農家と消防団の熱い関係

農家と消防団は、非常に密接に関係していることは、あまり一般的には、知られていません。

しかし国民の生命財産を守るという意味では、食糧生産という仕事は、当らずも遠からずと言ったことでしょうか。

林さんちの研修に来た農業青年達のほとんどが、地元に帰ると消防団に入団しています。

消防団員は、よくボランティアと言われますが、実は、地方公務員の特別職です。私も町から辞令を頂いて、出動手当てももらっています。つまり火災や災害の際の出動が義務付けらていると同時に、身分も保証されていて、各種の福利厚生もあり、あってはならないことですが、災害の際に死亡した場合は、殉職となります。

でも出動手当てと言っても、全て消防団の活動費で消えていくので、まあそういう意味では、ボランテイアかもしれません。



しかし現実的には、そんなことを考えるまでもなく、農家=自営業=時間が自由 と言った論理で、消防団に入団というパターンが多いのではないでしょうか?

災害や火災は、いつ起こるか分かりません。そんな時、管轄内で仕事をしていることの多い自営業者には、必ずと言ってよいほど入団のお誘いがあります。

林さんちの社長も、そんな一人として平成4年に入団しましたが、誘われたと言うより強制的な入団でした。当時、集落から1名の割り当てがあり、毎年、順番に出していたのですが、消防団の方から、1年交代では、使い物にならない。複数年出れる人を出してくれと要望がありました。

そりゃそうです。ポンプ車の操作、ホースの扱い、何をとっても1年では、マスターできるものではなく、実際の火災現場では、経験がモノを言います。しかしそんなことなんか、関係なしに、前任者から「こーよー(社長の呼び名)なら、大丈夫やろ、やってくれんか?」と突然、12月28日の餅つきで、ヒートアップしている工場へ来て頼むのです。「え~~!そんなん誰かおらんがぁ~~!」と断るのですが、帰ろうとしません。このまま居座ってもらうと仕事にならないので苦し紛れに「分かった、分かった、どうすればいいが?」と言うと、ドサッと防火服や長靴を置いて「1月6日朝8時、出初式に第2分団格納庫に行ってくれ」と一言。



そして訳も分からずサイズのまったく合わないブカブカの消防服を着て格納庫に行くと、そのまま何の説明もなく出初式に出発、、、しようとしたらポンプ車が動かない。みんなで押して!エンジン始動!良く分からずに、式典、一斉放水、各町内へ初放水。すると昼食時に、火災発生、しかしまたまたエンジンかからず押してかけて出動、、( ̄○ ̄;) でも何かが出来るわけでなく、少し悔しい気持ちを残して出初式は終了しました。



最初の数年は、超不良分団員でした。まあ火災出動には、当然、出ますが、その他の活動、月1回のポンプ車点検、春秋の防火訓練、消火栓点検などには、ほとんど出ませんでした。それでも、6月末にポンプ車の操作技能を競う地区の消防訓練大会には、1ヶ月前から練習には、参加していました。しかし当時の我が消防団は、弱くていつも下位をウロウロしているような状態でした。

ところがそれでも、消防団の先輩達の中には、「いつか優勝して県大会に行きたいんだ」と夢を語って頑張っている先輩が何人かいました。そんな先輩に、触発されて少しづつ消防団活動に身を入れ始めました。

さらに我が町は、住宅密集地で、残念ながら火災の発生も多く、年に何度も大きな火災出動があります。そんな修羅場を何度もくぐりぬけるうちに、段々と一人前の消防団員に成長して行きました。



私の成長とともに、先輩達は、地区の大会でも、上位に入る活躍をされて、やれば出来るということを証明しました。平成7年には、新しいポンプ車とハシゴ登りの練習場を兼ねた格納庫が完成。そしてポンプ操法だけでなく、平成9年に、数十年ぶりに野々市町のハシゴ登りを復活させたのです。さすがに、ハシゴ登りは、無理!と思っていたのですが「念ずれば花開く」先輩達に、技術うんぬんではなく、気持ちさえ強ければ出来ると、教えられ、なんと私も平成12年にハシゴ登りデビュー。


 

平成13年野々市じょんからまつり

先輩達と、毎週毎週、格納庫で練習を繰り返しました


運動神経が人より悪い私、出来ないと思っていた最初の頃は、練習もサボり気味でしたが、ある日パラリンピックの選手を見て、五体満足の自分が恥ずかしくなり、出来るまでやろうと決心してからは、上達は早かったです。でも5.4mの本ハシゴでの演技は、心技体が揃わないと出来ない技です。本当に、本ハシゴで演技を披露できた時は、人間ってすごいなと自分自身にビックリしました。今では、指導者として後輩達に技と心を教える日々です。


 

平成11年

現在


そして平成18年に、ついにポンプ車操法で地区大会優勝!入団して15年目の出来事でした。「いつか優勝して県大会に行きたいんだ」という先輩の夢を「念ずれば花開く」見事かなえての県大会初出場でした。しかし2年連続、指揮者として県大会出場を果たすも、2年連続の最下位という厳しい現実がありました。

しかし夢は、「いつか県大会で優勝して全国大会へ」と切り替わりました。


石川県消防操法大会初出場

その後は、地区大会では、常に上位に入る強豪消防団に成長しました。平成21年には、ポンプ車操法優勝のみならず、小型ポンプ操法、そして総合優勝と3冠を達成しました。県大会にも、何度も出場できるようになり、成績も一つづつ階段を昇るようにですが、上がって行きました。


 

白山石川消防訓練大会三冠達成

地区大会では強豪に仲間入り

石川県消防操法大会も常連に

そしてついに、平成22年に、小型ポンプ操法で、全国消防操法大会に出場を、果たしました。成績は、またまた初出場の洗礼を受けてしまい振るいませんでした。しかし夢の全国大会の地を踏んだというだけでも、大変な経験を積ませていただきました。


第22回全国消防操法大会出場

私の志「食といのちの大切さを伝える」は、「国民の生命財産を守る」という消防団の使命は、まさしくピッタリとはまっています。そしてその使命は、全国の農業者に共通していることだと感じています。

きっとまた、若い農業者が、火消しへの道を踏み出していることでしょう。

そんな時は、仕方なく入団したにせよ、きっと、多くの素晴らしい先輩後輩と知り合うことが出来、そしてもしかしたら、素晴らしい体験が出来ることでしょう。今時の消防団は、昔のように呑み打つ買うの集団ではなく、地域の防災を担う集団に変貌しています。でも、たまたま入団した消防団が、そんな消防団であっても「念ずれば花開く」思いがあれば変えていけると信じています。農家と消防団の熱い関係が、これからも続いていくことでしょう。