あぐらぐち物語 −中村君版− 1999年1月分





1999年1月31日(日)晴れ

「ブレイブハート」

風邪気味だったので今日はゆっくり寝て、テレビを見て過ごす。今夜のお楽しみは メルギブソン監督酒宴主演のブレイブハート。勇敢な心、闘魂と訳すべきか?


1999年1月30日(土)晴れ

「新たなる目標」

昨日はジョーシンへ行ったが間に合わずに閉店だった。お金を持っている人が使える時間は やはり夜だと思う。といって我が社の営業時間を延長するのも大変そうだけど。実は今会社で パソコンを買う計画が進行している。さて昨日も書いたが、あれほどの大人数でしかも普段は 会わない人達同士で長時間討論が展開したというのは多分自分も初めての経験で嬉しくなった。 今までは発言があってもそれぞれの意見につながりがなく議論とは言えないほど散漫だった のだが、今回は「いや、それは違う」という反論など脈絡があって白熱した。発言者は のべ何十人に及んだ。白紙の状態から「さあどうしよう」という低レベルの内容だから 発言しやすかったのかもしれないが、全国大会がなければ惰性で目標が希薄なまま活動が 進んでいたかもしれないのでこの節目はよかった。さて今後の課題だが、やはり全国大会の 振り返りはせねばなるまい。結局参加者はどうだったのか、作ったみんなはどう思ってる のかよくわからん。うちらのメンバーは大成功という自信はあるだろうけど、学びが重点の 企画は担当してないし、ほとんどお祭り騒ぎという記憶しかない。あの大会は何だったのか、 こんないい事があったという元気の源を皆で共有しないともったいない。そのためにも 定例会を開くべきだろう。うちらほどの優秀なメンバー?がそろってる地区で、 定例会がないというのは珍しいのでは?優秀だから必要ないのかもしれないが、ハガキが 来て一方的に「こんな企画がある」というだけじゃ参加のしがいがなくなってくる。続く。


1999年1月29日(金)雪

「盛り上がった全体討論」

県大会は志賀の郷温泉いこいの村能登半島で行われた。討論のテーマというのは漠然としていて、 全国大会が終わって新たなる目標を定めようということで白紙の状態から行われた。 初日の分科会では珠洲や加賀地区の人から県連に対しての不満が噴出し、かなり地区ごとで 人数や地理的条件に差があることがわかった。自分はいつも楽しくやってきたので、うちらの 地区は恵まれているとも思ったが、金沢より人数は少なくても全国大会の出来には自信があるし、 結局条件より取り組む姿勢が重要だと思う。2日目の全体討論では、自分が口火を切って 地区と県連との意思疎通の話にもっていった。それにしても、80人ぐらいの規模で、 討論がかみ合って1時間以上も展開したというのは凄い事だと思う。総会屋もいないのに シャンシャンで終わる事が多いのに。自分も3、4回発言したかな。時間がないのでまた明日。





1999年1月28日(木)曇り

「気が抜けて」

今日もかきもち。昨日までは気が張っていたのだが、さすがにもう睡眠不足で眠い。夜中まで いい話ができるほど、県大会が充実していたということだ。がんこ揚げも、5袋持っていった のだが、いつのまにかなくなってしまった。酒の席では10人に1人も聞いてないだろうと 思いつつ紹介するのだが、すぐ食べられる物だからいいのか、意外にも持ち帰る物がなくなって しまった。谷口さんも元気にやっていた。最後は会場を谷口さんの田んぼの隣りのアルプラザ鹿島 に移動してボーリング大会だったけど、特に筋肉痛ではない。スコアは100と102。


1999年1月27日(水)曇り

「やったー!」

実は昨日今日と農業青年の県大会に参加してた。全体討議も白熱してすごくよかったのだが、 そちらの話は明日以降にまとめていくとして、昨日おとといの日記が意味不明じゃないかと 心配なのでそちらの補足から。県大会前日にようやく、ホームページの展示を決断したのだが、 正直言って農産物展示の位置づけもわからず不安であった。実家にパソコンを取りに行かなきゃ いけないし、現地で電話回線はあてにできないし、そこまで苦労して見てくれる人がいるのか、 と及び腰にもなった。当日、酒の席での展示ということも明らかになり、パソコンみたいな高価な 物の責任はもてんよ、という話にもなったのだが、バッテリが切れるのと酔いが回るのとどっちが 早いかという判断で、バッテリが切れたら撤収と決めて宴会に臨んだ。各地区ごとに何を持って 来たか紹介する時間はあったし、2,3人には見てもらえただけでもよかったと思う。また今度 書くが、”いんたーねっと”は大部分の農業青年にとってはまだ”宇宙語”のようなレベルだ。 で電話回線なしでのホームページの中身だが、最初は方法を知らないのであらかじめ各ページごとに ブラウザを立ち上げ、ノートパソコンをレジューム(仮死状態)して持って行き、ウインドウを 切り替えて見るというやぼったい方法を考えていた。力技と表現したのはそういうことだ。結局 ヘルプを読み込んでいくことで方法も分かり、ファイル一時保存場所の容量を大きくし、今では 電話接続しなくても裏ホームページの写真まですべて見れて大笑いできるパソコンになっている。 「しんどい時にひとふんばりしてこそ向上するのだ」という社長の言葉をよりどころにして やってよかった。そして嬉しかったのが副産物?としての出先からのホームページの更新。 公衆電話で出来なかったのに、旅館からの外線発信というひるみたくなる条件ですったもんだした 挙げ句に、なぜかつながったのだ。実はまだよく分かっていないが、あの部屋だからこそ 三納さんも手伝ってくれて達成できたんだと思う。


1999年1月26日(火)曇り

「モバイル大成功!」

展示のためにノートパソコンを持ってきてたのだが、はからずも三納さんの助けをかりて 部屋の電話から外線発信でホームページにアクセスすることができた。浩陽さんのページの 更新日が今日になってるのを読み込めて大感激。写真は分科会での討議の様子。





1999年1月25日(月)曇り

「力技」

今日はじめて自分でがんこ揚げを作った。揚げ物をしたことのない自分にとっては命懸けである。 焦げ目が好きで、いい色にしようと粘ったら、きつね色より濃くなってしまった。 三宅君がいないせいもあるのか、疲れて眠い。明日の準備といえば、もう一つはホームページ。 直前なので、もうどうしたらよいのか、結構きつい。知恵なき者は力を用いる、という言葉は まさに今の自分を表していると思う。この時間だと、もう実家のパソコンで準備するしかない。 昨日行ったばかりなのに、寒気までしてきた。はたして間に合うか。


1999年1月24日(日)晴れ

「百姓の弱点・情報発信」

今日は皆さん遠くへ出払っていて、自分が1時間ほどの日曜出勤。かきもちを型から出したり、 もち米の水を入れ替えたり。静かな事務所でパソコンも使い放題。今週の月、火は県大会で 志賀町へ行く。我が社からはがんこ揚げを展示することになってるが、浩陽さんはさすがに アイディアマンらしく、うちのホームページを展示してはどうか、と言う。どういう議論で 農産物展示の企画が出てきたのかは分からないが、確かに食べておいしくてもそれだけで 終わってしまいそうだ。ホームページはさっちゃんの件のように、一人の人材を農業界へいざなう 事ができただけでも、毎日日記を書いてきた意義が十分にあったと思う。ノートパソコン一台の スペースで紹介できれば素晴らしい。社長の”パソコンも農機具”の例にならって、 これは自分が作った農産加工品だ、と言い張ればそれまでだ。食えないのでちょっと苦しいか。 そこはハッタリ8割で通すか。やはり企画を煮詰める段階での議論の内容を知るべきだ。 宴会での酒の肴というレベルかもしれない。


1999年1月23日(土)晴れのち曇り

「焦げた魚と美味しい御飯」

今日でいよいよ研修生の三宅君も実家へ帰る。よく働いてくれて本当に助かった。うちへ研修に 来ても栽培技術は逆にこちらが教えてもらうぐらいだけど、姿勢や方針などうちの特徴点は きっと役に立つと思う。バカーズに魅力を感じてるみたいだし、また夏にでも遊びにきてくれる だろう。昨夜は白峰村へ雪ダルマを見に行き、ようやく観光らしいことをさせてあげれた。今日も かきもちを作って、最後に1件お米の配達に行ったらお客さんが色々と話したがっていたようで ちょっと長話をしてしまった。もちも米もおいしいですねーに始まり、遠方の身内にも配ってる事、 食べ物ぐらいは安全でおいしい物にお金をかけたいという希望、こちらは特別なことはせず正直に やってる事など話してたら、奥の方から「おーい、魚こげとるぞー」と聞こえてきて話は終わった。 あまり得意ではないが、やはり生産者がお客さんとコミュニケーションをはかるのは やりがいがあって元気になれる瞬間だ。自由にお米を売れなかった時代より絶対にいいと思う。


1999年1月22日(金)晴れ時々曇り

「食い倒れ研修」

昨日の第7ギョーザは、注文量を誤ってしまい、大変なことになった。ライス大が誤算だった。 焼肉屋ではおかわりしたこともあるのに、全然基準が違う。さすが大学門前町だ。一人、また一人と 「ふう〜」と言いながらハシを置いていく。自分のまわりの人達が戦線離脱して事の重大さを悟る。 食べてもへらないギョーザの山。自分は食べるスピードは遅いので、最後までハシは握っていた。 結局、ライスは人の分まで少し片付けたが、ギョーザは一皿分15コまでは食べてないと思う。 どうにか”持ち帰り”でしのいだが、三宅君の最後の研修は、一人残らず食い倒れという 忘れられない体験となった。今日もしんどい。お腹はすいても、あまり食べたい物がない。 もちつきがなくて助かったけど、配達が多くてがんこ揚げには挑戦しなかった。消化に相当体力を 消耗したようで、だるくてやる気がない。多分揚げ物を始めたら、もちがギョーザに見えただろう。 実は夜中はニンニクが効いたのか、興奮して寝れなくて、朝まで色々と考え事をするのがすごく 楽しかった。ラブレターを書きたくなったぐらいだ。


1999年1月21日(木)雪時々晴れ

「雪国研修」

普及所に電話したら、なんと県外研修はすでに終わっていた。まあ多分出れなかったとは思うけど、 いったいどこへ行って何をしたんだろう?先月は福岡へ行ったばかりなのに活発だ。県大会の次の日 には有機栽培技術研修もあるらしい。県大会は各地区農産物や農産加工品をもちよるということで、 うちからは”がんこ揚げ”を展示する予定。自分で作り方のコツを説明できないと恥ずかしいので、 明日挑戦してみる。ちょうどかきもちをつく日ではない。実は、揚げ物はやったことないので、 ちょっと恐い。油があったまるころには、浩陽さんに消防車でスタンバイしてもらおう。 さて今から三宅君の送別会ということで第7ギョーザを食べに行く。ちょっと遠いのだが、 三宅君のためには第7でなけななりません、と私が主張した。これで「石川県に研修に行った」 と胸を張って言えるかと思いきや、まだ雪道運転は体験してないらしい。今夜はスピンターンに 挑戦できるかな。


1999年1月20日(水)雨

「ゴッドハンド」

昨日、浩陽さんがホームページにアクセスするとちゃんと写真が表示されていた。その前後に 自分がアクセスしても写真はなぜか表示されない。浩陽さん曰く、「ゴッドハンドや」と。 マウスを通してソフトや電話回線にまで”気”を伝えているらしい。まだ粉をつけてない餅に ゴム手でさわると(普通は濡れた軍手)くっついてどうあがいても泥沼にはまっていくのだが、 そういう時にも「オレのゴッドハンドでやらせてくれー」とか言ってる。自分も何度かもちをこねて 機能不全に陥ったことがあるが、「くっつく前にはなせ」と言われる。沈む前に足を上げて 水面を走るような秘訣があるらしい。この辺は隠れ忍者が多いみたいだし。しかしこのゴッドハンド も、時々電子製品を故障させるという特徴があるので注意が必要だ。


1999年1月19日(火)雨

「シナリオライター募集」

今日もかきもち。黒砂糖やしそ、青のり等を作った。最近映画を見たくなって、今は ジャッキーチェンのビデオを借りている。年末年始はターミネーター2やエアフォースワン、 アポロ13を見た。2,3度見たのもあるけど、やっぱり感動して涙が出てしまう。歳とともに 涙腺がゆるくなってきたか。タイトルだけみると、なんでそんな映画で?って思われるかな。 T2みたいな派手なアクションものでも、最後のほうは悲しみをさそって泣けるけどねえ。 いかにも感動を売り物にしてるようなおとなしそうな映画はほとんど見ない。ホラーや ラブストーリーもなぜか見ない。21世紀は農業の時代だから、ひょっとしたら「農業青年」という ドラマができないかな、と思っている。主役はいい人の草なぎ君。漢字がわからないのでネット上で 検索したら”なぎ”はひらがなで書いてあった。映画なら自分も本物の農業青年ということで エキストラで出れないかな。


1999年1月18日(月)晴れ

「さて今月残りは何がある?」

さて今日も何の変哲もなくもちつきだが、そろそろ色々とあるらしい。普及所からハガキが 来てたようだが、年賀状に紛れて自分の所までたどりついてない。あっと驚く県連主催の県大会は 来週だけど、県外研修があるという噂も耳にした。うちの地区の西田さんと中川君がそろそろ ニュージーランドへ研修に旅立つんだっけ。三宅君は今週一杯で岡山へ帰る予定。これで研修期間も 終わり。ずいぶんと助かった。きっと実家にはもちつき機が一式そろってることだろう。 8番ラーメンも、チャンピョンカレーも食べたし、あとは第7ギョーザを食べに行けば完璧だ。 (異論あるかな)滋賀からやけに明るい?お客さんも見学にくるということで楽しみだ。


1999年1月17日(日)曇り

「もちの食べ過ぎ」

昨日はもちを食べ過ぎた。もちつきをしていると、塩加減はどんなもんか、とつい食べ過ぎて しまう。品質管理とも、つまみ食いとも言う。さすがに胃がもたれて、夕食をぞうすいにしたら 予想通り夜中にハラペコで寝れなくなった。昨日の写真が見れないという人はいるだろうか。 こっちのブラウザに原因があるのか、よくわからないが最近ちょっとおかしい。


1999年1月16日(土)雨

「ありゃー」

最近あまり仕事の事を書いてない気がするが、昨日はお休み、明日もお休み、ちまたでは3連休 らしいが今日はもちつき。今月いっぱいはかきもちを作る。あまり話のネタも思い浮かばなくて 休みの時は日記もサボり気味。Mさんは今日もデジカメ片手に精力的に取材している。脚立に 登って高いアングルからもちつきの様子を撮影したり、本格的だ。うちも報道陣席や記者会見の場 を設けねば。写真は、年末に発行された冊子の表紙。デジカメで現物を撮ったが意外とうまくいった。 撮影中は「笑え」とか言われてもそう簡単には笑えない。どうでもいいや、と思ってもちを 印篭のように構えたのだが、こんなに大きく載るとは思わなかった。たくさん撮った中から 一番いい写真を選んだと思うが、じっくり見ると結構恥ずかしいポーズだ。これを見て発した 悲鳴?がもち工場全体に響き渡った。





1999年1月14日(木)曇り時々雨

「常勤バカーズと非常勤社長」

8日のもちのテレビ番組をまだ見ていない。今日HABからビデオが届いた。長野でも、 永井農場見学中にインタビューされたが、放映されたのだろうか。林農産関係は、放映される 時に限って誰も見ていないというパターンが多い。今から、最近異常勤から常勤社員になりつつある Mさんと夕食に行く。本業のほうは非常勤になってきて、我が社の情報システム宴会部長である。 今週は毎日来ていて、社長より在社時間が長いかな。社長はバングラデシュ行きのつけが色々ある ようで、毎日カレーを食べないと調子が出ないみたい。


1999年1月13日(水)曇り時々雨

「活躍して高飛び」

最近、異常勤1号は精力的にうちに取材に来ている。白山麓に勤めている彼はなんでも上司に 「雪が積もって車止めれんから来んでいい」とか言われて今週は2日間だけ出勤らしい。 雪は2メートルぐらい。愉快な職場だ。今日もうちにきて、ブラウザのインストールをしてもらった。 バージョンアップしたおかげで、凝ったホームページもエラーが出ずに見れるようになった。 裏H農産のホームページもどんどんパワーアップしている。本当に引っ越しをするとは思わなかった。 今度はロシアかメキシコのプロバイダを考えている、という噂もある。当社とは独立採算で あれだけ宣伝して何かと話題も提供してくれて感謝感激だ。


1999年1月12日(火)曇り

「長野での話」

この前の、稲経の懇談会の内容について書くのを忘れてた。食料ジャーナルの鶴田さんの話が 面白くて、他の人の話はほとんど聞かずに考え込んでいた。正直いって、自分は経営者でないせいか、 マーケティング等の話には興味がない。浩陽さんがうまくやってるようだし、うちの会社が 儲ける事への意識が薄いようだ。それより自分には、世界的な食料不足の時代に日本がいつまでも 減反でいいのか、という素朴な疑問がある。世界の枠組みの話になると手に負えないが、減反政策も 長くは続かないのでは。他にもアメリカの食料戦略と日本の米価、農業国兼先進国フランスとの 違いの話が興味深かった。減反関係の話になると何時間でも続くらしいのだが、テーマからずれる ので展開せず自分は残念。しかし稲作経営者会議で経営者以外の参加者というのは石川県からの 新規就農者が一番多かったように思う。鶴田さんからは夜の懇親会で個人的に品種の話などを聞く ことができた。コシヒカリの時代が終わるのもそう遠い将来ではない。うちのスーパーイセヒカリが 救世主となるか。石川で作るハナエチゼンの話はウケてたけどねえ。


1999年1月11日(月)曇り

「恐怖の自由落下」

昨日は実は、洋行さんと相談して休みにした。さすがに雪の片道6時間は疲れた。 7人乗りだったし、日本の農業を背負って運転してると思うとハンドルを握る手にも 力が入ったが、それでも意外とスピードを出してたかもしれない。往復で事故現場に 7、8回は遭遇した。実は自分達も、さあ着いたと思ったホテルの駐車場へ登る坂道で バックでのボブスレーを体験し、人生最大の恐怖?を味わった。自分はその時助手席 だったけど、スリップしてついに止まったらすぐに下がりだし、洋行さんがブレーキを ふんだまま慌てだして後ろを振り返ると車がいる。狭い1車線で両側は崖だし、 重力にまかせてどんどん加速していった時は車を飛び降りたくなった。 結局後ろの車も急いでバックしてくれて、凍結してない部分で止まれたけど。 堰石がなかったら日本の農業が10年遅れてたかもしれない。戦闘機のような 脱出装置があればよい。昨日の映画はダイハード2。雪上なのも一緒だし、 自然に連想してしまった。やっぱりブルース・ウイリスの”ぼやき”っていいね。


1999年1月9日(土)雪

「こっちの様子はどうだったのだろう?」

無事、長野から帰ってきました。自分も半分ぐらい運転したけど、さすがに疲れた。行きは早朝 なのでやはり雪がすごかった。ノロノロしてる区間もあったけど、どうにか永井農場視察中に 間に合った。帰りは通行止めはなかったけど、海岸沿は猛烈な風で、凍結してる所もたまにあり 恐かった。お店のほうは男手が一人もなかったけど、除雪のほうは大丈夫だっただろうか。 そもそもお客さんは来たのかな。上越に比べれば、道路は意外とクリアで一安心。車に積もってる 雪の高さだけが異様に見える。もう一泊してキャノンボールレースを面白くしたかったけど、 結局最短ルートを使って一番乗りだ。三宅君に浩陽さんも予定通り到着できるか? 明日からかきもち。


1999年1月8日(金)雪

「長野へ、本当に行けるかな?」

実はまだ深夜に書いてるのだが、今日は午前6時に出発予定である。多分かなり眠い。 稲作経営者会議の、若手懇談会ということで、佛田さんや北辰さんからも若い衆が 来るので珍道中になりそうだ。バレンタイン1号さんもいるし。それに絶妙の寒波。 車で上越を通る。しょっぱなが一番期待してる企画(永井農場視察)なのだが、 はたして時間通りに着けるか。視察といっても田んぼはやはり見れないだろう。 人に会えればそれでいい。長野の友人に電話したら「普段は積もるところじゃない から融雪装置なんてないよ」と言われてビックリ!積雪よりも低温が特徴で、 凍結が恐い。多分坂道を登って温泉へ行く。1泊2日だが、帰りは足止めをくうのも またよしだ。三宅君も10日に来る予定だが、浩陽さんも含めて、はたして誰が 最初に野々市に着くか。キャノンボールの始まり、始まり。


1999年1月7日(木)曇りのち雪

「仕事始め」

午後からかきもちつきの準備。8,9と稲作経営者会議で出かけるので、つくのは10日から。 のっけから社長は海外出張中だが、今年もいい年でありますように。さて自分も明日から長野。 信州上田に小諸といえば真田家があったところなのでワクワクするのだが、洋行さんは雪のせいで 帰りが米原回りになることを心配している。確かに100センチ積もるとか、最高気温も氷点下とか、 今年一番の寒波でいろいろ景気のいいニュースがある。パソコンを持って行けば車の中でもポチポチ 打てるので、また公衆電話から日記更新に挑戦するつもりだったが、リスクが大きそうなのでやめた。 飛行機で南半球回りのほうがいいかもしんない。明日(8日)の夕方17時頃から、北陸朝日テレビ で我が社のもちが紹介されます。インドに長野と、結局誰も見れやしない。


1999年1月6日(水)晴れ

「’98トピックス昨日の続き」

@ 子供達と田植え&稲刈り
社長がPTA会長をやってるから縁が巡ってくるのか、幼稚園、小学校と2件、農作業体験の お手伝いをし、また別の小学校からは全校生徒分のもちつきの依頼があり、自分も配達に行った。 学校・保育園関係からの注文というのは意外と多い。

@ ラジオ番組
某B農産のイケイケプロデューサーが中心となって、FMエヌワンで一年間週一で30分の レギュラー番組を作る。食糧事務所も経済連も通さず、百姓からの情報の直売がうたい文句。 自分も一度林農産特集で参加したが、緊張して5分ぐらいで終わったように思えた。 30分番組を30分で収録する彼らの力なら、生番組に出演する日も近いか?

@ 裏ホームページ現わる!

ついに林農産もハッカーに乗っ取られ、まがい物のページが登場!というのはウソで、我が社と 密接な関係にあるお方が作ったウイルスもとい、ページ。自分がバイトに来る以前の話もあって、 すべてが笑える。このウイルスにはいかなるワクチンも無力で、もう誰もこの暴走を止められない。 ただ大笑いするだけだ。パロディ版が出るというのは発展した証拠?内輪受けだったらすみません。 このページを読んだあなた!もう林農産に来たくて(バカーズに会いたくて) たまらなくなったでしょ〜。

ーーーーー 番外編 ーーーーー
# お見合いのデマ流れる
このページでちょこっと話題にしたら、早とちりして噂にした人がいたんだよね。「どうだった?」 なんて聞かれるし、本当にも〜。いっそのこと、バツイチ、子連れと書いておこう。
# バカーズ大活躍
今さら言うまでもないか。女性も入会し、表ホームページの写真にも進出。カメラを向けると何かを してくれる。裏ページではモザイクが入ってるけど、わけのわからない仮装行列もかわいい?





1999年1月5日(火)曇り

「’98トピックス」

遅ればせながら、年内にできなかったので今から考えます。
@ 全国大会無事終わる
皇太子を呼ぶことが重要なのか、本当に農業青年のための大会だったか等、 議論はあるものの、自分は成功したと思う。一生に一度体験できるかどうか という巡り合わせだったが、県大会も全国大会もいきなりスタッフで、もう 引退しかないんじゃないかなんて思ったりもする。

@ 会社説明をする
交流会ということで、たくさんの独身女性の訪問を受けビックリ。こういう時は 決まって社長は不在で、ことあるごとに「なんでわしも呼んでくれんのや」 と言ってる。緊張したが、農業と我が社の特徴をアピールできてよかった。 互いに紹介する異業種交流もいいかもしれない。

@ 会社訪問を受ける
上と似てるが、こっちは本物の就職活動してる大学生。募集はしてないが、何か 力になれたら、ということで我が社初の快挙?女子大生だが、田植えのバイトも 体験していった。研修先も決まっているそうで、自分としても応援したい人材。 他にも就農の問い合わせがあったり、確実に農業をやろうという人は増えている。

@ 海辺のコンサート大成功!
御陣乗太鼓ともジョイントで、盆にやったのがよかったのか、たくさんの人が きてくれた。アグリ塾で知り合った、インド・パキスタン周辺を数年放浪してた というTさん(旧姓S:農家に婿入り)の話が大変興味深く、この日の夜は 一生思い出に残りそうだ。

自分のミスで、書いたばかりの日記を消去してしまった。続きはまた明日。


1998年1月4日(月)曇り

「やっとビデオを買う」

やはり店員さんと話しても、ビデオは使い捨てという考えが主流のようである。とくにカミナリの 産地?である野々市周辺ならしょうがない。BSチューナーはあるので、安価で外部入力を タイマー予約できるかがポイントだったが、コンセントやリモコンにテレビまで引っ張り出して 試してくれたので買わないわけにはいかない。年末に見れなかった番組を再放送してくれないかな。 社長はバングラディシュに旅立った。まだFAXは届いてない。また異国でも天変地異を 引き起こすだろうか。浩陽さんが飛行機に乗るなら、電子装備のない、ワイヤに油圧に歯車等 機械じかけだけのほうが多分安全だと思う。仕事初めは7日からの予定。


1998年1月3日(日)曇り

「新春・初笑い」

昨日は林農産恒例の新年会。その後、年賀状を書いたりしてたら寝るのが朝になったが、 お坊さんがおまいりに来る日だったので実家へ行ってきた。生活のリズムが乱れてさすがに 頭が痛い。さてもう一つの頭痛のタネ?といえば下の写真。わざわざ新年会に合わせて用意 したらしい。着ぐるみを買ったり、バカーズの人を笑わせようとするパワーには頭が下がる思い。 写真を向けたら周りの人が逃げていった。モザイクをいれなくてもいいようにサングラスを してるところはさすが。年末年始は大活躍だ。





1999年1月1日(金)曇り

「振り返りと今後のポイント」

久々に、ゆっくり寝ることができた。実家でゴロゴロ。パソコンがあるので日記もじっくり 書くことができる。さて、去年はどんな年だったか振り返ると、おととしのように テレビ出演や韓国研修など派手な事はなかったなあ、と思いきや、全国大会や会社説明に ラジオと、結構面白い事が思い出される。もう一度去年の日記を読み返してみようと 思うが、農業の魅力をアピールするということがポイントだったのではないかと思う。 そしてこれからもそれが大切な方向性ではないかと考えている。例えば新規就農者激励会 では「日本一朝に弱い社長で仕事も楽で助かっている」とか交流会では「日本一休憩の 長い会社」だの、農業法人の魅力を宣伝した。仕方なく家業を継いだ農業者やそれ以外の 人達に対しても、農業はつらいというようなマイナス面は口にせず、楽しくやってる よい面を紹介して固定観念をぶちこわしていくことが、外部から入ってきた私には 大切に思えるのだ。