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あぐらぐち物語 2000年5月分


2000年5月31日


昨晩は、激しい議論があった役員会だったが、有意義だった。会議の内容としては、我がPTAは、なかなかのものだと自負している。会議の良くない例として、「同じ事を何度も言う」「他人の話を聞かず自分の話をする」「批判だけして代替案を出さない」「原案にこだわり過ぎる」等々が、ある。このどれもが、ほとんどの会合で経験する事で、日本人って会議の下手な人種だなあといつも感じている。ただPTAでは、話し合える雰囲気作りが、非常に重要と考えている。たいがい、会議終了後の方が、話し合いが盛り上がっている場合がほとんどで、この終了後の状態にいかに、本番に持って行くかが、問題だ。
朝から、雨で久しぶりに事務所にいるが、一体どこから手をつけたら良いか分からない状態である。とりあえず封筒から開くか。


2000年5月30日


今日は、一日中トラクターに乗った。大豆の種まき前に、一度荒起している。以前は、時間がなく、そのまま種まきしていたが、やはり、大豆は土が細かくないと上手く発芽しないので、数年前からしている。それから、収量も安定してきた。何事も、最初が肝心と言う事か。
月曜日から、消防の練習が毎晩ある。7時から9時グラウンドで、その前後も含めるとかなりの時間、拘束される毎日が続く。しかし、今日はPTAの臨時役員会。学級懇談会の持ち方について、話し合うのだが、チャーミングな議論になればいいなあ。


2000年5月29日


一日、稲に除草剤を散布して回った。田植え機ですでに除草剤は散布済みだが、どうしても「ヒエ」と呼ばれる草が大量に生える田んぼがあるので、スポットで、ヒエ専用「クリンチャー」と言う粒剤を散布した。本心を言えば、散布したくないが、レディースの要求に屈した形である。とにかく、これから数ヶ月間というもの、毎年「ヒエー、ヒエー」の連呼でノイローゼになってしまいそうになる。私は、これを「ヒエローゼ」と呼んでいるが、今年は先手を打ってまだ、大きくならないうちに処理しようとなった。昔に比べ、飛躍的に農薬使用は減ったとは言え、まだまだ農薬無しにするには、道は険しいなあ。


2000年5月28日


ようやくの雨。今日に色々予定が、入っている方には悪いが、本当に助かった。水周りも、最低限で済むし、うまくすれば午後の消防操法講習会も、中止になる。神様が、休め!と言っているのだと思う。


2000年5月27日


どうにもこうにも、テンションが上がって来ない。どうも、オーラを使い切ったようである。今日は、午後から郡PTA総会。まあ、また超能力が回復するまで待つしかないなあ。


2000年5月26日


ミレニアム田植え終了。今年も、豊作でありますように!
今から、PTAの懇親会。どんな挨拶をしようかなあ。


2000年5月25日


藤陰幼稚園の田植えをした。今回は、縦横無尽に駆け回っての田植えだった。お約束の、田んぼにドボンもあって、盛り上がった。しかし、数人、植えた田んぼの中を走り回って、クチャクチャにする子供がいて、これに対しては、しっかり「わたし言葉」で伝えた。「林さんが、せっかく作ったお米を赤ちゃんが踏まれて悲しい」という感じだが、ほとんどは、これで止まるのだが、一人どうしても聞かない子もいた。今度は、別の手を考えよう。私は、町立しか知らなかったので、私立の幼稚園って個性があって面白いと思った。さあー、どっちが良く育つかなあ


2000年5月24日


今日、青年塾3期生の大久保さんが来られた。食品スーパーを営んでいるから、色々な為になる話しが聞けた。しかし、余りにも忙しくて、ゆっくり出来なかったのが、残念。体の方も、余りのハードスケジュールに悲鳴をあげ始めている。しかし、明日は、藤陰幼稚園の田植え。死ぬかも。


2000年5月23日


相変わらず、一台で植えている。しかし、トラクターの故障で、代掻きが遅れると、田植えの方が作業が早いので、どんどん追いつき始める。すると、田んぼの土が、まだ固まらず柔らかい。しかも、苗が、どんどん伸びて長くなる。植えても、苗が寝てしまう状態が、度々起きてきた。一度、バランスを壊すと、全てがずれてくる良い見本のような状態になってきた。しかし、私に出来る事は、毎日植える事のみだ。
今日から、ようやく、母親が水周りに復帰。親に、頼るのは、良くない事だが、これからは、カグラモチを植えた分も水周りが増えるので、実際、ホッとした。親とは、いなくなってありがたみを感じると言うが、私はすでに、十分感じている。だが、母に言わせると、口ではなく現ナマで表せとなる。朝寝坊と引き換えなら安いものだ。


2000年5月22日


今日から、カグラモチも田植え開始。トラクターが一台壊れたので、代掻きが間に合わず、田植え機、一台での作業である。そして、午前中、とくの幼稚園の田植えがあった。園が、近いせいもあるのか、とにかく、カメラを持った、保護者の方の数にビックリ!そして、園児達の行儀のいいこと。2,3人、泥にまみれるものと思っていたが、幼稚園も、園によってまったく違うことを実感した。


2000年5月21日


日曜日だが、早起きして水周り。それを、なんとか終わり、PTA役員で、バザー用のサツマイモ定植と、学童園のマルチかけ。それを、終了して、今度は、富陽学童野球の、石川松任大会の決勝戦を、次男と応援に行った。なんと、大差で優勝してしまった。その後、昼食を食べたら、いつの間にか、寝てしまい、起きたらもう夕方だった。そして、また、同じように水周りして、一日が終わってしまった。もう少し気のきいた日曜日にしたかったが、体力が限界だった。しかし、久しぶりに、ユックリできた。


2000年5月20日


小学校の田植えを午前中行った。私が担当して、4年目を迎えた田植えは、今年は、学年行事でもあり、石川の森と田んぼの事業でもあり、総合学習でもありと言う事で、児童以外の人も多くにぎやかな田植えだった。しかし、田植え自体は、随分、うまく運べるようになった。まず、ワク回しを保護者にやってもらったが、結構、ワーワー盛り上がって面白かった。多少、曲がったが、お愛嬌と言うところか。次は、使用苗箱数。これまでで、最少の15枚くらいで済んだ。かつて、50枚近く!使った事があるが、私の説明が良かったのか、子供達が良く聞く子だったのか、とても、うまく行った。何事も経験だが、一番最初の頃の取り組みを考えると、お粗末だったなあと感じる。半分位の児童は、よその田んぼで、遊んでいたんだから、今では考えられない。しかも、全てのお膳立てをしたので、私を含め、スタッフは大変だった。今年は、全て、保護者と児童に任せたので、体力的には楽だった。教育力とは、やはり親の背中を、見せながらも、任す事が大切なんだと痛感した一日だった。


2000年5月19日


明日、富陽小学校の田植えがある。各クラス分の「ワク」を揃えたが、色んなサイズがあり、3クラスとも、揃えるのは至難の技である。通称ワクと言うのは、障子戸を六角形にしたような物で、これを転がし、田んぼのついた方眼に植えると言ったもの。昔は、このワクのサイズで、品種ごとに、変えていたらしい。言わば、田植え機の、植えつけ間隔の調整と言ったところか。


2000年5月18日


最近、とにかく時間がない。時間は作るものだが、どうにも、足りない。原因は、朝夕の田んぼの水周りである。30ヘクタールの水田で、平均7アールだから、枚数で400枚。そして、今日数えたら、120枚を私が見て回っている。バイクは、250cc!のスクーターであるが、走行距離が、1回分で、約7キロ。もちろん、途中、歩いて行かねばならない所も多いので、実際は、それ以上移動している。歩くのは、嫌いではないので、良いのだが、問題は時間制限。朝、6時半スタートで、帰るのが、7時45分から8時。これでは、子供の登校時間にギリギリ。夕方は、5時スタートで、6時半。これで、何も無い時は良いが、会合が7時半開催となると、やはりギリギリ。しかも、今日は早朝、火災出動があった。ちなみに、250ccが、効率が良いわけでないが、50ccのマイバイクを中村君に貸したのと、4車線道路を、多く横切るので、とてもじゃないが、50ccでは、怖くて乗れない。でも、天気の良い日は、大きいバイクの方が、走ると気分が良いのが理由かな。


2000年5月17日


カグラモチの代掻き開始。最近、頂き物が多い。タケノコを筆頭に、ワラビ、ゼンマイ、ウド、フキ、牛肉、カステラ。毎日が、旬の物ばかりである。これぞ、身土不二。ただし、毎日、同じ物を食べる覚悟と、料理する方は、結構、アク抜き等で、苦労が、必要だが、それを、差し引いても、贅沢な食卓が続いている。今日、「かんぴょう」の苗をもらった。これは、いずれ、お寿司に入るのだろうか。


2000年5月16日


最近、青年塾でお世話になった、千葉県の方で、野田よしひこ氏、長浜ひろゆき氏の、選挙応援を少しづつしている。応援と言っても、手紙やメールを出して、応援を呼びかけるしか出来ないが、お米は、知り合ってから、年に3回は送っている。日本人には、三つのタブーがあり、それは、「信仰」「道徳」「政治」である。ご他聞にもれず、青年塾でも、政治はかなりデリケートな問題である。とにかく、拒否反応がすごい。でも、とても、大切なことで、塾生の一人が言っていたが、「有権者」ではなく「優権者」つまり優秀な有権者にならねばならない。そして、とにかく、この二人だけは、衆議院議員に成って欲しいと、思う私である。そう言えば、今日、総理が、「日本が神の国である」と、言ってしまったらしい。神の国であろうと、仏の国であろうと、イスラムの国であろうと、人として生きる道は、一つしかないように思うが、政治に利用するからまずいんだろうなあ。
一日、カグラモチの田に水を、入れて回った。夕方、うちの猫のチョミ吉が、またまた!足を怪我してしまい化膿。医者に行って、膿を出したら痛くて暴れて、私も手から血が出てしまった。もう、医者もあきれて、今日は治療費を受け取らなかった。やれやれ。


2000年5月15日


昨日は、腰が痛くて、消防の機械点検日だったが、午前中をさぼった。それでも、午後は、出場。小型ポンプ操法の練習をした。5月末から、本格的に練習をする。体がもつか例年の事ながら、不安である。
田んぼの方は、今日で、カグラモチ9ヘクタールの、荒起し終了。明日から、入水作業を開始する。最近、母親の体調が悪くて、その分、水周りが倍の数になっているので、大変だ。それでも、田植え期間中は、母親が、一手に引き受けていたのだから、頭が下がる。


2000年5月13日


イセヒカリと、少し追加したコシヒカリを植えて、前半戦終了。ところが、今日、田んぼのスロープを作っていて。「ギクッ!」と腰がなってしまった。今のところ、歩くのには支障がないが、注意が必要だ。やはり、限界を超えつつあるなあ。


2000年5月12日


いしかわの森と田んぼプロジェクトの学校検討会へ、出かけた。もちろん、環境に優しい私は、バスで出かけた。会場は、駐車場が無くて有名な、文教会館。しかし、ここでの話し合いは、非常に勉強になった。皆さん、子供自身が気付くような稲作りをやっておられ、感心した。自分は、あせって、答えを言い過ぎるようだ。失敗を恐れずに、そして失敗しても、それが子供達の知恵になるような方法でやらねばならない。後、ビオトープ(生態系が保存された空間)の意味、ケナフ栽培の意義等、色々、知っておかないとだめだなという事が、沢山あった。何よりも、この事業の意味を良く理解してなくてはいけないなと肝に銘じた。
今日は、アメアシコつまり、雨が降ったからお休みという日だった。しかし、朝から、PTA関係の文章を書いたり、午後は会合に出ていたら、一日フルに動いていた。しかし、私の体力も、限界に達しつつある事を感じる。ほとほと、体力の無さには、あきれるが、今晩は、何も無いので、ユックリしよう。


2000年5月11日


今日は、コシヒカリの苗が余ったので、4枚だけ代掻きを追加。イセヒカリも、2回目の代掻きをした。2回目の代掻きは、無農薬栽培には、効果的な方法である。一度出た芽を、すき込むということだろう。レディースは、補植と言って、田植え機で植えれなかった部分を植えた。昔は、機械の植えたところを、全て植えて回ったが、最近は、機械がターンした部分等のみを植えるようになった。多少、欠株があっても、収量に影響がなく、補植によって、密植にする方が、害があることを理解されてきたからだ。良く、田植えのお客様で、そんなに補植するなら、全部、手で植えた方が良いのではないかという方もいる。しかも、そんな方に限って、倒伏したり、収量、品質が良くない場合が多い。どちらかと言うと、粗放栽培の方の方が、良い場合がある。これって、子供に手をかけ過ぎる、親のようなものだろう。


2000年5月10日


昨晩、専務が遅くまでかかって田植え機を修理したので、なんとか前半の田植えは、終了した。次は、カグラモチの田植えの準備に入る。それでも、残りは、36ヘクタールのうちの9ヘクタール。しかも、自社の田んぼのみだから、気楽なものである。どちらかというと、これから植える、幼稚園や小学校の田植えの段取りの方が大変。
小学校と言えば、中村君の日記を読んで、「ふーん」と思っていたら、その担任の先生が、昨晩訪ねて来られた。しかも、昨年、中村町小学校での稲作り授業を、段取りしてくれた先生だった。これも、何かの縁だなあ。


2000年5月9日


もう少しと言うところで、ついに田植え機が悲鳴をあげて壊れた。肥料を散布する部分が折れてしまったのだ。部品があるかどうかは、明日になってみないと、分からない。専務は、がんばって直すと言っている。10日に、田植えが終了しないと、怒涛のスケジュールが待っている。PTAや町の会合が、GW明けを待って、軒並みある。皆さんは、休養十分で、出席されるが、こっちは、ヘトヘトである。いつもこのギャップに悩まされる。でも、気長に植えるかあ。


2000年5月8日


私は、自称「日本一朝の弱い百姓」だ。とにかく、朝さえなければ、最高なのだが、しかも、優秀な経営者は、おしなべて朝が早いと聞く。もう、この時点で、落伍者である。そんな私も、昨日のような休日でも、午前6時に起きて、水周りをしている。寝不足で、本当につらい。しかし、どうしても、1時間以上かかるし、苗の小さい時は、水周りは絶対にかかせないので、いやでも起きている。まあ、これで、朝がバリバリだったら、みんなもついて来れないだろうなあ。
おかげで、休日も、フルに活動出来るので、午前中、摩訶不思議バイク=テージ1と、ボーイズのdb1という、レアバイクで、手取ダムまで、ツーリング。午後は、長男の野球の試合を見に行った。余りにも、子供達が上手なので、ビックリして帰ってきた。長男は、控え選手で、出番はないが、もし、出たらドキドキして見られないだろうと思った。
田植えも、予定どうりであれば、あと2日で終了だ。がんばろう!


2000年5月6日


ようやく、田植えのお客様に分が終了。月曜日から、ようやく自社の田んぼのみになる。今日から、農林総合事務所農業改良普及部の、女性が研修?に来た。一年間くらい、我が社で勉強するようだ。間違った考えを持たねば良いが。ちなみに、今晩は、林農産の真髄「焼肉」にも参加する。


2000年5月5日


今日も、かなり頑張った。おかげで、明日で、田植えのみのお客様分は終了する。今日、市街地で田植えをしていたら、外国人の人達が、興味深そうに見ていて、さらにビデオで撮っていた。事情は違うが、せっかくの、GWに、何処にも行かずにいるのは、なんだか、自分と境遇が似ているようで、思わず、声をかけたら、どうもブラジルからの日系の人達のようだった。田んぼ横のアパートが、宿舎になっているようで、私が話していると、かなりの方が顔を覗かせた。近くに、ハイテク産業の工場が沢山あるので、そこに勤めているのかなあと想像した。この辺も、ずいぶん国際化してきたものだ。


2000年5月4日


今日は、腹具合も良くて、順調に作業が進んだ。田植え機は、社長チームと専務チームの二つがあるが、私のチームは、田植えの作業請負のお客様専用で、3日から動いている。専務チームは、ただひたすら、我が社が借りている田んぼを植えまくっている。というのも、作業請負のお客様は、品種も、肥料も、除草剤も、農薬も、それぞれ違うので、非常に作業が難しい。今までは、移動時間がもったいないので、自社の田んぼの合間に植えていたが、段取りが難しいので、良くトラブった。そこで、あっさり、一番知っている私のみが、植える事にしたら、急に、楽になった。逆に言えば、他人に、物事を伝える事がいかに難しいかが、良く分かった。
お客様の田んぼに行くと、これでもかと、お菓子や飲み物を差し入れてくれる。我々は、仕事で、やっているのだが、皆さん、すごく感謝してくれる。なんとありがたい商売だ。今時、こんな事少ないだろうなあ。


2000年5月3日


田植えも、種まきも予定どうり行った。おかげで、休憩時に椅子が足りないほどであった。最近、下の話になるが、田植え開始まもなく、便を催す事が多い。理由は、始業時間の変更にある。いつもは、8時半始業だが、田植え時のみ8時始業になる。朝、6時起床で、ハウスの水遣り、田んぼの水周り、メールチェックをやっていると、もう朝食の時間が、ほとんど無い状態になる。いつもは、ここで、30分の余裕があり、スッキリと出る。しかし、30分ずれただけで、時計の様に、動いている最近は、中途半端になってしまい現場で、冷や汗をかくことになる。うーん、余りにも体内時計が正確過ぎるのも困りもんだ。


2000年5月2日


今日は、かなり田植えする予定が、午後の雷雨で、中止。早くあがった。「晴耕雨読」だが、カミナリが、ガンガン鳴って怖かったのもある。明日は、カグラモチの種まき日、しかも、同時に田植えチームも動かそうというので、大勢のボーイズ、レディースが来る。果たして、うまく、回せるか。
最近、悩んでいる事がある。それは、青年塾で世話になった方が、今度の衆議院選挙に出るのである。出馬する方は、2名で、3年前の選挙で苦渋をなめ、今回はまさしくリベンジ。初めて会った時も、日本に政治家といえる人物が存在したのかと感動したのを覚えている。千葉で立候補予定の、野田よしひこ氏、長浜ひろゆき氏だが、この両氏、志は高いが、地盤も看板も金もない。だから、尚の事、青年塾で応援したいと考えたのだが、世の中そんなに甘くない。あたかも組織で、動こうと、私がすればするほほど、反発が出るのである。自分では、そんな気が、さらさら無いのにも関わらずである。しかし、良く考えてみたら、1期生で事務局長と、ウソでも名前が付けば、誰しもが感じる事なのだろう。あらためて、なんら利害関係の無い人達と関わる難しさを感じた。しかし、悩んでいても、どうしても、両氏を応援したいという思いは募るばかり。そこで、「ハッ」と気付いたは、塾長の言うところの、「人は変えられない、自分が変われ」です。あたかも、組織のように、2期生、3期生、そして4期生を、動かそうとしても、無理だと気付いたのです。やはり、ここは、両氏を一番知っている、1期生が動く事が、大切だと考えて、応援お願いの手紙を書いた。やはり、自分が変わって背中を見てもらうしかない。果たして、うまく行くだろうか?


2000年5月1日


田植え再開。今年は、中村君も、作業に習熟して来たので、田植えチームが二つと、トラクターチームの3チームを結成。田植えと、トラクター作業を平行して行っている。これも、日曜日を休んだおかげで、精神的に余裕があるおかげである。この調子で行けば、今度の日曜日も休めそうだ。





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