊敬しているのはいうまでもないが、結果はともかく、この違いがおもしろい。 動物にたとえるなら、自分は猫で、社長はせわしない犬? 自分が海外青年協力隊の試験を受験したときに考えたのが、「たくましさ」とは「強引さ」や 「ずうすうしさ」でもあるということだ。出発しようとするバスに止まってもらうのは よくあることだが、いずれ社長が飛行機を止めないか心配(楽しみ)だ。 なぜか「ダイ・ハード2」「スピード」を思い浮かべる私。めちゃめちゃかっこいい。 でも、目が覚めてから14分で、野々市から金沢駅まで行ってしまうような危険は 慎んでほしいなあ。


1997年10月3日(金) はれ

「パスポートの申請」

 唐突だが、研修で韓国へ行くことになった。内容はまたの機会に書くが、韓国の 農業青年との交流だ。正式決定ではないが、出発は10月30日で、もう日がないので 午後からすぐにパスポートの申請に行った。インターネットで「パスポート」と検索すると、 手続きに必要な物や方法がわかった。住民票、戸籍抄本、写真、官製ハガキ、印鑑、 身分証明(運転免許証)。市役所の駐車場は満車で入れなかったり、こんな時に限って むじんくんの証明写真機が見つからなかったりで、駅前のパスポートセンターについたのが 午後4時半。申請受付は平日の5時までだ。申請書類は同じものが2通必要で、 記入してるだけで終わるかと思ったぐらいだが、なんとか間に合った。 いろんなものを書いたり、読んだり、探したりと、仕事より疲れた感じだ。 また13日に、本人が受け取りに行かねばならない。普段はパスポートなしでも 銀河系を飛び回っているのに(テレビの中で)、手間暇がかかるものだ。 ちなみに、今日は午前中稲刈り。カグラモチの刈り取りが終了した。


1997年10月2日(木) くもり

「学校へ行こう!」

 学校というのは、卒業するまでは毎日行きたがらないものだが、卒業してしまうと 遊びに行きたくなる妙なところ。大所帯の研究室だから特に楽しいのかもしれない。 サッカーの話もしたいし、韓国行きの相談もしたいから今日はとっとと帰る。 実家に米を持って行きたいし、別の友達にも用事があったからちょうどよい。 おまけに6時で稲刈りを終え、もみすりはなし。最高のタイミングだ。 だから日記は手抜き。


1997年10月1日(水) はれ

「心も新たに・・・ドタバタしてきた」

 さて今日から10月。この日記は9月3日から書き始めたので、明日で1ヶ月。アクセス数400 突破なるか。昨日の日記では就職して9月が一番短く感じた、と書いたが、日記を書き始めてからは まだ1ヶ月なのかと、やけに長く感じるから不思議だ。そして自分は今日まで27歳。 明日の夜には18歳(?!)に。今まで紹介しなかったが、自分は西暦1969年10月2日、 (木)星人として生まれ、てんびん座で育ったのだよ。血液型は大型らしい。
 また昨日の日記で、「もち米に期待したい」と書いたのに、今日刈ってみるとかなり少なそうだ。 もみすりしてみないとわからないが、早くも我が社のピンチかも。
 午前中、農業改良普及所の、新規就農者の調査を受けた。就農の動機や現在の課題など、 いろいろな話をしたが、それはまたの機会に譲るとして、就農準備校(簡単に言えば農業教育、研修) に参加しないか、という誘いを受けた。もちろん、参加する方向でいきたいが、フォークリフト の教習や鹿島町(研修生:谷口さんの就農先)の視察・見学、テレビの取材にパンフレットの撮影、 農業祭り、はては韓国・オーストラリア行きという話まで出て来て、なんだか身辺が あわただしくなりそうな10月である。(これを書いただけで浮き足立ってきた)