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あぐらぐち物語 1997年04月分





1997年4月30日

当社の田植え機は、5条植えだが、普通のプロ農家は6条植え以上で中には10条植えという巨鳥のような田植え機まである。
一度、6条植えを買ったが、一年で下取りに出してしまった。この辺の田んぼだと普通7往復するとピッタリくる、つまり7かける5条で35条。だが6条だと5.8条、端数は、田植え機を調整するのだが、面倒な操作が必要。
さらに、重いので遅い、苗の補給が手の腕の短い私では、手が届かない。決定的だったのが、後ろが重くて田のから田への移動が危険なことだった。
弟の5条にどうしてもスピードで負けるし、疲れるしで、最後はパソコンの日誌のデータでも明らかに5条が有利だった。どんなことにも適材適所というものがあるという好例だった。


1997年4月29日

田植え機が速い!やはり、技術の進歩は日進月歩だと、肌で感じる。左は苗を積むところで、300坪で20箱程使用する。良い苗は、根がしっかりしているので、この様につかみ取りが出来る。下敷きを使うのが普通だが、ペースが全然違う。
右は、当社の中村君がレーキというクマデみたいなもので、ターンの足跡を消しているところ。田んぼが小さいと言うことは、この足跡の数が増えるという事で、苗の供給とともに下仕事の重要な役目である。
苗の販売も同時にしているが、完全予約制でセルフサービス、自由に取ってもらっている。自分でトラックに積んで、自分で数を申告してもらっている。誰も監視はいません。この苗を積むという作業はその人の性格がよく出て面白い。
フサフサした長い、苗を選んでジグソウパズルの様にハウスの中をしていくお客さんがいます。良く、この取り方を注意する苗農家や農協があるが、当社は自由にやってもらっている。
注意されれば、いい気持ちがしないので、次に注文したくなくなるし、注意する役目の人も神経が疲れてしまう。本人が気付くまでじっと我慢して、直しているとそのうち、そんなお客様はあまりいなくなった。
苗ひとつにしても、人間って面白い。





1997年4月28日

ようやく、251区画の代掻きが終了した。しかし、正確には田んぼは、筆(ひつ)と数えるが、この辺では、一枚二枚と数える場合が多い。
田植えの、準備も平行して進められた。明日から、いよいよ田植えである。一年でも、もっとも大変な作業であるが、今年は、やっと田植え機の新車を購入したので、だいぶ楽になるだろう。
トラクターの予定を変更してまで、買った代物だが、一年にせいぜい2週間も使うか使わないかだが、4年も持てばいい方である。しかし、今回は現金で買えたので記念すべき一台だ。
普通は、借金して買わざるを得ない状態なのだが、今度のコンバイン、トラクターもなんとか自己資金率を上げたい。


1997年4月27日

日本一体力がない百姓なので、最近、短気で困る。めったに、否定的にならないが、疲れてくると自分でコントロールが効かなくなる。
今日も、結局、朝から機嫌が悪く、子供や妻がとばっちりを受けている。午前中、バイクにマフラーをセットした時点で、寝てしまった。
リセット後、午後に山中温泉まで、上甲代表の講演会があると聞いて家族と友人と出かけた。私が聞くのではなく妻達に聞いて欲しくて、我々は子守りに徹していた。
本当に、子育てと介護の間は、女性にとって谷間になり易いと、子守りを少ししているだけで感じることが出来る。
というわけで、なおさら疲れた日曜日だったが、講演会を聞いてもらっただけでも成果と思う。


1997年4月26日

昨晩、また遅くまでマシンを造っていたので、HPはサボってしまった。代掻きの方はあと、一日で終了なので明日は、お休み。この休みをとるのに、どれだけ血のにじむ努力をしたことか。
うちの仕事は、鈴鹿耐久8時間レースのようなもので、全開で、なおかつハイアベレージ、ピットインは最小時間で、トラブルがあっても最低限走る状態はキープする。
だから、集中力の持続が勝負で、気合一発は通用しない。だから、休みも仕事のうちで、疲れてくるとどうしても、集中力が落ちてくる。すると、一番恐れている怪我をしたり、事故を起こしたりする。
ジンギスハーンは、千人隊という部隊をもって、アジアを制覇したが、その隊長には、体力のない者が選ばれたそうです。体力がある隊長の隊は全滅してしまうそうです。
その点、当社は問題ないですね。日本一、体力のない百姓を自負しています。


1997年4月24日

ここのところ、目が回っている。朝、6時半には95を立ち上げて、立ち上がるまでの間にハガキを2、3枚書いて、エクセルで作業用ファイルを作り、青年塾の研究課題の依頼文を作り、メールを読んで返事を書き、ハウスの苗に水をやり、通気に少し明けて、朝飯。代掻きを6時半までして、HPと作業用の二つの日記に入力。
明日の段取りにお客さんに電話。夜、事務所にいると、お米を買いにお出でるお客さんがいるので、米を売ってやっと、晩飯。そうこうしていると8時になってしまう。おかげで、最近子供がストレスが溜まって、夜あばれている。子供たちとウルトラマンごっこをして一緒に寝て、それから、今度のレースに向けてマシンの製作に入る。
現在、外装は友人に塗装に出しているので、振動で部品が落ちないように、ワイヤーロックをする穴をシコシコ開けている。写真の様に、ハーレーもこんなにスリムなんです。実は。
でも、暇な時期にやれば済むのに、忙しいと調子が出るみたいで、困ってしまう。





1997年4月23日

今日は、地元FMの出演があった。最近は、本当に1時間では足りなくなってしまった。昨日は、なぜか二つのテレビ局から取材の申込みがあり、ここのところマスコミづいている。
昨晩は昨晩で、遅くまで、今度のレースの為のマシン造りをしていたので、最近、少し眠い。


1997年4月22日

代掻きが順調に進んでいる。左の写真が、ドライブハローという機械。右の写真が街中での作業風景。もう本当に、家に三方囲まれた状態である。





1997年4月21日

復活!老兵未だ死なず。トラクターが直った。深夜まで修理してくれた、農協とクボタさんに大感謝である。補助金なしでやるには、こういう方々の協力なしには出来ない。
ちなみに、修理するのに、ほとんどバラバラにしたそうである。
昨日は、我々の仲間の今本君の温室で、イベントがあって行ってきた。石川県の鉢花は全国最下位だそうで、この状況をなんとかしようとする、今本君にエールを送りたい。ちなみに私は、沢山の鉢花を、母の為に買ってきたが、母いわく「これは母の日とは別」だそうである。
ここまで書いていたら、火災出動があり、1時間程たって帰ってきた。テンプラ火災のボヤだったが、夕方のラッシュだったので消防車の運転は恐かった。
本当に交差点で危なかった。サイレンも赤色灯も、オバチャンの前では、無力である。こっちが避けるしかない。


1997年4月19日

午前中、PTAの総会があって、中村君に運転を代わってもらった。天気は良かったが非常に寒い一日だった。
明日は、日曜日でお休み。例年なら、絶対に休まないのだが、休みをとるのも仕事のうちである。しかし、田植えの予定日が29日に決定しているので、これは賭けである。
さらに、今年は去年の反省に立って、例年30枚のところを26枚にペースを落としてやっている。結構、この4枚はツライが、代掻きを丁寧にやらないと、雑草は生える、高低差が出来て苗が水に沈む、水漏れが激しいと非常にまずいことになる。
でも、今日の夕日は奇麗だった。今度、デジカメでお見せしよう。


1997年4月18日

代車のトラクターはオープンである。こういう日に限って、雨が降って寒い。しかし、寒くなったら新入社員の中村君に運転を教えながら、クワを持った。たまに、下仕事も色々気付いていい。
結局、修理することになったが、部品がいつ着くのかは不明。私のこのボロいトタクターは、苦楽を共に歩んできた戦友である。そう簡単には死なせない。


1997年4月17日

代掻き開始。ところが、いきなり私のタラクターが壊れてしまった。後ろの、ドライブハロー(田んぼを均す機械)が回らないのである。
結局、農協に入院。中心部なので、全部バラすことになったが、果たして直るか分からないし、時間はあまりないし。一応、代車を借りたが、馬力が半分なのと、慣れていないので異常に疲れる。
ここは、クボタを信じて直してもらうしかない。最悪、新車だが本体のみで400万以上はかかる。今年の、私の経営計画には入ってないので、絶対に避けたい。
毎年、こういう事が何回かあって、それを乗り越えてやってきた。今度も、なにかいい手はないか、脳みそをペンテイアム200にして考えている。


1997年4月16日

午前中、入水作業をして、午後からPTAの実行委員会というのに出席。副会長を今年から任ぜられたので、2年生担当で、学級委員さん相手に色々な係りを決めたりした。
こういう、不特定の方が集まる会合は、勉強になる。私の社会的立場なんか関係なく、その場の実力が問われる。しかし、4月の行事の多いのにはまいった。19日も、授業参観と総会が朝からある。
明日から、本格的に水を張った田を、もう一度トラクターで耕し、田植えが出来るように均平にする作業、代掻き(しろかき)が始まる。苗の管理、水の管理、代掻き作業と色々重なって、農家でも一番忙しい時期に突入だ。


1997年4月15日

田んぼの入水作業を今日も続行した。全部で一回目の田植え分250枚程の、入水だが写真のようなパイプと、用水の水をせき止めるダムを木の板と、杭を使って作っていく。
だから、軽トラに材木や、パイプ、電動丸鋸、スコップ、発電機、ハンマーなどを搭載して、土木作業車状態である。
そうこうしているうちに、苗も大きくなり、緑一色になってきた。毎朝の水やりは、母が早起きしてやってくれている。毎度、頭が下がる。一万二千箱の水やりは、どうがんばっても45分以上かかる。
一応、ハウスの両側に自動潅水パイプがあり、バルブの開閉のみだが、どうしても最後、手で修正の必要がある。





1997年4月14日

今日から、田んぼに水を引きはじめた。しかし、、普通の兼業農家はそんなに、慌てなくても作業が間に合うので、まだまだ水を当てる気配がない。したがって、我社が一番に引くことになる。
まさに「我田引水」。ところが、逆に皆さんの為に引いているようなものである。いつも、つくづく思うが、私の住んでいる地区は水が豊富だ。
昨日は疲れ果てて、HPは触らないつもりだったが、何気なくアグリネットワークのアクセス数を、見てびっくり、2週間で200を越している。私のHPはカウンター付けて3ヶ月で1000だからすごいスピードだ。
慌てて、更新したのはゆうまでもない。しかし、現在二つのHPを管理しているのは、シンドイ。新入社員の中村君は得意みたいだから、早くしごいて、やってもらおう。


1997年4月13日

昨晩、今度はアグリネットワークレデイース主催の講演会があった。常光さんという方の講演だったが、すごく興味深い話であっという間の3時間だった。阪神大震災での孤独死は圧倒的に男が多くそれもまだ50代がほとんどという結果が出ている。
なぜ、そうなるかは「生活技術」を身につけていなかったばっかりの結果が多いとのことである。男も女も、最低限自分のことは出来るというのは、人間としての尊厳を保つ上での基本だと感じた。
介護の問題も結局、嫁の負担になる。小姑は口だけはさむという、悪循環。夫が、家庭が、社会が、みんなで支えあうことが大切と、力説しておられた。その会の名も「しじゅうから花の会」といい、ネットワークの運営の理念も、会費なし、会則なし、参加自由の我々のアグリとそっくりだったのでびっくりした。
最近、経営の勉強から入ったのだが、結局、勉強の場は身近にあるという事が良くわかってきた。


1997年4月11日

昨晩、通称「福田学校」と言って、経営の勉強会があった。これも、みんなでお金を出し合って各会員の作業所でやっている。容赦ない質問や、意見が出るので楽しいが、さすがに今月はキツかった。
うまくすれば、明日、荒起こしの作業は終了するかもしれない。日曜を果たして休めるかの瀬戸際だ。


1997年4月9日

今日の、作業はまるでキャメルトロフィーだった。キャメルトロフィーとは、オーストラリアかどっかの大自然の中を、四駆のジープで、泥沼や河を渡っていくレースがあるのだが、まさしくそのような感じである。
パリダカールラリーというのもあった。とにかく、良く降る雨だ。明日は、5回目の苗の搬出だ。これで、しばらくは種まきはお休みで、作業に集中出来る。


1997年4月8日

本当に、久しぶりにトラクターに乗った。果たして、田植えまでに作業が間に合うか疑問だが、精一杯やるしかないだろう。
それと、win3、1のマシンの壊れていたモニターが一ヶ月ぶりに戻ってきた。この前、店から電話があり「一万7千円ほどかかりますが、直しますか?」と問い合わせがあった。
私は、もちろん「何百万かかってもいいから、早く直してくれ。」と言ったので、それからは早かった。ちなみに、うちのコードレスもファックスもNTTから嫌がらせじゃないかと思われるぐらい直している。
トラクターもすでに2700時間を超え(農機具は、走行距離ではなく使用時間が表示される。)が、だましだまし使っている。最近、足回りから「ゴトッ、ゴツ」という気味の悪い音がしているが聞かなかったことにしている。


1997年4月7日

青年塾の入塾式から帰ってきました。相変わらず、素晴らしい体験で楽しかった。天気の方も相変わらず悪くて全然仕事が出来なかったようだが、久しぶりにみんなゆっくり出来たみたいで良かったと解釈しよう。
決意表明も、プラカードを用意して練習していったので、うまくいってホッとしている。今日は、その原稿を載せるので、読んで下さい。決して、へんな宗教や政治団体ではないのであしからず。

志ネットワーク 青年塾 決意表明
私は、石川県で農業をしている林 浩陽と申します。ただ今より青年塾の決意表明をした いと思います。

生産<労働<販売<企画<センス

皆さんには釈迦に説法かもしれませんが、これは経営の方程式のひとつです。しかしな がら、私達、百姓は昔から

生産<労働<販売<企画<センス

でした。かくいう私も、10年前にもちの加工を始めた時はまさしく、この方程式どう りで、もちさえ作れば、農協で売れるだろうと造りましたが、結果はお正月に全部返品 で、泣きながら切って、毎日おもちを食べていました。
そこで、考えたのが、そうか労働力を確保し、販売先を考えればいいんだと思い。今度 は、東京の業者に毎日沢山造って、卸しはじめました。しかし、結局これも、1500 万円の不渡り手形をもらってしまい。失敗してしまいました。
その後、色んな方々のお導きにより、まともなこの方程式にたどり着き、切磋琢磨してまいりました。しかしな がら、一見上手く行っているように見えた社会も、実は何か間違った方向に進んでいる ように感じられます。それは、昨今の出来事一つ一つとっても明白です。 最近、このセンスの上にもう一つある事に気付きました。

それが 志 です。

しかも、この志は、誰かの導きはあっても、誰かに教えられて築かれるものではなく、 自分自身の体験によってのみ、築かれるものです。我々の今回の入塾に際し、この志を 自らの意志と行動によって、築く事を誓って、決意表明としたいと思います。

1997年4月5日 林 浩陽


1997年4月3日

今日も、雨。昨日も午後から雨で、トラクターの作業はお休み。しかも、明日から、志ネットワークの青年塾という会に参加するので、3日間トラクターはお休みになる。
少し、日程的にキツクなってきたが、天気には逆らえない。こういう時は「晴耕雨読」で、青年塾での発表の練習をした。しかも、朝、志ネットワークの代表の上甲様から、入塾式で決意表明してくれと突然の電話。
ただでさえ、緊張しているのに、まあ開き直るしかないと思い。午後からはバイクの整備をしていた。5月のレースに向けての準備だが、今回新車なので大変だ。
という、わけで明日から日曜まで出張でいません。あしからず。


1997年4月1日

やっと、種まきの写真が撮れた。午前中、苗を芽出したパレットをそのままハウス内に運んで並べる。しかし、この後しっかりフォークリフトがはまってしまった。
大体、普通の農家は一輪車に積んで運ぶパターンが、多いのだが、「日本一仕事をしない農家」を自負する我社は、フォークリフトをハウス内に入れるという暴挙に出ているので当然といえば当然か。
午後から、種まきをしたが午前中のロスが効いて、遅くまでかかってしまった。
今日から、我社にも新入社員が入ったので、こき使える。





1997年3月31日

珍しく、一日外でトラクターに乗っていた。いよいよ、市街地に入ってきて、緊張度も高まってきた。市街地の一般道路をトラクターで走行するのは、かなりリスキーである。
それも、手伝って最近、肩こりがひどくなってきた。昨日も、4日にいく研修に使うプレゼン用の原稿作りで日曜日半日キーボードを叩いていたので、かなりキツイ。
しかも、今日は世の中、年度変わりで、月曜日で、月末。最悪の条件が重なって、私のバイオリズムも下降気味である。
明日は、3回目の種まき。今度こそ、デジカメでいい写真を、撮って皆さんにお見せします。





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