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日記を、日付順に、読みたいので、1番下へ行く

あぐらぐち物語 1998年10月分



1998年10月31日

朝から、バザー一色。農業短大へ、野菜と花を取りに行き、公民館で机を借り、体育館に商品を並べて 、値段をチェックして終了した。途中、見学はあるは、滋賀県から元研修生が大豆コンバインを借りに 来て話をしたりと、せわしなかった。
今年は、野菜が高くてお買い得である。おいしい、持ち込みのタダの品物もあって、その部分は心配し ていないが、残るのが本類と雑貨。これを、さばくのは結構骨が折れる。しかし、マニアの方は、朝か ら列を作って待っているのだから、売れる物は、ほとんど10分以内で勝負が決まる。問題は、その後 なのだが、とにかく私の代で売上げを初ダウンするのはいやだなあ。


1998年10月30日

脱穀に行ってきました。私の予定としては、若い先生達に「林さーん」という感じで、囲まれてするは ずだったが、少し若い、いや相当若い子供達に、「ハヤシサーン!ハヤシサーン!!」と人間ツリー状 態で囲まれての作業だった。「式新最」と書いてあった足踏み脱穀機は、調子が良く、小気味良く脱穀 が出来た。子供達と1時間で、もみで30キロほどとれた。それにしても、昔のお百姓は大変だっ たろうと身をもって体験した。今は、農業も機械化が進んでいるが、石油を食べているようなものであ る。一人年間60キロ食べるとして、家族4人なら130坪もあれば十分なので、自然農をやっていく なら、人力でも可能かもしれない。実際、昭和30年代はそれと変らないことをしていたのだ。でも、 我が社の25ヘクタールをカマで刈って、足踏み脱穀するのを想像すると気が遠くなる。
その後、数十名の園児と昼食をしたが、一緒に座ってくれというリクエストが多く、さらに一度に数名 が同時に話かけてくるので、困った。とにかく元気だったが、まさか、本当にハサ干して、足踏み脱穀 が出来るとは私でも思っていなかった。やはり先生の情熱が、このような命の教育を実現しているのだ と感じた。こんな、幼稚園や小学校が増えたらいいなあと思いながら帰途につきました。
帰って来たら、大豆刈り取りも終了し、ケイカルも残り少なくなり、いよいよ冬の作業の準備である。


1998年10月29日

午前中、電話工事ですったもんだした挙げ句に、ようやく電話番号が変更された。アナログからデジタ ルへ変えるだけで、ファックスやセキュリテイーも変えねばならず、最後は警備会社の工事で、デジタ ル回線を痛めて不通になるオマケまでついて疲れた。まだ、喉が痛い状態だが、天気も良く、大豆刈り 取りにも出動、さらに夕方からは、もちつきと、今度のFMの収録にその音を使うので、録音までした 。今晩は、ハシゴ練習の日だが、さすがに休もうと思っている。今晩中に治さないと明日は、幼稚園で 脱穀作業に行かねばならず、あとはバザーに、もちつきに、と寸分の暇もない。
ところが、明日行く、藤陰幼稚園が今日の北国新聞に載っていてびっくりした。それに今回の脱穀は、 足踏み脱穀機と千歯こきという、超レトロな機械をどこからか調達してきたのだから、さらにびっくり 。私自身も、実物は見たことがないから楽しみである。


1998年10月28日

昨晩も町PTA連合会長会議があって、そのあと飲んだ。まったく、飲むのが会長の仕事と分かってき たが、体がついていかない。おかげで不摂生がたたり、朝起きたら喉が痛かった。バザーもあるし、天 気がしばらく良いので、なんとか治さねばと思っている。すると、弟がケイカル散布時に携帯電話を落 しご丁寧にトラクターで踏んづけてしまい、修理に走って行ってしまい、大豆コンバインの運転が回っ てきてフルタイム働いてしまった。幸い、データーは出せたそうだが、機械は見事にオシャカである。
ブロードキャスターの写真が、中村君のページに載っているから、見て下さい。特に ブロードキャスターは、手で肥料を振るのと同じ動作で、白い筒が左右にせわしなく動くので面白い。 しかし、近くにいるとBB弾といってエアライフルの弾を受けるような状態になるので、痛い。だから 、道路際の散布は気を付けないと、走ってきた車に散弾銃のように、ケイカルが撃ち込まれることにな る。


1998年10月27日

朝から、ケイカル散布。新兵器ブロードキャスターは、やはりすごい威力で、ケイカルの運搬が間に合 わないので3トン車に積んで運んで散布している。おかげで、大変はかどって嬉しい。とにかく、この 時期、大豆の刈り取り、ケイカル散布、暮れ起こし、小作料計算、もちつき、PTAと作業が重なって 、どれかが終わらないと、気持ちが落ち着かない。
29日に、電話番号の変更があるが、セキュリテイーも、電話回線を使っているので変更が必要だ。し かし、なにやら、デジタルとアナログでは、色々難しいらしく当日うまく行くのか心配になってきた。 最近、この手のトラブルが警備会社で多いらしく、困っていた。こちらにとっては、デジタルもアナロ グも電話には変りないので、だまって変更するらしく、するとすぐに、ドロボウが入ったと誤信号が入 って混乱するそうである。便利なのか、不便なのか分からない。


1998年10月26日

昨晩は、久しぶりに家にノンビリいたので、サッカーU19世界選手権日本対カタール戦を見て、大勝 に喜んで、今度は、二輪世界グランプリ、アルゼンチン戦を見た。125ccで日本人の素晴らしい活 躍に感動して、250ccでも、日本人ライダー原田選手の足首骨折をおしての気迫あふれるライデイ ングに狂喜していた。しかし、最終ラップ奇跡の走りで、世界チャンプに王手をかけたにも関わらず、 アンフェアーな突っ込みで、ライバルに接触され転倒してしまった。そのライバルライダーは、なんと か走行しゴール。チャンピオンになってしまった。もう、悔しくて眠れなかった。かつて、グランプリ の世界では、今のF1と同じで、日本人は全然勝てなかった。金はあるのに弱い日本人。二輪グランプ リは、数少ない世界に通用する分野である。サッカーでも、なんでも日本人は、馬鹿みたいに真面目な 部分があって、外国の嘲笑に会う場合も多いが、やっぱり、フェアーな志が、最後は勝つと信じたい。 そんな思いがあるから、余計腹が立った。
というわけで、寝不足で寝坊。あまり良い状態とは、行かないスタートだった。一日、事務所で細々と 仕事をし、いよいよ、小作料の計算である。これは、非常に複雑な計算なので、私しか出来ず、いつも 時間がかかってしまう作業である。今年こそは、早く済まそう。


1998年10月25日

朝から、バザーの準備。なんとか、時間内にみんなの協力で終わることが出来た。もう、品物の山に囲 まれていると、頭が痛くなる。それでも、バブルの頃に比べれば、半分位に減ったそうだから、以前は 、一体どれほどだったのか、考えたくもない。しかし、売上げが減ったことがないのだから、伝統とい うか、PTAが歩んできたノウハウの蓄積はすごいと思う。過去のデータがあるから、ミニマムな量で マックスの売上げができるのだと思う。しかも、捨てるゴミすらも減って、かつては、なくてもいいい が、ないと淋しいものが氾濫していたのが、今は必要なものだけを売っているという感じだ。しかし、 この伝統を、この私の代で壊すかもしれないという危惧もある。
午後は、子供とちょっと地元の農協祭りに顔を出して、役員の一人と、家族フォーラムという催しに、 出かけた。はっきり言って、動員だったが出るからには、一生懸命参加してきた。親子トークという のがあって、親の言い分、子の言い分の討論があって、中学生日記の岡本富士太さんの講演があった。 俳優さんだから、あまり期待していなかったのが本心だが、娘のイジメというまったくプライベートな 話で、実体験に基づくので重かった。イジメで解決などない。ただ、ガンバレと目で合図してくれる人 が一人でもいれば、がんばれるとか、バタフライナイフを持っていても、「すごいもの持ってるな。で も、渡せよ」と挨拶をしてから、話をしてくれという中学生の話が、印象的だった。
バザーの準備でも、なぜか我が家の子供達はついて来て、少し頂いたオモチャで遊んだりもしたが、石 鹸を仕分けしたり、オモチャの作動確認をしたりと活躍していた。言っていることと、やっていること のギャップの多い会長の息子の割にがんばっているなと、親ばかでうれしく思った二日間だった。ちな みに、作動確認しているうちに、熱中してしまうのは、親に似たのだろう。


1998年10月24日

昨晩の会は、濃いメンバーだった。結構、キツイ事をいうメンバー揃いの中、岩川町長の全体を見ての バランス感覚抜群の発言が印象的だった。しかし、松任で飲んでいると、市長逮捕辞職ということの重 大さが、ヒシヒシと感じる。会う人会う人がケンカ腰という気がした。表立って、発言すると村八分と いう雰囲気が、イライラの原因のような感じだが、やっぱり最後は市民が、カギを握っていることは、 いうまでもないだろう。
そして、午前中は、市街地のケイカル散布が終了し、新兵器ブロードキャスターで散布してみたが、な かなか、コツが掴めず、うまくいかなかった。ノウハウを積まないと、こういうものは、モノにはなら ない。何といっても、散布量が多いので、少しセッテイングをミスると、あっ言う間にケイカルが無く なったり、飛ばし過ぎて、田の外に飛んでいったり、均等に安定して散布するには少し時間がかかる。
午後は、PTAのバザーの品物搬入と値段付けをした。1年生から6年生まで、衣料や日曜雑貨、食器、 おもちゃ、等々を仕分けし、値段を付けていく。そして、ただ仕分けするのではなく、セットにして、 ビニル袋につめて買いやすくしたり、色々工夫をしていくので時間がかかる。明日も、朝からもう一度 ある。この苦労が、後で実を結ぶのである。


1998年10月23日

ケイカル散布をしているが、市街地は土地が動くので色々なトラブルがある。今日も、散布終了後、地 主さんが来て、先日の洪水対策で来年工事するそうで、作付けは出来ないと、おっしゃる。散布前に言っ て欲しかったが、あとの祭り。土作りの作業は、早いので、このようなトラブルは後を立たない。しか し、無駄と分かっているからこそ、やる価値があると最近思っている。
そして、突然トラクターがストップ。うんともすんとも言わない。ついに、13年目にして死んだかと 思われたが、弟が、あーでもないこーでもないと、やった挙げ句、スパナでバッテリーをコツンと叩い たら、グウオーンとかかった。通称ゴットハンドという技である。おかげで、調子よく走っている。ま だ10年は使える。
そして、夕方、教頭先生から緊急に、バザー用のサツモイモを掘ろうと連絡があり。我が社のレデイースも 手伝って、雨が降る前に掘った。そして、今から常光利惠さんのしじゅうから花の会主催の、集まりに 参加する、秋田県鷹巣町町長の岩川氏を空港まで迎えに行かねばならない。急がないと間に合わないに も関わらず、更新している。


1998年10月22日

またまた、ケイカル散布。そして、曇りがちだが、ようやくまあまあの天気になったので、大豆の刈り 取りも再開した。一日中、トラクターでかなりのスピードで旋回しているので、トップガンの気分だ。 本当に、横Gがすごくて、180度ターンの繰り返しで、キャビンの壁に押し付けられる。大豆用コン バインも、いわゆる汎用型といわれる、アメリカやヨーロッパで使われている、前で六角形のカゴがグ ルグル回るタイプなので、見ていると目が回る。この時期は、これに限らず目の回る作業が続く。
夜は、バザーの飲食チケットを子供達が申込んだ分を、封筒に詰める作業がある。簡単な作業だが、申 し込み数と金額が合わなかったりと、トラブルも多く、また入れ間違うと、当日子供が泣くことになる ので神経を使う作業である。


1998年10月21日

朝から、ケイカル散布。大豆は、もう少し乾燥させようということで、今日は刈らなかった。結局、共 済組合、つまり保険にお世話になるかもしれない。稲でも、大豆でも、車の保険のように、毎年保険を かけてはいるが、相当の被害がないと出ないし、出ても全額補償ではないので、手続きの煩雑さと比べ ればもらう方が大変なので、もらったことがない。しかし、さすがに今年は、もらってもいいレベルの 被害なのである。
そして我が社にも、ついにブロードキャスターという、なんだかハリウッドスターっぽい機械が入った 。これは、ブウワアーと、ケイカルを10m幅位で散布するもので、現在シコシコと、ライムソワーで 1.8m幅で散布しているのから比べれば、雲泥の能力である。でも、やはり40万円位するし、ケイ カル散布を継続できるかも自信がなかったので導入を躊躇していたのである。ところが、最近は散布量 も増えて、年末までに暮れ起こし、つまり冬のうちに、トラクターでの耕起が間に合わないので、今年 は、ついに思い切って購入を決めた。でも、市街地はライムソワーの方が、ホコリが立たないので、併 用となる。まあ、どれぐらい、ブウワアーとなるか散布してみてみないと分からない。
さらに、我が社の電話番号076−246−1241が、会社専用になる。今までは、コードレスで自 宅と繋げていたが、現在使用の超古い電話が、調子が悪くて、不通になるトラブルが続き、さらに子供 の電話が頻繁にかかるに至っては、どうも分離したほうが良いということになった。現在、社長専用で 使っている、076−248−6900を自宅用に変更することになった。今月末からは、自宅に用の 方は、6900の方へとなる。しばらくは、留守番電話で対応するが、会社専用に出来るというは、数 年前には考えられなかったことで、感慨深い。また、少し大人になった気分である。


1998年10月20日

大豆を刈り始めたが、煮豆状態だった。しかも、ちょっと味噌のような納豆のような、匂いがする。全 部、刈ってみないと分からないが、これは厳しい。最近、収穫で喜びを感じる場面が少ない。これも、 私にとっての試練か。
今年から、玄米もちを販売する予定である。もちの玄米を、長めに水に浸けて、つくのだが、玄米ご飯 と違ってすごく食べやすく、甘く感じて香ばしい、しかも、精米減りがないので、コスト的にもいい、 その上、胚芽が残っているので、栄養価も高い。素晴らしい製品なのである。しかし、精米しないとい うことは、農薬等が残留しやすい糠層を残すことなので、その点ではリスクもある。今回のカグラモチ は、一回だけの除草剤使用で、種子消毒もしていないし、もちろん殺虫殺菌剤は一切使用していない。 それでも、大丈夫なものか、一度調べた方がいいかな。


1998年10月19日

廃プラスチチックの金具類を外してたたむのに半日かかってしまった。つくづく人間ってゴミを出す唯 一の生物だなと感じる。その後、ライスセンターを片付けて大豆の乾燥の準備をして、お店用のお米を 搬入して終わってしまった。案外、こんな細々したことが大切でさらに時間がかかる。しかも、そんな ことが出来る心落ち着いた日は少ない。
昨日の徹夜が効いていて、眠い。大豆もすでに収穫期は来ているが、雨ばかりが続いて刈れない。もう 、さやの中で納豆や味噌になっているのも少ないように思う。


1998年10月18日

ロンゲストデイだった。昨晩の講演とその後の話し合いは、まあまあ言いたいことを全部話したので、 後は保護者の方々を信じるしかないだろう。
その後、台風10号接近で消防で警戒出動があり、結局徹夜になった。風速40メートル以上も吹く中 警戒にあったが、物がビュンビュン飛んでくるし、神社の木が倒れてチェンソーで切ったり、焼却炉や モミガラ灰の火がほこって消火したりと、何かと色々あった夜であった。少し仮眠してから、子供達と 近くの養護学校の文化祭に行ってきた。保育園から高校まであるので、すごく広いイメージだった。創 作品は、すごくアイデアが豊かで見ていると楽しい。ここの所、家にいなかったので、子供達が外に連 れて行けと、うるさいので今から買い物である。しかし、眠い。


1998年10月17日

午前中、台風で開催が危ぶまれる農業祭りの準備をしていたが、結局中止になった。我が社は、揚げカ キモチとお餅を準備した程度で済んだが、この為に準備した方々は大変だろう。そして今晩、消防で招 集がかかった。朝方、台風が来るようだが、7号の時のように洪水にならねばいいが。
さらに今晩、PTAの19時喫茶室といって、保護者の勉強会で私の講演がある。うまく話せるか、今 回は、さすがに自信がない。いつも、農業経営の講演はしているが、教育の話は、初めてである。言い たいことは、山ほどあるが、それが良くない。うまく、的をしぼってチャーミングにやるにはどうした ら良いか、今から考えよう。


1998年10月16日

午前中、廃プラスチックを農協に出した。最近は、ダイオキシンや塩素ガスのことで、昔のように野焼 き出来なくったので、サービスの一環として、きれいにたたんだり梱包して集めて業者に出すようにな った。組合員価格キロ28円だが、安いと見るか高いと見るか。
午後は、安全衛生責任者講習があった。食中毒に限らず、最近はPL法や、栄養の表示、しまいにはバ リアフリーと多岐に渡る。しかし、講義が眠くて私も何度も気絶して幽体離脱を繰り返してしまった。 最初から最後まで寝ている豪傑もいて、本当に食品の安全が確保できるのか疑問だが、幸い我が管内で は食中毒は起きていない。
帰ってきたら、保健所から水の検査の合格通知が来ていて、すごくうれしかった。今は、26項目もあ って前の工場の時、一度落ちたことがあって大変だった。簡易水道、つまり井戸水は、塩素を入れてい ないので、結構リスクがあって合格して本当に良かった。なんといっても、水道水と井戸水では、もち の味が月とスッポンである。


1998年10月15日

昨晩は、輪島市の三井地区の活性化を考えている方々の前で、法人化についての考えを話した。通い慣 れた?道で、到着。やはり志、基本理念がしっかりしてないといけないとか、色々話したが、良く見れ ば田舎というが、多くの資源があるように私は思うのだが。今後の発展に少しでも寄与出来ればと思う。 しかし、農業補助金はモルヒネという考えは良く分かって頂けただろうか。
そして、朝から、フェーン現象で30度以上もある中、ケイカルを散布した。我が社唯一の土作り資材 で、これを散布することによって、強い稲体を作って、虫や病気から守っている、大事なものである。 見た目は、なんだか黒っぽいツブツブの灰ようなもので、こんなものが、稲になっていくなんて信じら れないが、けい素という大事な成分が含まれている。いわゆるガラス質で表面を覆うようなものである 。稲が、ガラスで出来ているというのも、不思議であるが、結構チクチクするのがそうである。
そして午後、農業法人協会の理事会に出席。近日行われる、就職相談会の話が出たが、最近は盛況で あるという話と、雇う側の苦労話は聞いていて面白かった。中途採用の方には3パターンあって、脱出 型、脱却型、脱落型があるというのだが、まあキッカケは色々だろうが、まずいのは桃源郷を求めてく ると失敗の確立は高くなるらしい。よーく考えて、調べて、体験してみてそれでも夢を追える人が残る ようである。例えば、私が稲作が合わずに、漁業に転職するようなものと、考えればいかに大変か良く 分かる。
そして今晩は、久しぶりのハシゴ練習。しばらくは、フルバージョンの出番はなさそうだから苦手種目 の克服に努めたいと思っている。実は、結構ごまかしている技もあるのである。


1998年10月14日

藤陰幼稚園の稲刈りがあった。前回の小学校の教訓を生かして、刈る人、結ぶ人、運ぶ人、カメラ撮る 人、遊ぶ人と分けて段取り良くやったので、かなり順調に怪我人もなく終了した。お米も、生きている のだから、落ち穂も拾ってねと言ったら、綺麗に拾って100店満点ですと誉めておいた。そして刈り きれない部分は、コンバインで刈ったが、これも好評で、子供達も親も初めて真近で見る迫力に驚いて いた。ちなみに、刈った稲は、本願寺西別院の中で干して子供達が脱穀する予定だが、仏像に稲がハサ 掛けしてあるシーンは笑える。千手観音なら沢山干せるが、線香臭いのは困る。
まあ、疲れるけど、楽しい稲刈りが終了して、今度はもちつきの段取りである。そうこう、しているう ちに、近くの金沢市の小学校の先生が突然訪ねて来られ、学校で作ったもちをなんとか、つけないかと 相談された。500人分をうまくするには相当工夫がいるので、色々アイデアは言っておいた。もう、 これは波動というほかない。命の教育とは、手間が掛かるのである。





1998年10月13日

昨晩の地元中学の給食問題検討委員会は、本当はもう疲れて、出たくなかったけど、谷先生の話を聞い てエネルギーを得て、それではだめと思い直し出席しました。現在、給食をしていないのだけど、保護 者の間から、要望が出て議会で問題になっているので、代表が集まって検討するものですが、どうもそ の理由が面倒だから弁当を作りたくないという、教育的な問題でないことが理由でした。ところが、も うアンケートをして、賛否を問うような段取りが事務局で出て来ていました。ところが、小学校では、 給食を実施しているのですが、各学校の調理場で調理師が工夫を重ねおいしいものを、食べさせている のでおそらく、賛成が80%くらいになるのは明白です。ところが、中学は調理場がないので、外部か ら搬入せざるをえず、しかも隣り町の調理センターから分けてもらうとか、民間も視野に入れての話で した。しかし、それでは、単一メニューでせざるを得ず、残がすごい量出るのです。そこで、そのまま 何の議論もなしに進むのを防ぐために、熱弁を振るうことにしました。なんせ、北海道研修の熱いまま ですから。大人の論理で語るのでなく、子供達の教育サイドに立って考えて欲しい。食ということを、 もっと保護者、子供達と話し合わねばならない。1500万ヘクタールの現在の日本の食のうち、50 0万ヘクタールが捨てられている。コンビニ弁当の6割は捨てられている。弁当のコストはギリギリな ので、決して安全で栄養価の高いもが供給できない。安い野菜は、化学肥料と農薬で生産され、かつて のミネラルの半分以下になっている。そして、ソルビン酸や、リン酸は、体の中の微量要素、例えば亜 鉛とかとくっついて体外に出てしまう。すると、味覚神経がにぶってしまい、さらに濃い味のものしか 食べなくなり、すると、急激に血糖値が上がり、そのリバンドで低血糖を招きいわゆる「キレル」ので すよ。その議論をしないまま、やるのは良くない。だから、試食をしてもらい、残してしまった残を前 にみんなで話し合えば、きっと実施するにしても良い方向で出きるのではないでしょうか。とやったら 、保護者代表の奥様方、各中学の校長先生から拍手をいただきました。
ところが、一人の老年の代表者から、今の子供は昔と全然違う。われわれの頃は、梅干し一個で食べた ものだと、昔話をされたので、懲りずに、今の梅干しは、かつての様に、3回干さず、一回干しでアミ ノ酸でつけてあるのですよ。だから、子供達は本当の美味しさを知らないだけで子供達が変ったのでな く、大人がいけないのですよ。とやってしまった。私らしいと言えば、私らしいが、人を論破するやり 方は、あんまり志高いとは言えなかったなあと、後で反省しました。その後、子供達のことを考えた意 見が、色々出て、会は良い方向に進んだと思います。
まあ、弁当か給食かの議論は、盛り上がりますね。ちなみに、そこに参加していた意識の高い保護者は 全員、弁当派だったのは、特異な現象でした。私にすれば、どっちでもいいけど、食と命の話を抜きに 進むことには、断固拒否したい。今度、町長と直談判を企画してもらうことになったが、愛情弁当もメ ニューも選択制で、栄養価の高い物をとなると、トップの意向が大前提になってくるだろう。
さらに、今日の午後は、バザーでの飲食物の各クラスの集計があった。学級委員さんの協力で和気あい あいと出来たので、まずは第一ハードルを越したという感じだった。22日はチケットを各家庭に配る 作業があって、24、25日とバザー用の物品の収集と値付けと怒涛のように進んで行く。とにかく、 楽しんでやろうと思う。


1998年10月12日

行って来ました。二年越しの念願の北海道研修。8日の晩、やっと東京入りし、長田君と合流、その後 あんまり遠くに行きたくないと言ったら、浜松町のカプセルホテルに泊まった。カプセルは噂には聞い ていたが、本当に蜂の巣の様に、ベットがあって穴の中で寝るのである。長田君によるとここは高級な 方で、普通は4段で、穴の部屋の高さも50センチほどであるということである。驚いたことに、朝、 4時には、酔客でフロントが一杯であった。そのまま仮眠して仕事に行くのであろう。ビジネス戦士の 姿がそこにはあった。
初日のアイヌモシリの方の日本人としてのアイデンテイテイの問いかけは、参加者に重い課題となった ようです。アイヌの人々は、自然と完全に一体化していました。しかし、今の日本人は一体どこを向い ているのやら。その後のオホーツク寒気団との交流会は、ホタテ、カキの食べ放題バーベキュウーで、 至高の幸せを感じました。自然ってすごい!
二日目は、北海道家庭学校での谷校長の講話や、読書感想文発表。凛とした、森の中の礼拝堂での研修 は、みんなの心に染み入りました。教師が手をあげるとだめだとか、あれしたらだめだとか、これした ら良いというのは、なくて繰り返し繰り返し、色々我慢強くやることが大切。ある、タイミングで気づ くのであって絶対に無駄にはならない。という谷先生の話は実体験に基づくだけに重かった。その後、 愛別町のグループと、今度は、和牛ときのこづくしバーベキュウーで、同伴参加の夫人達から、どおり で主人が志ネットワークに参加するのか良く分かったという、珍スピーチがあったりして盛り上がりま した。しかし、食べるばっかりでなく、ホテルに夜着くなり、三浦綾子の著書の読書発表を遅くまで、 全員で始めました。ゲストも含めての発表は、最終日の優佳良織工芸館まで続きました。そして、最終 日は館長の講演で、地域は起こしは考えているばっかりでなく、行動して形に残しなさい。良く見れば 、いっぱい資源はあるはすで、損得を抜いた志は、絶対に人々に支持されるし、危機にあっても助けて くれる人がきっと現われる。そうして自分はやってきたという、壮絶な人生を語られました。そして、 午後は三浦光世氏の講演で、これほどの優しさ、強さを持っておられることに感銘を受けました。興に 乗られて、讃美歌のオマケもついて素晴らしいお話でした。読書感想でも、信仰とは?という問いかけ が多くあったが、氏の姿は実在する信仰そのものの様に感じたのは私だけであろうか。
最後に、三浦綾子記念館にてお別れとなったが、今回の研修で付きっ切りで面倒を見てくれた、水口氏 に感謝したい。
長い北海道研修を終え、東京の一期生の石川君に電話したら、泊りにおいでよということになり、お言 葉に甘えた。深夜まで、ご家族と歓談したが、最後を締めくくるにふさわしい楽しい一時だった。そし て電車で帰ってきたが、イセヒカリが刈られていたり、モミスリが終わっていたりで、浦島太郎状態で 今、これを書いている。今晩も、いきなり学校給食検討会がある。果たして、もつのであろうか。


1998年10月8日

完璧に寝込んでしまった。しかし、もう時間切れなので、フラフラしながら北海道研修の課題をしてい たら研修生の三宅君が風邪でダウンしてしまった。おかげで、治ったのか、ガンガン追い込みをかけた が、あと30分で出発しなくてはならない。今日泊まる場所も決まってない状態で旅立ちだが、なんと かなるだろう。
今回の熱は、ハシゴ熱だろうと思う。雀鬼と陽明という本を読んでいたら、雀鬼こと桜井章一氏が命懸 けの勝負に臨んだ後に熱を出すと、書いてあったが、まさしくそんな感じがする。そんな経験を少しづ つしながら不動心を養っていくそうである。しかし、不動心までは程遠いなあ。


1998年10月6日

最悪の体調である。昨晩のラジオ収録をやっと終えて、バッタリと寝てしまった。しかし、今日は小学 校の稲刈り体験の日。やっとのことで、作業の説明だけをして帰ってきた。100人を相手に、気を吐く には、無理な状態だった。せっかくの、農業を良く知ってもらう機会だったのに残念。
青年塾北海道研修の、課題図書も、まだ1冊読んでいない状態である。これは、ギリギリまでかかりそ うである。とにかく、帰って真剣に寝よっと。


1998年10月5日

カグラモチも刈り取り終了。今年は、さみしい稲刈りだった。去年も青ざめていたが、まさか今年もな ろうとは、思いもよらなかった。とにかく、もう来年の土作り、大豆刈り取り、もちの段取り、そして PTA、青年塾、消防と目白押しなので、落ち込んでいる間はない。
最近、自分の回りで風邪をひく人が多く、今うつされると、今までの努力が水の泡になってしまうので 、絶対にひかないぞ!と暗示をかけている。最近の読んだ雀鬼の本には、麻雀一本の生活を禁じている と書かれてあった。なぜなら、そのような人間は強くならないそうである。一見関係のない地域の活動 等が、人を鍛えていくのである。自分自身もそう思ってはいたが、一層自信を持った。しかし、どれも 中途半端にしろとは、どこにも書かれてなかったので注意である。


1998年10月4日

無事ハシゴ演技を終えて今帰ってきた。本当に生きてて良かったと感じる。昨晩の練習では、気合を入 れるために、まず最初のお願いしますを大きな声で言ってスタート。目線は常に前方、自分を信じて思 いっきりやったらすごく良かった。もち手も最初の挨拶の声と、ハシゴを登っていく調子で、その日の 登り手の気合が分かるようである。すると、自然にハシゴの揺れもなくなったので、今日はさらに気合 を入れてやったら、総勢16名のチームが一体となって演技が出来て、運動会に来ていた地区の人達も 暖かい拍手を送ってくれたのがうれしかった。
演技の前に運動場で待っていたら、うちの小学校の6年生女子のハシゴのファンが数人来て、キャアー キャアー言っていった。PTA会長だよと言ったら、入学式の私の「良く学べ良く遊べ(4月6日参照 )」の挨拶を覚えてくれていた。なんでファンなのかは定かでないが、小さな応援団の出現は嬉しかっ た。ちなみに、我が家のものは、下の子が熱を出してテンヤワンヤで長男だけが見たに過ぎない。その 長男も見たかと聞くと「見たよ」の一言のみであった。母親にいたっては、絶対に見るのはいやだと言 って帰ってしまった。まあ気持は良く分かる。


1998年10月3日

カグラモチの稲刈りを一日したが、乾燥機が一杯にならない。もう、あきらめて刈っている。幸いな事 にカグラモチの選別メッシュの網目はM網1.8ミリで、普通コシヒカリ等に使用するL網1.85ミ リより小さいので、製品率は上がる。たった0.05ミリでもあの米粒にしたら大きな差である。ちな みに、コシヒカリをさらにM網で通したものが、我が社では2番米、通称「中米(ちゅうまい)」とい い、価格が安いので、マニアのお客様の間では大人気で、アッと言う間になくなってしまう。お米屋さ んにとっても、貴重な味はそんなに変らない安いブレンド素材なので、引き手あまたである。ちなみに 、炊くとややベッチャリ気味になるので、食感は落ちるが、味はコシヒカリそのものである。
昨晩の、ハシゴ練習は最悪だった。前日深夜まで飲んだのと、練習し過ぎの筋肉痛で、登った瞬間から ビビッていた。おかげで、帰ってきても、恐くて夜なかなか寝れないし、今日もずーとハシゴのことが 頭から離れず、日記を毎日読んでいる方は分かると思うが、書いていても上の空である。しかし、そん な状態が一番悪いので、今日は開き直ってやってみようと考えている。思い切ってやるのが、一番安全 なのは、言うまでもない。


1998年10月2日

昨晩からの雨で、稲刈りが出来なかった。朝から、なにやら雑用をしていたが、もう夕方である。昨晩 の本ハシゴに久しぶりに乗ったが、正直恐かった。まだ、集中力が足りないようである。筋肉痛が少し 残っているが、4日までには、完璧を目指したい。


1998年10月1日

うーーん、カグラモチが少ない。刈っても刈っても、コンバインのタンクに溜まらない。何度も何度も 後ろから落ちているのでないかと、振り返って見ても、そんなことはない。刈れば刈るほど青ざめてい る。新説陽明学からすると、これも次の飛躍への試練と考えれば楽しくなるのだが、やっぱりね。私も 人の子、つらいものがある。
それに、今日から4日の運動会でのハシゴ演技の練習がある。集中力を高めねば。





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