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あぐらぐち物語 1998年1月分


1998年1月31日

昨晩、妻の前で卒論発表の練習をしてみたが、散々だった。もっと、要点をしぼって、なによりも普段 の調子で自分の言葉で話さなくてはいけない。どうも原稿があると、うまく話せない。かと言ってまっ たくのアドリブでもいけない。やっぱり、難しい。
今日は、林農産の期末日で棚卸しの日だが、予定より多く米が在庫している。ウーンこれは問題だ。少 しづつだが、売れているのは確かだが、チョット心配。


1998年1月30日

卒論のOHPを製作しているが、慣れないソフトで悪戦苦闘している。OHPというメデイアは、一般 的すぎて寝てしまう可能性も否めないので、どこかメリハリが必要になってくる。そのメリハリのアイ デアがなかなか浮かばない。あれやこれやと、集中出来ないのも一因である。
昨晩、久しぶりに消防のハシゴの練習に行ったが、痛いのなんの。体がナマリ切っているので、ありと あらゆる演技が、体にこたえる。おかげで、今日は少し体が痛い。


1998年1月29日

歯医者に行った。実は年末のもちつきの時につまみ食いをしていたら詰め物が取れてしまったのである。 しかし、年末年始でバタバタしていたら行く機会を失っていたが、最近どうも胃がもたれる感じがする。 原因として暴飲暴食が考えられるが、ハタと今日気づいたのは、奥歯が1本ないので良く噛んでいない のではと思い付いた。バイクのレーサーや、集中力が要求される競技ではマウスピースを作って歯のか み合わせを良くすることすらやられている。歯というのは、すごく全体に及ぼす影響が大きいのである。 そう思うと、さっそく行ったが、いきなり先生から「テレビに出てたね。」と声を掛けられびっくりし た。2年に一度くらいしか歯医者には行かないので、良く覚えていたものだと感心した。


1998年1月28日

昨晩は、楽しい夜だったが、少し二日酔い気味。今回のNECの人たちは、管理職には珍しく、非常に 人の話を聞く方々で良かった。本来、管理職は、部下の話を聞かなければならないのでが、残念ながら 私の知る管理職の多くは人の話を聞かない人が多い。どこの業界でも、若い人の、自立心や独立心、パ ッション不足が問題になっているようだ。これを、打破するのは異業種交流しかないだろう。久しぶり の東京だが、春に田植えに来てもらうように言うつもりだ。しかし、私を講演に呼ぶということは、N ECも、風土改革が出来そうで楽しみだ。バザールでゴザールで田植えだあ。
それと、今日ようやく農作業日誌のシステムが回復して去年のデータを集計した。この日誌と違って、 日々の作業時間や仕事のことを書く方のもので、かれこれ12年間つけている。これによって経営の係 数処理が出来るのである。例えば、年間の労働時間や10アール当たりの作業時間等が分かるとコスト や時間当たりの粗利等が分かり次年度の経営に役に立つ。ちなみに、10アール当たりの労働時間は2 5.3時間で前年比99.1%だった。一年かけてわずか0.9%削減だがここ数年アップしてきたの で久しぶりのダウンだ。結構、派手な私だが地道なこともしていることを知って欲しい。


1998年1月27日

NECの方々と、一日話したが、今回の来県は今度、会社で講演をしてくれという話だった。27日に 東京に行くことになってしまった。まったくの異業種の人たちに、私の志が通じるか勝負だ。福光や岡 山の二の舞は踏めない。
このような日は、とにかく人が沢山来る。いつもは、暇なのに、次から次と来客があって、さすがに困 った。さあ、ではカニを食いに行こう。


1998年1月26日

今日は、福井県から農業の女性グループと、私の妻を含む石川のアグリレデイースとの交流会が、当社で 行われた。最近は、事業計画にとらわれない活動をするグループも増えてきて、この人たちもそうらし い。私は、挨拶と簡単な話だけして、引っ込んでいたが、盛り上がって良かった。
明日は、NECから私の話を聞きに3名の方が来る。サッカー部の後輩がデザインでいる関係で、セッ テイングされたのだが、どっちかというと「カニ食いツアー」的色合いが強いので楽しみだ。でも、我 が社で、OA機器でNEC製は非常に少ないので、悪いなあという気もしている。


1998年1月25日

岡山の夜は、5年前我が社で初めて長期の研修生になった、松浦君と会えて有意義な夜を過ごせた。 しかし、次の日の農業基本法の話会いでは、また切れてしまい、暴言を吐いてしまった。もう、このよ うな農業者の会合には行かない方が身の為かもしれない。まず、研修が農業者自身の企画ではなく、農業 会議の職員に依存していて、この危機が叫ばれている時代に、ありきたりの会合だった点。農業基本法 の話をするのであれば、3分間づつ発表の時間をとったりして討論すべき。二次会でカラオケ歌ってい る暇が果たしてあるのだろうか。さらに、意見がやはりあまり出ず、石川県の人間ばかりが意見を言う ので、これじゃ岡山に何しに来たのか分からない。「こんな、マスターベーションみたいな会だったら やめたらいい。」とまで言ってさらに「ぐちぐち、転作がどうのこうの言う前に、法人税を払って、義 務を果たさないと、だれも聞いてくれませんよ。」と、言ってしまった。もう少し、言い方があったろ うに、あまりにもレベルが低い感じがして耐えられなくなってしまう。
講演の坂本農業法人会長の、農業基本法の話は、本当に良かったとても悩んでいるのが分かる。我々に 真剣に意見を求めていらした。昨日は、失敗したが、今日はちゃんとそれに答えようと思う。

!-- ★ 1998/1/23★ -->
1998年1月23日

岡山へ若い稲作経営者懇談会に来た.なんと,メインの国定農産の広島農場が,雪で行けなくなってしまった.もう,がっかりの所へみんなの話が転作や,補助金の話で,すごくマイナス思考な話になって二重のショック.代わりに行った先が最近はやりの,観光農業農場で,第3セクターで140億も使った,どう見も陳腐化確実の場所であった. しかし,つぎの大森農産は,市街地で,作業場が,線路をまたいであるという,すごく親近感の持てる所だった.直はんで30ヘクタールもしているし機械も整然として,いい仕事をしてるようだった. この後,懇親会だが,なにやら楽しい予感がしてきた.


1998年1月22日

卒論を今晩プリントアウトして送る予定である。予定というのは、自分で書いた分は終了したが、妻の 校正がまだなのである。この日誌でもそうだが、とにかく文章が変なのだそうだ。しかし、提出期限は 25日しかも明後日深夜まで岡山だし、今日中に実は速達で出したいのである。私にすれば、担当者の 塾生に少しでもアドバンテージを与えたいのに、困った話だ。校正というのは、際限がないので、いつ もギリギリになっている。
と書いている所へ、校正で真っ赤になった原稿を持って来て、「どうして、私の言う通りに直さないの。 」と、私の文章の変な所をボロクソに言うので、今晩の郵送は無理だなあ。


1998年1月21日

青年塾の卒論が、ようやくめどがついた。今度は、デイベートの準備をしたが、まったく初めての経験 なので、こんなんでいいのかなあ。という感じで、もっと調査をしなくてはならないだろう。なんと、 テーマが「死刑制度」で賛成側だ。超堅いテーマでどこから手をつけてよいものやら。
昨日の朝から、左目が、充血してしまった。前もあったが「血中コレステロール値」が高くなるとなる らしい。要は、暴飲暴食でなるのだが、昨日はずいぶん興奮したし、正月から結構食べている。問題は もったいないと思ってつい多く食べてしまう点だ。特に、12日の佛田君が作った鍋は強烈だった。あ れが原因か?


1998年1月20日

朝から、雪の中を、福光で行われる「食のネットワーク」という異業種交流に出かけた。こちらは、い つものように、商品とプレゼンの用意を持って出かけたが、ななんと相手様が、1時間20分の遅刻で 結局、あまり核心に至る話ができなかった。いつものことだが、それで腹が立ってずいぶん相手様には 失礼なことを言ってしまった。「ネットワーク作りで時間を大切に出来ない方とは出来ないとか。」「 手ぶらで、なんかないかというような異業種交流は失敗するとか」。特に、福光の方々は、百姓だと思 って来てみたら、いきなりプレゼンと称して色々な品物を前に、訳の分からない単語を並べて話すもの だから、面食らってしまったようだ。しかも、こちらが7人に対し18人の参加だったので、発言の機 会もおのずと少なくなり、つらいスタートだった。しかし、さすがに素晴らしい発言をされる方もいて 、次回しっかり段取りをつければ、きっと実のあるネットワークになるような気がする。何と言っても 、我々には未知の分野の方ばかりで、農業者同志の会合とは得るところが比べ物にならない。
なにはともあれ、言葉使いの粗さは反省だった。


1998年1月19日

午前中、青年塾の卒論のため常光さん宅へおじゃました。かなり原稿に手を入れたが、良いものになり そうだ。本来の題名である「凛凛と福祉を語る。しじゅうからの花の会」というものに近くなってきた 。そもそも、凛凛とは、勇ましいしとか、りりしいとか、要するに一人で人を頼らず、自立した状態を いうのだが、自立=自己責任ということになろうか。上甲氏も実は、「凛とした」という表現を良く使 われるが、世の中、凛とした人ばかりならワイロを受け取って逮捕もされないのにと思う。
夕方から、通称「借金友の会」と私が呼ぶ、アグリファンド石川の役員会に行ってきた。今度、我々が 出版する「味人めぐり」という農業者紹介の本の発表披露会を兼ねた、記念パーテイーの段取りをした が、問題は書店での販売部数の予想だった。返本が多いとまずいが、増刷も金がかかるそうで、エイッ と数字を出さねばならず、困ってしまった。このHPでも、商品として販売しようかと考えている。自 分自身は300部は配ったり販売できると思っているが、みんな、10部とかそこらを言っているので 、ちょっとガッカリ。今時、10部や、そこら売れずして、これから米が売れるかと思ってしまう。さ らに、来賓の祝辞も、部下に書かせたものを棒読みするのも気に食わない。そんなことしている、どっ かのオエライさんがこれからの農業を変えれるはずがない。と、暴れてしまったが、どうも、そのパー テイーの司会をおおせつかったので、口を滑らせそうで恐い。チョットだけ、滑らすかも、、、。


1998年1月18日

一日、ボーとしていた。なかなかボーとするのも難しいもので、結局少しカキモチの包装をしたりした 。本当は、することが沢山あるのだが、まだやる気がしない。私の行動パターンは「バビル2世」タイ プで、超能力を発揮するがその後一定時間ただの人になってしまい、睡眠しないと能力が戻らない。 最近は、その辺が分かってきたので、無理にはしようとせずに、休み時には休むようにしている。それ と、トラクターやコンバインに乗っている時に、色々なアイデアが生まれるのだが、やはり大地からの エネルギーが私の活動の源になっている。今度、晴れたら少しトラクターに乗ってみようと思う。どう も、パソコンに向かっていてもエネルギーは充填されないようだ。


1998年1月17日

ほとんど、仕事らしい仕事もせずに一日が暮れて行く。決算に向け、伝票は仕上げてはいるが、青年塾 の出発式の事が気になって、結局そのための文章を書いて速達で、全員に送ってしまった。そろそろ、 気合を入れていかないと、良いものにはならない。
ここのところ、天気が良くてカキモチには、不向きな状態が続いている。早く、雪が降らないと、割れ るか、カビるか、何らかのトラブルが予想される。


1998年1月16日

昨日は、結局名古屋に宿泊して、昼ごろ帰ってきた。打ち合わせの参加メンバーは、14人だったが、 南は長崎、北は仙台から集まった。特に、関東地方の人たちは大変だったようだ。話し合いも、非常に 中身が濃いもので、素晴らしい出発式になりそうだ。一番、長く話し合ったのが、パーテイーでのゲー ムの景品の件。上甲塾長いわく、心のこもったものをと言うことだったが、例え、それが志高い品物で あっても、結婚式でもらう引き出物の如く、必要でないものは結局、無駄になってしまう。それは、か えって製作者にも失礼。しかも、21世紀に向け志高くはばたこうという、出発式にはそのような物質 文明に頼るようなことは、不似合いである。という結論になって、パーテイーでは、この一年で成長し た自分達そのものが、プレゼントという考えで、行こうと言うことになった。とにかく、心を送ると言 うのは、本当に難しいと思った一日だった。


1998年1月14日

毎夕、紐で編んだカキモチを吊るのだが、これが結構寒い。ライスセンターの天井に組んだ角材に吊る すが、私のような人間には、忍耐のいる仕事だ。でも、話相手がいれば、寒さを忘れる意味でも、楽し く作業が出来る。普段は、なかなか話の出来ない妻であっても、それは同じである。
中村君が、今、突然来て、デジカメをつかんで出て行った。今晩、金沢のホテルで、韓国研修の発表を するそうで、見慣れないスーツ姿だった。コンパニオンの写真でもまた撮るのであろうか。もち時間4 分間と言っていたが、30分は引っ張れと言っておいた。
明日、早朝から青年塾の出発式打ち合わせに出かける。うまく、話がまとまらねば、泊まる覚悟である。


1997年1月13日

昨晩は、あの後、鍋が出来るまで、1時間半かかって、やっと食べれた。生がき一斗缶2個、豆腐4 0丁、豚肉7キロ、もち2升、さらに山盛りの食材で、結局沢山残ってしまった。カキを開くのに、あ れだけ苦労したのに、半分ほど残ってしまった。ぶった農産の専務の佛田君がシェフだったけど、あの 量は、ゾウが食べる量だ。みんなで、うーん腹一杯と言って、うなっている時もまだ調理していたから 、「誰か、アイツを止めろ!」と叫んでいた。その後、後片付けに2時間かかって、終わったのが深夜 12時半、お疲れ様。でも朝食でも、山ほどの「おじや」が出て、後片付けに1時間半ほどかかった。 全然、懲りてない奴等だった。
その後、能登の会員宅を巡回したが、タニヤンの春からお世話になる、福田さんのところも行った。あ の辺は、結構タニヤンの作業場のように、織機工場跡を改造しているところがあって、興味深かった。 やはり、天井をぶち抜いていた。今度、教えてあげよう。写真が、福田さんです。





1998年1月12日

能登の門前町で,石川青年農業会議の総会があった. メインは,私は今年,〇〇〇をします.と言うテーマでのプレゼンだった.司会は私で,26人を4時間で8分間での発表で仕切ったが,なかなか皆さん素晴らしいので,すごく良かった. 自分は,青年塾の発表の練習をしたが,あまり良かったとは言えず,やっておいて良かった.もっと,見直さねば. しかし,鍋をするというのだが,いつになったら出来るのやら,腹減ったあ.


1998年1月11日

午前中、町内会の総会があった。小さな町会だけど決算や予算、各種部会があって色々話し合われた。 自分も、数年前に町内会長をして、その苦労は良く知っている。私の場合は、さらに連合町会の役員に 祭り上げられて大変な思いをしたが、あれは勉強になったなあ。
午後は、明日の石川青年農業会議の総会のあとのプレゼンテーションの準備をしたが、去年は、かなり 気合を入れてOHPを準備したりしたが、今年はとてもそんな時間はなく、さらに「今年××をします」 という題目だが、チャッカリ今度の青年塾の卒論発表の練習をすることにした。しかし、ブッツケ本番 なので心配だ。二度、選挙の時の応援演説で、良く似た内容を話したので大丈夫だろう。大丈夫としよ う。


1998年1月10日

年末調整の書類を提出し、今年の決算の予想を立てたがなんとか、100万円から200万円の黒字が 出るかもしれないとなった。しかし、これにはマジックがあり在庫のお米が去年の倍はあるからであり 、これを資産として勘定するものだからそうなる。決して安心出来る数字ではなく、これを売り切らね ば話にもならない。でも、赤字でなかったのは素直に喜べる。現在の農業法人で黒字を出せるのは一体 どれだけあるのかは知らないが少ないことは確かである。
午後は、青年塾の卒論を書いていた。題名は「凛凛と福祉を語る しじゅうから花の会」だがとても原 稿用紙10枚では書ききれずかなり割愛したので、自分ではあまり良い出来とは思えない。あとは、推 敲を重ねるしかない。常光さん本人にもファックスしたので、鋭い指摘があることだろう。毎日、キー ボードを叩いていると、一体自分は本当に百姓なのかと自問自答したくなる。21世紀型の百姓は、持 っているだけで賢こそう、ということか。


1998年1月9日

やっと年末調整の書類がそろい、細かい配達も終了して、ようやく20日に福光町で行われる「食のネ ットワークの名簿作成、15日に名古屋で行われる青年塾の出発式打ち合わせのレジメとメール発送、 さらにその時に行いたい寸劇の台本作成、、そして卒論と一日中パソコンを叩いていた。横では事務の 藤井さんが、一日中入金処理をしていたので、まるでどっかのオフィスみたいだった。もち工場では、 かきもちをセッセとついているが、あと、卒論と12日に能登の門前町で行われる、石川県青年農業会 議の総会での、プレゼンテーションの準備が残っているので当分現場には復帰できそうにない。
2月にこの工場の建設資金を借りている、農林金融公庫の総裁が石川県にいらっしゃるが、その時に私 も懇談会に呼んでもらえるそうである。そのための挨拶も含めて石川県の支店長さんが訪問されて来た。 とにかく、ピントのずれた自称「農業経営者」の話が多く出たが、苦労されている様子だった。決算書 の数字も知らないのに貸せませんよね、普通。


1998年1月8日

今日から、かきもちをつき始めたが、担当の方の親戚で不幸があって、中村君がピンチヒッターでつ いたが、なんとかなったみたいだ。私といえば、事務の女性と机の上の請求書やらアンケート、年末調 整の書類の山に挑んでいる。しかし、もう夕方というのに、ろくに仕事が進んでいない。途中、電話や 来客の応対で、時間をとられるせいだが、今週中になんとかしなくては。
そろそろ、お鏡が割れたというクレームの電話がかかってくるので、電話が鳴るたびにビクッとしてし まう。しかし、やはりクレームはチャンスなので、割れたお鏡は戻らないが、精一杯説明して、誠意を 見せるようにしている。今から、そんなお客様の家へ、割れた分のお餅を切餅で持参して謝りに行く。 最近、気づいたが、クレームでどうのこうのではなく、無視されたりするのが一番良くないようだ。と にかく、とことん聞くのが一番と、今は思っている。


1998年1月7日

ひどい二日酔いで、一日つらかった。それにも関わらず、今晩地元の農業者との新年会がある。今日は 、セーブしないと明日から、かきもち作りが始まるし、事務所の机の上は書類の山になっているし、こ のエベレストを早く崩してから、今年の仮決算を出さないと落ち着いていられない。


1998年1月6日

出初め式に、朝から出動だった。天気も、ぐずつき気味だったので、完全防備で出かけた。おかげで、 あまり寒くもなく無事終了した。出初め式の式典で、長い長いエライ方々のお話を聞いてから、いよ いよハシゴの演技だったが、すごく天気が悪く風もあって下で持っていても恐かった。その後、パレ ード、裸放水による一斉放水、そして全集落を回って火の用心の放水をして回る。夕方までかかって、 夜は家族同伴の温泉に連れていってもらえる。我が家では、めったなことでは、家族で温泉など行か ないので、妻を始め子供たちも楽しみにしている。それだけに、去年、私が熱を出して行けなかった時 は、泣かれて困った。では、行って来まーす。


1998年1月5日

やっと、年賀状の返事を書き終えた。なにか、一言でも書くようにしているので時間がかかる。しかし 、書いていて思うのは、なんと子供の写真の多いこと。家族写真ならまだしも、子供だけの写真をもっ して年賀状というのは、困ったものだ。本人は、どうしたの?と思うのは私だけであろうか。しかも、 少なくとも私の友人は美大出身が多いのに、何の工夫もなしに子供の写真を送ってくる奴には、あきれ て物も言えない。
まだ、正月ボケが取れずにいる。明日は、朝から消防の出初め式なのに、また風邪をひかないか心配で ある。何といっても、集中力のまったく切れた今の状態がやばいのである。


1998年1月1日日

あけましておめでとうございます。本年も「あぐらぐち」をよろしくお願いします。
昨年は、激動の年だったけど、楽しい一年でした。今年も、楽しみたいと思います。まだ、体の方は回 復とは行かずボーとしていますが、これから嫁さんの実家の富山に帰るのでしばらく日記は休みです。 昨日までの喧騒が嘘のように静かな事務所で書いてますが、つくづく人間って不思議だなと感じます。 この工場を建てる時の計画通り、もち米を残してはみるものの、実は余ってしまうのではないかという 不安感にさいなまれます。しかし、目標を持つことによってそれを達成してしまう現実を見て、人間の 能力というのは、思っているより高いと思いました。しかし、目標をノルマにしてしまうと、違う意味 になってしまうことも、周りの多くの企業を見て思うことでもあります。我が社に集まるスタッフは皆 、会社の利益を考えてというより、お餅や田んぼのお客様のためを思って、そして自己の表現の場とし て来ている結果、会社にも利益をもたらしていると考えています。どのような人間でも、何かしら能力 を持っているもので、その能力をいかに早く見抜き、そのポジションを決定するかが、私の役目に過ぎ ません。そのため、我が社の労働形態は、一見脆弱に見え、非常に強固な一面を見せる時があるけど、 それが、もしかしたら21世紀型かもしれないなあと、昨日までの、仕事はキツイけど実に楽しそうな ボーイズ、レデイースを見ながら感じました。それを他の場面で、もっと実現していきたいなとボンヤ リ考えながらの新春の一日でした。





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