あぐらぐち物語 −中村君版− 1998年1月分





1998年1月31日(土) くもり

「下手な店番」
今日の昼、店番をしていると豆とぼの1升入りを買いに来たお客さんがあった。 今はもうそんなに大量には作っていないのだが、「古いのでもいい」とのことなので、 冷蔵庫に入れてあったのを売ってあげた。まあそれは品質的には問題ないのだが、 少し古めのをたくさん買ってくれたのに、なにもおまけをつけなかった。 かきもちをおまけすればよかったと後悔。たまに店番をしても、お客さんの前だとあたふた してしまい、なかなか余裕がない。レジ打ちも遅いし。また来てくれないかな。 「私です」と名乗り出てくれれば、先着10名ぐらいはなにかいいことがあるかもしれません。 出血(貧血?)大サービス!


1998年1月30日(金) 晴れ

「全国会議」
全国青年農業者会議の開催要領が届いた。自分は役員ではないが、今回は石川県から5人の枠がある らしく、主催の農村青少年教育振興会についでに韓国研修のあいさつをするということで参加 させてもらえることになった。いろいろな発表や討議があり、全国の農業青年と交流できるので 楽しみだ。2月24日から2泊3日で東京へ行くのだが、27日には浩陽さんがNEC本社で 講演する予定なので、せっかくだからそのまま滞在して社長秘書としてかばんを持ち、講演を聞いて、 写真を撮りたいなあ、と思っている。できれば帰りは東海道回りで、大阪の友達にも会ってきたい。 それだけ休みがとれるかは天気しだいか?大学入試の時期は雪がふる、といううれしい?データも あるが、はたしてどうなるか。


1998年1月29日(木) くもり

「かきもちをこねる」
今日つくるかきもちは、自分達で食べる物なので、私もこねさせてもらった。 長いので、結構体力を使うし転がしにくい。 時間をかけずに、しわができないようにこねないとひび割れの原因となってしまう。 職人的な技術がいるが、手早く作ったので難しさを実感する間もなかった。 結果は1ヶ月ぐらい干した後にわかる。天候や気温にもよるが、半分ぐらい割れるようだと 休憩の時の私の肩身が非常に狭くなることだろう。写真は洋行さんがこねた、色白な女の子の腕 (足だったらいいなー?)を型に入れるところ。





1998年1月28日(水) くもり

「かきもちを切る」
かきもちは、作ってから(ついて、こねて型に入れてから)2日後に切っている。 あまり間をあけるとひび割れの原因になってよくないらしい。一日に45本作っていて、 作るのも切るのも半日仕事だから、午前中切って、午後はついて、という毎日だった。 今日は切るだけだが、下はその機械の写真。指を詰めることもできる。厚さが薄すぎても厚すぎても 割れやすくなったり、しんが残ったりとよくない。1枚4ミリぐらい。





1998年1月27日(火) 晴れ

「雪の上のスポーツといえば」
どうも最近、精神的にはどんよりしている。今日はいい天気で、雪すかしをしたら気分がよくなった。 そういえばしばらくスポーツをしていない。体力をもてあましているようで、急に あばれだしたくなった。自分は上半身の割に足が太く、たまにはフルパワーをださないと 心身ともによろしくないようだ。昼に長靴でサッカーボールを蹴ってみるとこれがまた楽しい。 中学の時の雪中サッカーを思い出す。高校の時は雪中ラグビーをしたこともある。 長野五輪でもやればいいのに。今日で特殊な注文を除いた、かきもちのもちつきが終了。


1998年1月26日(月) 雪

「007現わる」
お店の前の道路は片側2車線の走りやすい道で、4月には8号線沿いのアピタまで開通する予定。 中央分離帯があり、店の前ではUターンはできないのだが、今日、それを乗り越えて店にやってきた 車があった。自分の命を狙いに来たかと思って身構えたが、若い女性の2人連れで、しかも 雪のせいか、中央分離帯を乗り越えたことにも気づかなかったらしい。このほうがスパイよりも 恐ろしい。トレビン警部(裸のガンを持つ男)の親戚かもしれない。自分も雪で見えずに、 いつのまにか脱輪したことはあるが。今日は久々に雪すかしをした。


1998年1月24日(土) 大雪

「副知事との懇談会改め、謎の新年会」
 今日の午後から、石川県副知事との懇談会と聞いていたが、どうも情報が混乱していた。 河北郡、金沢市、松任石川郡3地区合同で40人ぐらいの、非公式の新年会だった。つまり全国大会 に向けてさわごう、というわけだ。県の農政課長の高山さんの御自宅で行われたのだが、 なんと昔よく遊びに行った、実家の隣町の月浦町だ。洋行さん、谷口さんと参加した。 副知事は1時間ぐらいの滞在だったが、名刺交換もできたし、質問をしたり少しお話もできたので よしとしよう。とても県職員の首があやうくなるような過激な話はできなかったし、一億のワイロ も渡せなかった。パンフレットを配り、高山家にはおみやげにもちを渡すという営業活動はできた。 あとはなべ料理やビンゴゲームの宴会だ。洋行さんはビール券をゲット、私はスカ。実家までは 歩いても7分ぐらいで行けるのだが、仕事もちょこっと残っていたので車で前を通って帰ってきた。 それにしてもすごい雪で、2時間近くかかってしまった。


1998年1月23日(金) くもり

「チヨミ」
 我が社のアイドル?チヨミちゃん。本当はチョミと名付けるはずが、間違えてチヨミと書いて しまって、そのまま定着したらしい。オスなのに。生後3ヶ月ぐらいか。 昼時にいつもエサをねだるのがかわいい。




1998年1月22日(木) くもり

「かきもちの具」

 今日は、ごまと青のり、いか、ピーナッツのかきもちを作った。種類は他に、白、青、赤、黄、 豆、こんぶ、黒砂糖、しそ、えびなどがある。今年はわかめを試してみた。コーヒーを入れたことも あるらしい。毎年いろいろと試すが、味はそれなりにおいしいものの、ヒット商品として定着する ものはあまり出てこない。やはり白と豆、こんぶが主力だ。私は、のり茶漬けやふりかけ、 ミルクココアなどもいいなと思っているが、なにか他にいいアイディアありますかね? 今月いっぱい募集します。採用された方にはハワイ旅行はあきらめて、このページで表彰 しましょう。賞品は多分かきもち一日分プラス返品分。奇抜なアイディア待ってまーす!


1998年1月21日(水) 雨

「恐いもの知らず」

あいかわらず、たんたんとかきもちをつくる毎日だ。そろそろあきてきたなー、というときに 何かイベントがあるのがこの業界のいいところ。今週の土曜日に、あくまで非公式だが 県の副知事との懇談会がある。農業青年と話しをしたいらしい。今年の農業青年全国大会は 県知事が誘致したと聞いてるし、どんな話ができるか今から楽しみだ。改良普及所の人は、 「わしらの首が飛ばん程度にしてくれー」と言ってたが、林農産の人間は爆弾発言をすると みられているのだろうか。以前も、「減反なんて無視して」とか話してると、公務員の方は 「ドキ」とか言ってたしなあ。自分は研究室でも「一番、先生と対等に口を聞く」と2,3回 言われたし、やはり、類が友を呼んだのと、社長の教育も行き渡っているのだろう。


1998年1月20日(火) 雪

「コーヒー」

昨日、夕食を食べ過ぎたので、久々にコーヒー豆を自分でひいて飲んだ。コーヒーに含まれる カフェインには胃液を分泌する作用があるらしい。だから食後にお茶やコーヒーを飲むのは 理にかなったことなのだ。コーヒーというのは一般に新鮮なのがいい。ばいせんしたて、 ひきたて、いれたてということだ。生豆は何年かねかせたほうがおいしくなる場合があるらしい。 昨日飲んだのは去年ばいせんされた古い豆を冷蔵庫に入れておいたものだが、ひきたてだと やはり香りがよい。続きはまた今度。


1998年1月19日(月) 雪

「卒論」

 浩陽さんが卒論を書いているようだ。自分も去年のこの時期は卒論を書いていた。 金沢大学教育学部の卒論提出締め切りは毎年1月20日正午だ。4年生を4回やったからよく 覚えているし、思い出深い日だ。去年は、ひょっとしたら車のトラブルなどで間に合わないんじゃ ないかと心配で、学校に泊まり込んで徹夜で仕上げた。苦しかったが、いい研究ができたと 思っている。打ち上げの時のおしゃべりは楽しかったし、ほぼ卒業も決まりということで、 格別な気分だった。あの、卒業出来るか出来ないかという瞬間からもう一年。 あまりにもいろいろなことがありすぎて、充実していたなあ、と感じる。 コーヒーの研究をした、という話はしたっけ?それはまたの機会に。


1998年1月18日(日) 雨

「そばを食べる」

 鳥越村の方へ、そばを食べに行った。職人の方が、ほとんど国産の原料で、こだわって作って いるようだった。自然がいっぱい残っているから、いいものができるのだろう。うちのもちや かきもちとも、こだわりはにてると思う。また食べに行きたい。林農産新春企画、おいしい そばを食べに行こう、2月の予定。


1998年1月17日(土) 晴れ

「練習相手募集」

サッカーの日本代表が発表になった。残念ながら、私は選ばれなかった。昨シーズンはJリーグで 活躍できなかったからしかたあるまい。2002年までがんばろう。若手が選ばれたのは 好ましいことだ。自分も、3010年に太陽系で開催予定の、ギャラクシーカップには 来世で出場できるだろうか。とりあえず、また今年の金大祭目指して自主トレだ。


1998年1月16日(金) くもり

「物思いにふける成人の日」

 昨日は成人の日で、うれしいおやすみ。いろいろと思うこともあり、ほとんど外に出なかった。 14日はいろいろあった。宇宙的に、なにか重要な日だったのかも?韓国報告の反応は よくわからないが、だいぶはしょったので、人に聞き入ってもらう余裕はなかったかも。大学生協で 活動してたときに経験はしてるが、久々に100人ぐらい前にして、ちょっと緊張した。 しかし、おかげで、うれしい再会もあった。
会社に帰ると、メールも2通来てた。ひとつは就職&結婚の報告で、 意外だったのでおどろいた。いずれは大学教授になる人で、自分の知り合いの中でもかなり特殊な 人物だろう。もう一通は、Fu−tsu、つまりアメリカにいるフローレンスからだった。 自分が返事を書かないままに、渡米&結婚をするはずの12月になってしまって、しばらく 音信不通になったが、前のアドレスが使えるのか気になってると、彼女のほうから送って来て、 意外な嬉しい事が集中した日だった。しかし、複雑な心境でもある。金沢からは、生協の同期の同志が ほとんど県外へ転出してしまい、さみしくなる。そして、「結婚」についても、しばし考えこんで しまった。日記の中で、このシリアスな雰囲気はいやなので、笑いたくなる。ハハハハハ。そういえば、 ちょっとしか見なかったが、NHKの青年の主張大会は、農業青年が出てたりして、良かった。 今日は仕事のほうはたいしたニュースはない。サッカーの日本代表が発表になるか?


1998年1月14日(水) 雨

「石川県農業青年グループ連絡協議会交歓会」

長いタイトルだが、親睦を図り、全国大会に向けての気運を高める目的のパーティに参加した。 夕方から日航ホテルであったのだが、自分の重大な任務は、韓国研修の報告だ。 実施団体には、東京へ報告に行くことになっているが、石川県でもなにか報告させてくれーと ねじこんだのだ。それにしても、乾杯の前の報告は気分的にむずかしい。長いのはひんしゅくだ。 レジュメをたよりに、必死にしゃべったが、時間はオーバーしたみたい。「早口だったけど、 長かった」といわれた。新参者の自分が顔を売るにはよかっただろう。小学校の同窓生にも 声をかけられた。15年ぶりぐらいだが、彼も実家が農家でないにもかかわらず、 就農したそうだ。他にもいいことはあったが、それは内緒。


1998年1月13日(火) 晴れ

「かきもち」

 かきもちを作る工程は、まず洗ったお米を一晩以上水に漬けておき、ついてこねて型に入れる。 次の日に型から出し、また次ぎの日に切り、2,3日かわかしてから吊るして干す。干すのは 一ヶ月ぐらい。というわけで、2月は干すだけだが、1月は合計13日ぐらいもちをつく日があるので、 毎日結構いろいろな作業が重なってくる。だんどりを誤ると日曜日にも時間のかかる作業が回って きたりする。もちろん、日曜日はできるだけ休みにしてもらってるし、12月にくらべれば、 淡々ともちをついているのだが。マラソンみたいなものか。


1998年1月12日(月) くもり時々雨

「なにやら、期待以上にすごそうだ」

ようやく胃袋も調子よくなってきた。14日の韓国研修報告についてFAXが届いた。 自分はよく知らなかったのだが、県連の交歓会の中でやるらしい。目的は、会員の親睦を図り、 全国大会の開催気運を高めるということで、パーティ形式で、アトラクションやビンゴゲームもある。 プログラムは、1番・開会のあいさつ、3番・乾杯。で、2番が農業青年韓国研修報告・・・ こりゃえらいこっちゃ。ほとんどしょっぱなで、乾杯の前だとかなりおごそかな雰囲気だぞ。 最近寝込んでいたので準備は滞っている。この日記のように、人を食った文章でもいいのだろうか。 まあ聞いてもらえるのはありがたい。大学時代はよく徹夜でレジュメ書きしたもんだが。 アジアの農業のためにがんばろう。「農業経営者」という冊子も届いた。想像していたより厚くて、 カラー写真もたくさんのってて、ホントにこれに自分が原稿を書くんかいな、と驚いてしまう。 まだ読む時間は作れないが、重なる時は重なるもんだ。


1998年1月10日(土) 晴れのちくもり

「執筆の依頼が来た!」

 昨日からほとんど断食状態だ。食欲がわかないから、別に我慢しているはけではないが、 さすがに力がでない。と、突然、どえりゃーメールがきた。東京のある通信社からで、 雑誌の原稿執筆の依頼なのだ。目が覚めた。これはうれしいチャンス。ついに全国デビューだ! 将来は優雅な印税生活でウハウハだ。そのうちミリオンセラーも出して、美人秘書をはべらせ、 ベンツ買ってゴルフざんまい・・・ってなこと書いたら、担当の方は青くなってるだろうなあ。 まあゴルフは好きじゃないし。車もオープンカーである田植え機が一番快適だ。 テレビ金沢の特番の時もそうだったけど、こちらからお金を払わなくても宣伝になるのだから ありがたいことだ。


1998年1月9日(金) 晴れのちくもり

「下痢」

 きたないタイトルだ。昨夜からおなかをこわして、ろくに寝れなかった。今日もだんだん 調子が悪くなってきた。多分原因は、自分はアレじゃないかと思っているが、洋行さんは アレだろーと言ってる。こんなに長引くのは記憶にない。ともかく、あの店は懲りた。 まだ食欲がないから、水だけ飲んで寝よう。あ、でも、今日は「アウトブレイク」を放映するぞ。


1998年1月8日(木) 雨

「仕事初め」

 年末は大晦日までハードだった分、年始はたっぷり1週間休みがあった。とにかくよく寝て、 疲れも取れた。年賀状はここ数年、3日以降に書いている。今年は実家から転送されてくるので、 遠方からの年賀状の返事はだいぶ遅れてしまった。今日から、かきもちを作り始める。 今日はまだ自分はしなかったが、もちをこねるのが慣れと経験がいる。しわができないように、 長細く、巨大ナマコのように短時間でこねる必要がある。粉をかんで、しわになると、そこから 割れていくそうだ。一枚岩と表現すればわかりやすいか。やわらかくて、ある程度丸い固まりである もちを、空気を入れずに1メートルぐらいまで伸ばすのは職人芸だ。


1998年1月7日(水) くもり

「技術より大切なもの」

 韓国へ研修に行こうと思った動機は、技術より大切なものを見てきたかったからだ。 思想や情熱、価値観などだ。技術なんて日進月歩、大切なのは取り組む気があるかどうかだ。 「身土不二」の意味は、体と土は別々の物ではない、転じて、足は体の根っこであり、歩ける距離 にある旬の物を食べるのが健康にいい、ということだ。それが、自然の理にかなっていると感じた ので、韓国に興味を持った。物質的には貧しくても、日本よりいい国ってたくさんあると思う。 感じ方は人それぞれだが。ともかく、アジアの近隣諸国とはもっと仲良くしたい。


1998年1月6日(火) 雨

「ウソから出たマコト」

 韓国研修の報告会まであと1週間だ。思えば、不思議な縁だ。普及所の北井さんが、新規就農者の アンケートにやってきて、アグリ塾のお誘いを受けたのが話の始まりだ。「オーストラリア行きという 話もあるんだけど・・・」と言われた時、ソウルでのサッカーの日韓戦が見たかったので冗談で、 「韓国ならいいですよ」と答えると、「そういう話もある!」と言われ、その場は冗談で済んだと 思っていたが、その夜に21世紀機構の寺崎さんから電話がかかってきて、強力なプッシュを 受けることになる。社長に話すと、仕事が苦しい、といいながらも、「韓国では今、身土不二という キャンペーンをやっている」と自分の決心が固まるようなことを言うし、日程が変更になって、 サッカーの試合と重ならなくなっても、行きたいという気持に変化はなかった。


1998年1月5(月) 晴れ

「持ってるだけで・・・」

谷口さんに、ホームページの原稿をメールで送ってもらう予定だが、まだ届いていない。 やはりパソコンは、持ってるだけで賢そう、使えばボロがでるので、電源は入れちゃいけない物なのか。 とりあえず、以前掲載できなかった、ビッグマウス忘年会の時の写真をのせておく。



左が噂の、粟津から鹿島まで運んだ乾燥機6台、右は谷口さんが夢を語っているところ。


1998年1月3(土) 晴れ

「やっぱり食べ物は捨てたくないですね」

 売れ残ったもちがかびてしまうので、包装の作業を2時間ほど行った。 脱酸素剤を入れておけば、かびないらしい。これでしばらくはもつ。 うちは規模が小さい分、機動性があり、ロスも少ないほうだ。
久々にサッカーの練習をしに帰ろう。今年はワールドカップの年だし。


1998年1月2(金) くもり

「’97年間総括」

 あけましておめでとうございます。
寝過ぎて体が痛いが、ようやくハードワークから落ち着いた感じだ。 さて、一年目は特に突っ込んだ目標はなく、仕事に慣れる、一年の流れを理解することが目標だったが、 それは時間とともに達成されつつある。一番の問題は寝坊か。プライベートでは、アパート暮らしを 初体験し、仕事と家事の両立が最大のテーマだが、自己採点は20点ぐらい。しかし、実家にいては 出来ない体験ができて良かった。たまっていることは正月休みにやる。仕事のほうは、直播きや 無農薬など、やりたいことがみえてきた。林農産は、経営や農機具に関しては心配してないが、 栽培部門が弱いと思えてきた。もちの加工でカバーできたのかもしれないが、収量の低さは 自分達の栽培技術が未熟なせいだろう。自分は農学の理論は素人だし、学ぶ機会はあったが、 韓国研修と引き換えに、行かなかった。今年もセミナーがあったら参加したい。 農業を通じて国際交流ができたのは望外の成果だ。いずれは宇宙へ、が私のハッタリだが、 一年目にしてはできすぎだ。栽培と関係なくて申し訳ないが、全国大会の成功が 今年の最大のテーマだろう。理解ある経営者に巡り会えたことに感謝したい。


1998年1月1(木) 晴れ

「昨日の日記」

 一年目の、正月もちつきが終わった。ついに、というか、とうとう、か、もう?と言うべきか。 主任と呼ばれつつ、今までほとんど水周りの作業しかしたことがなかったし、至らない面もあったが、 注文が増えた割には、たいしたトラブルもなくこなしたと思う。去年より生産部門は順調だった らしい。自分は主にもちつき機の操作を担当したが、それは工場のすみにあって、全体を見渡せる、 まさに指揮官にふさわしい場所だ。自分の視界からの写真を撮る余裕がなかったので、それは 来年以降にまわすが、その場所に立つと感慨深いものを感じるのは一年目だからだろう。 自分の作業もこなしつつ、全体を見て、作業が滞っていたり、人手が余っていたりするときは 配置を組み直す。急ぐときは、休憩や昼食時もなんとか人をやりくりして、機械を止めない。 ミスや、ややこしい注文もなんとか乗り越え、よくやったと思う。売り上げは3割増。 もっとこうしてたら、という部分もあるので、来年(今年?)が楽しみだ。