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あぐらぐち物語 1999年11月分



1999年11月30日


朝から、もちの計算で脳みそが一杯だが、今日、新しいカスレンジの作業場の工事も同時に始まった。しかし、作業台を見たら、どうも違う。よくよく調べたら、カタログの欄外に小さな注意書きがあり、それを見逃し、寸法違いを注文してしまったようだ。やられてしまった。小さな思い違いが重なってのミスだ。でも、ここからが社長の仕事。なんとか、解決の方向に行っている。
これから、滋賀県の「たねや」まで、研修に行く。時間がギリギリなので、これまで。


1999年11月29日


いよいよ、もちつきの段取りを始めた。段取り8割なので、去年のデータとにらめっこして、ファイルを作る。全体の生産数、納品数、そして生産予定、店舗、予約販売、各スーパー別、納品予定を考えるが、ややこしいので、大変だ。
大豆の検査が終了した。収量213キロ。過去数年で一番良かった。残念ながら、我が社で加工販売できる分は、わずかで、農協に引き取られていくが、くれぐれも、志高い加工業者に行くことを願うばかりだ。


1999年11月28日


昨晩は、バレンタインズの忘年会で七塚町の民宿で、泊まった。渋い宿だったが、料理は美味しく全部いただいた。その後、ギターとマンドリンの演奏で歌って楽しんだ。これまた渋い。
おかげで、しっかり寝坊、昼に家に帰ったが、長男が風邪気味だったので、お付き合いで家でごろごろしていた。さあー、これでもうお遊びは終わりだ。餅つきスーパーモードに突入!


1999年11月27日


朝から、新しい流通を考えるということで、各方面の方々がホテルに集まって討議した。もう、知恵熱が出てしまった。流通というより、生産者、流通、生活者の関係の掛け橋を考えると言えばいいのか。生活者は生産者の情報が、生産者は生活者の情報のやりとりが、今の貨幣経済を超えて出来ないかという感じなので、テレパシーが有ればうまく行くのだが。これを言うと、今はやりのサイババだと言われるので、困ったものだ。
昼に帰ってすぐに、地上のカメラマンが待ちうけていて、昨日の残りの撮影。今日は、ひげを剃ってあったので、バッチリだ!?最後は、バイクに乗っている写真を撮って終了。ご苦労様でした。いい男で写っていることを祈るだけだ。


1999年11月26日


今日は、藤陰幼稚園で餅つきだった。200人余りの園児と保護者と、この前苦労して収穫した餅米を手でついて、キナコ餅やアンコ餅を作った。やはり、手でつくのは大変で、腕が筋肉痛になった。でも、若い住職さんがついても、なかなかお餅にならないところを見ると、私もなかなか上手になったと思った。
そして、朝から「地上」という農業関係の月刊誌の取材で、記者とカメラマンの方がいらっしゃった。しかし、あいにく今日は天気が悪く、写真を撮るのに四苦八苦されていた。このような取材では、ただ取材されるだけでなく、どんな紙面にしたいか相談しながらの作業にするようにしている。しかし、ひげも剃らずにいたので、オヤジ顔になっているだろうな。


1999年11月25日


初老のセット用の餅つきをした。今までは、大きなお餅を箱詰めして持っていったが、最近は、あまり大きいと食べきれないという方も多く、5合の小さな紅白餅と袋詰めの「のし餅」「とぼ餅」をセットして売り出している。これが、ヒットで、かなりの割合で、初老セットが出るようになった。商売とは面白いものだ。
これは、一石三鳥で、まず、5合の紅白餅なので、固くなっても、お客様が切りやすい、もちろん袋入りは、冷蔵庫に入れていつでも食べれる。そして、一般の大きな餅より、価格が高めで、売上が上がる。初老の祝い餅は、朝、柔らかいうちにお届けしたいので、夜もちつきをするのだが、5合という小さいサイズなので、作業時間が短くて済む。もちろん、袋入りの餅を作るのは、手間隙がかかるが、あらかじめ、日中に作っておくことが出来て、夜の残業時間が少なくなる方が、体は楽である。ただし、注文を受けた時点で、4種類ある袋餅が全て数がそろっていないとだめなので、在庫管理が難しい。製造には、最低、配達日から逆算して5日は必要だが、、三日前に注文が入っても大丈夫なように、予想して作る。それでも、今年は追いつかなくてギリギリの作業をしている。ありがたいことだ。


1999年11月24日


昨晩は、すごく盛り上がって、楽しかった。地区別定例会は、1月6日!になった。正月から楽しめそうだ。
今日は、朝から、農業青年達と福井県で、30ヘクタール!有機無農薬栽培をされている藤本さんの所へ、お話を伺いに行った。昼食をはさんで、長時間お話を聞いたが、素晴らしい経営をされていて、その技術的裏付けもさることながら、考え方がすごいことに驚いた。やれば出来るんだなあ


1999年11月23日


早起きして、餅の配達をして午前中は、次男とキャッチボールをしたり、買い物行ったりして過ごした。ここのところのハードスケジュールで午後は昼寝をしていた。今から、小松まで、青年塾石川県地区別定例会の打ち合わせに行く。相変わらず、ハードスケジュラーだな。


1999年11月22日


昨日は、始発で出て最終で帰って来た。おかげで、たっぷり時間も取れて青年塾の今後について話し合うことが出来た。それにしても、北は北海道、南は九州まで、車、飛行機、電車、船で17名が集まった事実だけでも素晴らしい。難しいことは、さておいても、これが志ではないかと感じた一日だった。
今日は、眠い目をこすりながら、小作料の払い込みをした。これで、ようやく稲作りの終了である。今度の24日に、福井県で30へクタール!を米ヌカ除草でやっている方の所へ見学に出かける。おかげで休憩の度に、除草剤について大激論で大変である。「そんな事は不可能だ!」「水持ちが良い田ではないのか」「昔は、這いずり回って草取りしたから、年寄りはみんな腰が曲がっているんや」という具合である。しまいには、除草剤散布がばれないように、深夜散布用つや消しブラック塗装の除草剤散布キットが売り出されるのではというバカな話しまで出て盛り上がるのである。もちろん、赤外線スコープ付きであるのは言うまでもない。


1999年11月20日


天気が良いので、午前中暮れ起こしが出来たが、午後は、デザイナーとパンフレット、年賀状、米のシール等々の打ち合わせ。中村君と専務は、ニューファーマーフェアへ出かけた。中村君は、新規就農者達の前で、パネラーをしたようだ。ちゃんと、ハッタリ8割ウソ2割で出来だろうか。
それにしても、明日は、大安吉日で初老の餅つきの準備は沢山あるし、土曜日で来店の方も多く、本当は、夕方、トラクターに乗ろうとしていたが、とてもじゃないが出来る状態ではなかった。研修生の板垣君の、ギックリ背中は快方に向かっているので、少し安心した。
明日は、朝5時に大阪の上甲塾長宅に行く。青年塾のこれからを話し合いに行くのであるが、なにしろ、大安吉日で、席が取れなかった、果たして座れるだろうか。この忙しい時期に行くのは、かなり気が引けるが、仕事ばかりやっていて農業が良くなるのなら、とっくの昔になっているだろう。そう、自分に言い聞かせている。


1999年11月19日


研修生の板垣君が昨日から、ギックリ背中で動けなくなって、そのまま寝込んでしまった。今日、私がいつもお世話になっているカイロプラクテイックに連れて行った。日曜日のサッカーで、ヘデイングをした際、ひねったらしいが、やはり首がずれているとのことで、矯正をされていた。この手の療法は、整体、柔術整体、鍼、灸等々、星の数あるが、一体どれが自分に合うかは、やってみないと分からないのである。取りあえず、痛みが取れて動けるようになったら、自分で探すしかないだろう。まあ、若い分、治りも早いが、体力を過信する傾向があるので要注意である。彼も、まさかこんな事態に陥るとは夢にも思わなかっただろう。受入側の私としても、うまく治ることを祈るばかりである。


1999年11月18日


久しぶりに、日中に予定のない日だったので、精力的に多くのことを済ました。藤陰幼稚園へもち米の配達、利用権の設定、アンケート、認定農業者申請、郵便受取人払い申請、ダンボール発注、etc。
このうち、利用権の設定とは、農地をお借りするときの契約を言う。この設定さえしておけば、地主さんは、転作や出荷に関わるわずらわしいことから、開放されるのである。設定するこちら側も、一括して自分の農地のように扱えるので、非常に助かるのである。昔は、小作人と地主という関係で、土地の貸し借りをしていたが、小作人が耕作権を主張し、なかなか土地を地主に返さないことが起き、それに対し、地主がお金を払って小作の権利を買い戻す事態になったのである。実は、今も小作地というのは多く存在しているのが現実である。この利用権設定は、そのような事態に陥らないように、新しい考えの方法で、農地を借りるので、トラブルがないのである。
認定農業者とは、あなたは農業でがんばっているので、色々な施策を重点的に施しますよということを町が認定してくれる制度です。具体的の言えば、この工場を建てた時のスーパーL資金という、低利の制度融資を受ける資格が与えられるとかである。実際には、他の施策の恩恵にはあずかっていないが、あずかる気もないので、まあいいかと思っている。


1999年11月17日


昨晩は、なぜか、生きたズワイガニが、5ハイ我が家に届き、それを持って、常光利惠さんが作ったグループホーム「菜の花のおうち」で鍋を白井さんを囲んで、元気なレデイースと食べた。ほとんど、物物交換で豊かな食材が揃う我が社は、つくづく23世紀型と思う。後、先日のサッカーのお礼でキューリと柿が1箱づつ届いた。ありがたやありがたや。
今日は、一日、その白井さんを小松の長田君の家に案内したり、富陽小学校で校長先生に紹介したりした。校長先生は、本も沢山買っていただき大感謝で、旅費くらいは捻出出来たかもしれない。夕方、小松空港へ、お送りしたが、白井さんの明るい笑顔がとても印象的で、一方的な私の話を良く聞いていただいた。27年間、出版社を、失礼な言い方かもしれないが、なぜ、あの体で経営されてきたのか不思議だったが、分かった気がした。姿形ではなく、本質が違うのである。本質の志の高さが問題なんだなと感じて、帰ってきた。


1999年11月16日


午前中、金沢福祉専門学校へ、燦葉出版、白井隆之さんの講演を聞きに行った。常光利惠さんの公開授業として行われたが、2時限ほぼ3時間半、大汗をかかれてのお話だった。白井さんは、幼い頃から脳性麻痺で、体が不自由で、多くの経験をされながら今の出版社を経営するに至っている。その本の販売スタイルが、リュックに重い本を担いで、全国を年2回歩いて回るというもので、一般人の我々には想像も出来ない方法である。氏が出版される本は、社会的弱者を取り上げたものや、志の高いものが多い。すると、ただ本屋に並べても売れないので、1軒1軒訪ね歩いて売るわけである。すごい執念である。


1999年11月15日


午前中から、県地場産業センターの、異業種交流会の発表者として出かけた。内容は、インターネットについてだったが、たまたま、ホームページについての原稿を書いていたので、タイムリーだった。OHPを使って上手に出来たと思う。発表の中で、「補助金はモルヒネ」という下りは、補助金をもらって製品開発をしている参加者の多くの方々には、少し引っかかったようだった。今度から、モルヒネという意味をもう少し説明した方が良いかなと反省した。モルヒネとは、歯を抜くときに使う麻酔薬のようなもので、少し痛みを和らげて、治療に役に立てるものであり、決して100%有害と言っているわけではないという事。ただし、最初からモルヒネを使用することばかり考えるような中毒になるなと言っているつもりである。でも、我が社も、除草剤は使用している。無農薬栽培の方に、「除草剤はモルヒネ」と言われれば複雑な気持ちになるだろうな。


1999年11月14日


朝、防火デイーで出動。しかし、中村君主催の農業青年のサッカー大会があって早退。久しぶりにサッカーの試合をしたが、半分は、審判をしていた。でも、出たハーフでは、2点をゲット。なかなかやるじゃないかと自分で思った。わざわざ、三重県、京都府、滋賀県、奈良県から来てくれて盛り上がって良かった。終了後、工場の前で、お餅やおにぎりで、酒宴を開いて、徳光サービスエリアで蟹を買って、温泉に案内して別れた。ナイスな奴らだった。


1999年11月13日


昨晩の懇親会では、大汗をかいてがんばったので、風邪は治ったようだが、二日酔いは残った。午前中は、死んでいて午後から、依頼されているインターネットについての原稿を書いて、夕方トラクターに少し乗って一日が終わってしまった。やれやれ。
それにしても大盛り上がりで良かった。お寿司も美味しかったし、案外安く出来たので、会計さんもホクホクであった。各テーブルを均等に回って勺をしたが、少しでも長く同じテーブルに居ると、あそこは美人ばかりだから会長は長くいるんだと、冗談とも本気ともとれるクレームがついて困った。ホスト役と言うのも、大変だが、非常に歓迎されている裏返しと思って感謝している。
今日、郵便で何やら大きな包みが来たと思ったら、鳥越村の宮元重吾さんから丁寧な手紙とビデオが届いていた。先日の収穫祭のお礼に、都会の百姓より本物の百姓へという手紙の返事であったが、非常にうれしかった。私のような者をまともに扱っていただけるだけで、光栄である。ますます精進せねばと肝に命じた。


1999年11月12日


昨晩、ハシゴの練習に行ったが、どうも風邪気味なので、1回やって帰って、子供と早く寝たところ、火災出動のサイレンが鳴った。町内の大きな工場の火災で、ホースを13本も伸ばしての消火だった。おかげで、風邪にトドメを刺されてしまい、喉が痛い。
それでも、なんとか起きて、小作料の計算を終了。後は、発送と支払いのみになった、やれやれ。午後は、野々市町連合PTAの町への要望書提出で、教育委員会へ出かけた。どれも予算が絡むので、難しい要求ばかりで、ほとんど実現しないのが現状だが、それでも、なんとかお願いしたい一心である。
夜は、今度は富陽小学校PTAの懇親会。経費削減のため、ビンゴゲームの景品を、子供達が作ったもち米や、米、頑固揚げを用意した。他にも、役員さんのアイデアで、面白い賞品がある。消火設備をしている方から、なんと台所用消火器が用意されている。一体誰が、ゲットするのだろうか。しかし、体調がイマイチなので、自分にとっては、渾身会という感じだ。


1999年11月11日


暮れ起こしを一日した。めったにこの時期晴れないので、小作料の計算もストップして全力でやった。明日は、早くも雨模様のようだ。今年こそは、全部暮れ起こしをしたいが、どうなるか。
暮れが近づくと、保険関係の更新が続く。自動車任意保険、障害保険、PL法保険、中には、ネズミ駆除の契約更新まである。最近は、トラクター、コンバイン、田植え機まで保険がかかっている。昔は、そんな事まったく意に介さず、やっていたが、やはり経営者の責任として、危険と思われるものは掛けるようにしている。保険屋さんが言っていたが、保険に入るような慎重な会社では、事故は起きない。マーフイーの法則みたいだが、あながちウソとは思えない。


1999年11月10日


ようやく天気が良くなって、暮れ起こし再開。大豆の検査もしたが、10%程が2等で、残りが3等だった。1等なんて、手で選別しない限り無理なので、2等で上等である。しかも、消毒していないのだから、贅沢は言えない。
今度の14日日曜日に、農業青年全国選抜と石川選抜のサッカーの試合を中村君が企画している。その打ち上げで昼飯を食べるのだが、最初、近くのレストランを予約しようと言っていたが、私が却下した。やっぱり、せっかく石川県まで来たのだから、らしい食事を出したい。オニギリとつきたて餅を出そうということになった。おかげで、休憩時間に、この話題で持ち切りで、まったく仕事の話しが出ない。林農産らしいと言えば、林農産らしい。


1999年11月9日


朝5時おきで、還暦のお祝い餅の配達。この時期、夜遅くて朝早いというパターンなので、日中眠くて仕方がないが、一日が長いのは、なんとなく得した気分である。
日中はというと、雨でトラクターが動かせないので、事務仕事を細々とやっている。このような仕事は、何かしたという実感のないまま時間が過ぎて行く感じがする。


1999年11月8日


朝方、雨が降ってトラクター作業が出来ず、大豆選別のみであった。最近、日曜日好天で、月曜日雨が降るというパターンで、非常に体の方は楽をさせてもらっている。
最近、このホームページについて原稿を依頼され書いている。そして、インターネットについての質問で、必ず出るのが、「インターネット販売でいくら売上たか?」。ところが、我が社のホームページは、「農業を一般の人達に知ってもらう」のがコンセプトなので、あんまり気にしていないのが実情で、いつも、その質問で困ってしまう。さすがに、今度の2000年対応型の販売プログラムでは、なんとかしたいが、我が社の場合、ホームページでの直接販売より、日記等の物語発信で、結果として売上が上がっていると考えている。後、毎日更新することによって、「気付き」がある点。朝起きてから、日記に書くネタを無意識に考えているので、五感が研ぎ澄まされるのである。どれもこれも、一般の人々には、意外なことなのかなあ


1999年11月7日


昨晩、バレンタインズの演奏を聴いて急いで帰って、もちつき。終わってから、久しぶりに研修生の板垣君と飲んで帰ったら、バレンタインズから2次会の召集。結局帰ったのは、3時を回っていた。みんな元気だねえ。
朝は、眠い目をこすりながら、餅の配達。その後、鳥越村の宮本重吾さんの所の、収穫祭に、みんなで 出かけた。宮本さんは、無農薬有機栽培を昔から実践されており、山の中に農場を持って、百姓本来の生活をされている方である。その生き方に共感を覚える人も多く、多くの仲間が集まって色々な活動をされている。そんな、本物の百姓に、ようやく都会の百姓が、会えたわけである。数年前では、考えもしなかったのに、経営基本理念通り、「農業を通じて豊かな生活を創造する」の方向でやっていくと、たどり着く先は、やはり本物の百姓ということになる。
宮本さんも、まさか林農産が来るとは思ってもみなかったようで、しきりに「林農産社長」と声をかけていただき喜んでいただいたようだった。これからは、交流を深めて、多くを学びたいと思いながら、帰って来た。


1999年11月6日


今日も好天だが、初老のもちの袋詰めや、米の配達、中学のバザー用の頑固揚げ準備、カルス菌散布と暮起こしと種々の作業が錯綜してややこしかった。しかも、今晩初老のもちつきの前に、バレンタインズの演奏が近くの公民館であるので、ファンクラブ会長としては、ぜひ聴きに行かねばならない。
しかも、研修生の板垣君が、午前中、大型自動二輪の免許取得の為に、自動車学校に行ったので、さらに忙しかった。しかし、今回の研修の大きな目標の一つが、免許取得なので、多少は無理をしてもと思っている。なぜ、農業研修で免許取得なのかというと、そもそも、我が社で、農業技術を学ぶのは無理である。教えてあげれるのは、経営、生き方等の思想的な事だけである。「えー、なんでそんな事が!」という程度の事に慣れていかないと、アイデアが貧困になる恐れがある。ここでは、最初は冗談と思っていた事が、実は本気だったと言う点が重要になってくる。もちろん、彼のバイクに乗れるという資源は、その後の生き方に影響を与えると信じているからでもある。自分もそうやって生きてきたし、現在の状態があるのも、少なからず、そんな生き方が影響している。そして、今の農業者に必要なのは、農業技術もそうだが、そんな多様な生き方ではないかと感じている。


1999年11月5日


朝から、私は。もちつき。天気が良いので、現場では、大豆選別、暮起こし、初老準備と、冬の前に済まさねばならない仕事も平行して行っている。したがって、事務作業もあるが、あんまりゆっくり座っていられない状況にある。
昼に、現在我が社の隣に建設中の交番が完成間近で、署長さんが挨拶にいらっしゃった。ついでに、なにやら交番の運営に関する地域の委員の依頼をされて行った。ほとんど、断る暇を与えず帰って行かれた。問題は、隣なので、むげに断れないところがつらい。
夕方から、カルス菌を散布して普通じゃないコシヒカリの田んぼを耕し始めた。この菌でワラやモミガラを腐食して土中堆肥化するのである。しかし、この菌、嫌気性菌と言って、空気に触れていると活動しないので、散布と同時に耕す必要がある。しかし、この時期、色々な作業を平行してやっているので、散布するレディースとタイミングを合わすのが難しい。今日は、なんとか10枚ほど出来た。残り24枚。


1999年11月4日


小作料の約400筆分の料金データを入力終了。今度は、地主様一人一人伝票を起こし入力、水周り料金、小作料現物をさらに入力して、伝票を郵送。銀行で送金して終わる。これが済めば、もう年末だ。
パソコンでの請求書作成の段取りは、普通の手書きの伝票とまったく違う考え方なので、最初面食らった。手書きなら、いきなりお客様名と商品名と単価、数量を書き入れて終了だが、まず全部のお客様の住所名前電話番号と商品名と単価を台帳に登録しないと、うんともすんとも進まない。しかも、全部コード番号化されるので、顧客区分と商品区分と言って、仲間分けしないと、訳が分からなくなる。我が社では、餅、米、田んぼと分けている。融通の利かないことはなはだしいが、一度入力すると、後は速い。
自分は、こんなコンピュター的というか数学的考えが苦手なので、四苦八苦した。おかげで、現在のコード番号は、目茶目茶な区分で使いにくい。パソコンで販売管理をしてようやく5年で理解した。今度の2000年対応では、使いやすいものにしよう。


1999年11月3日


朝、餅の配達の後、次男とバッテイングセンターへ。長男は、なんと学童野球に入ると言い出して、早朝から出かけて行ってしまった。果たして、続くのか心配だが、本人が言い出したことだから、おおいにやらせることにした。私は、サッカーがいいと思っていたのだが、多くの場合のように、親の思いとは違う方向に行くものだ。だた、ゲームにかじりつくような生活はして欲しくなかったので、結果オーライである。ただし、次男がだまっていない。1年生だから入れないのだが、兄貴が行っている間、キャッチボールや、バッテイング練習を、親を相手にするので大変だ。家の中がバッテイングセンターになってしまっている。そこを少しでも和らげようと、センターに通うが、夏に買ったバットが短くて届かない。そこで、金属バットを買いに行くと、最近のモデルはすごい。スリゴキ?のような形状で、いかにもミートポイントが広いのがあった。見ると結構高価。次男は気を使って、安いのでいいと言ったが、良く見ると、形は似ていても、全然質が違うのだ。結局、一番いいものを買って再度センターへ。さすが良く当たる。良いものを長く使うのが基本!
午後は、バイクに乗ってブラブラして、静かな事務所で、一人色々な原稿書き。特に、青年塾の新聞に載せる巻頭言は、今回の内容が今後の塾の行く末に影響することもあり、塾長とマンツーマンで、FAXのやり取りで完成させた。どうも、私の文章は、デザイナーのプレゼンテーションのクセが抜けず、強く当たるようである。言葉って難しい。


1999年11月2日


午前中、ようやく小作料の計算を少しした。ところが、青年塾の仲間がたまたま和倉温泉に来たので、会ったり、鳥越小学校へ足踏み脱穀機を返しに行ったりで、あまり進まなかった。夕方、お祝い餅をついて一日終了。なかなか集中して出来ないなあ。
大豆の品質が良いようだ。巷では、小さいだの良くないだの言われているが、私が見る限り、結構品質は良いようである。これは期待大だ。


1999年11月1日


今日は、バザーのゴミを松任クリーンセンターへ持っていった。主に、段ボールと少しの不燃物だったが、失敗した。リサイクルの施設で、段ボールも資源として引きとってくれるのかと思っていたら案内されたとことは、焼却炉の前。それなら、去年のように業者に引きとってもらうべきだった。どうりで、話しがかみ合わないと思った。





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