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あぐらぐち物語 1998年3月分



1998年3月31日

昨晩、FMの収録を2週分した。前回より、だいぶリラックスして出来た。4月9日から毎週木曜日に 76.3MZでオンエアだが、野々市周辺でしか聞こえないので、こんど忍びこん電波を強くしようと 思っている。
しかし、今日は年度末でせわしなかった。来月から、労災と雇用保険に入る手続きと、法人税、消費税 の支払い、給与計算等々があったが、幸いにも?午前中雨だったので、なんとか出来た。午後は、トラ クターにも久しぶりに乗ったが、やっぱりラジオやらPTAよりこっちの方が合ってるようだ。


1998年3月30日

昨晩のステーキ屋さんに行ってびっくり、すごい行列なのである。しかし、すでに30分の道のりを経 てたどり着いているので、意を決して順番についた。結局、30分以上も並んで食べれたが、ご飯、サ ラダ、スープ、飲み物が、食べ飲み放題のシステムが受けているようだ。
そして、朝から出芽した苗をハウスに入れる作業をしたが、相当数、芽が良く出ていない箱があって、 一気にブルーになった。原因について、激しい議論があった、催芽といって種まきの前に芽を少し出す 作業が足りなかったとか、温度が高すぎた、いや低すぎた、と諸説紛紛だった。私は、出芽の温度が低 かったと思っているので、今度は注意してみよう。しかし、芽が出ていない箱が回復の見込みがないと すると、計画が大きく狂うので、生命力に期待しよう。


1998年3月29日

肩の痛みがとれないので、今日はゆっくりしている。あまり、キーボードをたたくのも良くないので、 ほどほどにしておく。今晩、我が社のコシヒカリが、ブレンドされているステーキ屋さんに、研修生の 三宅君の歓迎会も兼ねて出かける。他人が炊いた自分ちの米は、どんな味だろう。


1998年3月28日

今日は、朝から子供を連れてドラエモンの映画を見に行く予定を立てていたので、いつもより早起きし て、色々用事を済まして急いで映画館に向かった。近所に、サテイーという総合娯楽ショッピングセン ターでもやっていたが、超混雑と聞いたので裏をかいて、市内の老舗の映画館に出かけた。ところが、 映画館の手前の角を曲がって、びっくり、もうすでに長蛇の列なのだ。「ゲーッ」と思い並んだら、止 めを刺すように、満席で立ち見ですよとのお知らせ。何組かは帰ったが、我が子は、「立って見てもい いから入る!」と言って、親心とは裏腹に、こんな時には普段見せない根性を見せてがんばるので、結 局入った。しかし、立って見るのも大変だし、冷たい床に座って見るのも大変で、どうしようと思った が、一席だけ余っているのを発見、兄弟二人で座らせ事無きを得た。私は結局2時間半、立っていたが 、昔はガラガラだった子供映画祭りもずいぶん変わったと感じた。不況で、思考が家族の幸せに向いて いるのか、親ばかが増えたのか、いずれにしても、家でテレビを見るのとは違い、苦労してみる映画は 子供にとっても価値があるようである。ずいぶん小さい頃の映画館の出来事も覚えているので分かる。
夕方から、町のPTA会長会議があり、出かける。いよいよ、本番かと思うとドキドキする。コンセプ ト通り楽しくやりたい。しかし、教育委員会が私を会長にしたことを後悔しなければいいが。


1997年3月27日

一回目の種まきをした。昔に比べて色々工夫した結果、相当楽になった。は種機や、周辺機器を弟が改 造して、使いやすく信用のおけるものになっているおかげだ。市販の安い、は種機をモーターとギヤを 変えて高速型にしてあるので、おそらく日本でも指折りのスピードにしてある。それでも、2300程 まくのに、3時間と少しかかる。は種は、種まき機、覆土機、水撒き機、覆土の供給、種の供給、苗箱 の供給、は種後の苗箱積み、とすべてのパートがうまく動かないとだめなのだが、昔はどこかうまくい かず、大勢の方を無為に待たすシーンがあって、余り良い思い出がない。
左は、右から苗箱を入れて、ベルトコンベア式に、種まきして左に出てきたものを、出芽用のシステム のパレットに積んでいるところ。右の写真は、右が種まき機、左が覆土機、ライトを当てて種まきの様 子を確認しながらまいている。なにせ、土がかぶってしまうと中の様子が分からず、以前土だけの苗箱 を大量に生産したことがあった。楽になったとはいえ油断は絶対に出来ない。
しかし、肩が痛い。少し無理して積んだのがまずかったが、初心者が多い一回目は、やらざるを得ない 。さらに、今朝親戚のおばあちゃんが亡くなり、今晩お通夜、明日葬式で、天気も悪いので、明日は、 臨時休業にした。





1998年3月26日

相変わらず「ギックリ肩」が痛いが、昨日よりはマシなので、配達や荒起こしをした。いよいよ明日は 一回目の種まき。毎年だが、うまくいくか緊張する。キーボードを叩くのが一番こたえるのでこの辺で。


1998年3月25日

なんと昨日の朝、起きたら「けんこう骨」の辺りに激痛があって起き上がれない。無理して起きて顔を 洗ったら、もっとひどくなって身動きが出来なくなってしまった。寝返りすら出来ず、じっとしていて も痛い。どうも、ギックリ肩になってしまったようで、仕方ないので一日寝ていた。会社のみんなも、 仕方ないなあという感じで、申し訳なかった。ここのところの無理が出たのだと思うが、今年は中村君 がいるので、私がいなくても作業は進むので助かる。
でも今日は、天気も良いので、堆肥散布を終了させて、借りた機械を洗って返した。昨日よりましだが 、キツかった。今日も、早めに切り上げて家でゴロゴロしていようっと。


1998年3月23日

昨晩は金沢市の消防団との交流会があって飲んだが、いささか飲み過ぎた。今日は、二日酔いと腰痛で 爽やかな感じで堆肥散布をした。おまけに今晩ラジオの収録がある。ハイテンションに持って行けるか 、チョット心配。


1997年3月22日

会社のみんなは椿祭りだったが、私は朝から春の防火訓練で出動だった。うちのばあちゃんも入所して いる近くの老人福祉施設から出火という想定だったが、特にこのような所は、避難が遅れがちになるの で、誰が考えたのかナイスな訓練場所であった。しかし、場所はナイスだったが、ホースを持って急に 走ったら腰がギクッときてしまい痛くなってしまった。しかも、こんな時に限って本番用はしごで練習 すると急に言われ、演技することになった。初めて乗る高いハシゴ、しかも腰痛でベストでない体調だ ったが千載一遇のチャンスで気合一発でやらせてもらった。やはり、痛くて出来ない技もあったが、天 気も良くて気持ち良かった。左が、私「逆さ大の字」といってハシゴの上ででんぐり返る技。右が先輩 の藤島さんの「一本大の字」高さが良く分かるだろう。もち手が10人、あうんの呼吸がないと真っ直 ぐには立たない。引いてもだめ、押してもだめである。このチームワークが現場で役に立つのである。





1998年3月21日

朝から、野々市町の椿祭りというイベントで、もち、かきもち、ガンコ揚げ、おこわ、赤飯を売ってい るので、行ったり来たりでせわしない。どれも、手間暇をかけて作っているのでレデイースはかかりっき りになって、田んぼのほうはお休み。
今日、三宅君という岡山県からの研修生が来た。地元では、ご両親が低コストの乾田直播の稲作を大規 模にやられていて、その方面の第一人者である。私など、爪のアカでも煎じて飲まねばならいほどであ る。しかも謙虚な方で、ここでも爪のアカを煎じなくてはいけない。そんな方の息子さんだが、彼も負 けずに真面目で、いい仕事をする。実は、研修をするのは、こちらの方なのである。明日から、寝坊は 出来ないなあ。


1998年3月20日

昨晩のハシゴの練習をデジカメで収めて今日載せる予定だったが、せっかく撮った絵を間違って消され しまい次回の楽しみになってしまった。まだまだ、出来る時と出来ない時がある演技もあるが昨日は結 構うまく出来て途中見た時の絵は、キレイに決まっていて「おー、格好いい」と自画自賛していただけ にショックだった。2回も3回も続けて出来るほどまだ体力がないので、あきらめて帰ってきた。
午前中は小学校の卒業式にPTAの役員として出席した。卒業証書を受け取る時に一人一人、一言づつ 夢を語って受け取っていたのは良かった。それと、在校生と卒業生の合唱はきれいで感動したが、祝辞 や挨拶は長かった。でも、昨晩の強風で家の周りを片づけていたら遅刻したのはまずかった。学 校に入って後ろを見たら、もう卒業生が列を作って入場するところだった。セーフ!


1998年3月19日

ようやくあぜ塗りも終了した。いよいよ荒起こしである。荒起こしとは、トラクターでこの辺はロータ リーという30センチ程のナギナタみたいなものが沢山付いたものを回転させて土を耕していくことを いう。一度冬草を土にすき込んで除草の意味や、土をほぐして次の水を張っての代掻きをしやすくする 意味もある。
午後は、県の農業技術会議という県の農業試験関係の会議があった。2年間の委員の最後の会議だった が、今回は切れずにチャーミングに、無農薬やこれからの21世紀型の新技術について話せたと思う。 とにかく、雑草も良し、虫も良しとする考え方は、あまり試験研究にはそぐわないことは確かだが、時 代がそのような方向に向いているのは確かだと思う。研究員の健闘を祈りたい。


1998年3月18日

午前中、有機米の契約栽培の田んぼ用の堆肥散布の準備をした。我が社の「普通じゃないコシヒカリ」 は堆肥を入れずに、カルス菌という有効微生物を入れてワラやモミガラをそのエサにして土作りをして いるが、これは契約上、堆肥散布が義務付けられている。堆肥もいいが、散布を出来るような農業環境 の良い田んぼが限られるのと、外国産の飼料に含まれる草の種が見たこともないような草を生えさせる ので恐いので1ヘクタールだけ作付けしている。有機=無農薬という方程式は成り立たない。我が社は どちらかというと化学肥料+知恵+工夫=除草剤のみ1回使用という感じだろう。これを限りなく、有 機=無農薬に近づけたい。それも知恵と工夫で当たり前のように面積的にも確保そして、省力化して出 来ないものかが課題である。散布シーンは去年の3月の日記にたくさん載っているので見て欲しい。


1997年3月17日

ハウスを張り終えた。天気が、猫の目の様に変わって大変だった。風がないなあと思って油断したら、 突然急変して、おお騒ぎした。左の写真は、ピニペットという針金で金具にポリを止めているシーン。 これさえ止めれば張れたも同然だが、高いハウスの天井での作業は慣れないと恐い。右はその名も「ラ クハリ君」という機具だが、ポリの大きな物をパイプに被せるのは結構重労働で、摩擦と重さはかなり のものだ。そこでラクハリ君は、赤いローラーとジュラルミンのソリを組み合わせて、楽にポリを被せ る様になっている。これは、案外優れもので、私が買おうと言った時はみんな、名前もそうだが馬鹿に したが今では、みんなで重宝している。





1998年3月16日

朝から雪は残っているが、天気が良くハウスのビニルを張った。午前中は調子が良かったが午後から、 にわかに曇って来て夕方には雨が降ってきた。おまけに、私は地元の農業後継者グループの総会があり 、あまり遅くまで仕事が出来ないので、あせりまくりだった。結局、7棟張って、3棟ハウスバンドを 止めれなかった。バンドが止めてないと強風が吹くとやばいが、あまり吹かないことを祈るばかりだ。 大体、もう後継者という歳ではないのだが、ご多聞にもれず会員が少ないので残っている。かといって 以前、こんな会止めましょうと役場に行ったら、絶対にだめだと言われた。なんでも町が農業行政に対 して怠慢と議会に思われるというものだったが、担当課は十分がんばってくれているのに、予算の消化 でしか評価できないのはおかしい。
昨日、私のプロバイダーにハッカーがブラジルから侵入していき、データを破壊していったそうだ。い るんですねー、物好きが。そんなことしてどうなるのでしょう。まあ、バックアップがあるので問題な いけど、またTAが壊れたかと思った。


1998年3月15日

朝、起きたら雪が積もっていた。最近、春先に良く積もることがあるが、今回はちょっと多い。今年も ややこしい天気になりそう。まあ、それもあり家で、のんびりしている。春作業前、最後の何もない日 曜日だ。


1998年3月14日

昨晩PTAの新旧役員の引継ぎが近くのスペイン料理店であった。今回は、大幅に入替で、校長先生、 担当教員の方も定年と移動なので、さしずめ送別会みたいになり盛り上がった。新会長として始めてあ いさつをしたが、コンセプトとしてPTAを「P=パパ、ママ、先生 T=楽しく A=遊ぼう」を目 指します。とやった。受けてたみたいなので、次回のPTA総会でもやろう。実は、入学式のあいさつ も考えてある。子供のころから、学校の式典の挨拶ほど、長いのにつまらないのが、嫌いだった。これ からは、する側なので楽しみである。かつて、生徒会の副会長の時、運動部の壮行会であいさつした時 は、一言「がんばって下さい!」とやってスタスタと帰ってきたら、次から私が出ると拍手されたもの である。しかし、その時間を埋めるが如く、先生達が長々とやったのは言うまでもない。
午前中から強風が吹き荒れ怪しい天気だったので、ライスセンターで月曜日からのビニルハスウ張りの 準備をした。うちのビニルは実はポリで、商品名POと言われ、燃やしても有害な塩素ガスが出ない。 特に塩化ビニルはダイオキシンが沢山でるので良くないが、保温力が少し良いため、多くの農家が使っ ているが、我が社の基本理念にはそぐわない。しかも、毎年シーズンが過ぎると外してたたんで片付け るので3年使った。しかも4年目の今年は、ボロボロなので、10メーターほどに切ってハウスのツマ 部分(入り口と後ろ)に張るのに使う徹底ぶりだ。


1998年3月13日

やっと免税のハンコがもらえた。これで少し気が楽になった。最近、川口さんの自然農や、無農薬の話 を色々な人にする機会があったが、どうも流派があって、流派同士はあんまり仲が良さそうでなくて、 さらに農協や、県の農業機関とも距離を置いているみたいである。私が、そんな無農薬のことをそういう人たちにを話すと 、どうも肯定的には聞いてもらえないことが多い。「草ボウボウになったらどうするの」とか「病気が 出たらどうするの」とかの反応が返ってくる。でも、本来はそんなマニアの為だけの、無農薬や有機栽 培でないはずだ。だから、我が社では、少しでも工夫して一般的にして、農協や県の機関にも「それも 有りだね」と言ってくれるようにしたい。全部を切り替えるのではないけど、一歩一歩前進したいもの だ。ちなみに、超酸性水の殺菌状態を試験してくれることになった。ありがたいことだ。


1998年3月12日

久しぶりに、天気が悪くノンビリしていたが、夜はそうもいかない。消防のハシゴの練習のあと、ラジ オの収録がある。先ほど、法人の調査で色々聞かれたが、各品種別の、販売数と金額を聞かれてつまっ てしまった。去年は、必死になって出したが今年はまだ出ていない。本来、作付け計画は、この販売実 績で計画を組んで決めるべきものだが、エイ!ヤアと、気合で決定してしまった。転作がどうなるか、 決まるのが遅かったせいもあるが、品種ごとに適地があって、自ずと決まってしまう面もあり難しい。
昨晩から、軽油免税のハンコをもらいに、田んぼのお客様のところを回っている。どうしても、一軒だ け、会えない方がいて困っている。軽油とは、自動車税か道路税か知らないが税金が含まれている。だ から、田んぼで使うトラクター分は免税される。以前は申請も楽だったが、最近は疑われているのか、 厳しくなった。うちでは、トラクター、コンバイン用の軽油タンクがあり、しっかり分けてあるので、 絶対に間違いないのだが、お客様の数が半端でないので往生している。


1998年3月11日

昨日の映画は、自然の理(ことわり)とは、循環のことだということが良く分かった。とにかく、この 世に雑草や害虫は存在しないという理念で、草ボウボウの所へ田植えをしていく、すると冬草は枯れ、 夏草と入れ替わるが、その時は稲が伸びている。その草も、全部刈り取ってもそこに置いていく。それ が何年も何年も重なって、腐葉土になっていく。したがって耕したりはしない。理屈では分かるが実際 の映像を見て、川口さんがうらやましかった。どのシーンも我が社に置き換えてみて、どうすればいい か、ずーと考えていたので、最後のほうは疲れてしまった。
とにかく、前進である。超酸性水も、色々あったがなんとか、コシヒカリの種の40%位は浸水できた 。これで、消毒が出来れば一つクリヤーである。次のハードルが、苗の消毒。そもそも、苗箱という密 集した状態で、栽培すること自体が病気の元なのだが、手植え以外の方法となると、致し方ない。赤峰 氏の種は手植えしようと思っている、楽しみだ。


1998年3月10日

昨晩は、ラジオのデモテープの録音をした。グッドモーニング ベトナム調でやったが、案ずるより生 むが安しで、まあまあ格好にはなったと思う。これをデモで12日にさらにスタジオで録音の予定であ る。私と長田君という、妙な百姓と組んだ「こんなものいらない」コーナーは、自分でも笑ってしまっ た。
今日は、ボーイズもたくさん来たので、あぜ塗りが順調に進んでいる。しかし、夕方から川口由一氏の 映画「自然農」とお話会にレギュラー陣で行くので、天気はいいが中断だ。今回の映画も、とんでもな い方の縁が縁を呼んでいくことになった。前に、川北町のフォーラムが新聞に載った際、この映画の誘 いの手紙をくれた方がいて、さらに近所で無農薬の花を栽培している方から、ぜひと話しがあって、そ ういえばこんな手紙をもらったと言ったらビックリしていた。なんと、その二人はスタッフだったので ある。結局、前売券を5枚買って行くことになったが、楽しみ。
さらに、例の超酸性水の機械が来た。調整に手間どっているみたいだが、新しいことをするのは一筋縄 では行かないことは理解している。本当に細かいノウハウが蓄積されてこそ、真価を発揮するのである。


1998年3月9日

稲の苗を午前中農協へ取りに行った。全部で1.7tもあるが、その20キロ紙袋に入っているのを、 5キロづつメッシュの小袋に入れる。この状態で水に浸けて、さらに消毒、芽だし、と作業をする。種 の作業を始めると一気に春作業も加速する。しかも、今年は消毒の部分を「超酸性水」というものでし たらと、業者の方の勧めもあってやってみることにした。決して安い機械でもないが、なんとしても、 農薬は減らしたい一心である。しかし、苗で失敗は許されないので、部分的に行くかどうかまだ迷って いる。明日、納品なので使ってみて決めよう。本当は、農家で使用しているらしいが、苦労して使用法 を見つけたので公開できないと言われるそうである。残念な考えで、聞いた農業者の私が恥ずかしかっ た。まあ、それもその人の判断だからとやかくは言えないが、私の場合は、情報は公開して良いものな ら、ドンドン真似してもらえばいいと思っている。しかし、うまく行くかは不明だ、いわゆる「怪しい 」というやつかもしれないし、楽しみだ。


1998年3月8日

日曜日だが、カキモチの配達と苗箱の準備で、営業だった。しかも、私は「井堀り」と言って農業用水 の泥さらいに村の共同作業に出なくてはならなかったので、いつもより大変だった。しかし、今年は天 気もポカポカと良くて楽だった。しかも以前よりも、土の用水も減りずいぶん短時間で終わるようにな った。今年も午前中で終了、昔は2日掛かりだったそうである。最近では、数少ない共同作業を通じて お互いの情報交換の場でもあるし、集落の田んぼを一回りするので今年の様子も分かるので、そういう 意味でも重要な作業である。
そして今から、日曜出勤してくれたボーイズを連れて、ラーメン食い放題に行く。よし!食うぞー。


1998年3月7日

午前中、久しぶりに苗用の箱に土を詰めた。レギュラー陣はカキモチの配達に出かけているので、ヤン グボーイズ達と農作業をした。昨晩の消防のハシゴの練習で色々なところが青あざが出来ているので、 痛くてつらかった。午後は、苗の計画を組んだが、1万2千箱を5回に分けては種するのだが、品種の 組合わせが難しい。人の手配できる数も日によって違うし、取りに来る日は3日ほどに集中するけど、 一度にはまけない。ハウスに入れるのも注意しないと、先にまいた苗はハウスの奥のほうに行くので、 後出しになる。仕方ないので、手前の未熟な苗を使わざるをえなくなる場合もある。そんな、多くの要 素を組み合わせて仕上げた。今年は、転作で苗の注文が少なくて楽だった。
今晩はPTAの部会の打ち上げがある。盛り上がろう。


1998年3月6日

昨日の、転作の話は分かり易かった。ようするに、とも補償というシステムは唯一WTOで認められて いる手法で、次回の交渉でこんなにまでしているということを見せる意味もあるということである。ま あ他にも色々あったが具体的に、何時どれだけ支払いして何時どのような経路でお金が入るかという話 もあってだいぶイメージ出来るようになった。担当者は一生懸命、こんなふうにすれば得ですよと説明 しておられたが、私にとっては、どうでも良いことだった。転作は絶対にすべきだし、国産大豆も非常 に貴重なものだ。今年は、得ですよというのではなく、何十年も先のことをせめて5年先のことを見越 して新規就農者には転作を課さないとか、ミニマムアクセスをしているが、本当に食糧不足が来た時に アメリカが出すのかどうかをシッカリ確認すべきだ。最も心配なのは、今後の食糧の確保なのであって 転作ではない。百姓は百姓の暮らしを、再認識すべきだと思う。米食べて、畑の大根、野菜を食べてい ればそんなに金がいるものでないはず。それを、都市部の生活にあこがれるような教育をしてきたから 、未だに私にすればバブリーな生活をしている。いい加減、消費中心の生活を考え直す時がきていると 思う。最近、山一の社員が家で家族と食事をすることが多くなって、職は失ったけど何か大事なモノを 取り戻したような気がすると、新聞に書いてあった。本当にそうだと思う。
少し、興奮して書いたが、実は田んぼの方も苗の集計が急ピッチで進んでいる。そして明日は、かきも ちの配達日だ。がんばるぞー。


1997年3月5日

先日のNECの講演の時の映像が送られてきたので、のせたのだがうまく加工できずにそのままになっ ているので、立ち上がりが異常に遅いかもしれません。一枚目は、2階の何十室もある応接室の一つで 吹く抜けのフロアを見ているところ。なんだか海外の人も多くてビジネスシーンって感じでした。ここ で少しビビってしまった。次は、にも関わらず黄緑色の派手なツナギでそこから、受付嬢が8人もいて 沢山の警備員の冷たい視線をかいくぐり一階のフロアを経て27階で講演をしている写真です。
今日は、午後から近くの温泉で野々市町稲作受託組合の総会と勉強会がある。ご多聞にもれず、転作の 話だが、まったくもって奇々怪々の政策なので現場では、無茶苦茶になっている。ようするに、システ ムは素晴らしいが、うまく現場に当てはまらないバグが多いのである。その度にバグつぶしを一つ一つ しているので、時間がかかる。今日は、その道のプロをお呼びしたので、解決の糸口を見つけたい。


1998年3月4日

昨日は、午後から富山の青年農業者の前で、講演をしたが、最近は「あなたの志は?」と単刀直入に聞 くので、聞かれたほうはシドロモドロになるので、面白い。特にエライ人ほどその傾向が強い。そのあ と懇親会で飲んでから、帰ってきたがなんと、深夜に火災出動があってポンプ車に乗った。テンプラ火 災で大した事がなくて良かったが、それでも帰ったら2時近くだった。そして今日は、朝からあぜ塗り をしたが、もう電話が色々かかって来て仕事にならない。結局、夕方は事務所で仕事になった。もう、 いい加減、種の注文をしなくてはいけないのだが、現在カキモチの方へ労働力を割いているので、天気 が良いと社長があぜ塗りへ出ざるを得ない。しかも、今日の夕方、PTAの実行委員会という総会があ り、私の会長就任が決定される。本当に私にやらせて後悔しないのだろうか?知らぬが仏か。


1998年3月2日

土曜日はラジオの話で結局深夜2時半まで、かかった。私は、12時半で電池切れして先に寝てしま った。本当に堪忍してくれモードだった。しかも、昨日は午後から消防の点検日で2時から出動した。 まあ、頭痛もハシゴの練習でもすれば治るかと思っていたが、冷や汗をかいたら本当に治った。消防車 の放水点検をしたあとのハシゴの練習はみんなが見ているので、失敗しないように気合を入れてやるの でいつもより随分出来た。
そして、今日はさっそくあぜ塗りをしたが、やっぱり久しぶりの農作業は良かった。パソコンの前にい るのも、いい加減飽きてきたし丁度いい。しかし、明日は富山で講演だ。果たして倶梨伽羅峠を越すこ とが出来るか。





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