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あぐらぐち物語 1999年6月分



1999年6月30日


昨晩の地区懇談会は、盛り上がって良かった。いろいろな地区に行くが、雰囲気がまったく違う。私の行った地区は、地区委員さんも熱心で、いじめ等の難しい話も、多くの体験談や事例や出て、討論が活発になされた。
それにしても、なんだか、体から一斉に力が抜けていくのが分かる。いわゆる、緊張の後の弛緩が始まったのだと思う。あんまり緩めないようにしないと、体調を崩すので注意だ。


1999年6月29日


雨の中、スポットでヒエの除草剤を散布して回った。途中、雨がひどくなって私は、事務作業に、ボーイズ、レデイースは、草取りに出かけた。そろそろ、腰の状態も上向きなので、私も出動の日が近いが、農家にとって6月30日というのは、制度融資の返済日なので、やりくりがどうしても必要なのである。7月に入ると、所得税、消費税、町県民税と連続攻撃があって、ますます厳しくなる。しかも、春以降、田んぼに、肥料、農薬を投入して来たので、すでに、お金も沢山使ってしまっている。昔は、農協に、お米の出荷を予約すると、予約金と言って、あらかじめ前金が入ったが、最近は自店舗で売るので、それも少なくなってあてにはならない。しかし、そこはそれで、私は、低空飛行が得意で、なんとか切り抜けている。以前、店舗売りに切り替えた当初は、かなり厳しかった。なぜなら、前年のお米のお金が、すべて10月に入って以来、実際にお金が入るのが、ジワジワと店舗で売れた分しかないので、この6月と11月の一括返済という農業界独自?の返済方法は、合わないのである。ようやく、店舗販売4年目にして、少し楽になったかなというところである。
あと、この6月近辺は、各種税の更新で、給料に細かい変更があって、ややこしい。まあ、税理士さんの仕事にはなるだろうが、無駄な労力にしか思えない。たとえば、一括、消費税のみにして欲しいものだ。各種控除は、病人は、病院で受ければ良いし、高齢者は、利用する機関、例えば、バスは無料とか、で受けるようにしたほうが、よっぽど、ばかげた経費が少なくて、実際に使えるお金は増えるのに。


1999年6月28日


消防の結果は、残念ながらボロボロだった。まったく結果の残せないまま終了。自分自身は、ベストタイムを出したが、減点は多かったし、チームとしても良くなかった。かつての、ワールドカップ予選の様に、騒ぐだけ騒いで、プレッシャーに負けたようなものだった。打ち上げでも、グチャグチャ言われるので、切れて途中で帰ってきた。どうにもこうにも、弱いチームというのは、自分も含めてどうしようもない。結局、早く寝て今日は、仕事に戻った。自分の人生の中では、負けるという経験が少ないので、良しとする気持ちもあるが、どうも回りは納得がいかないみたいだ。今度、打ち上げで、能登島に行くが、行きたくないなあ。
ともかくも、たまった仕事をなんとかして、明日から、PTAの地区懇談会である。


1999年6月27日


現在、朝の4時。今から、消防の操法大会に行ってくる。3月から練習してきたが、結局、最後の最後まで、満足の行くプレーは出来ずじまい。自分でいうのもなんだが、ヘタクソであった。昨日は、朝から、ホースの手入れ、ポンプ車の整備、そして会場の下見とやったが、練習をしている他の団のうまく見えること、見えること。しかも、情けないが、緊張で、一昨日から、ほとんど眠れない状態。最近は、行ってないが、バイクのレースを思い出した。あの時も、ほとんど、こんな状態だった。しかし、今回違うのが、「命は取られない」という点と、「団体競技」という点。団体競技という意味は、5人のチームということもあるが、野々市町第2分団、そして最近は、野々市町消防全体の期待を担っている。しかも、間違いなく、私のポジションは、その最重要ポイントであることは間違いない。国や地域の期待のプレッシャーで、オリンピック選手が緊張するのが良くわかる気がする。ところが、冷静に考えて見ると、とても、上位には入れそうにない。だから、一晩寝ずに考えた結果は、とにかく、得意のホースを真っ直ぐ投げて伸ばすこと。このことだけに専念しようと思う。スピードは、とても真似出来ないし、他の動作は、出来ているものとして考えることにした。しかも、今日は大雨、ヘタクソには、もってこいの日和だ。
だれかが、若い時の、なぜだか分からないが、一生懸命になったことは、後で役に立ったと言っていたのを思い出す。農家と消防というのは、関係が深くて、今回も仲間が多く出場していて心強い。年配者と話していても、操法の話をすると、急にフレンドリーになる場合が多い。それは、一種の仲間意識、いわゆる、「こちら側」にいる人間に居る人間しか分からない感覚である。


1999年6月25日


ぐずつき気味の天気の中、草刈りに出た。若い人からは、なぜ草を刈る必要があるのかと、聞かれれば、私も言葉に窮してしまう。カメムシという害虫の住処を除去するという説もあるし、確かに農道が草だらけだったら、車は走りにくい。でも、用水の土手とか、あまり人が通らないところは、刈る必然性を感じないのだが、皆さん、目の敵にして刈っている。しかも、我が社は、どうしても草刈りが遅れるので、その地域の生産組合から苦情の電話がかかってくる。オーストラリアに行った時は、関係ないところは、草ボウボウだった。日本も、少しくらい生えていても、除草剤をかけて、砂漠にするよりは、私はいいと思う。


1999年6月24日


すごい、暴風雨にも関わらず、わが社の全天候型レデイースF−18ホーネットは、草取りに出撃して行った。私と中村も、負けずに草刈りに出かけたが、風に飛ばされた草刈り用のマスクを拾いに行くほうが多かったので、第一クォーターでめげてしまった。なんで、こんな天気でも平気で仕事ができるのだろうか。頼むから、晴耕雨読にしてほしい。
中村町小から、先生がわざわざお越しになって、子供たちの手紙をもらった。とにかく、パパママ先生と踊った、PTAダンスが印象に残ったみたいで、おかしかった。でも、お米のこと、人生のこと、多くのことを感じてくれたみたいだ。そして、何気ない、私の一言も覚えていて、すごいと思った。やはり、彼らにすれば、1対多数ではなく、あくまでも1対1なのである。一人一人を大切にしなくてはと、勉強になった。


1999年6月23日


農業者大学校の学生さんが、バスで我が社に見学に来た。我が社への研修生の板垣君もいたが、楽しそうだった。ああやって、みんなでワイワイガヤガヤするのが、今の特権だと思う。最後は、ガレージのバイクまで見ていった。7月からの研修、草刈り機を用意して待ってるぞ。
最近、眠くて仕方がないと書いたが、今度は、夜眠れなくてそうなっている。練習中は、アルコールは飲んでいないので、激しく体を動かした直後は、目がサエサエで、どうにもならない。おまけに、最近、消防の操法で悩んでいることがあって、あーでもない、こーでもないと考えていると眠れない。


1999年6月22日


昨日の夕方、専務から携帯で「車にオカマされて、救急車に乗るから、バイク取りに来てくれ」と言われてビックリして出かけた。現場に行ったら、救急車のベットに縛られていて、ありゃーと思ったら、まあまあ大した事がなくて、病院からすぐに帰れた。それにしても、驚いた。
今日は、午後から中村町小学校へ、農業の授業に出かけた。250ccのスクーターで、行ったが、インパクトがあり過ぎたかなと、思うくらいの歓待ぶりで、感動した。すべてが、子供達で運営されていて、最後には、歌まで披露してもらった。お礼に、パパママ先生!とPTAダンスをしてあげたら、えらい受けていた。それにしても、すごい感性で、こっちがドキッとするような、鋭い質問が、バンバン飛んできた。「林さんは、なぜこんな大変な仕事なのに、いつも笑顔なんですか?」と言われて、椅子を二つ並べて「人生には、二つの椅子があります。こっちが明るく生きる、こっちが暗く生きる、みんなは、どっちを選ぶ?」とやって、答えにならないような人生問答を繰り広げた。ただ、「食は、いのち」の意味は、少しは感じてくれたと思う。とにかく、全オーラ放出で、疲れ切ったが、私のそれを引き出した子供達に、拍手!!


1999年6月21日


昨日は、朝から消防の器具点検と午後から本番前に野々市町の4分団が一同に集まって、本番さながらのプレ大会として野々市大会があった。しかし、結果はボロボロ。私が、完全に歩測を誤り、ホースがまったく伸びなかったのが原因である。おかげで、その晩は、ご苦労さん会で焼肉があるのだが、針のムシロに座っているようなものである。理由は、簡単、腰が治って来て、初めてフル加速したら、足が伸びてホースを必要以上に引っ張ってしまったのである。自分で自分のスピードにビックリしてしまった。今日からは、常にフル加速を念頭に練習しなくては、本番で大失敗する。
というわけで、かなり腰も良くなってきたので、久しぶりに草刈りや除草剤散布の外の仕事を中村君とした。今回、こんなに体を動かしながらも治って来たのは、ここ1週間アルコールを断っているせいだと思う。私の腰痛は、ヘルニアとかではなく、ギックリ腰、筋肉の炎症が招く痛みなので、カイロの先生の言うとおり、冷シップをして、お風呂もぬるめ、ノンアルコール。そして、なによりも、治そうとする意志だと思う。でも、まだまだ、痛いのは変わらないので、まだまだ、養生は必要である。笑ったのは、子供達が父の日プレゼントに、ツボ押さえの器具をどこからかもらって来てくれた事。確かに、これは気持ちがいい。


1999年6月19日


私は、バビル2世型である。バビル2世とは、超能力を持った少年だが、一定量超能力を使うと、寝てしまうというものである。最近、睡眠期に入っていて、とにかく眠い。色んなことに対して、モチベーションも落ちるので、こんな時は、ただやり過ごすことにしている。
今日は、幸いレデイースが、農協のお食事会でいないので、お休み。中村ではないが、我が社では、「草取り派」が、最強の派閥なのである。ただ、今、うつむいて草取りしたら、確実に体が壊れてしまうので、なるべく対決は避けるようにしている。決して、アンチ草取り派ではないが、体が持たないのは、情け無い。しかし、おかげで、少しづつ体調も戻ってきているので、今しばらくの辛抱。


1999年6月18日


カイロプラテイックに、行ってきたが、拷問に近い治療が続き、ぐったりしてしまった。確かに、効果があるので、耐えているが、筋肉の硬直を取るのに、何やら尖ったもので、グサッグサッと延々とやられるのが一番堪える。それでも、消防では、気合が足りないと言うが、本当の気合とは、このような陰の努力を言うのではないだろうかと思う。それにしても、一体何を刺してるんだあ?


1999年6月17日


昨晩は、久しぶりの雨。外で練習できないので、屋内で細かいところの練習をした。まあ、そこまでは良かったが、その後、やはり「気合が入っていない」という長い長いミーテイング。「普段、理不尽な上司がいない自分の為に、神様が鍛える意味で、このような試練を与えたもうた」と、考えて聞いている。しかし、その原因はやはり腰痛なので、昨日からサッパリ酒は止めた。止めると、今度は「飲まなくても、同じだろう!」と言われるが、口にじょうごまでは、突っ込まれないので、お茶を飲んでいる。
今日も、雨だが、我が社のレデイースは、全天候型なので、草取りを休むとは言わない。出来れば、晴耕雨読、中村君や弟を休ませたいところだが、涙を飲んで、草取りに送り出している。自分も腰が、まともなら、一緒に行きたいが、それもままならない。許せ!中村!


1999年6月16日


昨晩の消防の練習もフルにこなしたが、全体通しの練習は、1本だけにしてもらっている。それにしても、号令がかかる前には、神様仏様に「腰がなんとか持ちますように」とお祈りしてから走り出している。ウエストバンドをきつく閉め、制服に着替え、気合を入れると、不思議となんとか今の所はなんとかなっている。タイムも標準タイム前後ではあるが、切れが無いことを思うと、仕方ない。ただ、スピードが落ちた分、正確に動いている。今日も、カイロに行って、時間とお金を使い、体力気力を使い、一体何の為?と思うこともしばしばである。人は無駄なことに、一生懸命になれる唯一の生物なんだなと感じる。


1999年6月15日


相変わらず、腰が痛い。しかし、そうも休んでいられないので、机の上のエベレストを崩し始めた。昨日、金沢市中村町小学校から、農業の授業に来て欲しいとの、ファックスがあった。子供達に、「農業」や「いのち」を語るのは、自分の志そのものなので、二つ返事で了承した。なによりも、担任の先生のやる気を感じるし、校長先生まで、わざわざ電話口に出られ、学校全体で取り組む姿勢が好感が持てた。農業法人もそうだけど、小学校も、まったくの生き物で、学校単位、そして学年単位、クラス単位でまったく雰囲気が異なる。それは、やはり一人一人の個性の集合体としてではあるが、たった一人の力である場合もある。2%のイノベーター(革新者)がグループを変えると言われる。30人クラスだと、0.6人。たった、一人の力で十分なのである。だから、逆もあってたった一人の問題児がクラスの雰囲気をガラリと変えることも認識すべきである。さしずめ、我が社は、その2%のイノベーターかも。


1999年6月14日


腰が痛い。土曜日の練習でかなり痛くなってしまい、日曜日の大事なPTAの会合も休んだ。日曜も今日も、カイロに行った以外は、家でじっとしていた。もう、ありとあらゆるところから、責められて立つ瀬がない。情け無いが、自分の体が大切と思い、活動をセーブしている。しかし、消防の練習は、行かねばならず、本当に、とどめを刺さないよう祈るだけである。
そして、もう一つのブルーの原因が、金曜日以来、財布が行方不明なのである。せめて、これが出てこないと、明るくならないなあ。


1999年6月12日


朝の水回りから帰ってくると、バイクが止まっていて、東京の農業者大学校から研修予定の板垣君が来ていた。バイクで、夜中走ってきたそうだ。7月から年末まで研修だが、当社では、おそらく研修にはならないと、ハッキリ言っておいた。当社では、研修生と言わず、「講師様」と呼ぶ。
そして、研修目標が、「大型自動二輪免許取得」と決定した。


1999年6月11日


今日、農業報知新聞という、農業大学校向けの小さいけど志高い新聞社の編集長が取材に来た。その時、駅でタクシーに乗ったら林農産に行ってくれと言っても、通じなかったが、はやしさんちのお米と言ったら、「あそこのお米は、私も買ってます。あれを食べたら、他のは食べれません」と言ったそうである。そして、買うきっかけも、乗ったお客さんが後ろで話していたのを聞いて行ってみたそうなのである。その話を聞いてすごくうれしかった。私のクチコミの方針がここまで完璧に現れたのも珍しい。編集長も、私の話と合わせて、実際に聞けて良かったと言ってくれたし、今度、タクシーに乗るときは失礼のないよう心がけよう。


1999年6月10日


午前中、ヒエ大発生の田んぼの除草剤散布。現在、手で草取りも平行してやっているが、これはとても手におえないと判断した。昨晩の消防でポンプ車にひざをぶつけて腫れていて、半泣きで動力散布機を担いでいる。どこかが痛い日々を送っている。
最近、会社では、クサで責められ、消防では、練習で責められ、家では、家にいないと言って責められている。聞く力を得るためには、最適な環境だが、さすがにストレスがたまる。そんな時に、「味人めぐり」の縁で、話を聞きにおいでたお客様がいて、ストレス解消に話まくって、スッキリした。やられた方は、災難だったかもしれない。今度は、聞きに回りますので、よろしく。


1999年6月9日


「踊る大捜査線」だった。石巻駅快速12時03分発に乗らないと14時10分の飛行機に間に合わないのに、その時は、まだなぜかヨットの上だった。船着場に、タクシーを待たしていたが、結局乗り遅れ次発に乗ったが、仙台駅に着いた時点で、1時30分。タクシー乗り場まで全力疾走、2時まで仙台空港に行ってくれと言ったら、「お客さん、そりゃだめだべ」というのを頼んで急行。航空会社に電話したら、ギリギリまで待つとのことだったが、空港に到着したら、最終呼び出しをしていた。それを制止してようやく乗れた。
なぜ、ヨットなんかに乗っていたかというと、石巻でのサマーセミナーを近くの無人島でする案が浮上して、下見に行ったのだ。まさしく、加山雄三状態、塾長以下8名ビールを片手に疾走したまでは良かったが、私のせいで、途中で引き返してしまった。上陸したかったな。でも、ヨットっていうのは、風で走るので静かで海と一体になった感じがした。グライダーもいいと聞くが、海に魅せられるのも分かる気がした。


1999年6月8日


昨晩の消防の練習は、メタメタだった。タイムは詰まったが、基本が出来ていないので、考えるとミスが続出する。おかげで、ミーテイングは深夜に及んだ。かつて、盆踊り、ほしご演技、とにかく、規定演技が苦手なのである。私は、アイデアを出すフリーでは、強みを発揮するのだが、弱点が露呈してしまった形だ。タイムを無視して、基本からやり直しだ。
今から、宮城県石巻市へ青年塾のサマーセミナー打ち合わせで出かける。まさしくトンボ帰りだが、なんとか、形にせねばならない。おかげで、体は休めることが出来て助かる。


1999年6月7日


ついに、電池が、もう全然もたない携帯電話を変えてしまった。まさしく玩具のような最新型。お店で、絶対に、壊れなくて防水のタイプをくれと言ったら、無いと言われた。仕方がないので、買ってきたが、なぜ、これは不人気機種なの?と質問したら、「重いからです」と言う、重いといっても、10グラム位なものなのである。まったく、方向性が狂っているしか思えない業界である。以前も書いたが、プロ用のハードタイプ出ないかな。ちなみに、次男にシルバーメタリックの電話は、似合わないと言われてしまった。やはり男はブラックつや消しだ。


1999年6月6日


昨晩の温泉は、楽しすぎて、10時位にダウン。まだ、体のダメージが回復していないようだ。とにかく、お風呂でリラックスして養生に努めた。
昼前に帰ってきて、子供達との約束で、釣堀りに出かけた。以前、行ったイワナの釣堀は不発だったので、今度は、穴場の釣堀を、ぶった農産の専務に聞いて行った。しかし、やはりなかなか釣れずにいたが、ついに長男が、ニジマスをゲット。こりゃ、次男も釣れないと今晩荒れそうだと思い、がんばったら、次男もゲット。結局1時間半で、この2匹だけだったが、大満足の釣果だ。その釣堀は、魚をさばいてくれるのでさらに助かった。それにしても、隣で、おばちゃんが、バンバン、イワナを吊り上げていてびっくりした。どう見ても、初体験のようだが、よほど相性が合うのか、釣りまくっていた。釣るたびに、「ギャハハハ!」と笑うので、すぐに分かるのが特徴的だった。ちなみに、その旦那と子供は、全然釣れていなかった。人の才能とは分からぬものだ。


1999年6月5日


朝、長男の学年行事で、20何年振りにドッジボールをした。親子参加だが、いつもは余り言わない長男が、今回は「お父さん来て」とのたってのお願いで参加した。昨晩の消防の練習で腰が痛いのに、結構、熱くなるゲームだった。久々の、お父さんらしい活動だった。
今晩、ラジオの温泉がある。もうラジオ企画は終了したのに、なぜ温泉かは別にして、今度の海辺のコンサートの打ち合わせに持っていこうと思う。


1999年6月4日


昨日は、スポット除草剤散布。午後は、机の上のエベレスト状の事務作業をこなした。しかし、つくづく、事務作業は不向きだと痛感する。すぐに、飽きて他の事をしたがる。子供に落ち着きがないのもうなずける。
夜、消防の練習。今回はビデオ撮影で、100分の1で厳しく検討した。シンクロナイズドスイミングのような演技を要求されていて、わずかなズレも、一見分からないようだが、気の乱れとして全体の雰囲気を落とす。逆に、ドアを閉めるとき、完璧に揃うと、誰か閉め忘れたと勘違いするほどである。外から見ると、なんでそこまでと思うが理由は、選手だけが強くても、勝てない点にある。分団全体の力が高くないと、いいところまで行けないのである。ちなみに、私も、順調に仕上がってきていて、自分だけの力と言うよりはチーム力という気がする。まあ、最後まで体が持てばという条件が付くのだが。ギックリと来る前に、今からカイロプラテテイックに行ってくる。


1999年6月2日


昨晩は、消防の練習を一本してから急いで着替えて、町PTA役員会へ、そしてその後、また消防へ。今日も、富陽小学校のPTA役員会があるので、昨晩と同じパターンである。自分でも、ここまでしなくてもと思うが、やはり上手くならないと気がすまないのである。体で、極端に痛いところもないし、平常なら、こんなに体調のいい時も珍しいので、がんばってしまうのもしれない。
今日、通称「ヒエ」と呼ばれる、稲科の雑草用の除草剤を、散布した。田植え時の一回の除草を基本としているが、ひどいところをスポットで散布した。あまり、気持ちのいい作業ではないが、この時期か、私は毎日、レデイースの「ヒエー、ヒエー」と「あぜのクサー、あぜのクサー」の連呼でノイローゼにさいなまれるので、せざるを得ない。それでも、かなりを手で取ることになる。「あぜのクサー、あぜのクサー」対策は、草刈機を担いで刈るので、除草剤の使用はしばらくは見送れそうだが、これもいつまで耐えられるか、時間との勝負である。


1999年6月1日


これでもかと好天が続いている。ということは、これでもかと雨が降るわけで、今のうちに、せっせと大豆蒔きの作業を進めている。コンスタントにボーイズも来てくれて、順調である。
我が社の、コシヒカリがついに、予約を除き売り切れになってしまった。コシヒカリの収穫まで、4ヶ月もあるのに、ありがたいことだ。しかし、商品がないわけにもいかず、我が社の作業請負のお客様で、田植え収穫した方のを譲ってもらい、当座はしのぐことにした。うーーん、売れるのはいいが、在庫管理のミスは、経営者として敗北感があるなあ。
昨晩から消防の練習が本格化している。どうも、動き以前に足がついていかないので、練習場まで2キロほどをウオーキングして通う事にした。これでかなりのアップになる。昨晩も、結構いけたので、これを毎日続ければ、かなり強化できると思う。しかし、今晩明晩とPTAの役員会がある。まあ、骨休みも必要か。





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