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日記を、日付順に、読みたいので、1番下へ行く

あぐらぐち物語 1999年8月分



1999年8月31日


今日の市街地での稲刈りは困難を極めた。昨晩の雷雨で田んぼが柔らかく、住宅地の道路を走るたびに、大量の泥を撒き散らし、わずかな面積を終えるたびに、その泥を処理、それを繰り返した。しかも、半径300メートルくらいの間に、大きな道路をはさんで、細かく飛び飛びに田んぼがある。それが、5軒のお客様に分かれているので、隣に刈る田んぼがあっても、違うお客様なので、わざわざ遠いところまで、行かねばならない。明日一杯は、こんな状態だが、日本一過酷な農作業と思えば、自負心も沸いてくる。それに、都市部の農地は、貴重な存在である。そのことに気付いてくれるまでは、止められない。


1999年8月30日


いよいよ、稲刈り作業請負いのお客様の田んぼを刈り始めた。ほとんどが市街地で飛び飛びにある。かなり集中力が必要で、コンバインを載せるためにトラックを駐車することをとっても、ワンポイントに停めないと、仕事にならない。ちなみに、研修生の板垣君、市街地で一般車と接触。たいしたことはなかったが事故処理が必要になった。本人は、非常に気にしているが、我々にすれば、人身事故でなかった点で、ホッとしている。彼の名誉の為に言っておくが、彼の運転技術はかなりのものである。それでも、ぶつけてしまうほど、金沢市の市街地での作業は困難を極めている。ちなみに、うちのレデイースは、今まで2台廃車にしている。


1999年8月29日


走行距離1350キロ。さすがに疲れた。しかし、今回の青年塾は、色々考えさせられることが多かった。現役塾生と1期、2期の差は思ったより大きかった点と、それにしたがい、彼らは、先輩が押し付けがましいと思っている点。とにかく、井の中の蛙ではないが、ついつい周りが志高い塾生ばかりになって、それが当たり前と考えるようになったこと自体が良くなかったと反省した。もう少し、温かい目と謙虚な姿勢で接し様と考えながら帰ってきた。しかし、それぞれが今まで以上のの強い思いで入塾しているので、これからが楽しみである。
帰ってきて、いきなり早朝より総合防火訓練があって、それからの稲刈は正直きつかった。さあ、これからは仕事に集中である。


1999年8月27日


今から、石巻市まで行く。片道600キロ、筑波サーキットまでと同じ距離だし、ほとんど高速なので気楽なもんだが、稲刈りの最中に、2日間も休ませてもらう方が、重要である。ほとんど社長のわがままだが、志高い経営こそが、これから会社が生き残る術でもあると信じているし、スタッフもそう感じているからこそ休めると思う。貴重な時間、青年塾では、全開でやらせてもらおう。
昨晩、課題図書の「森は海の恋人」を超高速で読みきった。なぜ、海に森が必要で、著者の畠山氏が植樹をしているのかが、良く分かった。今度、子供達にも話せそうなネタが一杯あった。農業も漁業も、林業もみんなつながっているんだなと実感した。だた、魚の漢字が読めないのには、困った。


1999年8月26日


今日は、「四の矢」くらい受けた日であった。なんと、品種を間違えて刈ってしまった。最終確認を携帯でとったご主人が、なんと自分の田んぼの品種を知らなかったのに、適当に答えたらしいのだ。しかし、最終的には、私の責任である。なんとか、乾燥機を空けて、間違えた分は乾燥する。なんとか、この辺で食い止めねば。
というのも、明日早朝、宮城県石巻市へ行って、2日間いないので、切りのいいところで出発したい。さて今から、準備である。
それと、ハナエチゼンの販売を開始した。昨日食べたら、白いのなんの、思わずサングラスをかけようかと考えた。


1999年8月25日


昨日は色々あったが、実は、あれだけでは済まなかった。なんと、お米の選別機のパイプが動脈硬化で詰まっていて、ほとんど選別しないまま250袋余りを詰めてしまったのである。状況を分かりにくくしたのは、完全に詰まったのではなく、少し流れていたためである。しかし、専務が最後に、どうしても、未熟粒が多いと不思議に思い、再チェックしたら、一部のパイプが詰まっていたのである。
このような時は、「二の矢」が問題になる。本当は、詰めなおししたくないので、どこかへ安く売るとか、色々考えるのだが、結局、問題を複雑にするのがオチである。こんな時は、素直に、詰め直しをするに限る。さらに、考え様では、品質が上がるので、私は、ホッとしている。いくらなんでも、昨日の品質では、良くない。
昨日の駐車違反にしても、自分のゴールド免許証がもったいないので、中村君に社長命令で、代わりに交番に行ってもらうのも可能だった。しかし、絶対そのような責任転嫁は、後々、倍になって返ってくる。きっと、この減点が元で、中村君が肝心な時に、免停にでもなるのが、オチである。「二の矢を受けない」それは、志高く生きることにも通じている。


1999年8月24日


ガックリきた。昨晩の雨で、もみすりをしたが、やはり未熟粒が多くて1等にはなりそうにない。さらに追い討ちをかけるように、3トントラックで駐車違反を取られた。夕方、引き上げるとき置き忘れていたのだ。当然、責任は私にあるので、交番に行ったが、ゴールド免許証を出したらさすがに驚いていた。しょうもない減点で、ゴールド免許証とおさらばとは情けない。
月末まで、色々あって集中力が落ちているのが原因だと思う。これを機に、気合と集中力を高めねば。


1999年8月23日


今日から、ハナエチゼンを全開で刈り始めた。少し青いが致し方ない。どうしても最後は刈り遅れになるので、少しフライング気味で刈らないと、悲惨なことになる。刈り遅れると、胴割れと言って、お米にヒビや割れが生じて、精米したら歩留まりは悪いは、炊いたらお米の中身が染み出してグチャグチャになるはで最低なことになるのである。どっちかと言うと、カメムシの被害の方が許せる。農協の検査では、1000粒に一粒カメムシに食べられた跡があると、1等が2等になる。この、たった一粒を無くすために、盛大に消毒することになる。もちろん、ホタルもトンボも全部巻き添えである。私に言わせれば、カメムシ被害は良しである。流通関係の人は、良質の物を求めるが、果たして殺虫剤を散布したものが良質と言えるか考えて欲しいものだ。当然、我が社では、カメムシ被害もそのままで販売しているが、訳をお客様に説明すれば、まったく問題無く売れている。というか、逆に喜ばれている。あなたは、どっちを取る?


1999年8月22日


今日は、ひたすら鋭気を養うことに集中した。子供と床屋に行き、机の上を整理し、のんびりしていた。明日から、怒涛の稲刈り、しかも、27日、28日と宮城県石巻市まで、青年塾サマーセミナーに出かけねばならない。果たして、行けるかどうかも自信がないが、前回入塾式に参加出来なかったので、今回は参加しないと、3期生とのつながりが出来ない。志の塾というのは、非対立で全体主義的ではなく、ゆるやかで、且つまた、志高いという非常に言葉にしにくい面があって、難しい。初めて、このような人達に接する塾生には、とまどいを隠せない人もいる。だから、どうしても、会って、チャーミングに話し合う必要がある。


1999年8月21日


昨日、出荷用米袋の表記が厳しくなったことを指摘され、今まで手書きだったのを急きょハンコを作ることになった。「銘柄(石川県産ハナエチゼン)品種ハナエチゼン」となるが、ここまで書くのは大変だ。普通は、ここも印刷されているが、我が社は特殊な?お米が多くて、手書きになっている。
昼近くになって、ハナエチゼンの通称「アカ落とし」を刈った。これは、毎年、2台のコンバインで田んぼを2週づつ刈って、乾燥機に入れ、乾燥したものをすべての乾燥機、タンクを循環させて仕上げることを言う。これは、機械の中は掃除はしているが、色々なゴミがやはりあったり、前年のもち米が残っていたりしているのを、わずかなお米を流すことにより、それに混ざって除去する方法である。そして、この「アカ落とし」が我が社の正真正銘第一号の新米である。これが、実に美味しいのである。コシヒカリを食べているとは言え、とれたてにまだ慣れていない舌には鮮烈である。
NHKで、お米の番組をするので、お米の映像をメールで送って欲しいと頼まれて、撮ったが、送信に手間取ってしまった。果たして、映ったのだろうか?


1999年8月20日


2番ハウスをコンバイン等の車庫にするために、特殊シルバーシートを張った。次に、ライスセンター前に、テントを張って稲刈り準備開始。ハウスでシルバーシートで両面焼きになってフラフラになる。午後は、生産組合長会議。夕方から、お米の検査担当者と懇親会。そして夜は、消防の昭和35年生まれの連中と飲み会。暑いやら、飲み筋でさすがにグロッキー。


1999年8月19日


持続型農業のシンポジウムで飲みすぎて、午前中死んでいた。まったく持続型ではない状態であった。それほど、農業者大学校の若者達との話しは面白かった。そして、講演を聞いていると、どの方も普段私が語っている内容とそっくりなのには、びっくりした。お金だけが基本の生活は、いけないとか、農業が豊かな生活に一番近い仕事だとか、有機栽培とは、ライフスタイルが有機的でなければならないとか、波動を感じるに十分な内容だった。いよいよ、23世紀型農業の時代だ。
というように、23世紀を語った後に、稲刈りの準備でいきなり現実に引き戻されてしまった。今日は、米袋の段取り。袋数や種類を決定するということは、販売予定数の決定になるので、デリケートな仕事である。そして、大胆さも要求される。しかも、収量は予想できないので、ますます、難しくなる。とにかく、今年の様に、最後在庫切れにならないよう、段取りした。うまく行きますように、、。


1999年8月18日


午前中、コンサートのステージ用足場を返却しにいった。午後は、農業者大学校同窓会等の共催の「持続型農業を考えるシンポジウム」に参加する。お盆のぐずついた天気がウソのような快晴で、またまた一気に刈り取り時期が早まったようで、気もそぞろだが、大事なテーマなので参加する。松任では、来週早々にもハナエチゼンを刈るそうだ。やっぱり、気があせるなあ。体から稲刈りに向け、アドレナリンが沸いて来て、臨戦体制に入っていくのが体感できる。いよいよ本業である。


1999年8月17日


コンサートは、大成功!詳しくは、なんも専務のページを見れば分かる。
http://www.hayashisanchi.co.jp/data/hiro/umibe99.htm
それにしても、5日も家を空けたので、メールやら掲示板のチェックだけで、えらい大変だ。13日は、なんと曽々木海岸だけが、晴れていたようである。私にかかる携帯の内容の、ほとんどが、雨が降っているが、やるのかというものだった。おかげで、久しぶりにドキドキしてしまった。
今回は、新生滝沢組を始め、我らがバレンタインズと今本健夫Withサンフラワーズ(長いぞ!)、青年塾の田中克明君を始めとする香川県から参加のシングルシンガーズ合唱団の参加と盛りだくさんだった。私との合唱は、まあ、シャレと思ってもらえばいいが、素晴らしい出来映えだったと思う。海辺のコンサート最後にふさわしいエンデングだった。1回目は、地域を変えるキッカケとなれば始めたが、それがいかに傲慢な考えであるかが、この3年で分かった。よそ者、ばか者、若者の3要素は揃ってはいたが、年に1回来るぐらいで、地域は変わらない。しかし、我々自身は、大きく変わったと思う。それをもって、今回の成果にしたい。そして、すでにスタッフの間では、一体どこでやるのかで熱い議論がなされている。来年は、田んぼのコンサートに、戻したいなあ。
14日は、そのまま曽々木海岸で、大学時代の友人家族と海水浴をして、富山の実家に帰った。お盆は、一人娘の旦那としての務めを果たすべく、がんばった。そして今日、妻をおいて子供達とサンダーバードに乗って帰り、すぐにフィリピンから派遣の農業研修の女性と会った。圃場マッピングシステムの開発をされているそうだが、私の話しはどうも難しいようで、表面的な話ししか出来なかった。経営基本理念の話しは、少し英訳も考えておかないと、いかんなと思った。


1999年8月13日


現在、朝7時半。今から能登へ出発。天気は曇り、天気予報では夕立もあるらしい。ここまで来たら、ただただ晴れることを祈るのみ。
昨晩、合唱の練習をした。マジである。こっちの方が緊張する。大人に混じって子供が歌うようなもんだ。


1999年8月12日


午前中から、年金算定基準の準備や、海辺のコンサートの段取り、お米の配達と、息もつけぬ状態。午後は、ステージの足場を取りに根上町まで、行ったが、職人系の人が行く所は、とにかく要領がつかめず苦労する。ちゃんと組めるだけの部品があるのか不安になるが、確かめる術もなく、信じるだけである。夕方、資材を積んで、高知県から青年塾の田中克明君を美川インターまで迎えに行く。今晩は、合唱曲の練習である。なんと、前座の前座で歌うことになりそう。ついに、自ら出演か。


1999年8月11日


昨日から、海辺のコンサートのドタキャンドタインが、相次ぎ、宿の手配やなんやらで、ここへ来て大変苦労している。まあ、それが私の役目で、当日は、ほとんどお役に立てないので、完璧を目指してがんばっている。それにしても、急に天気が崩れて、土砂降りになっている。あさってまで、残ることはないと思うが、あの夏の日よ戻ってくれと願うばかりである。


1999年8月10日


昨日今日と大豆の草刈り2周目。好天で、かなり雑草というよりは木になっていて難儀している。今日は、割と曇り空なので体は楽だ。あと明日でお盆前の作業は終了。今年は、沢山草刈りをしたなあ。その分、一切、消毒の作業をしなかった。これが、経営面でどう出るか、除草剤散布VS草刈り。おそらく経費はアップしていると思うが、ラウンドアップ製造のモンサント社を儲けさせなかっただけでも、良しだろう。
今晩、海辺のコンサートの最終打ち合わせ。やはり、打ち上げをどう、志高くするかが問題。ビンビールとマイジョッキの組み合わせがベストと思っている。あの、紙コップ紙皿は、なにやらグレードを低くするようで、使いたくないグッズのひとつである。しかし、言うは易く行うは難し。でも、そこは知恵の見せ所。1年目はリターナルビン、これも良かったが、どうもフタのゴミが散乱してしまうのと、ビンから飲むと言うのが気に食わない。2年目は、カンビール、きっちり集めれば、リサイクル出来るし、残っても便利だった。3年目は、やはりビンだろうと思っている。リサイクルより、リユーズである。ジョッキで飲むビールが一番うまいのだ。


1999年8月9日


昨日は、日久々にのんびりしていて、子供達と大型ショッピングセンター「サテイー」の映画館へポケモンを見に行った。その時、始まってすぐに一度、携帯が鳴ったが、留守電にもならなかったので、大した用事じゃないと判断し、映画終了後かけようと思った。まさか、それが、火災発生の電話とは思いもよらず、結局駆けつけたのは、2時間後であった。しかし、夕方から、またまた深夜まで、現場保存、後片付けに汗を流した。さすがに、連続してあると、分団のホースも予備がもうない。普通は、5〜6本で済むのだが、至近距離だと、ベースポンプになってしまい、10本以上使用してしまう。分団保有数は、全部で27本。それ以上は、操法用を使うしかない。そんな事態にならないことを祈るだけだ。しかし、いつも思うのが、火災を起こした際の失うものの大きさである。例え、今回のように部分火災でも、放水したらすべては終わりである。よしんば、濡れなくても、匂いが残ってとても住めたものでない。火の用心である。


1999年8月7日


藤井嬢が青年団の盆踊り準備でいないので、お店番。しかし、あまりにも暑いので、お米の売れ行きもさっぱり。まあ、書類に目を通したり手紙を書いたり、のんびり過ごした。夜は、その盆踊りの警備で消防の出動。


1999年8月6日


新潟でのプレゼンは、まあまあだったが、基本的な、マーケテイングがなんたるかを分かっている人が少なかった。それに対して、明確なことが言えないということは、自分自身も、まだまだだと感じた。農業が始まって、このかた、生産のみしか考えさせられなかった結果が、今出ていると思う。しかも、少し分かったところで、販売のことばかり考えるものだから、結局「価格競争」の世界に引きこまれていく。しかも、その相手は、関税化したあとは、世界を相手にしなくてはならない。そんな恐ろしい世界に入らないためにも、マーケテイングは重要なのにと考えながら帰ってきた。


1999年8月5日


今から、新潟へ行く。「独自の理念に基づく経営展開と米マーケテイング」という題目で、25分間与えられている。実は、話す相手が、まだいまいち掴めてなくて、すべる可能性もある。農業研究集会の事例発表だが、たった25分のことで、何日もつぶして準備するのは、一見無駄だし、スタッフのみんなにも、悪い事をしたと思った。しかし、この焼け石に水のような努力の積み重ねが、結局自分達のそしてみんなの為になると信じている。


1999年8月4日


午前中、久しぶりの草刈り。みんな暑いのによく頑張っていると感じた。午後は、明日の北陸農業試験場でのプレゼンの練習。やっぱり、あんまり上手とは思えないが、少しは、ましになったろうか。「23世紀型農業」や「志の経営」とか訳の分からない言葉が、ガンガン出てくるので、聞く人は大変だろうな。
昨日火事の、メガマートが、出火のお詫びと10%から50%プライスダウンで販売すると、今日の折込チラシで入っていた。まあ、安売りは、仕方がないが、私が感動したのは、その商魂。昨晩も徹夜で現場復旧をしていたし、なにより、こんなチラシを入れるための決断は、昨日の朝の時点でしていると思う。その企業の真価は、エマージェンシーの時に問われると私は思っているので、今回の点は、見習うべき点も多かった。


1999年8月3日


メガマートという近所の大型スーパーで火災。朝3時半にサイレンで飛び起きて、消防車に乗ったら、もう空が真っ赤。実際、大型ショッピングセンターの火事というのは、すごかった。なんとか、消防署のポンプの横につけることが出来、放水開始。火災自体は30分ほどで鎮火。幸い、外のガーデニングの部分だけで、中には火は入らなかったが、スプリンクラーが一部で作動、商品がススだらけになってしまった。外だけだが、幅が40センチはあろうかというH鋼が曲がったほどのすさまじさで、もし中が燃えたらと思うと寒気がする。駐車場がバカ広いので、ホースを沢山つないだ。駐車場に消火栓がないというのも、不便だ。結局、現場検証を手伝い帰ったのが、11時。もう眠くて眠くて。
昨晩は、曽々木の打ち合わせから帰ると、偶然、研修生とバカーズの宴会があって、実は、寝たのが1時。バカーズの海辺のコンサートでのカクテルバーの打ち合わせだったのだが、盛り上がってしまった。でも、まさか火災出動があるとは。


1999年8月2日


マメアジが73匹。揚げて甘辛くして食べたが、超おいしかった。子供達も大満足。なにしろ、私は、他の子供達も含めて、エサ入れと魚の針外し専属でがんばった。おかげで、クタクタになったが、猛暑の中、大物は無理という判断は正しかった。
今日から、板垣君の友人が草刈りに参加してしている。いろんな農業を見て勉強して欲しい。技術は教えられないが、考え方は教えれると思っている。何かをつかんで行って欲しいものだ。
午後から、曽々木へコンサートの打ち合わせに行ってくる。慣れた今が危ないと認識している。そろそろ、締めてかからねば。


1999年8月1日


今から、ハシゴ登りに行く。気温は、36度、こんなに暑くっちゃ、竹もグニャグニャにならないか心配だ。その後、バーベキューと釣り。自分自身は、釣りがメインだが、マメアジでもいいから釣りたい。





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