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日記を、日付順に、読みたいので、1番下へ行く

あぐらぐち物語 2001年7月分





2001年7月31日


 昨晩の、出店者の会も、とても盛り上がった。お店ばたけのHPの、リニューアルの方向性も決り、次回からは、お互いの実践を題材に、勉強会になればいいなと思う。ドクターの指導のもと、色々やっていくうちに、具体的な疑問や壁に当たっている事も多い。私にとっては、デジカメ撮影だったり、カード決済、コンビニ決済だったりする。そうすれば、もっと切磋琢磨出来る。
 今から、神戸の田んぼ屋さんに、家族で行く。子供達も、初めての電車旅行で、ワクワクだ。


2001年7月30日


 サマースクール終了で、ぐったりしていたが、昨日は早朝から、スポーツ少年団で小学校の草刈りがあって、草刈り機持参で参加。午前中から、練習試合だったが、さすがにダウン。午後なんとか起きて、試合を見て、水周りをして、野球のお父さん方と一杯。
 夕方、サマースクールに参加出来なかった子供の友達が、わが家に泊まると言って来た。テントをまた、庭先に建てて宿泊となった。晩飯をみんなで、ワイワイ言って食べて、夜は、お風呂やさんへ裸の付き合い。我が子ながら、完璧な遊び具合で、感心する。
 今日は、午前中から、ややこしいWebショップ関係の契約書や登録で四苦八苦。お盆休みまでに、済まさねばならない仕事が山積みである。午後は、お店ばたけの交流会があるので、出かける。回を重ねるごと、お互い切磋琢磨できていると思う。今日も、美味しいところ全部頂きだ!
 明日は、田んぼやさんへ、お米を持って神戸に行く予定だったが、事情で手ぶらで行くことになった。電車に変更になったが、体力的には、助かった。初めての遠距離電車での家族旅行である。


2001年7月28日


 サマースクール終了。とにかく今は、全てのスケジュールが、無事済んだ充実感のみである。暑い夏のイベントは、親もさることながら、子供達も消耗が激しかったと思う。でも、お互い汗をかきながらも、楽しんだ、一夏の思い出は、深く心に刻み込まれた。
 準備万端だった竹筒炊飯、これは完璧。屋上から滑車使用のキャンプファイヤー点火が、落ちてビックリしたこと。花火大会が以外に迫力があったこと。実行委員と先生で、徹夜の警備をしたこと。優れものの災害時用非常食に驚いたことと、うまく調理できたこと。ハシゴ車に参加者全員が、乗れたこと。最後は、子供達の笑顔かな。


2001年7月26日


 午前中、電車で帰宅。午後から、サマースクールの準備。ついに、来てしまったという感じ。春ごろから、ず〜と心の隅にあって落ち付かない要因の一つだった。これが、済めば、8月4日のじょんから祭りのハシゴ登りが、唯一残るハードルである。サマースクールは、私が会長の時やった、肝試し大会「富陽小に、貞子はいるか」の発展版である。ワークショップ、キャンプファイヤー、竹筒炊飯、飯ごう炊飯、テント体育館宿泊、災害時訓練等々を、保護者を交え行います。参加人数は、200名近くになると予想してます。これは、地域、家庭、学校を巻き込んだ、地域行動プラン「富陽ナインネットワーク」の一環として、行われるもので、ナインとは、富陽小学校が関わる九つの地域を指します。来年度より行われる、完全週5日制に向けての活動です。さあ、早めに行こうっと。


2001年7月25日


 肥料散布終了。さすがに、くたびれたが、完璧に散布出来たはずだ。まだ昼前だが、急いで富山に行く。帰ってから、すぐに、富陽小学校サマースクールの準備。まったく、段取りが固まっていない状態で、果たして上手く行くか不安でし方ない。まあ、案ずるより生むが易し。子供達は、すでに借りてきたテントで、家の前で猫も含めて、宿泊訓練を開始している。


2001年7月24日


 新型動力散布機で、朝からカグラモチの肥料まき。他のスタッフは、全員草刈り。この暑い時期に、一番ハードな作業が重なった。この肥料まきも、以前は、全面積を散布、しかも2回〜3回、そしてその合間をぬって、農薬まで散布していたんだから、考えられない。その分、草刈り機より、除草剤の使用が多かったし、家族の雰囲気もあんまり良くなかった。そりゃ、疲れ果てて、しかも農薬で頭が痛けりゃ、ギスギスもするでしょう。肥料まきは、去年、中村君のリリーフを仰いだが、今年は、完投出来そう。
お店ばたけの仲間の食べても大丈夫なくらいの天然素材を使用している、ルバンシュさんから、日焼け止めクリームが、届いた。結構、日焼け止めクリームに限らず、化粧品も石油化学製品を使用すると、体に悪いみたい。今年の田植えで、ボイーズが強い日焼け止めで、肌が荒れてしまったのを見て、実感した。それでは、今晩、このクリームをご飯にかけて食べます、、、、ウソ。
 明日は、肥料まきを、半日でなんとか終了させて、富山の妻の実家へ、遺産相続の話合いに行く。うまく、まとまればいいけど、、、。


2001年7月23日


 不覚!肥料散布で転倒、動力散布機を壊してしまった。いわゆる、田んぼの水を吸い込んで、ウォーターハンマー現象を起こしクランク軸が曲がってしまった。通常、空気とガソリンという気体を吸ってエンジンが回っているのに、いきなり圧縮出来ない液体が中に入り込むと、あたかもハンマーで叩いたように壊れる。15年間も愛用して来たのに、、、、さらば。
 それと言うのも、21日夕方、虫送りの警備。出動人員が少なくて結構ハードだった。明けて22日、朝から、石川県代表の野々市御園学童野球クラブとの壮行試合。今回は、2対7で勝たせてもらった。こうやってみると、今年の野々市はレベルが高く、どこが勝ってもおかしくない戦国時代だ。
 午後から、炎天下、サマースクールのキャンプファイヤー用丸太をチェンソーで切ってトラックに積み、不用パレットをいただいて学校に降ろし、その足で、山へ竹筒飯ごう用の竹を、取りに行った。 竹やぶと格闘し、ヘトヘトになって帰って来てから、飯盒炊飯の実験。でも、やっておいて良かった。いきなりやったんじゃ、大混乱だったろう。
 今日は、わくワーク職場体験と言って、野々市町中学2年生が二人来た。うち一人は、ぶった農産社長のご子息だったので、ビックリした。うちの子も2年後だが、どこへ行くのやら。そして、専務と中村君は、まだ神戸だし、朝から一人で走り回って段取りをして、カグラモチに肥料をまき始めたのだが、夕方になってコケテしまった。ケガは無いが、この出費は痛い。


2001年7月21日


 昨日は、朝から学童野球のジュニア戦(5年生以下)があって、午後から、8月3日〜6日に行われる、全国スポーツ少年団交流試合の運営委員の打ち合わせに出席。その後、大急ぎで帰って来て、「きむらたまみを送る会」の準備をした。
 木村珠美さんは、NHKのディレクターだが、我々農業者の活動にとても理解を持っていて、事あるごとに、支援してくれた方である。その木村さんが、東京へ転勤されると言う事で、急きょ会を催したのである。ミニミニ田んぼのフェス感覚で、生演奏を聞きながら、生ビール(エビス!)をサーバーから、ガラスジョッキで、グイッと飲み、山中塗りのマイ皿、マイコップで、焼肉を食す。そして、夕日が、まだ濃い緑の田んぼに沈むのを見ながら、思い出を語る。最後にふさわしいお別れが出来たのではと思っています。東京へ行ったら、プロジェクトHを、ぜひ制作してくださいね。
 そして、今日は、お約束の二日酔い。午前中、後片付けをして、夕方から虫送り祭りの警備で出動する。


2001年7月19日


 泥かぶらは、とても良かった。子供達は、ともかく私は、眼がウルウルした。観劇の後、山ちゃんラーメンに行った。このラーメン屋さんは、大学時代良く行った、思い出の店だ。オヤジさんも、ツルッパゲになって、老けていたけどかつてのキレも、垣間見れて良かった。子供達も、両親の思い出の場所だと、話したらとても感慨深げだった。
 今日は、無農薬イセヒカリの肥料散布と、草刈り。明日から、三連休だが、イベントと行事が目白押しで、地獄の三日間だ、乗り切れるか。


2001年7月18日


 昨日がんばったら、午前中ダウン。午後は、草刈りをした。この草刈りと言うのは、実に奥が深くて、効率良く刈るには、独特のコツがいる。たまに、若いスタッフの草刈りを見ていると、肝心なところが抜けている事が多く、社長もボーとしていられないなと感じた。例えば、草刈り機のエンジンをかける時には、基本的には、刃を地面に着けないでかける。急にエンジンがかかって、グルグルと機械が回って、自分を傷つけるからだ。
農業をするには、完全に素手で何かをするならともかく、現代はどうしても機械に頼ることも多い。その機械も、日本では小型エンジン付き(22cc〜250cc)の物が圧倒的に多い。このエンジンの仕組みを知らないと、いつまで経ってもかからない場面が出てくる。最近、新しく農業に就業する若者が増えたが、経営、IT、とともに、農業機械の基本的な知識も学んで欲しいと感じる今日この頃である。
 今から、親子で「泥かぶら」の観劇に行く。親子で観るなんて初体験。最後まで、おとなしくしていればいいが、、、


2001年7月17日


 肥料が、届いたので、急いで散布した。曇りで助かった。普通じゃないコシヒカリに、散布する有機肥料は、300坪当たり、50キロもまかねばならないので、わが社の15年物の散布機だとタンクが小さいので、2往復しなくてはならず、結構足に来た。うまく効いてくれる事を祈る。


2001年7月16日


 日曜日は、富陽学童野球クラブの根上大会の予選に出かけた。しかし、あえなく逆転負け。残念だが、子供達はもっと残念だったろう。秋まで公式戦はないので、長い夏になりそう。帰って来て、グランウンドで、6年生対5年生、6年生対保護者で、試合をした。私も、9番ライトで出場。考えてみると、こうやって子供達と試合が出来るというのは、すごい幸せなことだなと感じた。大切に心の中に刻んだ。
 午前中、普通じゃないコシヒカリに、肥料をやった。ところが、追加分の肥料がまだ届かず、三分の一で終了。午後は、雨が降るしで、少し遅れそう。幼穂を見ると、ずいぶんムラがある、1センチ〜10センチ!やはり、家の陰で、風当たりが弱い所は、伸びている。早く、肥料届かないかな。


2001年7月14日


 昨晩、富陽小学校のサマースクールの打ち合わせがあった。ワークショップをしたり、飯ごう炊飯、竹筒炊飯、キャンプファイヤー、テント宿泊、災害時の食事体験と、盛り沢山。このうちの、いくつかの仕事を、PTAサポート隊が任された。その一つが、「竹筒炊飯」。果たして出来るのか、不安だが、今日、知り合いの方の山を下見に行く。案ずるより生むが易し。


2001年7月13日


 昨晩遅くまで、妻と子供が注文していた「ハリポッター」3巻目を読んでいて、今日は眠い。どっちにしろ寝苦しい夜だったから、いっしょか。でも、この本、面白い。客観的に見て、どこがどうと言う訳でないが、引き込まれてしまう。こんな風に、日記も書けたらなあと感じた。
 午前中、JCBカードさんと打ち合わせ。ようやくお店の方で、カード支払いが可能になった。次は、VISA。そして、インターネットでのカード支払いが可能になる。少しづつ出来て来たぞ。
 午後は、田んぼ便りの作成をした。頭をひねってようやく出来たと思ったら、カラープリンターが、正常に作動しない。一体、何が原因か分からない。パソコンの仕事って、結構こんなマイナートラブル処理が多いよなあ。


2001年7月12日


 先日から、デジカメ撮影で悩んでいたら、お店ばたけの仲間の、ニュートンさんからメールをいただき、色々な裏技を教えてもらった。コロンブスの卵みたいなものだが、これは使える!感謝です。ここニュートンさんは、日本でも初めてのすごいデジタル現像の機械をもっている写真屋さんです。とにかく、これが同じデジカメで撮った写真か!と思うほどのクォリティーに仕上がります。餅屋は餅屋ですな。
 朝、田んぼ周りを、農業改良普及部の方とした。毎年、いつ肥料を入れるかを見てもらっている。各品種の田んぼで、稲を抜いてカッターで切って、穂の赤ちゃんの長さを計る。画像は、カグラモチを見ているところ、まだ1〜2ミリ。もう一枚は、ハナエチゼンの穂だが、出穂寸前。数えたら138粒出来ていた。これにどれだけ実が入るかがこれからの勝負である。



 
午後は、コンビニと郵便振替の伝票申請に郵便貯金会館へ出かける。しかし、なんと印刷が違うと、言われあえなく却下。どうなってるの〜
 がっくりする間もなく、お店ばたけで、一緒に出店中の飲んでも大丈夫だという位の化粧品を製造販売しているルバンシュの千田さんと、(財)石川県産業創出支援機構(ISICO)の専務理事さんへ、お店ばたけのHPリニューアルについての要望書を提出して来た。緊張して提出みると、「おっ!分かった、すぐやりなさい」の一言。聞くと、事業に参加メンバー自らが、要望して来たのは初めてのケースらしい。その意気に感じてくれたようだ。千田さんが、いつも言うように、我々がモールを作り上げていかねばならないと感じた。


2001年7月11日


 午前中、とくの幼稚園で、なぜ米作りを幼稚園でするのかの、話に行った。今回、園長がパソコン関係に強いので、ノートパソコン持参、プロジェクターでパワーポイントで見せた。米作りと子育ては、そっくりと言う題目だが、分かってくれたかな。
 午後は、プロバイダーさんと、ようやく撮った商品画像、メールフォルダのドライブ移動、支払い方法の複数化によるプログラム変更の打ち合わせをした。材料は、ようやく揃った。あとは、組み立てて、実践する段階に入った。ちなみに、最近アクセス数がコンスタントに200を超している。あとは、注文数増加だ。第一段階は、新米発売時が勝負か。


2001年7月10日


 写真の撮り直しと、クレジット会社との契約のため、会社の謄本を取りに行ったりしているうちに、もう一日が終わる。う〜ん、クリエイティブな仕事とは言え、時間の過ぎるのが早過ぎる。画像は、なんとか揃ったが、試行錯誤が続きそう。今まで、他人任せにしていたツケが回ってきた感じがする。でも昨晩、本多農場のジョニー君と、話をしていたら、トップの写真が綺麗だと注文も増えると聞き、色々やってきたが最後は、写真のセンスで勝負かと思うと、努力しなくてはと思った。


2001年7月9日


 昨日の釣果は、キス11匹。でも、大きなものばかりだったので、満足。数多く吊ると、さばく妻が嫌がるので、これぐらいが家族で食べれる数である。テンプラにして美味しくいただいた。ご馳走様。
ただ、また左目が、コンタクトの付け過ぎで、痛くなり片目状態。それでも、商品の撮影をした。先週撮影したものは、全て没、、、、。今日、再挑戦したが、なかなか難しい。明日、またがんばろう!


2001年7月7日


 午後から、消防団で操法大会の打ち上げに能登島へ釣りに行く。私は、釣りも船も、まったく大丈夫だが唯一あのエサが、だめなのだ。しかし、以前エサがだめでと言って、逃げようとしたら「団の規律を乱すか」と言われ渋々参加した。そこで、1,500円で竿を買い、手袋とピンセット持参で根性で釣りに行って笑われたが、それでもソコソコ釣れたので逆に感心された。人生、逃げたらアカンと言うのは、このことか?


2001年7月6日


 朝から、トータルコレクションサービスと言って支払いを、北国銀行、全国のコンビニ、郵便局で出来るシステムの打ち合わせをした。従来やられているコンビニ支払いと同等のサービスで、しかも郵便局支払いも可能な支払伝票を使用している。インターネットでの注文数アップが目的だが、今までは、郵便振替が主だった、年末のDM注文の支払いにも使えるので、お客様にとっては便利になるだろう。これで、銀行振込、郵便振込、代金引換、クレジット、コンビニ支払いが、揃う。完璧な形で秋を迎えたい。
 お餅の写真を撮り直している。かねてからHPドクターから指摘の、大きな商品画像のためのものである。しかし、袋物は光りの反射で撮影が難しい。あーだこーだやっているうちに、小さい袋は終了。明日は、中身を写す。難しいものだ。


2001年7月5日


 今日は、コイン精米機物語のコンテンツを仕上げた。専務のデジカメをもらい、購入から精米にかけてうまく原稿が出来たと思う。あとは、デザイナーさん次第かな。続きはまた。



 
 なぜか、事務所の販売管理用パソコンのCDドライブが壊れた。結局、入れ替えで、CD−RWドライブを購入した。これで、バックアップ体制も飛躍的良くなる。今までは、高いMOで、シコシコやっていたが、1枚100円未満で済む。一番困るのは、よそへデータを持って行ってMOじゃ読めない場合が多い事。これで、互換性も大幅に向上した。
 明日は、商品の写真を仕上げるぞ〜


2001年7月4日


 苗箱を、納屋の2階に片付けた。例年に比べ、1ヶ月以上早い。これも、優秀なスタッフのおかげである。
 先日の「お店ばたけ」交流会で、「普通じゃない」と、「普通」の商品があると、いかにも普通だけどお金が無くて我慢しているという心理になる。「あの人は普通じゃないコシヒカリけど、私は普通のコシヒカリがいいんだ」という気持ちにさせるネーミングを考えて欲しいと言われた。そうなのだ、確かにランク付けされたネーミングだ。でも、普通のコシヒカリも、すごく考えて作っているし、なんら普通じゃないコシヒカリと遜色がないのだ。その話を聞いてから、いつもその事を考えている。


2001年7月3日


 昨日の交流会は、楽しいだけでなく、現在のモールに対し真剣な議論がなされた。これを、文書にまとめて改善していく予定である。夜の部は、相変わらず爆発していたが、異業種の方の話は、本当にためになる。特におもちゃのとらやさんの社長さんの、不良在庫を抱えて苦しんだ挙句、切羽詰ってインターネット通販を始めたら、お客様からは、何年も探していたんですと感謝された。つまり、不良在庫が、お宝の山になったという話は、とても共感出来た。9月の新米時期まで、なんとか売り切らねば、、、注文はこちら
 午前中、VISAカードさんと、打ち合わせ。少しづつ、少しづつ概容が分かってきた。クレジット導入で、売り上げが倍増するわけでないかもしれないが、これも土作りと同じで、信じてやるしかない。きっと成果を上げて見せるぞ。
 午後は、プロバイダーさんと、打ち合わせ。トップの流れる文字とリンクの更新が、私自身で出来るように設定した。ついでに、お願いしたメールフォルダの移動は、結局メーラーを変更する事になった。現在、1.5ギガのCドライブの空き領域は、150MB。アウトルックだと、絶対にCドライブに無いといけないが、このメールフォルダが、300MB!メーラーを変更してでも、価値はある。まだまだ、使えるぞFMV!


2001年7月2日


 今日は、わが社が誇る、全天候型「草」迎撃戦闘機F−18ホーネット・スーパーレディースチームが、農協の「美味しんぼ」企画で、漫才?と食事に出かけて不在。でも、朝しっかり、除草剤散布の指令をいただき作業をした。
 月初めの月曜日は、事務作業も多く大変だ。午後から、石川県のバーチャルショップモール「お店ばたけ」の交流会に出かける。また、盛り上がるだろうなぁ


2001年7月1日


 掃除の会、無事終了。いつも、思うのだが、どうしてこんなにトイレ掃除に集まるのか、自分でも不思議。でも、スタッフ側で、班のリーダーをさせていただき、とても勉強になった。いきなり、集まった見ず知らずの方々を、まとめるのは、大変なことだ。でも、能力は、まだまだですな。
 家に帰り、妻に、「ひとんちのトイレ掃除する、暇があるんなら、家のトイレをしなさい」といつもの、温かいお言葉を受けた。今回の掃除の会の講演会で聴いた荒木忠男さんの家族のお話が、とても良かったので、いつもの家族風景だなと思い、腹も立たなかった。41歳で、どうにも上手く育たない二人の息子の行く末を心配し、サラリーマン生活を捨て、九州天草に帰り農業をされたお話しである。600万円の年収から、一気に貧乏な生活へ。そんな窮乏生活の中、家族の絆を強めて行く実話である。 何度も、涙が出た。やはり、あり余る生活が、人を不幸にしているなと感じた。うちの、二人の息子も、良く似た状況だが、お話しを聴いて少し光明が見えた。


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