林さんちの楽しい社長日記「あぐらぐち物語」
2011年03月02日
社長も勉強してます

青年塾は私の志を学ぶ場です・ご縁に感謝しています

 青年塾は、私が35歳の時、農業法人の研修で上甲晃氏の講演を聴きに行ったことから始まります。上甲晃氏が松下政経塾で塾頭をされていて志高い生き方や経営を広めるための活動をしているのは、知っていました。ところが私がお会いした時は、松下電器を辞めた直後のことでした。開口一番「21世紀は、農業の時代だ!」と話されたので驚きそして感動しました。そして多くの素晴らしいお話の後に「私は、松下政経塾で政治家を育てて来たが、やはり志高い国民を育てなければこの日本は、行き詰る。そこで志高い青年を育てるために『青年塾』を立ち上げます。」と言って20部ほどの入塾案内を配られました。私は、最前列にいたのでそれを頂きました。帰宅後、とてもその青年塾が気になって仕方ありません。そこで思い余って上甲晃氏のお宅へ電話をしました。するとなんと本人が出られてビックリ!「青年塾に興味がある。でも農業をやっているのでそんなに研修で家を開けられないので自信がない。」と話すと「いやいや年に2、3回だよ。なんなら今度、横浜で私が代表をしている志ネットワーク全国会議に参加してみたらどうか?」とすでに5年前から全国の志高い経営者を集めた会へお誘いを受けました。じゃあと観光気分で仲間の農家の長田竜太くんと参加。全国から鍵山秀三郎氏を始め多くの優秀な経営者が集まった全国会議は、本当に夢のような時間でした。


 しかもそこには、その後、総理大臣になった野田よしひこ氏、環境大臣になった長浜ひろゆき氏、杉並区長のになった山田ひろし氏も参加していました。この3名の方は、当時落選していて悲惨な浪人生活をされていました。当時、政治家なんて、、と胡散臭い目で見ていたのですがこの3人のお話は、その偏見を一気に吹っ飛ばすに十分なパワーでした。その後、この3名の方には、わずかな支援と思い定期的にお米やお餅を送っていました。そんな驚きの出会いもありながらも最終日の懇親会で上甲晃氏が「今年、青年塾を立ち上げる。そして今回、ここに5名の入塾予定者が参加しているので一言づつもらいましょう。」といきなり言い始めました。「ええええ!」と思いましたが明らかにその5名に私と長田君が入っていたのです。でもここで「実は、入れません、、」なんて言えません。緊張で震えながら「よろしくお願いします」と言ってしまいました。


 ボォ~~っとしながら帰宅しましたが、今度は、また上甲塾長から電話があり「君に入塾式で志の宣誓をしてもらう」といきなり言われました。そしてその年の春に岐阜県大正村での入塾式に臨みました。ここでも多くの素晴らしい志ネットワーク会員や1期生で入塾した同期との出会いがありました。その一つ一つが素晴らしいのでまさしく「琴線に触れる」状態になるのでその後も講座が終わる度に興奮状態が収まらずに困りました。そして青年塾は、特定の教室というものがありません。全国の志高い活動をしている方や地域に行き講座を開くので全国を飛び回りました。それまで石川県を離れることは、めったになかったので電車の乗り方すら知らなかった私が一気に行動範囲が広がりました。そしてそろそろ卒業時期になって上甲塾長が「これで研修は終わりではない。生涯塾生、万事研修である。」と言い出して卒塾式ではなく「出発式」という名の次へのステップになってしまいました。よって次の2期生の入塾式のお世話は、1期生の我々がすることになりました。その後も、連綿とその伝統は、続き今でも1期生の私は、後輩塾生のお世話をしています。そしてお世話をしながら全国で行われる講座にも講師として呼ばれることもあり、ますます飛び回るようになりました。


 最近では、金沢講座が行われるようになり林さんちの富陽ドーム(ビニルハウス)を会場にして研修もするようになりました。それまでは、ゲストだったのがいきなりホストなのでさらにハードルが上がった感じです。でも青年塾に入ったおかげで普通では、絶対会えない方に会ったり、行けない場所にも行ったりと数々のあり得ないことを経験させてもらいました。そしてその一つ一つが私の志である「食と命の大切さを伝える」のエネルギーの源、林さんちの経営を導く指針、心の弱い私が道を外さないように諭してくれています。物事は、必然で起きると言うけど「もしも」上甲塾長に出会っていなかったら今の自分は、あったのだろうか?と思うととても不思議な気持ちになります。そしてその多くのご縁に感謝しています。これからは、上甲塾長がされて来たように「世の中は、救えないかもしれない。でも救える存在にはなれる。」という人間に少しでもなれるように精進します。


私の志の学びをする塾、、青年塾です、、2012年2月金沢講座にて
青年塾