あぐらぐち物語 −中村君版− 1998年9月分





1998年9月30日(水) 曇り

「今度は名鉄丸越」

午前中は大豆畑の草刈りをしたり、米を運んだり。午後からはもち米の稲刈り。そして、武蔵が辻の 名鉄デパートでもち、かきもち、米を売る。売るといっても、今回はまだ並べてあるだけで、 こちらから販売員は派遣してない。テントの中なので、風雨が心配だ。4階の屋上なのだが、今の所 お客さんはまばらなようだ。スペースは大和と同じくらい。稲が飾ってあるのがポイントかな。





1998年9月29日(火) 曇り一時雨

「歌」

昨日は高速道路を使って、なんとか歯医者に間に合った。もう1本虫歯があるのだが、型を作ると また行かなきゃいけないので先送り。11月ならだいじょうぶかな。久々に実家に帰ったら、 母さんが「山城新吾とデゥエットした」と喜んでいた。ほんまかいなと思ったら、ちゃんと写真も ある。先着1名らしいのだが、厚生年金会館の舞台に上がって緊張しなかったというから恐れ入る。 歌が好きでいつも歌ってるから、自信がついて度胸も出るのだろうか。 自分は親とは似ても似つかぬほど歌が苦手で、カラオケなんて国内より韓国研修の時に歌った回数 のほうが多いぐらいだ。やるとすれば志村けんさんと東村山音頭だろう。今日は15時ぐらいまで もみすりとライスセンターの掃除。直播きのコシヒカリの収量は1反あたり430キロぐらい。 1日からもち米を刈る予定なので、うるち米が混ざらないように乾燥機等を掃除した。 夕方は名鉄へ商品の搬入。明日から、今度は名鉄丸越デパートで物を売る。


1998年9月28日(月) 曇り

「歯医者へGo!」

午前中はもみすり。午後は米の10キロ袋詰め。16時で上がって、歯医者へ一目散。コシヒカリが 終わってカグラモチまで、少し間があるので、行ける時に行っておかなければ。 歯医者のほうは、前回型を作ってから1ヶ月以上たった。まだ保管してあるだろうか。


1998年9月27日(日) 曇り

「コシヒカリ終了」

午前中は昨日の配達の残りをかたづけた。しばらく様子をみて、午後は直播き田の稲刈り。 柔らかくて倒伏してたが空模様があやしいのでがむしゃらに終わらせた。これでコシヒカリもすべて 終了。あとはカグラモチと、無農薬のイセヒカリが1枚だ。さすがに9月は時のたつのが早い。


1998年9月26日(土) 曇り

「猫担当」

午前中はもみすり。午後は稲刈りだが、自分達は小作料現物(コシヒカリ)の配達。 地主さんの家を、トラックでヤミ米屋のようにお米を配って回る。ペットのいる家庭が多いのだが、 私は犬担当、浩陽さんは猫担当というように分けてかわいがることにしている。ちなみに重い米 担当はバイトの松本君だ。というのは冗談だが、自分は動物が好きで、見つけるとすぐ仕事を ほったらかして交流をはかろうとしてしまう。そういえばうちのチョミ吉は、台風のあと 出動していき、川下りをしてしまったんじゃないかと心配していたが、今日ひょっこりと、 またしゃがれ声になって帰ってきた。どこかに別荘があるかと噂になっている。


1998年9月25日(金) 雨

「流れた稲」

今日も雨。一日中もみすり。実は、台風でどれだけ被害があったのかまだ田んぼに出てないので よく知らない。あちこちで用水があふれたらしいが、稲が立っていたのでそれほど被害はないようだ。 もし倒伏してたらほとんどだめだったろう。すみ刈りしてあった稲は全部どこかへ流されて しまった。コシヒカリが予定に足りなくて困ってるのに。来年どこかで育つかな。


1998年9月24日(木) 雨

「日記の宅配」

どうやらトラブルが解消したもようです。日記は毎日書いてたのですが、送信は中3日あきました。 何があったのかは自分もまだ知りません。ハードウエアかな。「毎日日記が読めないと脱糞してやる」 と豪語してる人には日記をニフティのメールで送るサービスをしようかと考えていたところ。 別回線で使えるようになったということですが、とにかく復旧作業お疲れ様です。 今日は一日中もみすり。稲刈りに行けそうで行けない。見てない人もいるかもしれないけど、 だぶるので20日の写真を”焼きいも”の宣伝から我が社のコーナーに入れ替えておいた。


1998年9月23日(水) 曇り

「台風」

昨日は夕方から浩陽さんが台風のため消防で出動し、自分と三宅君で大和の撤収作業に行った。 木片が流れてる道路もあり、地下駐車場に入ったらどうなるか不安だったが、香林坊周辺は たいしたことなく、建物に入ってから雨風がどうだったかは知らない。この日記も、 接続できないままに更新している。相当深刻なトラブルのようだ。以前一緒に写真に写った フィリピンの農業青年は9月中旬に帰国するはずだけど、このページにアクセスしてるか気がかりだ。 大和の催事は昨日でおしまい。まあまあ売れたし、楽しかった。自分は搬入しただけで、範子さんが 売ってたのだが。昨年のテレビ金沢特別番組「あしたも晴れ」の制作チームが河二さんの取材に 来てた。(写真)今日はお休み。昨日は帰りが遅かったので眠い。Jリーグを3試合見る。





1998年9月22日(火) 雨

「トラブルの日」

昨日はすごい日だった。あれで終わりではなく、まだまだ続きがあったのだ。ホームページを 更新しようとしたが接続できない。プロバイダに電話したら、「重大なトラブルが発生してる」 とのことだった。唐通の皆さんは徹夜での復旧作業お疲れ様です。他にもコンバインが道路で 立ち往生したり、精米機が火を吹いたりという同業の方もいた。次に何が起こるかわくわくして、 気になって帰れないぐらいであった。9月21日といえば、9はカブだし、21はブラックジャック だし、ギャンブルなら大当たりなんだけどねえ。今日はもみすり。16時には台風対策のため、 いろいろと格納して終わった。


1998年9月21日(月) 雨のち晴れ

「フーリガンの逆襲」

午前中はもみすり。午後からは急遽、稲刈りになった。台風がくるので、刈れる時にちょっとでも 刈っておかなければ。人手が増えたので、自分はすぐ店番になった。由佳里嬢は明日大和 (やまとじゃないよ)催事売り場最終日の”がんこ揚げ”を揚げるので手が離せない。自分も できれば米4袋の精米を済ませたい。しかしお客さんがくる可能性もある。電話(コードレス) を持って、店の前をうかがいながらトイレ行きを決断するのは仕事の中ではスリリングなほうだ。 この「行こか戻ろか」という経験をどこかでしたなあと思ったらサッカーのサイドバックの オーバーラップだった。攻撃に上がればチャンスが作れそうなのは目の前で見えてるのだが、 ボールを奪われた場合、自分の守備領域を空にしているというリスクがある。この一瞬の決断が 早いか遅いかで以降の展開が大きく変わってくる。決断してライン際を一人疾走する瞬間は なぜか気持ちがよい。精米には1袋約6分かかるのだが、決行したら店の前に車が止まった。 商品が売れることだし、サッカーにくらべりゃたいした問題ではない。精米中をほったらかしに したところで、1袋30キロを盗んでいく奴がいりゃ、後ろ姿を見てみたい。と思ったのもつかの間、 ご期待通り?ハマってしまった。4袋目で精米機が「プスン」と止まってしまった。稲刈り最中の、 機械整備担当洋行さんに電話したがつながらない。あとでわかったが、バイトの子が農道で軽トラを 脱輪させて、コンバインで引っ張り上げていたらしい。重なる時は重なる。カウンターで失点 どころか、球技場を破壊された気分だ。店番のたいくつしのぎにしてはずいぶん刺激的だった。


1998年9月20日(日) 真夏日

「大和の朝礼に出る」

朝は物品の搬入で大和デパートへ行った。自分も陳列を手伝ってたらそのうちラジオ体操が流れ始め、 今日はたまたまらしいが、売り場(B1)全体の朝礼になった。それほど目新しい話をしている わけではないのだが、メモを取ってる人もちらほら。「いかに売り上げをあげるか」と、”売上げ” という言葉が10回以上は登場したかな。自分は売り子ではなく、とっとと台車を撤収させねば ならない出入りの業者なのだが、興味津々で後に並び、ニコニコ、キョロキョロしながら話を 聞いていた。士気を高め、緊張感のある場だ。写真は開店直後のもの。いつのまにか米俵も 飾られ、この前の写真より華やかでしょ。パン屋とか、かわいい制服を着た女の子に未練を 感じつつも、あとはずっと稲刈り。多分今年で一番夏らしい日で、残念ながら売れ行きは今一つ だったみたい。天気が荒れると稲刈りには悪影響だし、難しいところだ。明日あさって、気温は 下がってほしい。





1998年9月19日(土) 晴れ

「たーりらーりら〜ん♪」

今日も結局は店番になった。皆が暑い中稲刈りに行ってるのに、申し訳ないぐらいにエアコンの きいた事務所でのんびりと涼しげな顔をしている。なんだか気の毒だが、さぼっているわけでもない。 土曜日とあってか米はよく売れる。自分のこの手で、ジャンジャンバリバリ現金を得ているのだ。 もみすりの時は普通、米はすべて30キロ袋に詰めてるのだが、店頭では30キロと10キロ入りを 商品にしてるので、雨など暇な時はもち工場で10キロ袋に詰め換えをしている。工場は金属の シャッターなどが焼けついてサウナのようで、どっと汗をかく。稲刈りよりも熱い場所だ。 ある程度米が売れるたびにストックが減らないように袋詰めをすると、暑さと涼しさが両極端だ。 しかし基本的には快適で体力はあまり消耗しない。そして鼻歌まじりに何かをしていると、 目覚し時計のように様々なお客さんが現われる。米ぬかを所望されたときは、コイン精米機のそばで 米ぬかにまみれて袋に出したり、営業のセールスマンが来たら、社長になりすまして?応対 したり・・・自分が作っているお米だと、色々と説明できるのがいい。ところでもちの袋詰めも したのだが、大和デパートのほうは天気が良すぎてあまり売れてないようだ。 明日は寒くならないかな。


1998年9月18日(金) 曇り

「ついでの店番」

今日は天気の関係で稲刈りは午後から。しかし自分は1日中店番。由佳里嬢は懸命にがんこあげを 揚げている。店番とはいっても、大和の催事の関係で精米など色々することがあるし、 もちつきの準備もある。予想以上に売れてるので、急遽、作って補充しなければならない。 何かをしながら店番というのはめまぐるしい。お客さんや電話というのは、手がはなしづらい時に 不意打ちでやってきたり、「あれ、さっき何やってたんだっけ?」ということにもなる。電話は 持ち歩くのだが、米を運搬してたらいつのまにかお客さんがいたり、普段はひまでも10秒以上 は店をあけにくいものだ。じっと座ってて、お客さんの車が止まって、「いらっしゃいませ!」と 待ち構えてられることもたまにはあるのだが。行ったり来たり、たいした事はしてないようで 気分がてんやわんやになったけど、それだけ普段の作業が単純化、パターン化されてる ということなのだろう。商品が臨時にたくさん売れた結果なので喜ぶべきだな。


1998年9月17日(木) 雨!

「乾季から雨季へ」

さすがに3日間の雨で、もみすりのタンクもすべて空である。雨でゆっくりできるのは久しぶりだ。 しかしコシヒカリは倒伏しやすいので、今後の稲刈りはやりにくくなりそうだ。歯医者は定休日。 なぜこんなに歯医者を問題にするかというと、実家の近所にあってここから1時間近くかかる上に 前回の診察で型を作ったままだからである。この辺も歯医者は多いらしいが、行ったことがある所 のほうが行きやすい。パソコンはある程度買いたい機種が定まってきた。あとは妹がうなずくか どうかだ。写真は昨日の大和でのもの。そばにコーヒー屋があって、自分はじろじろ豆を眺めてた。 今日は結構物が売れたらしい。今度様子を見に行ってコーヒーも飲もう。





1998年9月16日(水) やっと雨

「大和へ進出」

雨だ雨だ。本当に久しぶりだが、ちょうどよかった。午前中はもみすり、午後からは香林坊の大和へ 物の搬入に行った。明日から地下1階で、加賀能登味人めぐりと題して、何件かの農家で色々な 物を売る。地下は食品街で、今日は定休日だが、普段はすごくにぎわって落ち着かない所だ。 大盛況の場面が思い浮かぶが、はたしてどれだけお客さんがきてくれるか。商品のレイアウトは 悩みだしたらきりがなく、結構時間がかかった。明日から6日間、天気しだいでは自分も 売場にいくかも。もみすりは3時ぐらいには終わったらしい。自分も早めにあがって、パソコン店を 見て回ったが、休みの店が多かった。歯医者はぎりぎりの時間だったので見送った。


1998年9月15日(火) 曇り時々雨

「ER」

やっと雨が降った。もみすりと店頭販売用の10キロ詰め。祝日のせいか、米は売れている。 店番もしてて時間があるので、久々にじっくり日記を書いている。 さて全国大会ネタの2日目、川を下って温泉につかったあとは、松任の海洋センターで交流の夕べだ。 フィリピンの人達もギター片手に歌ってくれたし、うちの新米ハナエチゼンもおいしかった。 浩陽さんはじめOB連中も飛び入りでゲームに参加し、しっかり賞を取っていった。雨のせいで 花火など用意していた仕掛けが使えなかったのは残念だが、十分盛り上がった。おかげで夜中は 修羅場・・・とはちょっと違うか。思い切って(どりゃあ!)書くけど、トイレの個室で少なくとも 2種類以上の汚物にまみれたまま泥酔してしまった人がいた。我らが忍者、福田副会長が壁を よじのぼって内カギを開けた。トイレ掃除のほうは「一気にかたをつけるぞ」ということで、 でっかいポリバケツに水を入れ、入り口からいきおいよく引っくり返したら、「ドッパーン」と 壁に当たってはねかえり、色々浮遊していた。最終的にはきれいにしたらしい。で問題の彼を宿舎の 風呂場で洗おうということで、おりたたみの長机を担架のように使い、軽トラの荷台に乗せて運んだ。 自分もそのまま患者についていったが、トラックにはホロがついていて、まるで救急車に乗り込む 救命士の気分だ。実は昨日も衛星第2テレビの「ER」緊急救命室を見てた。点滴や心臓マッサージ など修羅場でテキパキとこなす場面が好きだけど、そこまで真似はしない。横向きに寝かせる どころか、いつでも逃げ出せる体勢だった。それにしても、男のズボンを脱がす体験なんてあれが 最初で最後だろうなあ。自分の場合、ERはエラーの略だ。エキゾチックルームかな?


1998年9月14日(月) 晴れ

「画面がじゃみじゃみ」

昨日は久しぶりに昼間もたっぷり寝た。おかげで夜はイタリアサッカーセリエAを見た。WOWOW はスクランブルがかかったまま、どっちが点取ったかぐらいは分かったのだが、ニュースで見たら ヒデのゴールシーンだった。「じゃみじゃみ」って普段自分は使わないけど、一般的なの? 今日は普通のコシヒカリの稲刈り。普通じゃない(有機米)コシヒカリはもみすり、袋詰めして 店頭に並べた。明日から販売。


1998年9月12日(土) 晴れ晴れ

「稲刈り日和」

稲刈りは午後早い時間に終わったのだが、あちこち米を輸送してたら遅くなった。今日は土曜日 とあってあちこちにコンバインが出動してた。まるで雨季から乾季になったようにあんまり晴天 が続くので、明日日曜は休みである。例年になく、雨に影響されずに刈りたい放題だ。 関君がきてくれて助かったが、明日には岐阜の大学へ戻る。来週は人が少なくなる上に、香林坊の アトリオで物を売るという話もある。接客は下手だが、大和で商売というのは楽しみだ。


1998年9月11日(金) ずーっと晴れ

「最優秀企画賞、川下り」

もみすりは関君にまかせて定時で上がれたので久々に全国大会の話を書く気になった。 閉会式の時に、各地区でどのような事をしたか簡単にスクリーンで紹介するのだが、他の地区の 視察・体験やゲーム等の様子が淡々と映し出される中で、我が地区の川下りの場面になった時は 会場からどよめきが起こった。やってみたいという人、もう2度とごめんという人様々かも しれないが、一番インパクトはあったようだ。水や手取川、白山麓をテーマにそばうちやわらぞうり 作り、恐竜館の見学&化石採取等の企画を組んだが、石川県といえば霊峰白山、という考えは ヒットだったと思う。思えば、うちらの地区はよくがんばった。現地交流をコース別に分けて きりもりしたのはうちらだけではないだろうか。それにしても、あの大雨は、役場の人も川下りを 中止させることのできない、絶妙のタイミングだった。ボートから離れて流されるというのは 不安なものだ。ライフジャケットをつけてるからいいようなものの、流れに身をまかせ、止まるまで まつしかない。川でおぼれる人の気分があじわえた。この命懸けの経験も結果的には うけてたと思う。


1998年9月10日(木) 晴れ

「棒茄子」

今日も暑い。夏本番といった感じだ。稲刈り、もみすりよりも、もちの袋詰めで汗だくになった。 今年の収穫や売買の状況が明らかになるにつれ、社長が「今回はボーナスは出せそうもない」と 言ってた。自分はドリフターズのノリが好きなので、ナスビを棒に刺して「はいボーナス!」 とやってくれれば満足だ。オチにはタライか石油缶が必要だ。林農産ではお金よりも「笑い」 を優先している。これが22世紀の豊かさなのだ。


1998年9月9日(水) 晴れ

「英語の夢」

午前中はコシヒカリの稲刈り、もみすり。午後はもちつき。天気がよくて、もち工場は蒸し風呂 のようである。久々で、とても地に足がついてない仕事ぶりだった。自分はビニルハウスなど サウナ状態のところで仕事をすると一時的に気合が入って、なぜか気力の充実した状態になる事が ある。「仕事が終わったらサッカーの練習をしよう」とか、その時はいいのだが、いざ終わって一服 するとやはりぐったりしてしまう。汗がほとばしっている時に連続してやっていくしかない。 ところで今日、英語で会話している夢を見た。「夢を英語で見るようになればそれだけ勉強の効果が あったということだ」なんて高校の先生に言われたもんだが、自分の場合、全国大会のように 四苦八苦して海外青年に何かを説明している夢だった。というと悪夢のように聞こえるが、 今までは通じなくてもなんとかなったという経験しかしてないので、それほどこたえてはいない。


1998年9月8日(火) 晴れ

「アキヒカリ終了」

やっとアキヒカリのもみすりが終わった。疲れて眠い。しかし収量からいえば予定に足りない。 もういやになるほどの豊作を体験してみたいような、したくないような、複雑なところである。 一度は大豊作に喜びたいが、うちの減肥料、減農薬だと人並みで豊作だろうか。


1998年9月7日(月) 曇り

「求む、パソコン情報」

一日中もみすり。明日もそう。コシヒカリの稲刈りは多分あさってから。ノートパソコンを買おうと、 昼休み、夕方とお店をまわったが気に入った物がなかった。最新のバカ高い機種しか置いてないのが おもしろくない。それにしても電気屋の繁盛ぶりは不況を感じさせない。インターネットの素晴らしさ もおおいに貢献しているのだろう。そういえば最近、林農産の異常勤社員は姿を見せないなあ。


1998年9月6日(日) 晴れ

「休日を満喫」

昨日は15時半でアキヒカリの稲刈りが終了、もみすりを関君にまかせてうれしい早上がり。 午後のJリーグを堪能できた。しかし疲れはたまっていたようで、夜のJリーグが始まる前に寝て しまい、目が覚めたらニュースもすべて終わっていた。とんでもない早寝早起き。曜日感覚が なかったが、今日は久々の日曜日という印象だ。偶然、JT将棋日本シリーズ’98の金沢開催を 知り、見に行こうかと思いつつ新聞のテレビ欄を見るとサッカー天皇杯の県予選決勝もある。これは 生で見るべしとなつかしの?市民サッカー場へ。リプレイがないのが物足りないが、芝生を走る 選手をうらやましげに眺めた。試合終了のホイッスルと同時に今度は厚生年金会館へ。前座(失礼!) の対局は見れなかったが、対局者入場には間に合った。客席側から入場することになっていて、 席についてほっとした途端、目の前を谷川竜王が通っていってドッキリ。鉢合わせしたら、羽生君の ものまねが通じたか?


1998年9月4日(金) 晴れ

「要注意人物」

一日中稲刈り。もみすりは助っ人の関君が来てなんとかなっているようである。 さて全国大会2日目、午前中は農業技術競技といって、ウォークラリー形式で各ポイントをグループ で回り、設問を解いていくものだ。自分達バス添乗員はその間に弁当や現地交流の大会誌を座席に 配ったり、別の場所で待機。全国大会はかなりセクト化されてて、自分が担当してない事は ほとんどわからない。それで各企画間のひきつぎが不十分で、自分達がバスを降りて班行動を説明 してる間にバスにおきざりにされてしまう一幕もあった。この技術競技も皇太子殿下が視察する ことになっていて、弗田農産の柳さんが「ほほほの穂」の説明をした。福田副会長も花に関しての 質疑応答があったし、交流の夕べではお隣りの三納さんが案内役である。富奥管内で3人も皇太子と 言葉をかわしたのは縁があったということか。自分は宮内庁から2重スパイだの宇宙人だの素性を 疑われているので容易に近付けない。まだまだ続く。


1998年9月3日(木) 晴れ

「ヤミ米屋」

夕方いっぱい稲刈りの後、21時までもみすりで残業。最近は機械の性能もよく、稲刈りのペースは 早いがもみすりは一定で、こちらのほうが時間がかかってしまう。コンバイン2台のうち1台を途中 で止めることにもなる。もみすりで疲れるということはそれだけ米があるということだ。どうやら 石川県は意外と凶作ではないようだ。まだうちの主力のコシヒカリとカグラモチは刈ってないので なんともいえないが。仕事が終わって一息ついていたら、同業の人が「ヤミ米屋でござーい」 とやってきた。小売りの免許も持ってるし、すでにヤミ米なる言葉は存在しないはずだが、 「闇夜に取りにくるから」なんて言ってる。このあやしさが不思議な魅力をかもしだしている。 ところで、うちの新米ハナエチゼンも出てるはずのレストランから、「うますぎる」と苦情がきた そうな。食べ放題で採算ベースにのせるにはもうすこしブレンドして、おかわりをしすぎない ように調整しなければならないらしい。おそるべし。


1998年9月2日(水) 晴れ

「交流の夕べは阿鼻叫喚の世界」

この日記もちょうど一年。カウンターが4千に届くかと思ったが、全国大会が響いたか。シャープの ザウルスのようにコンパクトで、さらにホームページの更新ができる機種でないかな。今日から うちのアキヒカリに入った。天気もよくてガンガン刈った。おかげで今日は早上がり。三宅君は残業で もみすりだが、明日は自分の番だ。歯医者に行けるか電話をかけたら予約がいっぱいでだめだった。 農業青年の某T会長のように型を作ったまま半年も行けないというのはかわいそうな話だが、 自分は天気しだいでどうにかなると思う。
さて交流の夕べには全体の場と、現地交流会の場と2つあってややこしいが、今日は全日空ホテル での全体の話。さらに1部、2部があり、1部は皇太子・同妃両殿下をお迎えして行われる。 2部の最後は海外青年や次回開催の三重県の人に順番にステージに上がってもらって、少し インタビューの後ジャズバンドに合わせて「わになって踊ろう」を歌って踊るという企画になって いて、海外青年を時間までに舞台のそばにスタンバイさせておくというのが自分の役割であった。 日本人と違って事前に連絡がとれず、ほとんどぶっつけ本番である。11ヶ国から120人ぐらいが 参加してるのだが、招いている団体はJICAや教育振興会など4団体で、開会式の合間に団体関係者 には話をすることができた。とはいっても本人に話さないと不安。食事歓談中に、あのとても千人も 入りきらない会場をうろうろして各国頭数を確保した。「忘れてた!」という関係者がいたり、 「アイキャントスピークジャパニーズ」と言われ、通訳もいない時は焦ったが、アイルランドの ネイティブスピーカーに英語が通じたのは不思議だが自信にもなった。そして本番、「フィリピン、 アイルランド、オーストラリアの人上がれ!」と指示したら日本人も含めて「ワー!!」っと舞台が 隙間もなくなり、収拾がつかなくなった。マイクの声も聞こえず、司会者もお手上げ。4番目に 待機してた韓国やベトナムの人にはあやまったが、日中関係は悪化したかも。しかし日比関係は 改善したと思う。2番目のインドネシアやマレーシアの人達もサブステージで踊るなどして、 臨機応変に盛り上がってくれた。盛り下がることばかり心配して歯止めをかけることなど考えて なかったのだが、こちらで用意した日本女性ダンサー4人が素晴らしく周囲を魅了して、 ジャズ演奏でロックコンサートのように盛り上がってしまった。いくつかの出演団体や関係者には 迷惑をかけつつも、私は「大成功!」と言っておこう。本当の阿鼻叫喚は現地交流でおとずれる のだが、その話はまた今度。生々しい事はまだ書くかどうか迷っている(笑)。


1998年9月1日(火) 曇り

「全国大会の話」

あいかわらずすっきりしない天気で、雨を心配しながら刈っている。全国大会での自分の役割は、 大会全体(3日間)のうち2、3日目のバス添乗員と、県下9地域で行われる現地交流会(1泊2日) の我が石川松任地区ではさらに川下り班、全日空ホテルでの全体の交流の夕べ(初日)では 海外青年担当であった。現地交流会以外の、全体の開会式や技術競技などは他の地域が担当していて さっぱり知らなかったが、初めてということで開会式とそれに続く記念行事は参加させてもらえた。 産業展示館で、農業高校生も含めて2千人以上は参加したであろう。超大型スクリーンも使い、 各県連旗や国旗の入場行進、郷土の松井秀喜君からのビデオメッセージの紹介もあった。 その次の演示発表は交流の夕べ直前ということで参加できなかったが、多分一番勉強になる、 参加したい企画でもあった。自分もいつか発表して賞をとりたい。自分がプロジェクト発表すると したら、とても栽培技術方面は考えられない。このホームページ関連になるだろうか?バス添乗員と いうことでこの演示発表以外の企画はすべて会場まで行くことができた。一番拘束時間は長かったが、 後かたづけなどはせず、マイクでアナウンスするだけなので体力的には楽させてもらったかな。 通訳の人もいたので英語でアナウンスすることはなかった。というより、すっかり意識するのを 忘れてた。それだけ関係者の方が優秀だったのだろう。続く。