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       林さんちのあぐらぐち物語 2002年 如月2号
         http://www.hayashisanchi.co.jp

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 このメールマガジンは、林さんちの大切なお客様と、ホームページをみて
   林さんちに興味をもっていただいたお客様にお送りしています。
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 如月2号 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

1. 巻頭言
  ...意外と忙しい2月
    
2.「雅子様出産祝い、林農産の意外な秘密?」
  ...封印された天皇杯受賞
  ...天皇皇后様は、いい人だった
  ...バチが、当たる
  ...食と命を伝える使命

3.林さんちの田んぼの様子
  ...ようやく冬らしく
  ...講演活動は、ほどほどに
  ...営業活動が嫌いな、林さんちですが

4.最近のスタッフの様子
  ...今が一番、余裕のある時期です

5.林さんちのホームページ //☆ 新情報 //☆
  ... 「シルク餅」林餅店さんをリンク 
  ... いつになったら、トップページリニューアル
  ...林さんちの秘密「封印された天皇杯受賞」ページ作成中

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●巻頭言です m(_ _)m
 
 ようやく冬らしい天気になって来ましたが、皆さん、お風邪など引いてらっ
しゃいませんか。林さんちは、おかげさまで、みんな元気です。1月1日〜8
日と言う長い長い、お休みをいただき、身も心もリフレッシュして、2002
年を迎えました。いつものように、寒中に入りカキモチを生産開始。なんと、
皆様のおかげで、13年産カキモチが売り切れてしまいました。12年産が売
れ残って困った経緯から、少々生産量を減らしたのですが、Web販売の伸び
もあり売り切れてしました。今年は、少し多目に作りましたので、3月以降の
販売をお待ちください。
 農家は、1、 2月は、農作業が無いので、暇そうに見えますが、この時期、
農業関係の総会、研修、会議、講演が多く、大変です。もちろん全部は行かな
いのですが、それでも大変です。案外、忙しい林さんちでした。

「あぐらぐち」とは、我が社の志高きプロバイダー氏が、名付けた、
「ホームページといういろりばたで、あぐらをかいて、話でもしまいけ」と
いう意味で名付けられました。
妙ですが、オリジナリティーがあって、私は気に入っています。

● 「雅子様出産祝い、林農産の意外な秘密?」

○ 封印された天皇杯受賞

 平成3年の春ごろ、農業改良普及センター(農業について色々指導してくれ
る所)の方が、林さんちに来て、「今度、毎日新聞の農業コンクールがあるから、
林さんちも出んけ?」と言って来た。実は、農業界では、実に多くの賞が設け
られている。NHK、朝日新聞、その他、県単位でも色々である。私の仲間で
も、多くの方が、受賞されていました。しかし、林さんちは、そんな賞には、
まったく興味が無く、普及員さんの「順番だから、、、」と言う、殺し文句に、仕
方なく承諾したのでした。
 
 ところが、これが、事件の始まりでした。とにかく、調査調査の毎日です。
当時30歳になったばかりで、遊びたい盛り?うっとーしくて。しかし、聞く
とこの年、毎日新聞の農業コンクールの主催県が、石川県で、絶対に最高賞の
大臣賞を取る任務が、彼ら普及員さん達に、課せられていたのです。しかし、
そんな事は、まったく関係の無い私は、事あるごとに、反発。普及員さんが、
なだめたり、すかしたりして、ようやく、提出書類を仕上げました。
 当時、私は、28才で(有)林農産の代表取締役になって、積極的に、パソコ
ンを経営に導入。農作業日誌や土地台帳を組み合わせ線形計画法と言う手法を
取り入れ、大規模稲作を目指していました。でも、その勉強会は、自分達で立
ち上げた「アグリネットワーク」という会を中心としていて、行政をあてにし
たものでは、ありませんでした。と言うか、農政大嫌い人間だったんです。
 しかし、コンクールの発表を、ジーパンで行ったり、ギャグを飛ばしたりと
言う努力もむなしく、農林水産大臣賞を受賞。この時も、お礼に県庁を回れと
言う事に対し「誰にも世話になっていない」と猛反発。問題は、この後、各コ
ンクールの大臣賞が、さらに、全国農林水産祭という会で、天皇杯へノミネー
トされる点だった。ちなみに、近所の(株)ぶった農産が、以前受賞していて、
エライ騒ぎになったのを知っていました。
 まあ、絶対に、こんな若造に、そんな事はないと、タカをくくっていたけど、
ある秋の夜に「天皇杯受賞おめでとうございます。受賞の感想をお願いします」
と言う電話があった。この後のマスコミ攻勢には参った、、、、、(T_T)
 
サッカーや、スキージャンプの天皇杯は、知っていたが、農業にもあるとは、
ほとんどの方は、知らないと思う。「農産」「畜産」「水産」「林産」「村づくり」
「園芸」「蚕糸・地域特産」の七部門に、それぞれ、1個3千万円相当のオール
プラチナ製の杯が、授与されるのである。すっごい、もらえるの?と聞くと、
1ヶ月間だけ持ち帰り、後は目録を所有、1年後に返還でした、残念。
 全国で、天皇杯にノミネートされた農林水産大臣賞は、500以上あり、そ
の中からの受賞でした。こんな貴重な賞を、30才そこそこの、アンちゃんに
授けたのですから、大変です。しかも、本人は、欲しいと思っていない。
 受賞にしたがい、何やら、出歩く事が多くなり、自分の時間が割かれること
に、すごく反発を感じていました。その時も「誰の世話にも、なっていない。
なぜ、関係ない奴に頭を下げにゃならんの!」と思っていました。しかし、1
1月の新嘗祭に合わせ、授賞式が、明治神宮会館の農林水産祭にて、ありまし
た。もともと行く気が無かったのですが、前日、茨城のツクバサーキットでバ
イクレースに出場した帰りに、寄りました。もちろん、前日の打ち合わせや、
予行演習は、担当の普及員の方が、代理で参加。当日も、他人顔しているので、
代理の方が、私と間違えられることが、しばしばありました。
 授賞式では、天皇杯を始め、内閣総理大臣賞、農林水産大臣賞、その他各賞
の授与がありました。会場は、2000人以上で、埋まっています。なんで?
と聞くと、ノミネートされた500人余りの方と関係者には、皇居内を回る特
典があるというのです。親戚縁者全部連れて来たのでは、と思う勢いです。
私は、1人で来てますし、出来れば、早く帰りたかった。なぜなら、前日、友人と
飲み過ぎて、気持ち悪かったんです。
 
 皇居の中は、広くて、1周1時間くらいかかりました。授与式で、両脇を抱
えられながら、それでもつまずきながら、何かの賞をもらっていた、年配の方
も、やはり抱えられながら、歩いていました。天皇杯って、こういう方に授
けるべきじゃないの?と、考えていました。
 「やれやれ、終わったから、この天皇杯を県庁の金庫でも、入れておいて」
と頼むと、そんな責任は持てないと言うんです。「責任持てないモンをくれる
な!」と怒りながら、結局、デッカイ天皇杯を飛行機に持ち込むことになりま
したが、当然、手荷物預りと言うわけにも行かず、レントゲン検査で引っ掛かり
ました。警備の人に「目が潰れても知りませんよ」と言い、杯の箱を開けると、
チラッと菊の御紋が見えた瞬間「結構です」と言われ通過しました。家に帰っ
ても置く場所がないので、寝床で抱えて寝ていました。やれやれ、、、、(-_-)
 受賞の背景には、林さんちの大規模、パソコン、Uターン等々が、当時の農
政ビジョンに、ピッタリだったのです。でも、身分不相応の賞を受賞し、その
後の数々の事件以来、林さんちでは、天皇杯については、封印される事になり
ました。しかし、10年を経て、林さんちが、なぜ今のような活動をするよう
になったかを説明するには、そろそろ封印をとく必要が、あると考えました。
ただし、巷では、ネタ不足からと言う声もありますが、、、、(^○^)

○ 天皇皇后様は、いい人だった

 天皇杯をもらって、唯一良かったのは、夫婦で、天皇皇后両陛下と、直接、
10分も話しを出来た事です。しかし、拝謁に当たり、宮内庁からは、服装は、
燕尾服と黒留袖、しかも、御下問(陛下の質問)には、直接答えてはいけない。
審査委員長を経て答えなさいと言う、指示があった。当時、次男が乳児で、
着物は困ったなと考えていると、宮内庁から、「陛下の希望で、華美な服装
だと、受賞者との距離がある。平服で来て下さい」と、連絡あり、これで、一発
で天皇陛下のファンになってしまった。平成5年1月に、私達親子と妻の実家
の母親の5人で、東京へ向かいました。ところが、打ち合わせ場所の農林水
産省の会議室が、タバコの煙でモウモウ。こっちは、乳飲み子を抱えているの
に、おかまいなし状態に切れて、打ち合わせも、そこそこに、途中退席してし
まった。しかし、実は、この時、重要な陛下からの指示があったのである。

 それから、バスで皇居内の待機所へ行き、そこへ、子供と実家の母を残し、
受賞者だけで、いよいよ、拝謁場所へ。「お〜ここが、天皇様の家か!」と、厚
さ5センチはありそうな、重厚な絨毯を踏みしめ、入り、しばし待った。する
と、御簾の向こうのエレベーターから、天皇皇后両陛下が、降りていらっしゃ
り、お目通りとなった。この時は、型通りの挨拶をして終了。「なんだ、もう終
わりか、、、、」と思っていると、各受賞者のパネルが置いてある別室に、案内さ
れ、そこで、再度、お会いしました。なんと、各受賞者に10分も、歓談され
ると言う事で、ビックリ!しかし、私は、この時、大きなミスを犯していること
に、気付いていませんでした。
 天皇皇后両陛下が、とにかく、気さくに、私達夫婦に直接、話しかけてくる
のです。ご下問には、直接答えてはいけないはずと、審査委員長の顔を伺うけ
ど、あっちを向いたまま、、、。そうなのです、さっきの打ち合わせで、陛下が直
接お話ししたいと言う希望から、直接会話が許可されていたのです。しかし、
一番バッターの私達は、知るよしもなく、せっかく、話かけてくれた陛下に、
失礼な事をしてしまいました。途中、ハッ!と気付き、ようやく会話を始めま
したが、もったい事をしました。「林さんは、デザインの大学を出たそうですが
(なんで、知っての?)、先生は、この事をなんておっしゃっていました?」と
天皇様、「すごく、喜んでくれました。モノ作りはデザインも農業も同じです」
と私、大きく皇后様と顔を見合わせ「喜んで下さったそうだね」うなずく天皇
様、「そ〜」とうなずき返す皇后様、そして、妻に顔を向け、「それは、良かっ
たですね」と皇后陛下。やんごとなき会話を、その後楽しみました。雅子様と
のお見合いの儀式が、二日前にあったばかりの多忙な天皇皇后両陛下が、実に、
受賞者の事を詳しく細部まで、勉強していることに、驚かされました。実に「い
い人」と言うイメージで、大ファンになりました。待機所に帰ると、次男が、
大便をしていて、その紙オムツを、し方ないので、そこに置いてきました。お
そらく、皇居に、使用後のオムツを置いて来たのは、私達が最初で、最後でし
ょう、、、、、(-_-)
 
○ バチが、当たる

 帰って来てからは、とにかく、テレビの取材やらなにやらで、大忙しでした。
しかも、恐れていた事が起きました。祝賀パーティーをしてくれと、各方面か
ら言われるようになったのです。普通、お祝いは、誰かが、やってくれるもの
ですが、この場合、自分でやるのだと言うのです。以前、ぶった農産の時は、
400万円以上かかったと聞いていましたので、やる気がなかったのです。散々、
ごねた挙句、町の担当課長が、頭を下げて「頼むから、やってくれ」と言われ
るに至り、仕方なく開催を決めました。金沢市のホテルを借りて、催しました
が、知事をお呼びするようなパーティーですから、金のかかること、かかるこ
と。バンケットも、ビックリするような美人ばかり。しかも、後で、写真を見
たら、酔っ払ったオヤジさん(失礼!)とのツーショットばかりで、腹が立ち
ました。それでも、引き出物は、九谷焼や輪島塗りではなく、私の作ったお餅
と、地元のキウイワインを贈りましたが、私の抵抗もそこまで、ほとんど、行
政側の思惑通り事が進みました。結局、経費は、200万円以上かかりました。
これに、腹が立った、私は、「本当に世話になった人との祝賀会」を企画。林さ
んちのボーイズ、レディース、近所の方を、お呼びして、近所の料亭で行いま
した。これは、実に盛り上がりました。ところが、私自身が、天皇杯に対し、
否定的な態度を取るので、参加者も、酔いが回るにつれ、さすがに、天皇杯
に、、酒を注ぐ事は、宮内庁から禁止されていましたが、頭にかぶったり、
前に当てて見たりと、ふざけていました。
 しかし、バチが当たるとは、この事で、その後林さんちの関係者は、次々と
災禍に見舞われて行ったのです。まず、「平成5年は、大冷害の年」ボーイズも
「仕事の事故で、腎臓を一つ潰す」「交通事故で、川に転落、怪我」「二留年で、
大学卒業出来ず」「私の母親が、乳がんで手術」その他も、色々ありましたが、
トドメは、私が、バイクレースで転倒。アバラを5本折ってしまったのです。

○ 食と命を伝える使命

 さすがに、病院のベッドで、白い天井を見上げながら、考えてしまいました。
「一体、これは、なんなんだ?」身分不相応な天皇杯、その後の数々の災禍。
そして、たどり着いた結論が、「天が、私に食と命の大切さを伝える運命を与え
ている」でした。そう言えば、なぜか昔から、マスコミの取材が多く、不思議
に思っていました。でも、面倒なので、いやいや取材を受けていました。でも、
そう考えると、つじつまも合うし、気が楽になりました。そして「皆さんのお
陰で、生きていられること」を痛切に感じました。
 なんとか、退院してからは、多少謙虚に、そして積極的に、農業について語
るようになりました。子供達への稲作体験授業、各種講演活動、そして、この
インターネットでの情報発信も、その一つとして、取り組むようになったので
す。
 「What's your misson?」 知り合いのバングラデシュ青年か
ら聞いた
話ですが、かの国では、子供は、こう両親に問い掛けられながら育つそうです。
さて、あなたのミッション(使命)は、何ですか?

 次回は、「いよいよ、春作業!」

● 林さんちの田んぼの様子

○ ようやく冬らしく

 1月の天気は、とても冬とは思えない、穏やかな天気でした。終いには、少
年野球の練習をグラウンドでやる位でした。しかし、カキモチにとっては、こ
の好天気は、カビや割れを誘発し危険でした。ようやく、1月後半から、雪が
降り始め、ホッとしています。

○ 講演活動は、ほどほどに

 1月は、各方面から、講演を頼まれました。しかし、あまり先生!先生と、
呼ばれると、人間がダメになると言う、忠告をある方に、いただき、年に1回
〜2回にするように、心がけています。そして、実は、講演の原稿をまとめな
がら、今の自分の経営を見つめ直しているんです。たまに、都にも行かないと、
脳も錆びてしまいますからね、、、、(^○^)

○ 営業活動が嫌いな、林さんちですが
 
 林さんちは、営業活動をしません。しかし、この時期、普段、お世話になっ
ている方の所へ行く、チャンスです。ご存知、神戸の「田んぼ屋さん」にも
「田んぼ屋さんHP」    http://www.genmai.co.jp/
行ってきます。そう言えばHPの縁で、ずいぶん、お米も買ってもらいました。
「林さんち神戸に行く」参照  
http://www.hayashisanchi.co.jp/news/log010213.html
そうやって、損得抜きで動き回っていると、その内、買ってもらえるようにな
るんです。有りがたいことですね。

●最近のスタッフの様子
 
 社長=東京、京都、神戸と、毎週、出かけています。オノボリさん気分です。
 
 専務=カキモチを、毎日ついてました。次は、お味噌です。
 
 中村=農業青年や地球村の活動で、精力的に動いています。

 あんち=毎日カキモチを編んでいました。ずいぶん、上手になりました。

●林さんちのホームページ 新情報  (^_-)-☆

○ 「シルク餅」林餅店さんをリンク

 年末に、ある事がキッカケで、林餅店さんを知りました。しかも、同じ、カ
グラモチをこだわって作られていると知り、大いに共感。中村君が、1月にな
って、突撃レポートをしたのを皮切りに、トントン拍子に、リンクの話も進み
ました。http://www.cyber.fcci.or.jp/shop/mochi.html
 しかも、うちのカグラモチ米を気に入ってもらえ、取引成立。いや〜、
嬉しかった。林餅店のじいさんが、林さんちのカグラモチ米で作ると
「シルク餅」になるそうです。さすが、プロフェッショナル!
 
○ いつになったら、トップページリニューアル

 1月になれば、暇が出来て、HPのリニューアルも進むかと思えば、さにあ
らず、パソコンの前に座ってはいますが、講演の原稿や、決算処理で、なかな
か、進まないのが現状です。重いページで、ご迷惑をおかけしています。
現在のよりセキュリティーの高いサーバーに間借り状態の注文ページも、    
         http://www.llell.com/cargopro/
林さんちのドメインに、膨大な量の日記の移行と同時に、移転しますので、お
待ち下さい。今度は、HP上から、更新可能なタイプですので、出先からも、
更新出来るようになり、楽しみです。

○ 林さんちの秘密「封印された天皇杯受賞」ページ作成中
 
 ちょっと、よそでは、見れないお宝画像を、ふんだんに使用して、作成中で
す。お楽しみに。いやぁ〜、あの時は、若かった。

敬白
なお、「こんなメールマガジンいらないよ」
「HPの日記読んでるからいらないよ」と言う方は、
そのまま送り返しください。こちらで、リストから、外します。
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