あぐらぐち物語 −中村君版− 1998年2月分





1998年2月28日(土) 雨

「スタートレックを見れば笑える話」

朝からしんどい。昨日はまだ気が張っていたのだが、今日急にがくっと疲れがでたかんじ。 大阪の友達に米も売れたし、新宿でサッカーの日本代表Tシャツも買えたのは収穫だ。 浩陽さんも東京で気を大量に放出してきたようで、充電を必要としている。常人より元気と疲れの 状態が極端なので、自分でバビル2世と呼んでいる。浩陽さんがバビル2世なら、私は ミスタースポックだ。何でもまじめに答えようとして、冗談が通じにくい。自分では理論的 だと思っているが、理屈がないと動けないのはよくないか。スポックならまだしも、データ少佐 (アンドロイド)かも。頭がコンピュータ的なのは認める。ただ回転は遅い。低血圧だ。 今日はもちの配達に行ったら、「おいしかったのでまた注文した」といわれ嬉しかった。


1998年2月27日(金) はれ

「歩く走る」

今日は歩いて出勤。意外と距離がある。ここに車をおいて東京へ行ったからだ。 昨日もよく歩いてよく走った。電車は車内で指定券を買うほどぎりぎり。金沢駅で最終バスへの 乗り換え時間はわずかに2分。タクシーに頼らなくて助かったが、大額のバス停から額新保の我が家 までは結構歩かねばならない。だんだん冬から春用の体になっていく。東京などは物価は高いが、 交通費は安い。何駅も乗っても百何十円ですむ。新幹線や雷鳥のきっぷも自販機で買えるのがいい。 今日は苗箱に紙をひいたり、土をつめたり、ころころもちをつくったり。


1998年2月26日(木) くもり

「大阪へ」

今日は表彰や閉会式など、ずっとイスに座って話を聞くだけなのでしんどい。全体としては、 名刺を配り、全国大会の宣伝もし、福井のうちと似たような規模の農業法人の方と夜通し話せたり したのはよかった。「10年後の自分」というテーマは今後も影響を与えるだろう。 閉会後、振興会の駒井さんに韓国研修の報告もできて楽しかった。帰路は皆と別行動で大阪へ。 大学時代の戦友とうまいコーヒーや夕食を取りながらつもった話をした。わずか2時間半の滞在で、 あらためて日曜日にでも日帰りしたほうが長く遊べるのだが、自分はこんな機会でもないと旅行を しない。観光旅行にはあまりお金をかける価値をみいださない人間なのだが、そんな人間だからこそ なのか、経費や予算で旅行する機会が巡ってくる。生協で活動してた時もそうだったが、まじめな ボランティア的な目的での旅行なのでやましさはない。こういうついでに何かをするときは、 効率が悪くてもフットワークが軽いのだ。


1998年2月25日(水) 雨

「書記に指名される」

この会議には北海道から沖縄まで300人ぐらいの人が参加している。午前中は11の分科会に 別れて討議した。分け方は地域や基幹作物がなるべく重ならないように配慮してある。テーマは 10年後の自分。すぐには想像つかないが、昨日の流れから展開すると、いい問いかけだと思う。 10年後の夢を持ち、今なにができるか考えるのは大切なことだ。それにしても初対面同士の30人 で討論というのは盛り上がりにくい。司会の方も慣れていないようだ。だがみんな諦めて投げやりに なっているわけではなく、大声で意見を言ったり、この場をなんとかしようという姿勢は見受け られた。これも自主性を育む4Hクラブの手法なのか?自分は唐突に書記に任命され、がんばった。 全国大会開催県の出身だからというのが理由だったらしい。もう一人は宮崎で和牛をやってる女性だ。 浩陽さんに勝るとも劣らないほど字の汚い私を指名するとはいい度胸だ。分科会報告のまとめに 一役かうことはできた。午後からはプロジェクト発表など、延々と人の話を聞くだけでたいくつ なのだが、まじめに研究発表している農業青年が全国各地にたくさんいるのは励みになる。 写真は分科会終了後の記念撮影。女の子も2人いた。





1998年2月24日(火) 雨

「夢」

いよいよ全国青年農業者会議。少し風邪気味でしんどい。今日は放送局勤務から専業農家の主婦 になったという池秀子さんの講演を聞いた。博多弁バリバリの、おしゃべりも見た目もタレントの ような人なのだが、「夢を持ちましょう」という話が一番印象に残った。つきなみだが、今回は 考えさせられた。学生時代はとにかく農業をやることが夢だったが、就農した今、これからの夢が ぼやけてきていたように思う。
夕食は立食パーティだったのだが、富山の農業青年の会長と話しをしたら、なんとうちの社長を総会 の時に講演者として呼んでいる、とのことだった。「過激派なので心してください」と言って おいた。しかしゲリラではない。自分は過激派正規軍だと思っている。


1998年2月23日(月) 晴れ

「いざ東京へ」

さて、明日から2泊3日、東京へ観光じゃなくて全国青年農業者会議に参加しに行く。 本来ならまだ出席できるほどの役ではないのだが、韓国研修に行った関係で、農村青少年教育振興会 へあいさつ・報告も兼ねて行くのだ。石川県から4,5人の枠があり、旅費・宿泊費は出るので ラッキー。まあそうでもないと、なかなか本部まであいさつには行けないのだが。 全国でがんばっている農業青年が一同に会するので楽しみ。帰りの飛行機はキャンセルした。 この機会に寄り道するつもり。東京でショッピングもしたいが、27日は仕事なので難しいか。 大阪の友人がおいしいコーヒーを飲みに来いと年賀状に書いてたので、東海道周りで、 できれば「のぞみ」に乗りたい。飛行機分以上の旅費は自腹で、大阪にも3時間程度しか滞在 できないが、自分は何かのついでにこういう事をするのが好きなのだ。


1998年2月21日(土) くもり

「ラーメンマニア」

私の記憶によれば、夕食は3日連続ラーメンライスだ。作りやすくて、好きだからしょうがない。 冷凍の具の付いた物など結構おいしい商品があるが、おいしく調理するのは意外と難しい。 麺を別にゆでたりあらゆる作業を並行してやっていると、熱いスープにのびてない麺をタイミングよく 組み合わせることができないのだ。具にもこだわるとなると、コンロが3つ必要になる。 納豆や卵、ねぎ、わかめなども食べて、栄養には一応気を使っているつもりだが。 今日はもちつき。まとまった注文があった。写真は先月の、かきもちをつるしているところ。 来週月曜日にはかきもちをおろす予定。





1998年2月20日(金) 雨

「豆板マニア」

今日も、ころころもちの箱詰めをしたり、明日使うもち米を洗ったり、米を運んだり、 みそをすったりと雑多な作業。豆板とは、豆の異常に多い豆もちのこと。 豆の密集している程度や、味、値段が業者によって違っていて、自分は2度ほど買って 食べてみた。一つは豆のたくさん入っている豆もちという程度だったが、もう一つは びっしりとほとんど豆しか見えず、豆をくっつけるためにもちを使っているというような 状態で、見たら愉快になるもちだ。うちでも昨日、余ったもちで豆板を作ってみた。 今日型から出して、明日には食べられる予定。うちで使っている豆はおいしいので 楽しみだ。ちなみに今のところ非売品。新商品の玄米もちは焼くと香ばしくておいしく、 しかもヘルシー。よかったら試しにどうぞ。


1998年2月19日(木) 快晴

「汗」
今日はフレコンの運搬に、苗箱を倉庫から降ろしたり、夕方にはころころもちを作ったり、 その他いろいろあった。特に苗箱を運ぶ仕事は、ひさびさに体全体を躍動させるような作業だ。 ちょっと体が痛い。今年初めての、仕事でのいい汗か。2月だというのに、こんなに天気がよくて いいのだろうか。雪がずっと積もっていたほうが、夏場も虫が発生しなくて稲は助かるのだが。 出穂してから農薬を使うかどうかが、玄米のまま食べられるか、玄米もちを作れるかの分かれ目だ。 まあ1度は積もったから大丈夫かもしれない。おかげで仕事はちゃくちゃくと進んでいる。


1998年2月18日(水) 陽気

「重量物の運搬」
サッカーをしたくなるようないい天気。床土の運搬。フレキシブルコンテナ(通称フレコン)なる ものに肥料を配合したり熱で殺菌した土が1トン入っている。それを鶴来までトラックで取りに行く。 1度に3トン、1日で8往復する。トラックは普通免許でも運転できるのだが、フレコンを 3つも満載したトラックの運転は安全のため洋行さんにやってもらっている。自分は荷台が空の 行きの時に運転している。もうある程度なれたが、やはりいつも運転している車とは勝手が違う。 フォークリフトでフレコンを吊り上げるのも、気をぬくと危険だ。なんせ1トンを指先で操作し、 3メートル近くまで持ち上げることもあるのだから。重量物や機械相手の仕事は、事故は命に かかわるが、それほど体力を必要としないので集中力が持続できればよい。農業は単純作業 とはいっても、一般の人が考えているよりは作業の種類が豊富でたいくつしないのではないだろうか? 適度な?運動にもなるし。写真はまた今度。


1998年2月17日(火) 雪

「稲作春作業の始まり」
昨日はほらを吹き過ぎた。あまり恐れ多いことを書くと本当に大会に出れないかと心配だ。 でもまたやるんだろうなあ。
今日から苗箱に使う床土をトラックで運ぶ仕事を始めたのだが、雪で2往復しかできなかった。 計6トン。いよいよ春仕事、外の仕事の始まりだ。思ってたより早い。五香さんのみそ作りも 少し手伝った。自分達の作った大豆がみそに化けるのかと思うと、やってて面白い。


1998年2月16日(月) 春?

「皇太子とおともだち」
石川農業青年会議の総会があった。まあそれはとどこおりなく行われたのだが、我が地区の 農業青年同士の結婚が決まり、全国大会での役を降りるということで、なんと自分が、 交流の夕べの司会進行班長という役目に任命された。多分これは一大事だ。他に班員もいるだろうに、 あっという間に決まってしまった。まだ班員が誰かも知らないのに。韓国研修の報告をやったり してたら適任と判断されたようで、それは光栄なことだ。しかし全体会の交流の夕べといえば、 皇太子両殿下出席の中での進行管理だ。自分のような、時間や外見に無頓着で、何があっても 気楽でマイペースな人間に務まるのだろうか。皇太子の先導なんてやれたら格好良さそうだけれど、 自分は宮内庁の素性調査にひっかかるだろうしなあ(笑)。過去を抹殺せねば。いや、過去がないのが 怪しい。以前から地球に住んでいたということにして、官僚の息子がいいか、総理大臣の縁者に するか、いっそのこと皇室にゆかりの者で、今はわけあって農業青年になってることにしよう。


1998年2月15日(日) 晴れ

「将棋界の魅力」
写真は昨日の棋王戦の、大盤解説会場。中井女流五段が飛び入りで参加し、会場は華やかに。 実は自分は羽生棋王が目当てというより、矢内理絵子女流王位が一目見たかったのだ。 数年前は高校生挑戦者として話題になり、駒音コンサートではピアノも上手なお嬢さんだ。 すれ違うチャンスがあったのだが、とても声はかけれなかった。結構自分てミーハーかも。 しかし棋界はよい。ファンにとっては、芸能界より本人に近づくことが可能。羽生君にでさえ、 対局者でなく解説者だったら握手を求めることもできそう。そして、もみくちゃにされるような 騒ぎもない。なにより対局中はみな静寂に気を使う。対局会場は水を打ったような静けさで、 大勢の人が見てる中で聞こえるのはピシャっと響く駒音だけ。皆テレビ画面の指し手に注目して、 あれこれ考えている。この雰囲気がたまらなくいいのだ。郷田挑戦者の粘りもなかなか魅せてくれた。 別室では福崎八段の爆笑脱線解説に会場全体が大笑い。楽しかった。





1998年2月14日(土) 雨

「羽生4冠王登場」
今日は外注のかきもち等を作った。わざわざ手伝える格好で見学にまで来ていた。 予想に反して若い女性で驚いたのだが、自分には今日はさっさと仕事を終わらせたいほど 気になっていることがある。将棋の棋王戦第1局が、なんとグランドホテル松任であるのだ。 去年六星のパーティや県大会で行った場所だ。しかも午後からは公開対局で、羽生善治棋王に 郷田真隆六段が挑戦する。「中村は羽生君に似てるから、トイレでサインを求められるんじゃないか」 と言われ、紋付きはかまで行きたい気分になる。夕方駆けつけると、終盤のいい場面に間に合った。 写真は終局後の様子。明日に続く。





1998年2月13日(金) 小春日和

「パソコンソフトのプログラミング」
パソコンの販売管理ソフトを郵便番号7桁対応に変更したのだが、問題が発覚してメーカーから 電話がかかってきた。消費税率変更のときも手間取ったし、プログラミングは自分の得意とするところ なので、自分で作ったほうがいいんじゃないかと思ったりするが、確かにプログラムのバグ取りや バージョンアップというのは難しい。可能なすべての動作や場合を想定しなければならない。 通常では考えられないような操作をした時のフォローをしておかないと、コンピュータがストップ してしまう。作ってから時間がたってたり、担当する人が違えば、現状を完全に理解するのも大変だ。 自分は中学生のころから、プログラミングを経験してきた。考えられるすべての状態を想定する 癖が染み付いているかもしれない。それで「デジタリアン」と呼ばれたりするのか? 幼少のころからプログラミングに熱中するのは思考回路に影響を与えてよくないのかも。


1998年2月12日(木) 春一番

「商談」
昨年のビッグマウス忘年会の時に見学に行った柿一さんから、もっと具体的な商談がしたいという 話があり、午後から農業青年8人で近江町市場のそばにある柿一へ行った。柿一は青果物卸業で、 青果物の取り引きの話が主にしたいらしいが、うちからは料亭の料理に使えるのではないかと、 冷凍もちを持って行った。うちの社長は出張、洋行さんも都合が悪く、自分一人で売り込むことに なり、不安だったが、野菜農家の青年は今は端境期で自分以外はみな手ぶらで、「食べてみて下さい」 と渡すと気に入ってもらえたようだ。冷凍もちはつきたてを急冷してあるので、解凍するとつきたての やわらかさが楽しめる。あちこち宣伝しておけば、なにかいいこともあるだろう。
柿一の社長は想像以上に積極的で、すぐにでも農業青年から野菜を仕入れてみたい様子だった。 売りたい農家、買いたい業者、お互いに直接取り引きがしたくてもパイプがないのが現状だ。 社長が留守の間に、「もちを月に1トン100万円で」とか、思いつきの契約を結びたい 衝動にかられた。


1998年2月11日(水) くもり

「かきもちを編む」
今日はお休み。もう終わってしまった作業の話。かきもちは切ってから2,3日おいたあとに編む。 うちのレディース達は楽しそうにおしゃべりしながら、それでも手は止まらずに編んでいた。 多分何百枚、何千枚と編むのだろう。1日4,5人で9千枚ぐらいか?自分は編んだことはない。 田舎の年配の方はたいてい編めるらしい。若い男がかきもちを編む姿はそうとう違和感がある と思う。編むのと、もちつきのペースを合わせないと、乾燥状態などで問題が出てくる。





1998年2月10日(火) 雪

「日韓漁業協定」
突然かたいタイトルだ。毎日新聞によれば、日本政府が一方的に離縁状を送ったかっこうに なっていて、韓国民は怒っているらしい。今の自分には韓国人の顔が見えるだけに心配だ。 経済危機や大統領就任など大変な時期だし、 ワールドカップも共同開催するってのに。政府間での欲の張り合いはみっともないが、 個人レベルでうらみ・つらみはないと思う。ソウルへ韓日戦にのりこんだサポーターによると、 最初は警戒心をもって行ったのだが、いっしょにフランスへ行こう、というポスターを見て 考えも変わり、誤解もとけ、サポーター同士でやりとりをしているそうな。 国際関係はやはり、各個人での交流こそ大きな力になると思う。


1998年2月9日(月) 雪

「ひしもち」
ひしもちのもちつきをした。白、赤、緑の3色だが、うちは緑が草餅なのが特徴だ。 かきもちの作業がほとんど終わって、ひしもちの時期。うまいタイミングで仕事があるものだ。 そばもちや玄米もちもあきらめてはいない。


1998年2月8日(日) 荒れ模様

「うまいもんズ再結成?」
昨日のみたきはよかった。最後のなべ料理が、今までに経験のないだし汁でおいしかった。 写真は食事前の風景。食事はテーブルの上だが、このいろりが趣深い。食事も環境も純和風。 「林さん、テレビに出てたねえ」とここでも名前が知れ渡っている。 今日の夕食も、独身トリオで外食。こんなに贅沢でいいのか?まあ単なるお好み焼きなのだが、 作るのが面倒なので日曜の夜ぐらいはみんなで外食しよう、ということになっている。 以前、「うまいもんズ」と名付けておいしいものを食べに行ってたらしいのだが、誰かの転勤で 活動を中止したそうな。こりゃ再結成だな。





1998年2月7日(土) 晴れ

「みたきへLet’s go!」
今目の前で、社長が似たような事を書いていたようだ。会社の慰安会ということで、 鳥越村の「みたき」へ豪華そば料理を食べに行く。林農産の非常勤社員兼料理長兼宴会部長の 水渕さんがいるからこういうお店の情報にはことかかない。出発までもう時間がない。 わくわくしている。


1998年2月6日(金) 晴れ

「さわがしい日」
まだ店の営業時間前に、もち工場で作業をしてると、「ドンドンドン」と窓をたたく人がある。 あたふたと店を開けて話を聞いてみると、社長に会いたいらしいのだが、もう外出した直後だ。 結局セールスだったのだが、お米を買ってくれたり、手紙を出したと言ったり、最初は なんだかよくわからなかった。押しの強い人で、約束してあったのかと思ったほどだ。 その間にも宅配便が届いたり、電話がかかってきたりのドンチャン騒ぎ。 作業中にお客さんに窓をたたかれた時点ですでに後手に回ってしまう。まさに「襲撃」された という感じだが、セールスはそれくらいのたくましさで自分のペースにもちこむことが 大切なのだろう。まあ売っている物も、悪い物ではない。高価だが、仕事で試してみたい 物ではある。
午後からも、まだ社長が戻ってこないのに予定より早く視察見学に来た人がいて応対にあわてる。 その他、急な注文あり、キャンセルあり、特殊注文ありと、淡々とした日々から刺激的な 日々になってきた。天気もいいし、もう春か?


1998年2月5日(木) 晴れ

「そばもちの失敗」
今日もさる筋からの依頼でもちをついている。意外と行政機関等からの注文もある。 それと、そばの実を蒸して、もちにならないかとついてみたのだが、結果は散々だった。 だんごにはなってももちにはならない。もち米を混ぜてもうまくいかない。 最近、周りではそばがはやっている。今週の土曜日には会社の慰安会ということでそば料理も 食べに行く。洋行さんはそば職人にもなりたいようだ。淡々とした仕事の中では今日は楽しみな イベント?だったが、この「そばだんご」を「みたき」のおやじに見せてアドバイスしてもらおうか? そばもちの試みはまだつづく。(かもしれない)


1998年2月4日(水) 雪

「読む側でモザイクしてください」
今日ももちを作っている。あるお客さんから特別注文があったのだが、自分の日記とはいえ、 インターネットとなると取引先の企業名や団体名等はださないほうがいいのだろう。 結構好き勝手なことをかいているので、そのうちなにかをもらしてしまいそうだ。 そういえば昨日の会合の感想が書き足りなかった。婦人部等の方と農業青年の会合なので ぎこちないものになるかとおもいきや、郷土料理の候補選出の話は活発なものになった。 やはり食べ物の話は楽しい。料理に関するいわれの説明は、加賀の伝統文化の勉強にもつながる。 「この地域にしかない何か」を知ることは何らかの自信や誇りを生み出すと思う。 全国大会のスケジュール案も見た。皇太子両殿下も来るし、調理の哲人らしき人が 鹿賀料理を紹介するかもしれないという話は書いてもいいのか?高校の先輩にもあたるし、 ぜひ来てほしいものだ。ヒントは二水高校出身の芸能人。あ、ばれた??ほかにも田○○○や ○○○○朗という名前もあったけど、まだ案だし、(映像も可)とか書いてあったので内緒。 東京行きの予定もあることだし、後輩として出演交渉には行きたいな。


1998年2月3日(火) くもり

「豪快なそうめん」
さて今日は昨日も書いたとおり、松任の普及所で、全国大会のための郷土料理を調理体験・試食した。 メニューは、えびす(べろべろ)、てんばおくもじ、なすのオランダ煮、ぜんまいの煮しめ、 笹ずし、煮込みずし、牛乳もちなどだ。メニューだけ聞いてもどんなものかさっぱりわからない。 個人的には、もっとこってりぎらぎらしたものが食べたいが、それでは松任・石川郡の特色が だせるかわからない。牛乳もちは聞くのも見るのも初めてだが、口当たりもよく、 デザートかお菓子としてはおいしかった。しかし牛乳料理は河北潟の河北郡地区と重なるかもしれない。 8月の食材を使い、松任・石川郡地区にしかないような郷土料理を何品か選ばなければならない。 他にもそばや新米おにぎりという話もでた。150人で流しそうめんは楽しそうだ。 ししく高原のゲレンデか、プールを使うか、思い切って手取川でやるか。



学校の家庭室のような場所。      豪勢な精進料理?


1998年2月2日(月) いい天気

「郷土料理を語る会」
ある業者から注文があって、今もかきもちを作っている。ところで明日の昼は、農業青年会議の関係で、 「季節の食材と郷土料理を語る会(兼全国大会協力要請)」なるものが石川農業改良普及センター である。全国大会当日は、婦人部の方々などに食事を作ってもらうのだが、その協力要請も兼ねて、 自分達も一緒に料理を作って、食べながら地域のご婦人方と交流するのだ。うちへバイトに きている人も参加するらしい。自分が参加することを知ったら、「行くのやめようかな」 なんて言ってた。他人のふりしたほうがいいのかな。どんな会になるやら楽しみだ。